生徒,礼拝のひとコマ

放送礼拝 剣道部

コヘレトの言葉4章9節〜12節

みなさんは、憧れているものがありますか。私は、英和に入学する前から剣道部に憧れていました。なぜなら、見た目がかっこいいからです。英和に入学してから何回も剣道部に見学に行きました。

その中で先輩方が一生懸命稽古をしていた場面が今でも印象に残っています。そして、自分も剣道をしたいという思いが強くなり、入部を決意しました。高校から剣道を始めることに対して不安なこともありましたが、先生方や先輩が全力でサポートしてくださったので、最初から部活に行くのが楽しみでした。時には優しく、時には厳しく指導してくださり、「先輩みたいな早い打ちができるようになりたい」と思うようになりました。

そして、数週間後、以前に注文していた剣道着が届き、「やっと私も剣道を本格的にできる」と思いました。しかし、現実はそう簡単ではありませんでした。体育着で剣道をやっていた時よりも、はるかにやることが増えて、「私は、本当に剣道部に入部してよかったのだろうか」と毎日のように考えました。自分の想像していた剣道よりも、はるかに覚えること、気をつけること、心がけることが多く、なぜ入部したのかもわからなくなり、苦しい日々が続きました。

しかし、「剣道が上手になりたい」という気持ちをいつも持ち続け、粘り強く頑張りました。部活にもだいぶ慣れ、高2に進級する頃、剣道部に大きな変化がありました。それは練習予定や練習内容、部費の管理などの役割を決め、自分達で部活を運営するようになったことです。そして、何度も話し合いを重ね、「テーマ」が完成しました。自分達で部活を運営しながら、テーマを達成するために、部長、主将、会計の仕事を担うリーダーがいます。月に1回リーダー会を開き、翌月の計画を話し合い、部会で部員全員に提案して、部員全員が現在の部活の状況が分かるようにしています。

その中で私は主将という役職についています。毎回の練習メニューの作成、稽古中に練習メニューの指示を伝える、また、試合があった日には部長とも話し合いながら試合の分析会の予定をたてるなどが仕事です。この他にも、私は主将として部員1人1人の様子を見て、積極的に話しかけることを心がけています。

様々な経験をすることができた部活も引退まで残りわずかとなりました。これまで私が部活を続けることができたのは、試合の時に送迎してくれた両親、剣道初心者の私に、最後まで丁寧に教えてくださった先輩、いつも真剣に私の指示を聞いてくれる後輩、そして全力でサポートしてくださった顧問の先生方のおかげです。

残り少ない活動期間となりましたが、今日この礼拝を担当するにあたって、今までの活動を振り返って、今日の聖句が思い浮かびました。この聖書の箇所は私が入部した時には部室に画用紙に書いて貼ってあったので、私は代々先輩が仲間との絆とこの聖書の箇所に重ねて頑張ってきたのだと思います。しかし、私は学年でたった1人の剣道部員です。先輩たちが考えた同級生との絆は、剣道のなかではありませんが、かけがえのない後輩の絆を持ってこの聖書の箇所を選びました。週末には最後の試合があります。今までにみんなと考えた得意技で1回戦突破できるように全力でのぞみます。そして、1分1秒の時間を大切にして最後の最後まで頑張りたいと思いました。

放送礼拝 水泳部

箴言17章17節
「 真の友はどんな時にも愛しつづけるものであり,苦難のときのために生まれた兄弟である。」

私が水泳という競技に出会ったのは、5歳の時でした。体が弱く入退院を繰り返していた私に、 体力づくりとして、両親がいくつかのスポーツを習わせてくれたものの1つでした。 5歳から通っていたこともあり、スイミングスクールにたくさんの仲間ができました。

水泳というと、個人競技で「1人」というイメージが強いと思います。しかし、実際泳いでるのは1人だったとしても応援してくれたり、毎日一緒に練習した仲間がいてくれます。辛い練習を一緒に乗り越えてきた仲間は本当にかけがえのない仲間になります。

大会では違うスイミングスクールだったり、県外の選手だったとしても同じ種目だったり、練習の話をするうちに仲良くなり学校も住んでいる地域も違うのに、「水泳」という共通点から親しくなった仲間もいます。タイムが悪い時も、お互いに気遣える。言葉を発しなくても、意思が伝わっている。そんな仲間に出会う事もできました。

私は泳いでいる時の孤独な時間が好きです。泳いでいる時は私にとって、自分と向き合える大切な時間です。何かモヤモヤする時も泳いでいれば自然と解決策が出てきたりします。将来のことを考える時も泳ぎたいと思うぐらいです。でも、中学三年生の時、水泳を高校に行っても続けるか、と大変悩みました。泳ぐことは大好きですが誰かに強制されて泳いだり、大会のためだけに泳いでいる自分が嫌になり、スイミングに行くことが苦痛になりました。

調子がいいのにタイムが出ずどうしていいのか、どうして泳いでいるのだろうと沢山悩みました。泳ぐのが好きだったはずなのに、いつの間にか嫌いと言っている自分に気づきました。仲間や親にもうまく自分の気持ちを伝えることが出来ず、一人で悶々と悩んでいました。そんな時に英和に行っていた先輩に、「英和の水泳部おいでよ!」という風に声をかけてもらいました。先輩に高校の事や、勉強と水泳の両立など相談しているうちに、自分の中で悩んでいた事が1つずつ小さくなっていきました。そして、再び泳ぐ事が楽しくなっていきました。

今朝の聖書の箇所をもう一度読みます。「真の友はどんな時にも愛しつづけるものであり、苦 難のときのために生まれた兄弟である。」私はたくさんの人に恵まれて今もこうして大好きな泳ぐ事を続けられています。そこには今日の聖書の箇所にもあるように、「本当の仲間とは、自分が悩んだり苦しい思いをしているときに側で愛を持って接してくれる人」だと感じました。

今年は高3になり、引退も間近です。また、出場できる試合も少なくなってきました。だから、時間を作って悔いの残らないように練習をしていきたいです。引退してからも、自分自身と向き合うために泳ぐ事を辞めずに休みの日などに泳いでいきたいです。そして、私が先輩方にそうしてもらったように悩んでいたり苦しい思いをしている仲間に、愛を持って接する事ができるように行動していきたいです。

お祈りします。 神様今日も朝から放送を通してですが皆と共に礼拝を守れたことに感謝いたします。 今日は私の経験を通して、真の友についての話をしました。今日、苦難の時にある人が救われ、手を差し伸べてくれる兄弟のような仲間に出会えますように。また、最近は天候の変化が激しく体調を崩しやすくなっています。皆の健康を お護りください。このお祈りを尊き主イエス・キリストのお名前によってみ前にお捧げいたします。 アーメン

放送礼拝 演劇部

マタイによる福音書 6章31~34節

私が演劇部に入部したのは中三の初めの頃でした。その時私は部活に所属しておらず、周りの友達が部活動に全力で取り組む姿や、楽しんでいる姿をみて、羨む気持ちと共に焦りを感じていました。自分はこのままでいいのだろうかと心の中で思っていましたが、やる気が起きず、行動に移せないまま中学三年に進級してしまいました。そんな時に私が興味を持ったのが演劇でした。新入生歓迎会での和気あいあいとした雰囲気や自分でも演じてみたいという好奇心から入部を決めました。

入部してから発声練習、アドリブ劇、台本読みなどの練習を経て、自分なりの表現の仕方を少しずつ理解できるようになりました。昔から人前に立つのが苦手で、自分の意見も言えないままだった幼い私の心の殻をやっと破った感じがしました。初めて演者として舞台に立てた「生徒総会」という劇も、校内公演で発表した「アンソニアの胸元」という劇も、自分とキャラクターが違いすぎる役で、なりきるのが難しかったですが、私の知らない環境で生きている役に夢中になりながら劇に入り込むことができました。

高一となり、学園祭の時期がやってきました。そこで私は一つの壁にぶつかりました。昨年の学園祭では「無個性症候群」という劇をしました。この劇は遠野家六兄弟の次男「はるや」が、親や兄弟が個性的な中で自分が「無個性」だと感じ自己嫌悪に陥りますが、最後には兄弟全員でちゃぶ台を囲んで団欒をしながら、個性を意識して生きるのではなくありのままに生きることの大切さを観客に問いかけるアットホームな劇です。女子校ゆえ男子の役も女子がやるのは当たり前だと思っていましたが、いざ男子の役になると戸惑いました。台本を読み込み、稽古で先輩の厳しい指導を受けながら毎日悩みました。男子の小学一年生というキャラクターに入り込めずにいたとき、ふと聖書を開きました。するとしおりをはさみ入念にペンで囲んである箇所を見つけました。それが今日の箇所です。

中学の時にこの聖句に出会い、毎日いろいろなことで悩み、余計なことで考えすぎる日やまだ起きていないことを恐れて頭を抱える日もある中でこれを読むと、命があるだけでありがたいと感じることができ、少し肩の力が抜けて安心できました。今日の自分と明日の自分は違う、だから将来に悩みを持ちすぎる必要はないのだと学びました。そしてこの箇所はとても口ずさみやすく心地よいので、悩んだ時にすぐ脳裏に浮かんできます。だから、目の前にあることに精一杯力を注ぎベストを尽くすこと、思い悩みすぎないこと、この二つが「無個性症候群」の「たつや」を演じる時にこの聖句から気付かされたことでした。本番では自分なりに「たつや」に魂を吹き込むことができました。真剣に向き合い続ければ、道は開かれると確信しました。

今年も学園祭が近づいています。今年は「logic error」という劇を上演します。この劇は昨年の「無個性症候群」を脚本して下さった先輩が、私たちの為に書いてくださいました。今年は新入部員も増え、とても賑やかになりました。新しい仲間と共に、キャストと裏方の二人三脚で劇を作っていきたいです。そして高三の先輩にとって最後の学園祭となるので、部長を支え、部員一人ひとりを大切にしながら、また今日の聖句を意識しながらより良い劇を作り、上演を成功させたいと思います。

放送礼拝 バスケットボール部

コリントの信徒への手紙I 10章13節

私は小さい頃からスポーツが好きだったため、英和中学に入学した時に迷わずバスケ部に入部することを決めました。私がバスケ部に入部してから6年が経ちました。

そんな私は1年前大きな壁にぶち当たりました。高校総体の対戦相手が強豪校に決まり、自分の実力が試せるチャンスだと思い、楽しみにしていました。しかし部員は楽しみよりも不安の方が大きくなってしまい、楽しみの方が大きかったのは私と先輩だけだったと思います。楽しみと緊張の中始まった試合、私の出番は開始2分で終わりました。得意の1対1を仕掛けた瞬間、膝から今までに聞いたことのない音が聞こえ、全身の力が抜けて床に崩れ落ちました。左膝前十字靭帯断裂。スポーツ復帰まで全治9ヵ月の大怪我でした。体を動かすことが大好きな私にはすごくショックな出来事でした。どうして1番楽しみにしていた自分がこんな目に合わなければいけないのか、怪我をした自分を恨んで泣くことしか出来ませんでした。手術をするのも嫌だし、このままスポーツができないのも嫌。私の心の中では毎日葛藤が続きました。

たくさんの人から手術はした方がいいと言われ手術を受けることに決め、夏休みを病院で過ごしました。ここでの出会いが私の気持ちを明るくしてくれたのです。入院している人は年齢もスポーツもそれぞれ違いましたが、同じ痛みを経験しているためすぐに仲良くなることができました。高校の時にラグビーで日本一になった人、中田英寿と一緒にサッカーをしていた人など、たくさんの人がいていろんな話が聞けました。一緒にご飯を食べて、リハビリに行って、夜は勉強する。合宿のような1ヶ月でした。みんなで励まし合い、お互いの成長を喜びながら毎日過ごしていました。怪我を治してスポーツ復帰するという同じ目標があったからこそ頑張れたのだと思います。入院することを嫌がっていた自分が嘘のように毎日が楽しく、退院したくないほどでした。

そして入院中、自分はたくさんの人に支えられていると実感することができました。私が靭帯を切ったことを話した時一緒に泣いてくれた友人。たくさん心配してくれて送迎までしてくださった顧問の先生。一緒にバスケをすることができなくてもバスケ部の一員として認めてくれた部活の仲間。スポーツ復帰を目指し、一緒に頑張った病院の仲間。また怪我をしないように膝のことを気にかけてくれたリハビリの先生。そして 1番近くで支えてくれた両親。自分1人で頑張ったのではなく、みんなの支えがあったから、ここまで来れたと思います。

私は退院するとき、もう一度必ずコートに立つとみんなと約束しました。もう一度コートに立って思いっきりバスケをすることが1番の恩返しになると思います。今まで支えてくれた方々への感謝の気持ちをプレーで表現したいと思うようになりました。そして先日の高校総体で、私は1年ぶりに試合に出場することができました。また怪我をしないか不安で、恐怖もありました。でもそれ以上に試合に出場できることが楽しみでした。まだまだ恐怖があり、思うように自分のプレーが出せないことが何度もありましたが、怪我をしてから1年後に再びコートに立てたことを誇りに思います。

私は怪我をしたことで強くなることができました。そして自分の体を見つめ直すことができました。きっと怪我をしていなければ恐怖も痛みも考えずに今まで通りプレーできたと思います。でも、怪我をしていなければ今の自分はいません。出会うことができなかった人もたくさんいます。今では怪我をしてよかったと思えるようになりました。神様が私なら乗り越えられると信じて与えてくださった試練だったのだと思います。試練は神様からのメッセージなのだと思いました。これから先もっと辛いことがあったとしても出会いを大切にし、壁を乗り越えた後には必ず成長できると信じて自分らしく乗り越えていきたいです。引退まで残り1試合。チーム全体としても気持ちが1つになってきているのを感じます。自分を信じて、自分をキャプテンと認めてくれる仲間を信じて、勝利に向かって、最後の1秒までボールを追いかけたいと思います。支えてくれた方々への感謝の気持ちを忘れずに、大きな壁を乗り越えた自分にしかできないプレーをしたいです。

放送礼拝 語学部

語学部 詩編1編1~3節

先日、私はグレイテスト・ショーマンという映画を観てきました。この作品は主人公のバーナムが愛する家族のために貧しい生活から抜け出そうと、ユニークな人々を集めてサーカス団を結成し、成功を収めようと困難に立ち向かうお話です。

ミュージカル映画ということで、作品内でも印象的な曲が多く歌われています。中でもThis is meという曲は、バーナム一座のパフォーマー役を演じたキアラ・セトルさんが迫力ある歌声を披露しています。彼女の役は、女性なのにヒゲが濃いという特異体質で、人の目を避けながら生きてきたという役柄でした。

This is meの歌詞を和訳すると、暗闇には慣れているわ 隠れてろって人々は言うの 壊れた部品はいらないって 私の欠点をずっと恥ずかしく思ってきた 彼らは言う 失せろ、ありのままのお前を愛す人なんかいないって でもあいつらに私をゴミ扱いなんてさせない 私達にだって居場所がある 私たちが輝ける場所 鋭い言葉で傷つけられた時は 洪水を起こして溺れさせてやる 私は勇敢よ あざだらけでも これが私のあるべき姿なの これが私よ というような差別と偏見をテーマとした内容になっています。

この歌詞の中には、現代でも差別や偏見によって苦しんでいる人々の心の叫びとその苦しみに立ち向かう姿が描かれていると思います。私たちは、自分たちの主観で「同じ」や「違う」を決めつけ、人を批判したり、偏見の目で見てしまう弱い生き 物です。このような勝手な判断で弱い立場に追いやられた人は、自分の存在を認めてもらえないと感じ、心の大きな傷になり、やがて人前に立つことさえ出来なくなってしまいます。そんな人々に自信と勇気を与えて下さるのは、神様という大きな存在なのだと、改めて思いました。

歌詞の一部に「私たちにだって居場所がある 私たちが輝ける場所」という言葉があります。神様はどんな私たちでも必ず愛して下さり、それぞれに輝ける場所を与えて下さるのです。 パフォーマー役のキアラさんは、リハーサルの時にマイクの前で歌うことがなかなかできませんでした。それは歌詞と役柄に自分自身が重なるものがあったからではないかと思います。キアラさんは、既に役になりきっていたとも言えるでしょう。映画とはキャスト一人一人が役に入り込み、自身と一体になって初めて観ている人の心を動かすことができるのだと、演技をする人間として強く思いました。

今年の学園祭では、美女と野獣を上演します。多くの人が物語を知っている有名な作品は、話がわかりやすくて見やすい反面、1つ1つのキャラクターの個性になりきらないと中途半端な劇になってしまうというプレッシャーがかかります。そしてどの作品にもそれぞれ伝えたいことがあります。 美女と野獣に込められたメッセージは、ただ人を外見で判断してはならないということだけではありません。ベルは誰よりも自分の信念を持っている強い女性であるから、醜い姿の野獣を心で愛することが出来たのです。私たちは、人を外見で判断してはいけないことを理解していますが、実際に世間に流されずに自分の信念を貫くことが出来る人は少ないと思います。

登場人物の心の奥を理解して部員全員が物語の中のキャラクターになりきって、これからの練習をしていきたいです。そして、部員が一丸となり、観て下さる方の記憶に残る劇を発表したいです。

お祈りします。
神様、今朝も放送を通して礼拝から1日を始められたことに感謝致します。私たちは心の弱さや思い込みなどから、人を差別したり偏見の目で見てしまうことがありますが、周りに流されず勇気を持って生活できますように神様がお導き下さい。この祈りを尊き主イエスキリストの御名によって御前にお捧げ致します。アーメン。

放送礼拝 高校生徒会

詩編133編1~3節

みなさんは千々石ミゲルという方の名前を聞いたことがあるでしょうか。キリスト教について学んだり、日本への宣教を依頼するためにローマに派遣された天正遣欧少年使節の4人の少年のうちの1人です。ミゲルは熱心なカトリックのキリスト教信者でした。長年信仰し、日本に帰国後は布教活動を行なっていました。

しかし後にイエズス会を脱退し、キリスト教の信仰も捨ててしまいます。それには諸説ありますが、一つの説はキリスト教徒による仏教徒への迫害が理由だったのではないかというものです。私はミゲルが信じていたものを投げ出すほど衝撃的な出来事があったのではないかと想像しました。そして信仰を持つ人たちが、他宗教の人たちを迫害したことに少なからずショックを受けました。彼らは信仰を疎かにしていたわけではありません。聖書の教えに基づいて生活し、自ら人を傷つけることなどしない生き方を心がけていたと思います。おそらくこの人たちは、自分と考え方が異なる人たちへの寛容さが欠けていたのだと思います。

創世記に記されているように、神様は「良い」存在としてわたしたち人間をおつくりになりました。けれども人間は罪のために他者を傷つけてしまい、他者を認めることができなくなってしまっています。そういう罪から救い出されて、もともとの神様に造られた良い者として、互いに尊敬を持って接することが本来の人間のあり方なのだと思います。けれどもミゲルはその罪につまずいてしまいました。本来なら罪に気づき、それを指摘し、和解の道を伝えることができたのではないかと思います。

私は生徒会役員として活動する中で、1人で抱え込み、悩んでしまうことがよくあります。仲間に頼りたくはない、一人で全部行わなければという思いが無意識のうちにありました。ミゲルがつまずいてしまった人たちの姿と同じように、寛容な思いを忘れそうになることもありました。しかし、振り返ってみるとたくさんの方に支えられていることを実感する出来事が多くあることに気づきました。先日の学園祭に向けての会議の際に、クラスメイトがもっと私に協力したいという理由で係りのリーダーを快く受け入れてくれました。また、放課後には生徒会室で私たちと一緒に仕事を手伝ってくれたりする仲間もいます。忙しい中、的確なアドバイスをしてくださったり、毎日のように頑張れと声をかけてくださる先生方もいます。私は知らぬ間にたくさんの良い仲間や先生方に支えられていました。仲間の「もっと頼ってよ」という言葉を聞くたびに自分がどれほど恵まれているのかを実感する毎日です。一人では成し得ないことがたくさんあるのだと気づくことができました。

中学1年生の頃から生徒会に携わってきましたが、この経験の中で得た一番大きなものは仲間だと思います。多くの方と関わっていく中で培われたお互いの友情や信頼は他の何かに代えることはできません。私たちは神様のような完璧な存在にはなれないので、嫌なことがあった時、やけくそになりそうな時がありますが、それでもそばに仲間がいてくれるだけで誰かを傷つけてしまうことがなくなるかもしれません。気持ちを共有するだけですっきりしてまた励むことができるかもしれません。

英和で生活していく中でみなさんは必ず「出会えてよかった」と心から思える仲間にたくさん出会うと思います。そんな仲間たちと過ごす時間を大切にしてください。仲間と過ごす何気ない時間が一生の宝物になっていくと思います。年間行事の中でも一大イベントである学園祭が近づいています。学園祭に向けて全校で協力しなければならない場面がこれからどんどんでてきます。仲間を思い、辛い時には助け合って最高の学園祭を作り上げていきましょう。

放送礼拝 マンドリン部

コヘレトの言葉4章9~12節

誰にでも心に残る桜の風景があります。

先日、第51回マンドリン部定期演奏会を行いました。今年度のテーマは「桜」でした。桜は不思議な花です。見る人によって様々な色に映ります。美しく、強く、儚く、潔く……。音もそれとよく似ています。指導する先生、演奏する生徒、聞いてくれる方々により全く別の音になります。また、楽しい時に見る花、聞く音、辛い時に見る花、聞く音……。その時の感情や環境に揺れ動くという共通点もあります。春の訪れにマンドリンの音色をのせて、それぞれの懐かしい記憶に触れて頂けたらと思い、心を込めて演奏しました。

高校3年生にとっては最後の定期演奏会でした。高3の部員2人で演奏した曲はテーマに合わせた森山直太朗作詞作曲の「さくら」でした。みなさんはこの歌に隠された意味があるということを知っていますか? 卒業、恩師からのメッセージ、友との別れというイメージが強い曲ですが実は特攻隊員とそれを見送る友との情景という説があります。確かに歌詞には深いフレーズがたくさんあります。

いつか生まれ変わる瞬間を信じ
さくら ただ舞い落ちる
刹那に散りゆく運命と知って
僕らを急かすように今、惜別の時……

さくら=特攻隊員と置き換えて歌詞を刻むと、なんとも言えないせつない感情が込み上げてきます。ただ、森山直太朗さんが戦地へ旅立つ友をイメージしてこの曲を作ったかは明らかにされていません。しかし、確かに特攻隊の時代はありました。友の未来を願う本当の言葉は言えないまま、さくらになぞらえるしかなかった情景が見えてきます。

歌詞をどう受け取り、イメージするかは聞き手に委ねられ、解釈は自由です。この曲に限らずもともと知っている音楽を別の角度で見つめ直して見ると、全く違う光景が見えてくるということに驚かされます。全ての物事には色々な考え方があっていいと思います。自分がどんな選択をするのか、他者が何を選択するのかも自由です。選ぶ自由がある中で、その自由に感謝しながら、それぞれの願いを持ち、その実現に向けて精一杯努力していけば良いのではないでしょうか。

英和に入学してから6年間続けてきたマンドリン部の活動も残りわずかとなりました。時間的、体力的、精神的に余裕の無い時もありましたが、なんとか続けられたのはサポートしてくれた顧問の先生や先輩たち、そして今いる仲間たちのおかげです。色々な曲と出会い、たくさん感動もしました。マンドリン部を通して私は一番大切なものが与えられました。隣を向けばお互い切磋琢磨して、より良い刺激がもらえる友がいます。私は、そんな関係を築ける幸せを大切にしたいと思います。あの場所は私の一生の心の支えです。来年の桜は、私たち一人一人にとって何色に見えるでしょうか。何色に映るにせよ、桜の花を誰かと一緒に美しいと感じられこと、語り合える友がいる幸せ、今与えられているときや場所を大切にしながら前に進んでいきたいと思います。

放送礼拝 放送部

コヘレトの言葉11章9~10節

みなさんは陣内大蔵さんという方を知っていますか。英和で歌い継がれている学生歌、「この坂道を登った先に私の好きな笑顔が見える」から始まる「EIWAY」の作曲を担当して下さったのが陣内先生です。昔はシンガーソングライターとして活躍し、今では東京の東美教会で牧師先生として活動しています。

私は6月のコンテストに向けて「EIWAY」についてアナウンス原稿を作るために春休み中に陣内先生がいらっしゃる東京の教会に取材に行き、お話を伺ってきました。そもそも「EIWAY」は2010年度の学園祭の全校制作の作品として作られました。英和と陣内先生の関わりはその2年前の全校修養会で講師として英和に来てくださったのが始まりでした。学園祭で英和の学生歌を作ると決まったとき、当時の生徒会が「英和の曲を作るなら、英和のことをよく知ってくれている方にお願いしたい」ということで英和生から大好評だった陣内先生にお願いすることになりました。

「EIWAY」の歌詞は全校生徒から「英和の生活の中で感じたこと」をテーマで募集をしました。英和生からは「グリンバンクチャペル」「セーラー服」「神様」「夢」「絆」「かけがえのない日々」などたくさんの歌詞が集まりました。1番の歌詞は日常の生活、2番は感謝の気持ち、3番は巣立っていく人たちへの応援というテーマをもとに歌詞を組み合わせていきました。陣内先生はその英和らしい歌詞をバランスよくいい曲になるように時間をかけてまとめ上げて下さいました。当時の生徒会役員と陣内先生がたくさんのやりとりを経てついに完成した時は、「やっとできた!」という嬉しい思いだったそうです。

学園祭2日目に陣内先生より、「EIWAY」の発表が行われました。はじめは驚いていた生徒たちも次第に先生のピアノ伴奏に合わせて歌い出し、体育館中の全ての人が笑顔になりました。8年間歌い継がれる今では暖かいメロディーや歌詞を口ずさんだり、卒業式で思わず泣いてしまう先輩方もいます。

「EIWAY」はこの先も英和と共に成長し、英和生の心に寄り添う友のような存在になっていくと思います。陣内先生から「学生時代の友達は変わらず付き合っていける関係。一生その関係性が続いていけたら本当に愛おしい。みなさんは山梨英和というすてきな環境で育っているので素晴らしい人生にしてください」とメッセージをいただきました。

歌詞の最後にある「Go your own way この一瞬を忘れない」という歌詞には、英和を卒業するときに「自分にしか歩めない道」を信じて歩んでいってほしいという願いが込められています。今日の聖書の箇所には、「若者よ、お前の若さを喜ぶがよい。青年時代を楽しく過ごせ。心にかなう道を目に映るところに従って行け」と書かれています。自分の将来を真剣に考えたり、今だからこそ思いっきり何かに挑戦出来る、そんな時を今私たちは生きています。

私たちが卒業するときにこの曲を歌って、そばにいてくれた友達や先生、導いてくれた神様に感謝できるように、英和で過ごす「かけがえのない日々」の生活を大切にしていきたいと思います。

お祈りします。
神様今日も放送を通して礼拝から1日を始められることに感謝いたします。
今日は英和で過ごす一瞬一瞬を大切にすることをお話ししました。
どうかみなが自分らしい道をこれからも歩んで行くことができるように、あなたが支え導いてく
ださい。
この祈りを尊き主イエスキリストの御名によって御前にお捧げ致します。アーメン。

放送礼拝 中学宗教委員会

詩編5編9節

私たちは生きていく中で、何が正しいのか、間違いなのかわからなくなることが多々あります。それを自分だけで解決できることもあれば、できない時もあると思います。瞬時に判断しなければならない時に周囲の人に聞いている時間はありません。何が正しいことか、どうやったら全部自分だけでわかるようになるのでしょう。誰かいつもそばにいて導いてくれるような人が必要かもしれません。

私は先日用事があり、祖母の家にタクシーを使って行きました。祖母の家への道は悪い道ばかりなので母が運転したがらなかったためです。その時に、行きのタクシーの運転手さんは道が悪いのにも関わらず、かなりの勢いで荒っぽく運転しました。乗っていた私は荒っぽい運転が好きではないのでひやひやしながら乗っていました。祖母の家で用事を終えた後の、帰りのタクシーの運転手さんは行きとは違う方でした。そして、運転はまるで対照的でした。悪い道相応の運転、注意深く運転してくれて行きのようにひやひやすることもなく、家に着くことができました。

その出来事を通して、私は、運転の仕方で後ろに乗っている人の気持ちがこんなに変わるものなのか、と初めて感じました。タクシーの運転手さんの出来事と何が正しいのかの判断する話は直接結びつきませんが、導いてくれる存在、それを表しているのはとても共通したところがあると思います。導いてくれる存在が、行きの荒っぽい運転運転手さんのような存在か、帰りの運転手さんのような注意深く運転してくれるような存在か、です。二人は対照的です。どちらを選びますか。もしかしたら、どちらも選ばない選択かもしれません。その場合、タクシーの運転手さんの出来事に例えると徒歩で行くことになります。自分の足だけで道を全て歩かなければならないのです。

私だったら、帰りの運転手さんのような注意深く運転してくれるように導いてくれる存在を選びます。 聖書をみてください。「あなたの義によって私を導いてください」(新改訳)とあります。注意深く導いてくれる存在を選んだら、その人たちは皆、主に導かれるということです。しかし、最初に話したように何が正しいのか、自分だけでは分からなくて誰かに聞いてみたいけれどそれが可能な状況ではない時に、神様に聞いてみても何も教えてくれずに、迷ってしまうことがあるかもしれません。神様が導いてくれているはずなのに、教えてくれないなんて神様ってただの意地悪じゃん、と思うかもしれません。しかし、視点を変えてみると、神様が何も教えてくれないわけではなくて、私たちが神様の導きが聞こえるところにいないだけ、ということなのかもしれません。神様の言葉が綴られた聖書があるように、神様は私達を導きたいと思っています。

もしも私たちが神様の導きを求めて、神様の言葉に耳を傾けたなら、神様は正しい判断で私たちを導いてくれると思います。

神様、新しい朝をありがとうございます。放送を通して皆とともに礼拝を守れることに感謝します。私たちが正しく導いてくれる存在を選び、その方の導きが聞こえる場所にいることができますように。今日から三日間後期三のテストが始まりますが、それまでに勉強した成果が現れますように、あなたが導いてください。このお祈りを尊き主イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン

放送礼拝 中学生徒会

中学生徒会
マタイによる福音書6章1節~2節

先日、私の父がある小説のお話をしてくれました。こんなお話です。懐中時計が箪笥の向こう側へ落ちて一人でチクタクと動いておりました。ネズミが見つけて笑いました。「馬鹿だなあ。誰も見る者はいないのに、何だって動いているんだえ。」「人の見ない時でも動いているから、いつ見られても役に立つのさ」と懐中時計は答えました。「人の見ない時だけか、又は人が見ている時だけに働いているものはどちらも泥棒だよ。」ネズミは恥ずかしくなってコソコソと逃げて行きました。

これは、夢野久作さんの『懐中時計』という小説です。箪笥に入れられ、人が使っていなくてもずっと動いている懐中時計に対し、ネズミは「誰も見ていないのに、何一人で頑張ってるの?」と嘲笑います。誰かが見ているところで頑張れば他人から評価をもらえるのに、誰も見ていないところで頑張っても評価はもらえないから、意味が無いじゃないか。

ネズミはそう言いました。しかし懐中時計は「人が見ていない時でも動いているから、いつでも役に立てるんだ。」そして「人が見ていない時だけか、人が見ている時だけ働くのは泥棒だ」と言いました。時計は、人が見ていない時もチクタクと動いていなければ、時間がずれてしまいます。また、人が見ている時だけ動いていても、同じように時間がずれてしまいます。そのような時計は使い物にはなりません。この小説では「人が見ていても、見ていなくても、人のために良いことや努力をしなさい」ということを伝えたかったのではないのか、と私は思いました。

このお話の中の懐中時計は、私が生徒会長として活動するうえで、手本とするべき姿だと思います。私が生徒会長に立候補したのは、生徒の笑顔をつくりたいと思ったからです。生徒の笑顔をつくり、過ごしやすい学校をつくることも、私たち生徒会役員の大事な仕事だと思っています。そのために中学生徒会では、これまでの伝統を守りつつ、新しいことにチャレンジした取り組みを行ってきました。しかし、これまで通りでいることも、新しい何かにチャレンジすることも、とても難しく努力のいることだと思います。今日の『懐中時計』のお話のように、人が見ていても、見ていなくても、生徒会長として努力していきたいと思います。

神様、今日も新しい朝をありがとうございます。放送を通してですが、皆と共に礼拝を守れたことに感謝いたします。今日お話しした懐中時計のように私たちが、人が見ていても見ていなくても、人に尽くすことのできる人になれますようお導きください。また、定期試験が近づいていますので、皆の健康をお守りください。このお祈りを尊き主イエス・キリストの御名によって御前にお捧げいたします。 アーメン。