生徒,礼拝のひとコマ

保健委員会 放送礼拝

ルカによる福音書 17.9-10

見えない所で善い行いをする事は、常にできることではありません。むしろ見えない所でだからこそ、行いがおろそかになりがちです。人は、褒められると嬉しくなって、もっと頑張ろうと思えますが、誰からもその行為を認められなかったり、その善意が報われないと感じると、悲しくなったり、モチベーションが下がってしまうこともあります。聖書には、見えない所でも見返りを求めない善意を行う事が天に富を積むことだと書いてあります。見られていないからこそ自分の行動を正し、善い行いをするという姿勢の積み重ねは、いつか自分の力になっていくだけでなく、周囲を変える力にもなります。

今日は、いつも綺麗に保たれている二つの場所を通して、掃除をする側の気持ちとそこで過ごす人々の気持ちに触れながら、見返りを求めない優しさのかたちについて考えて見たいと思います。最初の綺麗な場所については、曲を流します。そこからイメージされる景色を思い浮かべて下さい。

ディズニーランドに行ったことのある人は、エントランスで流れている曲であるとすぐに浮かび、綺麗な景色を思い出すのではないでしょうか。それは、ディズニーランドで働くキャスト一人ひとりが常にパーク内をキレイにしようと努力してきた証だと思います。ディズニーランドは地面までとても綺麗です。掃除をするカストーディアルキャストは、誇りを持ってパークを綺麗にし、私達ゲストが楽しい思い出を作れるようなお手伝いもしてくれます。ディズニーランドが多くの人に愛される場所になっているのは、パークの中で働いている人たちが、こうしたゲスト一人一人をもてなす気持ちを、綺麗な環境という目に見える形で伝えられていることも大きいのではないでしょうか。人目につかない所であっても、ゴミ一つ無い環境を保ち続けることによって、あの夢の世界ができ、訪れるゲストも、このパークを汚さないようにしようと思えます。綺麗な環境を保ち続けていこうという連鎖は、こうしたカストーディアルキャストのおもてなしの姿勢によって、広がっていくのだと思います。

もうひとつ綺麗な環境といえば、日本の空港も挙げられます。みなさんは羽田空港の新津春子さんという方をご存知でしょうか。彼女は30年間羽田空港の清掃員として働き、今では社内700人の清掃員を束ねるリーダーを務めています。17歳で清掃のアルバイトに出会い、初めはお給料を貰うためだけに働いていたものの、27歳で出場した全国ビルクリーニング技能協議会での優勝をきっかけに、清掃の仕事にやりがいと楽しさを見出したそうです。イギリスの「スカイトラックス社」が毎年発表しているランキングによると、羽田空港は世界にある550以上の空港のなかで、“最も清潔な空港”に選ばれました。それが、2013年、14年、16年、17年と、たった5年間で4回も選ばれています。一度選ばれたことに満足して、手を抜くことなく、それを糧にして努力を続けてきたから、このような結果を出せたのだと思います。

新津さんは、掃除をする際、ヒト、モノに対する「優しさ」を大切にしているそうです。たとえきれいにしても、使う人が誰もいなかったら、清掃をする意味がない、だから、まずは使う“人”のことを考えるそうです。いつもみんながどこに触っているのかによって、清掃の手順を変えていきます。例えばテーブルを掃除するとします。小さな子どもならきっと、脚の低い部分を触るだろうし、年配の方ならテーブルの面に体重をかけてイスに座るかもしれない。ものがある場所の環境や使う人によって汚れも変わるからこそ、どう清掃をするのかが大事だとおっしゃっています。また、そのテーブルがどういう素材で、汚れがどのように付いていて、どの洗剤を使うべきで、水拭きは何回すればいいのか、そういったたくさんのことを考えるそうです。これはヒトにも、また、モノに対する優しさでもあります。観察し、想定し、それをもとに限られた時間の中で実行に移すことができる優しさのかたちです。

いつもきれいに保たれている二つの場所で働く人は、その場所が綺麗になっているからといってゲストや利用者から感謝の言葉がいつもあるわけではないと思います。それでも、訪れる一人一人にその場所で気持ちよく過ごしてもらうための努力を惜しみません。人を思う優しさのかたちはこういうことなのかと思います。

皆さんも、英和がディズニーランドや羽田空港のように、綺麗な環境を保ち続けていこうという連鎖が続くように、まずは学校で過ごす仲間のことを思い、日常の掃除に向かう姿勢を見つめなおし、身近な所から綺麗にしていこうという気持ちが持てたら嬉しいです。

お祈りします。
神様、今日も礼拝から一日を始められることに感謝します。
今日は綺麗な環境についてお話ししました。私たちは常に神様の望まれている行為をし続ける事はなかなかできませんが、どうか皆のひとつひとつの努力が報われますように。そして私たちがいつも気持ちよく学校生活を送ることができるような環境作りに尽力して下さっている業務の方々への感謝も忘れず日々を過ごしたいと思います。クリスマス礼拝が近づき、一年の締めくくりをする時となっています。辛いことがあっても、嬉しいことがあっても、皆が充実した一年だったと思えるように皆の健康とこれからの道をもお見守りください。このお祈りを尊き主、イエスキリストのみ名によってみ前にお捧げいたします。   アーメン。

放送礼拝 スポーツデー実行委員会

イザヤ書43章18節19節
「初めからのことを思い出すな。昔のことを思いめぐらすな。見よ、新しいことをわたしは行う。今や、それは芽生えている。あなたたちはそれを悟らないのか。わたしは荒れ野に道を敷き砂漠に大河を流れさせる。」

私は、中学1年生から毎年スポーツデー実行委員を務めています。小さい頃から水泳をやっていたこともあり、運動するのが好きでスポーツデー実行委員に立候補しました。中学1年生の時のスポーツデーがとても印象に残っていて、6年間スポーツデー実行委員をやりたいという気持ちが強くなり、また毎年前に立って活躍している先輩の姿を見て高校2年生になったら私も委員長をやってみたいと思っていました。
そして、高校2年生になり、委員長をやりたいと高2の委員会のメンバーに言ったところ皆が私を推薦してくれて中1の頃からの目標だった委員長をやる事ができました。その時はとても嬉しかったですし、全校生徒が楽しめるスポーツデーにしたいと強く思ったことを今でも覚えています。
今年のスポーツデーのための会議は4月から始まりました。中高一貫行事と言うこともあり、交流を深めながらクラスを越えて協力し、みんなが楽しめるような種目、ルール、運営にできるよう何度も何度も会議を重ねて決めていきました。意見がまとまらず何度も話し合ったり、雰囲気が悪かったりすることもありました。しかしそんな中でもお互いの力を合わせることの大切さを実感しながら準備をしていきました。そこから生まれたのが今回のスローガンでもある「全力合強(ぜんりょくごうごう)~輝け6色の絆~」でした。
スポーツデーを通して学年を越えて力を合わせて強くなれるようにと考えました。強くなるというのはただ単に勝負に勝つ事だけではなく、精神的にもどんな時でも全力で物事に取り組もうという想いも込められています。また、6色というのはチームカラーだけではなくて中学・高校合わせて6学年ある英和全体がスポーツデーを通して絆を深めていきたいという思いが込められていました。今振り返ると、このスローガン通りのスポーツデーにすることができたのではないでしょうか。
1週間という短い期間での練習でしたが上級生が中心となって練習している皆さんの姿に一体感を感じましたし、当日は各クラスの実行委員を中心にそれぞれのチームが力を合わせて協力している姿を色々なところで見ることができました。
各チームが優勝を狙ってこれまで頑張ってきたので結果を見て喜んでいる人や悔しい人がいると思います。でも結果だけに囚われるのでなくこの短い期間の中で頑張って練習してきた事や3学年で協力した事、先輩や後輩と仲良くなれた事。この今までの過程が1番大切だと思います。本番を全力で戦っていた皆さんは本当に輝いていました。
そしてこんなにも今年のスポーツデーが楽しく、大成功に終わったのは私だけの力ではなく周りの人の支えや協力があったからです。私が前に立ってまとめなければいけないのに自分のせいで沢山迷惑をかけみんなを不安にさせてしまいました。委員長をやめようかと思った事もあり、悩んでた時にある友人が、「あなただからみんなついていくんだよ。裏切らないんだよ。」と背中を押してくれて、自分が委員長としてやらなければいけないことを再確認しました。全体会議や本番で沢山意見やアドバイスをくれたり無理なお願いも沢山聞いてくれた実行委員の先輩と後輩、ルールに従って素早く動いてくれた全校の皆さん、いつもより朝が早いのに私より早く起きてお弁当をかかさず作ってくれて放課後も遅く帰ってきたら夕飯を作って待ってくれていた母、そしてなによりこんな頼りない私を1番近くで支えてくれて信じてついてきてくれた高2の実行委員メンバー。本当に感謝しています。1人ではなにも出来ませんでした。でもこの素敵な”仲間”がいたから辛い時も支え合うことができました。最後のスポーツデーを委員長として全力を尽くせたことが自分にとって変わる大きなきっかけでした。
ここで今日の聖書の箇所をもう一度読みます。「初めからのことを思い出すな。昔のことを思いめぐらすな。見よ、新しいことをわたしは行う。今や、それは芽生えている。あなたたちはそれを悟らないのか。わたしは荒れ野に道を敷き砂漠に大河を流れさせる。」 
「新しいこと」は人それぞれ違うけど、スポーツデー実行委員長をしたことが私にとって新しいことをする第一歩になりました。神様はいつも私たちの近くにいて支えてくださります。神様が荒れ野に道を敷き砂漠に大河を流れさせてくださったように、スポーツデーを通して私たちに綺麗な六色の絆をも輝かせてくださったと思います。
苦しいこともたくさんありました。けれども、その度に仲間の大切さと神様がいつも近くにいてくださることを心から感じました。失敗することがあってもそれを恐れず神様が共におられることを忘れず、1日1日を大切に過ごしていきたいと思います。
お祈りします。神様、今日も新しい朝を迎えられたことに感謝します。今日は私が悩み、その度に仲間のおかげで成長できたこと、神様の支えがあったこと、そして新しいことに挑戦することについてお話ししました。沢山の人の支えで今年のスポーツデーが成功したこと、心から感謝いたします。私たちは一人一人ではとても弱い存在です。だからこそ隣人を愛し、神様を信じ、共に歩んでいくことの大切さをこれからも胸に刻みたいと思います。今日一日も皆が健康に過ごすことができますように。また私の話で至らない点があったらあなたが補ってください。願いばかりの祈りですがこの祈りを尊き主イエスキリストの御名によって御前にお捧げ致します。アーメン。

放送礼拝 YWCAひまわり部

ローマの信徒への手紙12章15節

私は夏休みに群馬県草津で行われたYWCAカンファレンスに参加し、ハンセン病について学びを深めてきました。

ハンセン病は手足などの末梢神経が侵される感染病で、知覚麻痺により熱や痛みといった感覚がなくなったり、汗が出なくなったりします。また、体の一部が変形する後遺症が残ることもあります。感染力が弱く非常にうつりにくい病気でもあり、特効薬が開発されてからは薬で完治する病気となりました。現在日本でハンセン病にかかる人は0名に近く、たとえ感染したとしても、ほとんどの人に免疫が備わっているため発病は稀です。しかし19世紀後半、ハンセン病は恐ろしい伝染病であると考えられていました。初め患者たちは治療を受けるために自主的に療養所に入所していましたが、諸外国から「文明国なのに患者を放置している」と非難され、患者の隔離政策が制定されました。この時は病気に対する差別や偏見から住み慣れた故郷を離れて放浪していた患者のみが収容されました。ハンセン病と診断されると、市町村の職員や医師が警察官を伴って度々自宅を訪れるようになったので、そのうち近所に知られることとなり、家族も差別や偏見の対象とされることがあったため、患者は故郷を離れることを余儀なくされていました。このような状況のもとで、全ての患者の隔離を目指した法令が成立し、各県で競い合うようにして患者を入所させようとする運動が起こりました。患者の自宅は真っ白になるまで消毒され、人里離れた場所に作られた療養所に送られていくという光景が、人々の心にハンセン病は恐ろしいというイメージを植え付け、それが差別や偏見を助長させることとなりました。

私は実際に国立ハンセン病療養所栗生楽泉園を訪れ、当時の様子を聞きました。入所者は、重傷者の看護や目や手足の不自由な患者の介護、食事運搬、土木工事、さらには亡くなった患者の火葬までさせられたそうです。また、十分な教育は受けられず、療養所内での結婚の条件は優生手術を受けることでした。こうした措置に不満を漏らせば、次々に特別病室という名の重監房に入れられました。病室とは名ばかりで、ここでは一切治療は受けられず、ろくな食事も与えられませんでした。冬にはマイナス20度に至ることもあり、ここで沢山の人が亡くなりました。

私は重監房資料館で実寸大の展示に入り、隣の人の顔も見えないほどの暗闇とコンクリートの壁や床から発せられる底冷えしそうな寒さを体感し、愕然としました。人が人として扱われなかった歴史を肌で感じ、人の命の尊さと人権の意味を知りました。

人権が侵されてよい理由なんて一つもないのだと思います。なぜなら神様がすべての人に命を与えてくださり、一人一人の人権は誰からも侵されないものだと憲法でも保障されているからで
す。神様や他者と共に生きるためです。私たちは誰からも人権を制限されることがない代わりに、誰の人権を制限することも許されていません。それはつまり私たちは誰もが何だってできるし、何にだってなれる可能性を持っていて、誰もがそれについて人の邪魔をする権利を持っていないということだと思います。私たちは神様から命をいただき、憲法によっても権利を保障されているから安心して何にでも挑戦できるし、そうやって私たちが歩んでいくことを神様は許してくださっているのだと思います。けれどもかつての日本においては、ハンセン病患者の人権は無視されました。

さて、このハンセン病問題が起こった原因の一つに、人々の無知・誤解・無関心がありました。私はハンセン病問題に触れて、正しく知ることで解決に向かう問題もあることを知りました。社会問題に対してただただ無力感を抱くのではなく、目の前の問題から目を背けず向き合うこと、そして心を開いて理解しようと努めることをこのカンファレンスで学びました。

ハンセン病患者を強制隔離するという法令は、最近やっと撤廃されました。しかし入所時に家族に迷惑がかかることを心配して、本名や戸籍を捨てた人が故郷に帰れずにいたり、根強く残る差別や偏見により社会復帰が果たせない人もまだいます。その方々一人一人を覚えてお祈りを捧げたいと思います。そして今も人権を守られずに過ごす人のことを理解し、学ぶ姿勢を持ち続け、今日の聖句にあるように「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣く」あり方をしたいと思います。

放送礼拝 新体操部

聖書 : 旧約聖書 詩編46編2節

今年9月16日に閉幕した新体操世界選手権で日本代表フェアリーズのフープ団体が見事銀メダルを獲得しました。世界には何組もの強豪団体がいる中で、日本選手団が最高得点に近い数字を出せたのは日々力を入れて努力している証だなと思い、尊敬しています。

新体操には個人競技と団体競技があります。英和ではありがたいことに団体を組むのに必要な人数の5人以上の仲間がいるため、中学生はクラブ、高校生はフープとクラブ両方を使用する団体演技に日々挑戦し続けています。

音楽に合わせたリズミカルな動き、力強さ、スピード、柔軟性や手具の操作など、日々自分が磨き上げてきた努力が結果に現れるスポーツです。大会で上手くいき成功した技の瞬間は全員で喜び合い、技をもっと高め合おうとする自信がわいてきますが、成功するまでの裏には仲間同士でも競い合うためチームでの意見の食い違いなどが多々あります。学年が上がるごとに個人の忙しさが変わり、なかなか思うように活動することができない日々が多くあり、誰か1人抜ける事でできる穴はとても大きく、自分と相手の出来の違いに悩んだり、なぜ大会に選ばれなかったのかと自分や仲間を責め、思い通りに行かなくて悔しい部分など様々な感情が個々にあります。

個人演技の場合は自分ひとりの責任で自分を追い込めば成長することができる一方、団体を組むという事はチーム全員の個性や表現を見抜き、ひとりで頑張ればいいのではなく全員が本気で挑み、全体で一つになろうとしなければなりません。不安などの感情の解決には仲間という存在があるから対処でき、頼ることもでき、声をかけてもらうことで自分自身を成長、変化させてくれます。

一つの短い時間の中で行われる演技ですが、団体という大きな課題に一人一人が時間をかけて大会で悔いのないように必死に取り組み、例え上手くいかず失敗しても、その過去を糧にしてこの瞬間へと導いてくれた神様に感謝して、これからも様々なことを乗り越え挑戦して行きたいと思います。

放送礼拝 華道同好会

マルコによる福音書16章15節

 私は華道同好会に所属していて、中学校に入学してからずっと生け花をしています。私たちの同好会では、木曜日と金曜日に協議会室でたくさんの生徒がおけいこをしています。しかし、全国的に見ると今生け花をしている人の数は年々減少していて、流派の継承が難しくなっています。

 その原因のひとつは家元の高齢化で、消滅する流派も多くあるそうです。若い世代の私たちは華道を日本の文化として受け継ぎ、発展させていく必要があります。華道という文化を守り、広めていくためには、まず私自身が同好会での活動に励み、日々技術を上げていく必要があります。その次に、華道を知らない人の輪の中に一歩踏み込む必要があります。そこで華道の魅力を伝えられるようになりたいと思っています。

 さて、今日の聖書の箇所の御言葉は、復活されたイエス様が弟子たちの前に現れ、天に上げられる前に最後に語られた言葉です。イエス様が死んでしまって悲しみに打ちひしがれていた弟子たちの前にイエス様が現れて、「全世界に行って、すべての造られたものに福音を述べ伝えなさい」と命じられたのです。

 弟子たちはみなガリラヤの出身で、学問も財産もないような人々でした。そのような一人一人が行くことのできる範囲は限られているはずなのに、イエス様は全世界に福音を伝えることを求めたのです。これは自分の生活圏から出て、よいしらせを広めていくことを意味していて、私たちにも求められていることです。

 華道を伝えるのと同じで、何かを伝えるためには、そのことを知る必要があります。私たちは山梨英和で聖書に出会いました。よいしらせとは何か、私たちはどのように振る舞うべきか、聖書を読んで学ぶことができると思います。イエス様の求めに対して、まず知ることから始めたいと思います。

  お祈りします。

 天の父なる神様、今日も新しい朝をありがとうございます。イエス様の弟子たちが全世界に福音を述べ伝えたように、私たちもよい行いをしていくことができるようにお導きください。このお祈りを、主イエスキリストの御名によって御前におささげいたします。アーメン

放送礼拝 剣道部

コヘレトの言葉4章9節〜12節

みなさんは、憧れているものがありますか。私は、英和に入学する前から剣道部に憧れていました。なぜなら、見た目がかっこいいからです。英和に入学してから何回も剣道部に見学に行きました。

その中で先輩方が一生懸命稽古をしていた場面が今でも印象に残っています。そして、自分も剣道をしたいという思いが強くなり、入部を決意しました。高校から剣道を始めることに対して不安なこともありましたが、先生方や先輩が全力でサポートしてくださったので、最初から部活に行くのが楽しみでした。時には優しく、時には厳しく指導してくださり、「先輩みたいな早い打ちができるようになりたい」と思うようになりました。

そして、数週間後、以前に注文していた剣道着が届き、「やっと私も剣道を本格的にできる」と思いました。しかし、現実はそう簡単ではありませんでした。体育着で剣道をやっていた時よりも、はるかにやることが増えて、「私は、本当に剣道部に入部してよかったのだろうか」と毎日のように考えました。自分の想像していた剣道よりも、はるかに覚えること、気をつけること、心がけることが多く、なぜ入部したのかもわからなくなり、苦しい日々が続きました。

しかし、「剣道が上手になりたい」という気持ちをいつも持ち続け、粘り強く頑張りました。部活にもだいぶ慣れ、高2に進級する頃、剣道部に大きな変化がありました。それは練習予定や練習内容、部費の管理などの役割を決め、自分達で部活を運営するようになったことです。そして、何度も話し合いを重ね、「テーマ」が完成しました。自分達で部活を運営しながら、テーマを達成するために、部長、主将、会計の仕事を担うリーダーがいます。月に1回リーダー会を開き、翌月の計画を話し合い、部会で部員全員に提案して、部員全員が現在の部活の状況が分かるようにしています。

その中で私は主将という役職についています。毎回の練習メニューの作成、稽古中に練習メニューの指示を伝える、また、試合があった日には部長とも話し合いながら試合の分析会の予定をたてるなどが仕事です。この他にも、私は主将として部員1人1人の様子を見て、積極的に話しかけることを心がけています。

様々な経験をすることができた部活も引退まで残りわずかとなりました。これまで私が部活を続けることができたのは、試合の時に送迎してくれた両親、剣道初心者の私に、最後まで丁寧に教えてくださった先輩、いつも真剣に私の指示を聞いてくれる後輩、そして全力でサポートしてくださった顧問の先生方のおかげです。

残り少ない活動期間となりましたが、今日この礼拝を担当するにあたって、今までの活動を振り返って、今日の聖句が思い浮かびました。この聖書の箇所は私が入部した時には部室に画用紙に書いて貼ってあったので、私は代々先輩が仲間との絆とこの聖書の箇所に重ねて頑張ってきたのだと思います。しかし、私は学年でたった1人の剣道部員です。先輩たちが考えた同級生との絆は、剣道のなかではありませんが、かけがえのない後輩の絆を持ってこの聖書の箇所を選びました。週末には最後の試合があります。今までにみんなと考えた得意技で1回戦突破できるように全力でのぞみます。そして、1分1秒の時間を大切にして最後の最後まで頑張りたいと思いました。

放送礼拝 水泳部

箴言17章17節
「 真の友はどんな時にも愛しつづけるものであり,苦難のときのために生まれた兄弟である。」

私が水泳という競技に出会ったのは、5歳の時でした。体が弱く入退院を繰り返していた私に、 体力づくりとして、両親がいくつかのスポーツを習わせてくれたものの1つでした。 5歳から通っていたこともあり、スイミングスクールにたくさんの仲間ができました。

水泳というと、個人競技で「1人」というイメージが強いと思います。しかし、実際泳いでるのは1人だったとしても応援してくれたり、毎日一緒に練習した仲間がいてくれます。辛い練習を一緒に乗り越えてきた仲間は本当にかけがえのない仲間になります。

大会では違うスイミングスクールだったり、県外の選手だったとしても同じ種目だったり、練習の話をするうちに仲良くなり学校も住んでいる地域も違うのに、「水泳」という共通点から親しくなった仲間もいます。タイムが悪い時も、お互いに気遣える。言葉を発しなくても、意思が伝わっている。そんな仲間に出会う事もできました。

私は泳いでいる時の孤独な時間が好きです。泳いでいる時は私にとって、自分と向き合える大切な時間です。何かモヤモヤする時も泳いでいれば自然と解決策が出てきたりします。将来のことを考える時も泳ぎたいと思うぐらいです。でも、中学三年生の時、水泳を高校に行っても続けるか、と大変悩みました。泳ぐことは大好きですが誰かに強制されて泳いだり、大会のためだけに泳いでいる自分が嫌になり、スイミングに行くことが苦痛になりました。

調子がいいのにタイムが出ずどうしていいのか、どうして泳いでいるのだろうと沢山悩みました。泳ぐのが好きだったはずなのに、いつの間にか嫌いと言っている自分に気づきました。仲間や親にもうまく自分の気持ちを伝えることが出来ず、一人で悶々と悩んでいました。そんな時に英和に行っていた先輩に、「英和の水泳部おいでよ!」という風に声をかけてもらいました。先輩に高校の事や、勉強と水泳の両立など相談しているうちに、自分の中で悩んでいた事が1つずつ小さくなっていきました。そして、再び泳ぐ事が楽しくなっていきました。

今朝の聖書の箇所をもう一度読みます。「真の友はどんな時にも愛しつづけるものであり、苦 難のときのために生まれた兄弟である。」私はたくさんの人に恵まれて今もこうして大好きな泳ぐ事を続けられています。そこには今日の聖書の箇所にもあるように、「本当の仲間とは、自分が悩んだり苦しい思いをしているときに側で愛を持って接してくれる人」だと感じました。

今年は高3になり、引退も間近です。また、出場できる試合も少なくなってきました。だから、時間を作って悔いの残らないように練習をしていきたいです。引退してからも、自分自身と向き合うために泳ぐ事を辞めずに休みの日などに泳いでいきたいです。そして、私が先輩方にそうしてもらったように悩んでいたり苦しい思いをしている仲間に、愛を持って接する事ができるように行動していきたいです。

お祈りします。 神様今日も朝から放送を通してですが皆と共に礼拝を守れたことに感謝いたします。 今日は私の経験を通して、真の友についての話をしました。今日、苦難の時にある人が救われ、手を差し伸べてくれる兄弟のような仲間に出会えますように。また、最近は天候の変化が激しく体調を崩しやすくなっています。皆の健康を お護りください。このお祈りを尊き主イエス・キリストのお名前によってみ前にお捧げいたします。 アーメン

放送礼拝 演劇部

マタイによる福音書 6章31~34節

私が演劇部に入部したのは中三の初めの頃でした。その時私は部活に所属しておらず、周りの友達が部活動に全力で取り組む姿や、楽しんでいる姿をみて、羨む気持ちと共に焦りを感じていました。自分はこのままでいいのだろうかと心の中で思っていましたが、やる気が起きず、行動に移せないまま中学三年に進級してしまいました。そんな時に私が興味を持ったのが演劇でした。新入生歓迎会での和気あいあいとした雰囲気や自分でも演じてみたいという好奇心から入部を決めました。

入部してから発声練習、アドリブ劇、台本読みなどの練習を経て、自分なりの表現の仕方を少しずつ理解できるようになりました。昔から人前に立つのが苦手で、自分の意見も言えないままだった幼い私の心の殻をやっと破った感じがしました。初めて演者として舞台に立てた「生徒総会」という劇も、校内公演で発表した「アンソニアの胸元」という劇も、自分とキャラクターが違いすぎる役で、なりきるのが難しかったですが、私の知らない環境で生きている役に夢中になりながら劇に入り込むことができました。

高一となり、学園祭の時期がやってきました。そこで私は一つの壁にぶつかりました。昨年の学園祭では「無個性症候群」という劇をしました。この劇は遠野家六兄弟の次男「はるや」が、親や兄弟が個性的な中で自分が「無個性」だと感じ自己嫌悪に陥りますが、最後には兄弟全員でちゃぶ台を囲んで団欒をしながら、個性を意識して生きるのではなくありのままに生きることの大切さを観客に問いかけるアットホームな劇です。女子校ゆえ男子の役も女子がやるのは当たり前だと思っていましたが、いざ男子の役になると戸惑いました。台本を読み込み、稽古で先輩の厳しい指導を受けながら毎日悩みました。男子の小学一年生というキャラクターに入り込めずにいたとき、ふと聖書を開きました。するとしおりをはさみ入念にペンで囲んである箇所を見つけました。それが今日の箇所です。

中学の時にこの聖句に出会い、毎日いろいろなことで悩み、余計なことで考えすぎる日やまだ起きていないことを恐れて頭を抱える日もある中でこれを読むと、命があるだけでありがたいと感じることができ、少し肩の力が抜けて安心できました。今日の自分と明日の自分は違う、だから将来に悩みを持ちすぎる必要はないのだと学びました。そしてこの箇所はとても口ずさみやすく心地よいので、悩んだ時にすぐ脳裏に浮かんできます。だから、目の前にあることに精一杯力を注ぎベストを尽くすこと、思い悩みすぎないこと、この二つが「無個性症候群」の「たつや」を演じる時にこの聖句から気付かされたことでした。本番では自分なりに「たつや」に魂を吹き込むことができました。真剣に向き合い続ければ、道は開かれると確信しました。

今年も学園祭が近づいています。今年は「logic error」という劇を上演します。この劇は昨年の「無個性症候群」を脚本して下さった先輩が、私たちの為に書いてくださいました。今年は新入部員も増え、とても賑やかになりました。新しい仲間と共に、キャストと裏方の二人三脚で劇を作っていきたいです。そして高三の先輩にとって最後の学園祭となるので、部長を支え、部員一人ひとりを大切にしながら、また今日の聖句を意識しながらより良い劇を作り、上演を成功させたいと思います。

放送礼拝 バスケットボール部

コリントの信徒への手紙I 10章13節

私は小さい頃からスポーツが好きだったため、英和中学に入学した時に迷わずバスケ部に入部することを決めました。私がバスケ部に入部してから6年が経ちました。

そんな私は1年前大きな壁にぶち当たりました。高校総体の対戦相手が強豪校に決まり、自分の実力が試せるチャンスだと思い、楽しみにしていました。しかし部員は楽しみよりも不安の方が大きくなってしまい、楽しみの方が大きかったのは私と先輩だけだったと思います。楽しみと緊張の中始まった試合、私の出番は開始2分で終わりました。得意の1対1を仕掛けた瞬間、膝から今までに聞いたことのない音が聞こえ、全身の力が抜けて床に崩れ落ちました。左膝前十字靭帯断裂。スポーツ復帰まで全治9ヵ月の大怪我でした。体を動かすことが大好きな私にはすごくショックな出来事でした。どうして1番楽しみにしていた自分がこんな目に合わなければいけないのか、怪我をした自分を恨んで泣くことしか出来ませんでした。手術をするのも嫌だし、このままスポーツができないのも嫌。私の心の中では毎日葛藤が続きました。

たくさんの人から手術はした方がいいと言われ手術を受けることに決め、夏休みを病院で過ごしました。ここでの出会いが私の気持ちを明るくしてくれたのです。入院している人は年齢もスポーツもそれぞれ違いましたが、同じ痛みを経験しているためすぐに仲良くなることができました。高校の時にラグビーで日本一になった人、中田英寿と一緒にサッカーをしていた人など、たくさんの人がいていろんな話が聞けました。一緒にご飯を食べて、リハビリに行って、夜は勉強する。合宿のような1ヶ月でした。みんなで励まし合い、お互いの成長を喜びながら毎日過ごしていました。怪我を治してスポーツ復帰するという同じ目標があったからこそ頑張れたのだと思います。入院することを嫌がっていた自分が嘘のように毎日が楽しく、退院したくないほどでした。

そして入院中、自分はたくさんの人に支えられていると実感することができました。私が靭帯を切ったことを話した時一緒に泣いてくれた友人。たくさん心配してくれて送迎までしてくださった顧問の先生。一緒にバスケをすることができなくてもバスケ部の一員として認めてくれた部活の仲間。スポーツ復帰を目指し、一緒に頑張った病院の仲間。また怪我をしないように膝のことを気にかけてくれたリハビリの先生。そして 1番近くで支えてくれた両親。自分1人で頑張ったのではなく、みんなの支えがあったから、ここまで来れたと思います。

私は退院するとき、もう一度必ずコートに立つとみんなと約束しました。もう一度コートに立って思いっきりバスケをすることが1番の恩返しになると思います。今まで支えてくれた方々への感謝の気持ちをプレーで表現したいと思うようになりました。そして先日の高校総体で、私は1年ぶりに試合に出場することができました。また怪我をしないか不安で、恐怖もありました。でもそれ以上に試合に出場できることが楽しみでした。まだまだ恐怖があり、思うように自分のプレーが出せないことが何度もありましたが、怪我をしてから1年後に再びコートに立てたことを誇りに思います。

私は怪我をしたことで強くなることができました。そして自分の体を見つめ直すことができました。きっと怪我をしていなければ恐怖も痛みも考えずに今まで通りプレーできたと思います。でも、怪我をしていなければ今の自分はいません。出会うことができなかった人もたくさんいます。今では怪我をしてよかったと思えるようになりました。神様が私なら乗り越えられると信じて与えてくださった試練だったのだと思います。試練は神様からのメッセージなのだと思いました。これから先もっと辛いことがあったとしても出会いを大切にし、壁を乗り越えた後には必ず成長できると信じて自分らしく乗り越えていきたいです。引退まで残り1試合。チーム全体としても気持ちが1つになってきているのを感じます。自分を信じて、自分をキャプテンと認めてくれる仲間を信じて、勝利に向かって、最後の1秒までボールを追いかけたいと思います。支えてくれた方々への感謝の気持ちを忘れずに、大きな壁を乗り越えた自分にしかできないプレーをしたいです。

放送礼拝 語学部

語学部 詩編1編1~3節

先日、私はグレイテスト・ショーマンという映画を観てきました。この作品は主人公のバーナムが愛する家族のために貧しい生活から抜け出そうと、ユニークな人々を集めてサーカス団を結成し、成功を収めようと困難に立ち向かうお話です。

ミュージカル映画ということで、作品内でも印象的な曲が多く歌われています。中でもThis is meという曲は、バーナム一座のパフォーマー役を演じたキアラ・セトルさんが迫力ある歌声を披露しています。彼女の役は、女性なのにヒゲが濃いという特異体質で、人の目を避けながら生きてきたという役柄でした。

This is meの歌詞を和訳すると、暗闇には慣れているわ 隠れてろって人々は言うの 壊れた部品はいらないって 私の欠点をずっと恥ずかしく思ってきた 彼らは言う 失せろ、ありのままのお前を愛す人なんかいないって でもあいつらに私をゴミ扱いなんてさせない 私達にだって居場所がある 私たちが輝ける場所 鋭い言葉で傷つけられた時は 洪水を起こして溺れさせてやる 私は勇敢よ あざだらけでも これが私のあるべき姿なの これが私よ というような差別と偏見をテーマとした内容になっています。

この歌詞の中には、現代でも差別や偏見によって苦しんでいる人々の心の叫びとその苦しみに立ち向かう姿が描かれていると思います。私たちは、自分たちの主観で「同じ」や「違う」を決めつけ、人を批判したり、偏見の目で見てしまう弱い生き 物です。このような勝手な判断で弱い立場に追いやられた人は、自分の存在を認めてもらえないと感じ、心の大きな傷になり、やがて人前に立つことさえ出来なくなってしまいます。そんな人々に自信と勇気を与えて下さるのは、神様という大きな存在なのだと、改めて思いました。

歌詞の一部に「私たちにだって居場所がある 私たちが輝ける場所」という言葉があります。神様はどんな私たちでも必ず愛して下さり、それぞれに輝ける場所を与えて下さるのです。 パフォーマー役のキアラさんは、リハーサルの時にマイクの前で歌うことがなかなかできませんでした。それは歌詞と役柄に自分自身が重なるものがあったからではないかと思います。キアラさんは、既に役になりきっていたとも言えるでしょう。映画とはキャスト一人一人が役に入り込み、自身と一体になって初めて観ている人の心を動かすことができるのだと、演技をする人間として強く思いました。

今年の学園祭では、美女と野獣を上演します。多くの人が物語を知っている有名な作品は、話がわかりやすくて見やすい反面、1つ1つのキャラクターの個性になりきらないと中途半端な劇になってしまうというプレッシャーがかかります。そしてどの作品にもそれぞれ伝えたいことがあります。 美女と野獣に込められたメッセージは、ただ人を外見で判断してはならないということだけではありません。ベルは誰よりも自分の信念を持っている強い女性であるから、醜い姿の野獣を心で愛することが出来たのです。私たちは、人を外見で判断してはいけないことを理解していますが、実際に世間に流されずに自分の信念を貫くことが出来る人は少ないと思います。

登場人物の心の奥を理解して部員全員が物語の中のキャラクターになりきって、これからの練習をしていきたいです。そして、部員が一丸となり、観て下さる方の記憶に残る劇を発表したいです。

お祈りします。
神様、今朝も放送を通して礼拝から1日を始められたことに感謝致します。私たちは心の弱さや思い込みなどから、人を差別したり偏見の目で見てしまうことがありますが、周りに流されず勇気を持って生活できますように神様がお導き下さい。この祈りを尊き主イエスキリストの御名によって御前にお捧げ致します。アーメン。