教師,礼拝のひとコマ

放送礼拝 若尾先生

ルカによる福音書6章38節

体育の授業で皆さんが走ったり、歩いたりする様子を見るようになりました。強歩の注意事項などが掲載された保健便りも発行され、いよいよ強歩大会に向けて準備がスタートしています。山梨英和では強歩大会をウォーカソンとも呼びます。ウォ-カソンは「Walk」と「Marathon」を合体させた意味でまさに歩いたり走ったりする、強歩大会の意味ですが、
もう一つ、スポンサーに依頼して募金を集める、charity活動としての意味もあることを、強歩大会を経験した中学3年生以上の英和生なら知っていると思います。

私が「ウォーカソン」という言葉と出会ったのは、大学生時代です。大学生時代に下宿していた寮の管理人さんからの声かけでした。管理人さんに「ウォーカソンで一緒に歩いたり、走ったりして募金を集めませんか」というようなことをいわれました。私自身は開催日に都合が悪く参加できなかったのですが、よくわからないままにスポンサーになり、募金した記憶がありました。そして数年後、教員として働き出すと、山梨県内では「走ったり、歩いたりする」一般的に強歩と呼んでいる大会を、山梨英和ではウォーカソンとしてスポンサーを募ることを知り、少しびっくりしたのを覚えています。そして、もっと驚いたのは、生徒のみなさんがスポンサーを募り、多くの募金を集めていること、そしてその募金をアジアの国、タイの学校に行くことができない中学生の学費支援に使っていることでした。教員となり数年後のことになりますが、私は、生徒2名と、学資支援をしているタイの中学生に会いに行くというツアーに、参加することができました。

当時募金していた基金の名前は「ダルニー奨学金」。タイに住んでいた少女ダルニーちゃんの学費支援からスタートしました。現在は経済発展にともない、支援の必要性が薄くなり、隣国のラオスの支援にスライドしてきましたが、私の訪問当時のタイの東北部は大変貧しい地域と言われていました。そのため、学校に行けず、農作業に追われる子供たちが大勢いました。ですから、支援を受けて、学校に行けるのは大変ありがたいことなのです。学校校舎も今は、大きく改善されている地域もありますが、数十年前の訪問時、訪問先の小学校校舎は衝撃的なものでした。柱にトタン屋根、教室と教室の境は壁で黒板はありましたが、校庭との壁はなく、電気もない建物でした。そのような校舎でも、友達に会え、勉強ができる学校をみんな大好きでした。学校訪問のあと、支援を受けている一人の男子中学生の家を訪ねた時の事です。やはり壁のない高床式の家の前で、その男の子は満面の笑顔で、目をキラキラさせ、「よこうそ、僕の家へ」と言わんばかりに迎えてくれました。一緒にいたお母さんも急いで畑から戻り、にこやかに、感謝の気持ち一杯に頭を下げ、お礼をしてくれました。

わたしは、私たちが届ける募金で、あのキラキラとした眼を見ることができるなんて、なんてステキなことなのだろうと、改めてウォーカソンの取り組みのすばらしさを実感しました。そもそも強歩は体力や気力、自分自身との戦いです。そのことはかわりません。
ただ、長い距離、目の前の坂道に、一歩が踏み出せないと思う時があるかもしれません。そんな時、この一歩の歩みの先に、多くの支援を受け取るラオスの子供たちの笑顔が待っていることを少しでも思い出したなら、その子供たちが背中を押してくれていることに気がつくのではないでしょうか。

今日の聖書のケ所を読む時、ウォーカソンのこと思います。今まで参加していた先輩、多くの卒業生が、「前に進むエネルギーがなくなりそうな時、支援を待っているタイやラオスの中学生のことを考え、少しでも多く支援をしたいという気持ちになると、元気が出てきた。」と話してくれました。実は私たちが、与えているようで、走るエネルギーなど多くのモノを与えてもらっているのではないでしょうか。来月の強歩大会でも、自分自身ががんばるのと同時に、ウォーカソンとして、自分のがんばりで 学校に行けるようになる仲間がいる・・・そんな、気持ちをもって走れば、元気がたくさんもらえそうです。

10月17日までの練習でも、辛くてもう嫌だ・・・、と思うこともあるかもしれません。でも、そこで頑張ることは、自分自身のためでもあると思うと同時に、皆さんの支援をラオスで待っている仲間のことも思って、頑張ってください。

放送礼拝 山田先生

2017.9.4放送礼拝
ヨハネによる福音書 1章1~5節
「人を喜ばせる言葉」

 夏休み中に「日本語を考える」という研修で、子どもがどのように「ことば」を覚えて使えるようになっていくかという内容の講義を受けました。とても興味深い有意義な講座でした。
 赤ちゃんは、1歳を過ぎるころから言葉らしいものをしゃべりだし、1歳半ごろから「マンマ」や「ワンワン」などの幼児語といわれる言葉を話しだします。このころの子どもは、生き物は犬も猫もパンダもみんな「ワンワン」と呼んで表現します。食べ物はみんな「マンマ」と呼ぶようです。もちろん個人差はあるようですが。
 子どもはだんだんと「マンマ」には、白いお米を炊いた「ごはん」や、ご飯を丸めた「おにぎり」や、おにぎりの中身には「うめぼし」「こんぶ」「たらこ」などがあることを「言葉」とともに理解していきます。言葉を理解する中で、自分の世界を広げていきます。少し難しい言葉でいうと、「ことばは世界を理解するための認識の道具」といえるのです。毎日少しずつ、子どもは喜びとともに言語を獲得していくのです。
 2歳から3歳児くらいになると、社会性を持つ言葉を使えるようになります。「アリガトウ」「ゴメンナサイ」という、目に見えない自分の気持ちも「ことば」に表すこともできるようになります。
私ごとですが、この講義を聞きながら自分の子育てのことを思い出していました。子どもがお菓子をもらった時やコップやスプーンを取ってもらった時に、「アリガトウ」が言えた時のこと、そして「アリガトウ」という子どもの「ことば」がおじいちゃんもおばあちゃんも、家族みんなをなごませたことを思い出しました。また、いけないことをしてしかられて、泣きながら「ゴメンナサイ」が言えた時の我が子の気持ちも思い出していました。子どもは「アリガトウ」という言葉と同時に「感謝」という認識をも持つようになり、「ゴメンナサイ」という言葉とともに「謝罪」という概念を手に入れることになるのです。そして、その言葉は、「アリガトウができるようになったね」「ゴメンナサイが言えたの、えらいね」と、家族みんなを喜ばせたものでした。
 このように、子どもの「ことば」は、自分の世界を広げるだけでなく、周りの大人たちの喜びも一緒に運んでくる魔法の言葉だったのです。でも、私たちは知っています、言葉は時に人をひどく傷つける武器になるということを。では、なぜ人を喜ばせる言葉が人を傷つける言葉になってしまうのでしょうか? 悪口、かげ口、からかい、嘘、いじわる、なぜこのような言葉を使ってしまうのでしょうか? 私たちは「ことば」を覚えながら、さまざまな感情を認識していきます。憎しみ、ねたみ、さげすみ、わがまま、劣等感、思い上がり。
 聖書のいう初めにあった「言葉」とは何でしょうか?神とともにある永遠の「言葉」
とは、わたしはイエス・キリストのことだと思います。イエス・キリストは、私たちに愛を伝えるために生まれ、教え、十字架でなくなりました。神さまの言葉とは、人を愛するための言葉だと私は思います。
 私は毎日、国語の授業で「ことば」を教えています。その言葉が、愛を伝える人を喜ばせる言葉であるように願っています。でも、人は誰でも失敗します。その時は「ゴメンナサイ」といいましょう。どうしても人を傷つける言葉が口をついて出てしましそうなときは、口を閉じて神さまに祈りましょう!
 わたしたちには、毎日自分の心や言葉を振り返り、静かに祈る時間が与えられています。聖書のみ言葉と、友人や先生の話に耳を傾け、深く祈る礼拝のときを与えられているのです。毎日神様からいただく素敵な時間です。「アリガトウゴザイマス」と感謝しましょう!
 夏休みがおわり、学校にも礼拝の時間が戻ってきました。夏休みから冬休みまでのこの期間は、1年間で最も長く充実した時期です。キャンプ、SSH研究発表、ドイツ研修、ウォーカソン、そして高校3年生は進路実現、皆さんが大きく成長するときです。毎日の礼拝に感謝して、一日一日進んでいきましょう!

お祈り
 神様、今日も礼拝の時間をありがとうございます。自分自身にも、隣人にも、あなたからの愛の言葉が注がれていることを信じて過ごせますように。後期も、安全に豊かな日々となりますように導いてください。尊き主イエス・キリストのみ名によりお祈りします。
アーメン

放送礼拝 御園生先生

「 信じる  」放送礼拝  ヨハネによる福音書20章26節~29節      2017.6.26 

先日、「星言葉」という小さな本に出合いました。この本を書いたのはカトリックの神父さんの晴佐久昌英さんです。前書きには、「ふと気づいたら、この星に生まれていた。あまりにも美しく、何から何まで不思議な星。・・・ぼくは、この星が好きだ。だから、もっとこの星をよく知りたいし、この星と深く交わりたい。・・・そんな思いを、この星に生まれた仲間たちと分かち合いたくて、この本を書いた。この星の言葉には、力がある。疲れたとき、迷ったとき、一番大切なことを見失いそうなときにこの本を開けば、きっと何かいいことがあるはずだ。ぼくはそういう、この星の上の不思議なご縁を信じている。」とありました。
 そして「愛する」「生きる」「歌う」「恐れる」など50の項目を通して、神様のこと、神様の愛について書かれています。
 今日はこの本の中の「信じる」ということについて紹介しながら考えたいと思います。
本には「人は常に何かを信じています。技術を信じて車に乗り、運転手を信じてタクシーに乗ります。しかし、一方で政治やマスコミ、科学も宗教さえ信じられないときがあります。信じても裏切られることが多々あります。でも、こんな時代だからこそ「信じる」という行為には値打ちがあるのでしょう。なぜなら、あらゆる問題が、最後は「信じる」ことでしか解決できないからです。疑いは対立を生み、さらなる疑いを生みます。それに対して、信じることはそのままエネルギーです。信じれば信じるほど、生きるエネルギーが生まれてきます。どれだけ疑っても、疑いからは答えは出ません。どのみち一瞬先は、だれにもわからないのです。信じた者だけがその一瞬を切り開き、決して負けず、希望を捨てずに夜明けを待つことができるのです。」
・・・力づけられるメッセージですね。
 さて、今日の聖書の個所で、トマスはイエスがよみがえったことをすぐには信じませんでした。しかし、他の弟子たちも初めから信じていたのではありません。よみがえったイエスに会ったマグダラのマリアの話を聞いた弟子たちはそれがどういうことを意味しているか解らなかったのです。その弟子たちは自分たちの前に現れたイエスを見て初めて信じたのです。そして、「その話だけでは信じない」と言っていたトマスも、目の前に現れたイエスを見て、この方が払った犠牲によって自分が許されたのだと実感し、心から信じたのです。イエス様は、その復活を疑っていた弟子やトマスに対し、信じていないからと切り捨てるのでなく「この傷跡を見なさい。」としっかり見ることを促し、そのうえで「見ないのに信じる人になりなさい。」と愛にあふれる言葉をおかけになったのです。
 目の前にイエス様を目にしたことのない私たちは、どうすればいいのでしょうか。「見ないのに信じる人」になるためにはどうすればいいのでしょうか?
この山梨英和で聖書を読み賛美歌を歌っている私たちは、実は何度も神様と出会い、神様の愛が豊かに備えられていることを信じるチャンスを与えられています。例えば、一生懸命にやっているのにうまくいかない!なんで私ばっかり?きっと私はだめなんだ!!・・・と思ったことはありませんか?皆さんたちの各委員会や部活の方の礼拝のお話にも何回もそういうお話がありましたね。そこで悩んだことは、必ず解決が用意されていて、それまでとは違った絆が生まれたり、自分の視野が広がったり、そしてそういう機会を用意してくださった神様の愛に気づくのですね。これは、私たちがより強くなるために与えてくださった試練だったのですね。神様の愛を信じたから、何かいいことが起こったというのではありません。 私たちは、初めから全てを信じられるほど強くないのです。でも、それをご存知である神様は、私たちに何度も何度も「本当に信じる機会」を与えてくださいます。ですから、その機会を逃さず神様の愛に気づくことができれば幸いなことです。「信じるものが救われる」のではなく「信じることそのものが救い」なのだと思います。その「信じるエネルギー」をもって毎日を歩んでいきたいと思います。

お祈りします。
天の父なる神様、放送を通してですが、全校の皆さんとともに御言葉を聞き神様がともにいてくださることを見せてくださることに感謝します。私たちは苦しいことがあると、トマスのように神様の存在を疑うことがあります。しかし、そんな私たちの前に、聖書の中から「見ないのに信じる人は幸いである。」と何度も愛にあふれる言葉をかけてくださいます。 今日一日、神様のみ手の内にあって、御心にかなう行いができますように。この祈りを主イエスキリストの御名において、御前に御捧げ致します。  アーメン

放送礼拝 久木元先生

聖書:マタイによる福音書26節69~75節

ペトロは外にいて中庭に座っていた。そこへ一人の女中が近寄って来て、「あなたもガリラヤのイエスと一緒にいた」と言った。ペトロは皆の前でそれを打ち消して、「何のことを言っているのか、わたしには分からない」と言った。ペトロが門の方に行くと、ほかの女中が彼に目を留め、居合わせた人々に、「この人はナザレのイエスと一緒にいました」と言った。そこで、ペトロは再び、「そんな人は知らない」と誓って打ち消した。しばらくして、そこにいた人々が近寄って来てペトロに言った。「確かに、お前もあの連中の仲間だ。言葉遣いでそれが分かる。」そのとき、ペトロは呪いの言葉さえ口にしながら、「そんな人は知らない」と誓い始めた。するとすぐ、鶏が鳴いた。ペトロは、「鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう」と言われたイエスの言葉を思い出した。そして外に出て、激しく泣いた。

先日、ゴールデンウィークの休みを利用して、久しぶりに映画を鑑賞してきました。前回、映画館で映画を見たのは、2014年のことですから、実に3年ぶりになります。そのときに見た映画は、フランスにあるグラン・シャルトルージュ修道院の日常生活を取材したドキュメンタリー『大いなる沈黙へ』という映画でした。そして、今回は何を見てきたのかと言うと、『沈黙』という映画です。「沈黙」つながりですね。自分でも今になって気づいて、びっくりしています。何か自分の中に、「沈黙」を好む志向でもあるのでしょうか。今回見た『沈黙』という映画は、遠藤周作の小説を、マーティン・スコセッシというアメリカの監督が映画化したものです。日本では、今年の1月に公開されました。今日は、この『沈黙』という作品を通じて、イエス・キリストは私たちの弱さに寄り添っていてくださるというお話をしようと思います。
遠藤周作の『沈黙』については、今年3月の終業礼拝で、校長先生がお話ししてくださったので、覚えている人も多いでしょうが、4月から英和に入学した人は知らない人もいるでしょうから、簡単にあらすじを紹介しておきます。時は江戸時代、島原の乱が終わって間もないころ、イエズス会のフェレイラ神父が、布教に赴いた日本での苛酷な弾圧に屈して、キリスト教の信仰を捨てたという報せがローマにもたらされました。フェレイラの弟子ロドリゴと神父とガルペ神父は、その真相を確かめるために長崎に潜入し、隠れキリシタンたちに歓迎されるが、やがて長崎奉行所に追われる身となります。逃亡するロドリゴはやがて、キチジローという、彼らの密入国を手助けした人物の裏切りで密告され、捕らえられます。殉教(信仰を守るために死ぬこと)する覚悟で牢につながれたロドリゴのもとに、夜中、フェレイラ神父が訪れ、踏絵を踏むようにロドリゴを説得します。その説得を拒絶するロドリゴに、フェレイラ神父は、ロドリゴが踏絵を踏まない限り、拷問を受けている信者たちは許されないことを告げます。自分の信仰を守るのか、それとも、自分が踏絵を踏むことによって、拷問されている人々を救うべきなのか、究極の選択を突きつけられたロドリゴは、フェレイラから、「もしキリストがここにいられたら、たしかにキリストは、彼等のために転んだ(信仰を捨てる)だろう」と言われて、ついに踏絵を踏むことを受け入れます。夜明けに、ロドリゴは奉行所の中庭で踏絵を踏むことになりますが、そのとき、彼の足に激しい痛みが襲います。そして、踏絵のなかのイエスが「踏むがいい。お前の足の痛さをこの私が一番よく知っている。踏むがいい。私はお前たちに踏まれるため、この世に生れ、お前たちの痛さを分つため十字架を背負ったのだ」と語る声を聞きます。踏絵を踏むことによって信仰を捨てたロドリゴはその後、奉行所の監視下で、キリスト教を取り締まる側に回り、岡田三右衛門という日本人の名前を名乗り、日本人の女性と結婚して、その生涯を終えます。
ここで一つ、大きな疑問が生じるのですが、果たしてロドリゴは本当に信仰を捨てたと言えるのでしょうか。そのことを考えるために、ロドリゴが踏絵を踏む場面を検証してみたいと思います。ロドリゴが踏絵を踏む場面で、鶏が鳴く描写があります。ちょっと小説から引用してみましょう。「こうして司祭(ロドリゴのことです)が踏絵に脚をかけた時、朝が来た。鶏が遠くで鳴いた。」この場面は、今日読んだ聖書の箇所を踏まえて書かれたことは明らかです。この聖書の箇所は、「ペトロの否認」と呼ばれ、古来、絵画をはじめとするさまざまな芸術作品に描かれてきた有名なエピソードですが、聖書に親しんだ人であれば、この、ロドリゴが踏絵を踏む場面から、ペトロの否認を連想することでしょう。つまり、『沈黙』におけるロドリゴは福音書におけるペトロの役割を担わされているのです。ペトロはこの出来事の後、自分の行いを激しく後悔して改心し、復活したイエス・キリストに出会い、初期キリスト教の中心的な指導者として活躍することになります。ロドリゴ神父という人物を造形するに当たり、遠藤周作が福音書のペトロを念頭に置いていたとすれば、ロドリゴが踏絵を踏んだ後も信仰を守り続けていたと考えることができるでしょう。実は、映画の『沈黙』では、原作の小説にないラストシーンが用意されていて、ロドリゴが信仰を捨てていたのではないことが明らかにされるのですが、それを今ここで話してしまうとネタばれになってしまいますので、そのラストシーンについては、これ以上は話しません。気になる人は、ぜひ映画館で映画を見て確認してください。
ペトロにとってイエス・キリストを否認すること、そして、ロドリゴ神父にとって踏絵を踏むことは、彼らが人間的な成長を遂げるために必要なことでした。ペトロはイエスから「あなたは今夜、鶏が鳴く前に、三度わたしのことを知らないと言うだろう」と言われて、「あなたのことを知らないなどとは決して申しません」と誓いました。このときのペトロは、自分を強い人間だと思い込んでいたのでしょう。自分はどんな困難に遭っても、決して信仰を捨てることのない強い人間だと自覚して、自分の中にある弱さに気づいていなかったのだと思われます。イエス・キリストが逮捕された時、他の弟子たちはみなイエスを見捨てて逃げてしまったのですが、ペトロだけはイエスの後についていきました。そして、イエスの裁判が行われる大祭司の屋敷の中庭まで入っていったのです。そこで、ペトロは、イエスの弟子であることを見破られてしまいました。「あなたもガリラヤのイエスと一緒にいた」と屋敷の女中から指摘されると、「そんな人は知らない」と否認してしまいます。イエスに対して「あなたのことを知らないなどとは決して申しません」と誓ったにもかかわらず。ペトロは自分の身を守るために、一番大切な人を裏切ってしまったのです。でも、人間って、そういうものですよね。自分の身に危険が及ぶと、嘘をついて自分を守ろうとしたり、誰かを裏切ってしまったりするものです。人間はそういう弱さを抱えた存在なのです。ペトロはイエスを否認したときに、初めてその人間の弱さに気づいた。自分も弱い人間であり、自分を守るためには嘘をついたり誰かを裏切ったりする卑怯な存在であるということを、嫌というほど自覚させられた。でも、この出来事を通じて、ペトロは人間的に成長することができたのです。人間は誰でも、その内に弱さを抱えた存在であるが故に、ある行いについて良いとか悪いとか、人間が裁くことはできないのだということ。そして、そのような人間の弱さをイエス・キリストは全部分かっていて、それでもなお私たちの側に寄り添っていてくださったこと。こういったことを理解することによって、ペトロはキリストの教えを伝道できるようになったのです。
ロドリゴ神父も同様です。彼も踏絵を踏むことによって、人間の弱さを理解した。『沈黙』では、キチジローという、人間の本質的な弱さを体現した人物が重要な役割を果たしていますが、彼は前にも述べた通り、ロドリゴを奉行所に密告して褒美のお金をもらってしまうのです。そういう点で、キチジローは、福音書におけるユダの役割を担っているといえるでしょう。ロドリゴもこのキチジローに、ユダと同じような雰囲気を感じ、嫌悪感を抱いていました。しかし、踏絵を踏んだ後のロドリゴは、キチジローの弱さが理解できるようになります。ロドリゴはそれまではキチジローの弱さを裁いていたのですが、彼は自分にキチジローの弱さを裁く資格がないことを思い知り、彼の弱さに寄り添おうとするのです。イエス・キリストがペトロの弱さに寄り添ってくれていたように。
キチジローの弱さについてもぜひ話しておきたいのですが、そこまで話すと時間がオーバーしてしまうでしょうから、また次の機会に譲るとします。最後に、ロドリゴがキチジローの罪の許しを行った後、イエス・キリストに呼びかけた言葉、そしてイエスの返事を引用して閉じたいと思います。
「主よ。あなたがいつも沈黙していられるのを恨んでいました」
「私は沈黙していたのではない。一緒に苦しんでいたのに」

お祈りします。ご在天の父なる神様、新しい朝を与えられてこの学び舎に集い、愛する姉妹たちとともに礼拝を守れることに感謝いたします。私たちは本当に弱く、そして小さな存在です。時には嘘をついてしまったり、誰かを裏切ってしまうような、卑怯なこともしてしまう人間です。それでもあなたは私たち一人ひとりを愛してくださり、最愛の一人子、イエス・キリストを私たちのもとに遣わしてくださいました。なんという幸いでしょうか。そして、主イエス・キリストは私たちの弱さを分かってくださり、私たちが苦しむとき、悲しむときには一緒に苦しみ、悲しんでくださいます。苦しいとき、悲しいときにも、常に主イエス・キリストが側にいてくださることを信じて、前を向いて生きていけますように、私たち一人ひとりをお支えください。来週には前期Ⅰ試験が始まります。一人ひとりが充分に力を発揮できますよう、お導きください。困難の中にあって、なかなか学校に足が向かない姉妹のことも覚えます。どうかあなたが側にいて、慰めをお与えください。この小さな祈りを、主イエス・キリストのお名前を通してみ前におささげいたします。アーメン。

放送礼拝 佐藤先生

ルカによる福音書10章25節~37節(新約聖書P.126)

 「何をしたら、永遠の命を受け継ぐことができるのか」。この問いは人生の大切な問題です。人は金儲けのためだけに生まれて来るわけではないし、名誉や権力だけが人生の究極の目標ではありません。人生の終わりにあたって、「お前は沢山の間違いや失敗を犯したけれども、良い人生を送った。安心して私のところへ来なさい。」と、神様に言っていただけるどうか、これが人生の根本的な問題ではないでしょうか。

 律法の専門家の質問に対して、イエス様はすぐに「律法には何と書いてあるか。あなたはそれをどう読んでいるか。」と問い返されました。
当時のユダヤでは神の言葉イコール律法でした。律法は生活を定める掟ですから、永遠の命を受け継げるかどうかということは、どのように生きるかということにかかっていました。
律法というのは、旧約聖書のことを指します。それを一言で言えばどういうことか、というのがイエス様の問いかけです。さすがに、この律法の専門家の答えは正確でした。
「『心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。また、隣人を自分のように愛しなさい』とあります。」と答えました。イエス様はそれをほめて「正しい答えだ。それを実行しなさい。そうすれば命が得られる。」と言われました。

  ここで一つ気をつけたいことがあります。ここにある二つの戒めは「神を愛する」ことと「隣人を愛する」ことだと言われています。しかし、隣人については「隣人を自分のように愛しなさい」と言われています。つまり自己愛が前提として考えられています。そう考えると、ここでは神への愛、自分への愛、隣人への愛という三つの愛が語られていることになります。

 「愛」、それは誰かとの関わりです。この関わりは、まず神様との関わりから始まります。私たちは神様によって創られ、その神様に愛されている存在です。そのことを受け入れられたとき、私たちは神様を愛することができます。
 次に自分との関わりですが、私たちは自分で自分を創ったのではなく、神様によって創られた存在です。その神様の愛を感じることができると、私たちは自分を愛することができます。
 そして、自分を本当に愛することが出来るならば、それと同じように隣人を愛することができるはずです。

 さて、この律法の専門家は、自分が律法の精神を実行しているかどうかという問いになって跳ね返って来てうろたえました。
 自分は律法の教え通りに隣人を愛しているかどうか、考えてみるとそうではない。そこで自分の立場を弁護し、正当化しなければならなくなりました。そこで彼は「では、わたしの隣人とはだれですか」と問いかけました。

 先程、神への愛、自分への愛、隣人への愛について話しました。しかし、ここで律法の専門家と同じ一つの問いが生まれます。神様も自分も誰であるかはっきりしていますが、隣人とは誰のことか、ということです。
 そのころのユダヤ教の常識では、「隣人」とは「ユダヤ人の同胞」のことでした。イエス様は、当時のユダヤ人が決して交際しようとしなかったサマリア人をたとえ話の中に登場させて、サマリア人がユダヤ人の「隣人になった」と言い、律法の専門家には「行って、あなたも同じようにしなさい」と命じられました。

 律法の専門家が訪ねたのは「わたしの隣人とは誰ですか」ということでした。ところがこのたとえ話の最後でイエス様は「誰が追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか」と問われました。誰が隣人にふさわしいかということではなくて、助けを必要としている人の隣人になってあげることが出来るかどうかが問題だと、イエス様は言われているのです。

 この追いはぎに襲われた人は助けてくれる隣人を必要としていました。この祭司もレビ人もユダヤ人の同胞で、ユダヤ社会における隣人です。しかも彼らは特に神に近い関係にある人たちです。にもかかわらず、彼らは仲間を見捨て、その隣人になることを拒否しました。
 それとは対照的に、ユダヤ人から蔑まれていたサマリア人が通りかかって、憐れに思い、すぐに助けの手を差し伸べました。

 私たちにはとてもこのサマリア人のようなことはできない、と思うかもしれませんが、愛の業というものは誰でもその気になれば出来ることです。
 どんなにささやかであっても、自分に出来ることを心を尽くして行えば、すぐに隣人になれると、この聖書の箇所は私たちに語っているのではないでしょうか。
 私たちもこのサマリア人のように、助けを必要としている人の隣人となりたいものです。

 お祈りします。
 御在天の父なる神様、今日は、「善きサマリア人」のたとえ話を通して、私たちは、その人が誰であろうと助けを必要としている人の隣人となって、愛の業を実行することこそ永遠の命を受ける道であることを学びました。神様どうか、私たちがサマリア人と同じように行動できるよう、力を強めてください。
 この祈りを、主イエス・キリストのお名前によってお捧げいたします。
アーメン

放送礼拝 伊藤先生

2016年4月18日(火) 全校放送礼拝               担当 伊藤佳代子

聖   書:エフェソの信徒への手紙 1章17~18節(p. 353)          

 

新学期が始まってから10日たちましたが、新しい環境はどうですか?中1、高1の生徒の皆さんは、新しい校舎の中で迷ったり、新しい先生・友人に出会い、色々なことを試行錯誤しながら落ち着かない生活を送っているのではありませんか?

4月学校が始まってから、礼拝でイエス様の受難のお話しを聞いてきました。そして、一昨日の日曜日はイースター、復活主日でした。教会に行ってたまごをもらった方はどのくらいいらしたでしょうか?クリスマスと違って、少し教会に行きにくいと感じたかもしれませんが、キリスト教会ではこのイースター礼拝をとてもとても大事にしています。イエス様は、私達の所に来て下さり、神様から離れて自分中心の考え方で生活を送っている私達のためにご自身の命を捧げて下さいました。

十字架の死はとても悲しい出来事でイエス様のお弟子さん達は頼りにしていた分がっかりして、ちりぢりに去って行きました。ところが、預言の通り、イエス様は3日後に復活され、始めはお墓を見に行った女性達に、その後彼女たちから伝え聞いたお弟子さん達に現れて下さいました。そして、そのお弟子さん達が非常に喜んでこの知らせを伝えて2000年が経つわけですが、皆さんはどう思いますか?

 イエス様のお誕生も不思議なのに、復活とはどういうこと?と思いませんか?

でも、この出来事を信じ、アーメンその通りです。と信じてきた数え切れない人々がいるのです。実は

キリスト教はイエス様の時代から、人の心を惑わすとんでもない宗教だと言われてローマ帝国の迫害を受けたり、日本でも特に豊臣秀吉の時代から江戸時代まで迫害された歴史があります。時の権力者達には特に嫌われたのです。しかし、さまざまな困難があってもイエス様を信じて信仰を守り続けた人々がいました。

 山梨英和や他の多くのミッションスクールを作った宣教師の先生方はなぜ遠いアジアの国、日本にいらしたのでしょうか。イエス様の温かい愛にとらえられて、復活の喜びに心が燃え、このよい知らせを伝えたいという気持ちからでした。

 ところでお弟子さん達は、イエス様に直接お会いしたから信じましたが、その他大勢の人たちは見たことのない出来事をどうやって信じたのでしょう。実際ものを見るという目だけではなくて、聖書は何度も『心の目』で見るようにと繰り返しています。

それでは『心の目』とは何でしょうか?

サンテグジュペリの『星の王子さま』は皆さんも読んだことがあるかもしれません。愛らしいシンプルな挿絵と、子どもにも読める童話の形を取っていますが、人が生きていく上で新しい力を得ることができるような豊かな内容の作品です。その中に有名な言葉があります。王子様にきつねが語るのですが、「心で見なくちゃ、 ものごとはよく見えないってことさ。 かんじんなことは、目に見えないんだよ。」肝心なことは目に見えないという言葉は深いですね。もちろん私達は聖書にこの言葉の元があることが分かります。イエス様は傷を見なければ信じないといったお弟子さんにも現れて、「信じない者でなく信じる者になりなさい、見ないのに信じる人は幸である。」とおっしゃいました。

イエス様の復活を信じることによって、私達は罪を許され永遠の命を受けることができるというすばらしいニュースなのです。これを福音と言います。

 山梨英和に入学したての生徒の皆さんも2年3年の生徒の皆さんも、心の目で物事が見えるようになるために、いろいろな学習や部活動にベストを尽くし、日々お祈りしていきましょう。礼拝のお話しの準備をするときは特にこのことをお祈りして、準備しましょう。

 そして、復活のイエスさまに個人的に出会ってほしいと思います。

 

では、お祈りします。

 

イエスキリストの父なる神さま、御名をあがめ讃美致します。新学期に入り少し経ちましたが、

新しい環境の中で希望にあふれている者もいれば、また一方でまだまだ、不安や戸惑いのなかにある者

も少なくないと思います。生徒一人一人と共に歩んで下さり、励まし力を与えて下さいますことを信じます。イエス様が、私達のために十字架にかかり、また、復活して下さって真の希望を与えて下さいましたことに感謝いたします。生徒一人一人の心の扉をたたいて下さって、イエス様に出会うことができますように助けて下さい。貧しき祈りを一人一人のお祈りに合わせて、主イエスキリストのお名前を通して御前にお捧げ致します。 アーメン

 

学年礼拝 坂本先生

詩編46編2~4節

私がこうして皆さんとお話をする学年礼拝の時間を持つことができるのは、今回が最初で最後になります。

このような貴重な機会をいただき、何を話そうかなと、かなり悩んだのですが、皆さんといっしょに過ごす中で、私も皆さんと同じ高校3年生だった頃のことが頭に浮かんできたので、その当時の話をしたいと思います。

センター試験を終えて、前期試験で合格通知を手にすることができなかった私は、3月12日の後期試験を受けることになっていました。

前泊しないと後期試験当日間に合わなかったので、今から6年前の2011年3月11日に、私は茨城に向けて高校を出発しました。

昔から歴史が好きだった私は、渋いと感じるかと思いますが、時代劇を見るのが好きでした。

特に、悪事を働いた人が最後には必ず水戸の御老公様に成敗されるという水戸黄門が大好きでよく見ていました。

なので、私はせっかく茨城に行くなら、水戸駅前にある水戸黄門の像を見て、試験に向けて気合いを入れようとはりきって水戸駅に向かっていました。

水戸駅に着いて早速、カメラを片手に興奮しながら水戸黄門の像の写真を撮ろうとしていた時です。

ごーというものすごい地響きが聞こえてきました。

水戸駅は結構電車の音が響く構造になっているのだなとあんまり深く考えていなかったのですが、その地響きのすぐ直後に何が起こったのか全く分からない、というか考える余裕もないほどの強い揺れが襲いました。

立っていることはできず、地面に這いつくばり揺れが収まるのを待ちました。

その時はどのくらいの大きさの地震だったのか分からなかったのですが、後々調べたら実際には水戸は震度6弱の揺れだったそうです。

そしてこの地震は、3月11日に起こった地震ということで気づいた人もいるかと思いますが、東日本大震災のことです。

東北地方を中心に津波や原発で甚大な被害を出し、日本各地に大きな爪痕を残した地震なので、皆さんの記憶にも色濃く残っていることと思います。

揺れが収まると駅の中から悲鳴をあげた大勢の人達が雪崩のように出てきて、あたりは経験したことのない物々しい雰囲気でした。

周りを見渡してみると、建物の窓は木っ端みじんに破損して壁が落ちたり、上層部が崩れてしまったり、道路は亀裂が入っていて通れる場所もなく、歩道橋は崩れ落ち、もたもたしているうちにまた大きな揺れ、余震に襲われました。

親に電話をかけようと思っても全くつながらず、何が起きているのか、どうしたらいいのか全く分からず、涙を流す暇さえありませんでした。

一人でとぼとぼ歩いている私に、周りの人たちが建物から離れなとか、下に気をつけて歩くんだよとか、いつ余震が来てもいいように安全を確保して、と気にかけて声をかけてくれました。

当時の私の感覚では、余震という感覚が全くなかったのでただただ驚きと次はいつ来るのかという不安でいっぱいでした。

初めての土地で土地勘もなく、さらにホテルは水戸に予約をしていなかったのでどうしたらいいか困っていたところ、東京から偕楽園に梅を見に来たというおばさま方が、予約したホテルに連れて行ってくれて、その日はそのホテルのロビーに泊めてもらうことになりました。

ホテルではラジオを通して、東北地方がすごいことになっていること、交通機関がストップして復興のめどが立っていないこと、それはすなわち試験会場に行けない、そして山梨にいつ帰れるか分からないという現実を知りました。

結局次の日の後期試験は実施されませんでした。

ちなみに、私が高3だった時の後期試験は、地震の被害を受けている所ではセンター試験の得点で判定が出されることになったことが多かったです。

ホテルのロビーで寝た夜には、停電のため真っ暗で余震が数分間隔で襲い、寒い中毛布にくるまり、みんなで励まし合いながら恐怖の長い一夜を過ごしました。

私一人ではとうてい乗り切ることができなかった一日を、周りのたくさんの方々に助けてもらいながら乗り越えることができました。

その時私に関わってくれた方々は、名前も分からない方々ですが、お互いに困った時には助け合い、励まし合うことの大切さを身をもって教えてくれました。

次の日、ここは危険だからということで、ホテルから避難所である近くの学校へと案内されました。

そこでは支援物資が各地から届けられ、非常食を配給してもらうことができました。

避難所で過ごした3日間、私は山梨に戻るために朝から晩までタクシー乗り場の長蛇の列に並んでいました。

結局、避難所で3泊して4日目にして、タクシーに乗り合わせることができて、動き始めたつくばエクスプレスに乗って山梨に帰ることができました。

この日々の中で、私は自分にとってとてもとても大きな出会いに恵まれました。

避難所が学校だったということもあり、学校の先生方がボランティアで炊き出しに来てくれて不安の中にいる私たちの話を親身になって聞いてくれ、当時の私の精神の支えになってくれました。

山梨に帰れないこともですが、後期試験を受けられなかったということが私の中で消化しきれないことであり、本当に悔しくて、来年どうしたらいいのかと考えることだらけでしたが、その先生の言葉がその時の私に今後を乗り切る力と勇気をくれました。

残念ながら学校の名前も先生の名前も分からないのですが、不安と恐怖の中にあった私の光になってくれた、学校の先生という存在は私の中では非常に大きいものとなり、教師という職業を意識するきっかけになりました。

当時は後期試験を受験することさえかなわず、地震の被害にあったことはとてもつらい体験だったと思っていました。

しかし、今日の聖書の箇所の2節に、「神はわたしたちの避けどころ、わたしたちの砦。苦難の時、必ずそこにいまして助けてくださる。」とあります。

どんなにつらいことや希望の光が見えてこない時でも、私たちのそばには神様が共にいて下さいます。

そして、そんな私たちのことをいつも守り助けて下さいます。

自分にとって苦しいときにこそ、神様の存在はさらに大きなものとして感じることができるのだということを、私は英和に来て、この礼拝の時間を通して感じるようになりました。

今振り返ると、この時の経験や出会いがなければ、今の私はいなかったと思います。

それはきっと、私の人生にとってなくてはならないできごとであり、神様が共にいて下さることを実感することのできた経験として、今後も私の中に残っていくことでしょう。

皆さんも今後、様々な出来事を経験したり様々な出会いが待っていたりすると思います。

もしもそれが自分にとってつらく苦しい出来事であったとしても、その経験の中で自分が大きく成長できることや自分の目指す方向性が大きく変わることもあるかもしれません。

どんな時にも私たちのそばには神様が共にいて下さることを覚えて、ぜひ一つ一つの経験や出会いを大切にしながら、自分の可能性を広げていってほしいと思います。

放送礼拝 石原先生

マタイによる福音書5章9節

  「平和を実現する人々は、幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる。」

 

 今日は福沢諭吉の生涯や彼の残した言葉から、共に考えていきたいと思います。

 福沢諭吉といえば、「1万円札の人」として有名です。しかし、何がそんなにすごいのか?までは分からないという人が多いのではないでしょうか? まずは、青年期から振り返ってみましょう。

 諭吉は、中津藩(今の大分県)の下級武士の家に生まれます。子どもの頃から向学心が旺盛で、人の何倍も学び、学力においては、中津藩で一位、二位を争う人物でした。

 が、ただの「学力の高い人」で生涯を終え、決して歴史に名を残すことはない人物のはずでした。それはなぜだと思いますか?封建社会(身分社会)の日本において、特に諭吉のいた中津藩では、学力が高くても、身分を超えた仕事には就くことは決してなかった、いや、できなかったからです。諭吉の父もまたそうでした。諭吉は後に、封建制、身分社会を「親の仇」と評し、このような社会のあり方に敵愾心を抱いていました。

 それでも諭吉は学問を続けます。ペリーの黒船来航の知らせを聞き、当時の外国語であった「オランダ語」を、しばらくすると、これからは「英語」だと直感し、「英語」を猛勉強することになります。

 そんな諭吉に、幕府が派遣する咸臨丸に乗船し、アメリカの土を踏んだことが、人生最大の転機となりました。それは、もちろん偶然が重なったこともありますが、学問が彼にチャンスを与えたといっていいと思います。

 アメリカで諭吉を驚かせたものは、豊かな生活や「科学文明」ではなく、成熟した社会のあり方だったといいます。誰でも自由に発言し、また、それを受け入れる社会の寛容さ、また、大統領でさえ、その職を退けば、普通の一般市民の扱いを受けるなど。

 彼を広い世界に導き、自分の使命に目覚めさせたのは、結果的には「学問」です。諭吉自身、「賢人と愚人との別は、学ぶと、学ばざること、によりて、出来るものなり」と言っています。諭吉にとって、あの中津藩時代の閉塞感を打ち破れたのは、若き日から積み重ねた「学問」であり、人の一生が「身分」によって決まってはいけないことを我々に伝えています。同時に、学ぶ意欲のない人は、自分の未来を切り拓く意志がない人であり、「愚人」という厳しい言葉で戒めています。

 諭吉は「独立自尊」という言葉を好んで使っていました。「個人の独立」とはどういうことでしょうか? 諭吉はそれを「支配されない」に置き換えられると言っています。例えば、みんなが持っているもの、みんなの着ているもの、さらには、みんなから自分がどう評価されているかが、気になって仕方がない。つまり、「みんな」という名の不確かなものに「支配されている」ことを指しています。

「独立」は「孤立」とは違います。諭吉は社会との関わりに大変「重き」を置いています。

「独立」とは自分の意志をしっかり持ち、それを表現できることだと思います。日本人がこれが不得手なのは、「神様」との「1対1」の対話が少ないからだと思っています

「神様」との関係をもっと深くすることで、さきほどの「みんな」という漠然としたものに振り回されることも少なくなると思います。神様の前に立つと、人は自然と素直になれます。また、「神様」は私たちの思いを必ず受け止めてくれます。自分の足で立ち、自分の足で歩くとは、神とともに歩むということだと私は思います。

 諭吉は人前で自分の意見を述べる、「スピーチ」を慶應義塾の学生たちに求めました。当時、自分の意見はしゃべるものでなく、書き残すものであったため、日本人はこれが相当苦手であったようです。今の時代にもそれが引き継がれてしまっているように思います。

 当時の日本に「スピーチ」に当たる日本語はありませんでした。当時の日本に人前で自分の意見を述べることなど必要なかった訳ですから、そもそもそれを表す言葉がないのは当然です。「演説」という言葉は「スピーチに対する訳語」として、明治時代に諭吉が作ったと言われています。

 「スピーチ」はもちろん練習すれば上手くはなりますが、それだけでは人の心を捉えるものにはならないでしよう。今、世界に影響力をもつ、いわゆる「リーダー」と呼ばれる人たちの言葉に、我々に希望ではなく、互いの憎悪をかき立てるような言葉が混じっているのが気になります。

 諭吉の言葉に、「学問の要は活用にあるのみ。活用なき学問は無学に等し。」というものがあります。「活用」?、誰のために何のために活用するのか? 世界のリーダーならば、その頭の良さを、敵をつくり、対立を煽るためではなく、世界の平和のために活用すべきです。

 皆さんは、今学んでいるものを何に活用しますか? 皆さんが今学んでいることが、やがて誰かの幸せに繫がることを願いつつ、今日もしっかり学習に励んで下さい。

お祈りします。

 

天の神様、今朝も礼拝で1日を始められる幸いに感謝します。

今世界で起きている、対立、紛争は私たちの愚かさから生まれているものです。

もし、私たちがそれに目を背き、または、傍観者の立場でいるようなら、

それに気付かせて下さい。

平和な世界をつくるのは私たち一人一人であると自覚させて下さい。

今日一日、与えられた恵みに感謝して過ごせますように。

 

主の御名により祈ります。 アーメン。

合同礼拝 伊藤先生

イザヤ書43章4節 『私の目にあなたは価高く貴い。』

 

今年度私はYWCAひまわり部の顧問をしています。そこで、今日はYWCAに関することをお話ししたいと思います。また、YWCAのメンバーが社会の問題にどう対処していこうとしているかお話ししたいと思います。

YWCAは《Young Women’s Christian Association》の頭文字をとったもので、日本語ではキリスト教女子青年会といいます。19世紀の半ば(1855年)、ロンドンにおいて創立されてから約160年の歴史があります。1894年に世界組織となり、現在はキリスト教を基盤に世界中の女性が平和な世界を実現できるようにという目標を掲げた120か国約2500万人の会員を持つ国際NGOです。日本では1905年(明治38)カナダ人の女性によって創立され、キリスト教信仰による女性の社会教育社会奉仕運動を行ってきました。初代の代表は津田塾大学創立者の津田梅子さんです。NHKの朝ドラで注目された広岡浅子さんは日本YWCAの中央委員を務め、その後に大阪YWCAを創立しました。

現在日本YWCAは24地域と36の中高YWCA からなりたっています。中高生は全国で725人いて、英和のYWCAもその中に所属しています。姉妹校の東洋英和では創立当初、王女会というのがあって、後の生徒会やYWCAの元になったそうです。薬袋元校長先生に伺ったところでは、山梨英和でも創部の年ははっきりしないそうですが、約100年の歴史はあると思われます。先生が生徒の頃、他のミッションスクールでは生徒会と並列で全員がYWの部員という所があり、ミッションスクールにおけるYWCAの活動は当然の活動とみなされていたのではないかということです。

さて、現在山梨英和のYWCAひまわり部は、通年的には在宅のご老人にお弁当を配るボランティアを週2回、聖書研究会及びカード作り等の作業会を週1回行っています。8月には甲府市のふれあいチャレンジフェスタや甲府YWCAのピースフェスタのお手伝い、そして中高YWCAのカンファレンスがあります。

昨年の8月は関東地区のキリスト教主義女子中高生徒が集まり研修を行いました。主題は「生きるとはーハンセン病療養所の歴史に学ぶ」でした。生徒達は各校の発表に備えて、春から少しずつ準備しました。山梨には、小川正子さんという医師がハンセン病患者さんの治療にあたり、著作を残し、春日居に記念館がありますので、そのことを発表に加えました。ハンセン病については知らない人はいないかもしれませんが、皮膚と神経を侵す慢性の感染症で、感染力は非常に弱いので、治療法が確立された現代では完治する病気です。しかし、治療法が近年になるまで発見されなかったので、患者さんは昔から信じられないくらいの差別と迫害を受けてきました。感染したと分かると強制収容され、住まいは真っ白になるくらい消毒され、断種や堕胎させられ、名前を変えられ、死んでも家に帰れないという扱いをされたそうです。

この重く長い歴史を知って、生徒達が学んだことは、差別と偏見が無知から起こること、だからこそ真理を求め真理を伝えていくことが大切だと言うこと。また人の痛みを知り、愛を持って周りの人を見て、思いやりを行動に移すことの大切さでした。先日は、リユニオンという再開の会があって他校の生徒達とカンファレンスの振り返りをしたり、活動報告をしたりする機会があり、お互いに同士として刺激をもらったり、勇気を与え合う貴重な時を持つことができ感謝でした。

さて、世界に目を向けて見ますと、目を背けたくなること、耳を覆いたくなることがたくさんあります。日本の比較的平和な環境の中では分からないさまざまな問題が存在します。特に女性が抱える問題は深刻です。例えば、暴力・性的虐待・強制的な早婚・(ジェンダー)男女の性の不平等・搾取・人身売買・性奴隷やその他の虐待は現実に起こっています。そんなこと私達には関係ない、知らなくてもいいことをなんで無理に知る必要があるの?と思う人もいるでしょう。でも、日本の女性も、つい100年前には古い慣習(しきたり)の中で縛られていて、夕焼け小焼けの「15で姉やは嫁に行き」と言う歌詞にもあるように低年齢での結婚、妊娠、出産、家事等の重労働、女に教育はいらない、選挙権なし、等の社会的に低い地位の差別的な状況の中にあったわけですが、宣教師の先生方の指導やキリスト教の広まりなどで、社会的な地位を獲得してきたという歴史があるのです。宣教師の先生方は、遠くアジアの小国日本に来て、その生涯を捧げて、そのような状況は人権を軽視したことだと気づかせ、改善する必要性を悟らせてくれ、教育をしてくれたのです。

現在、若者の貧困も大きな問題で、今日世界の若者18億人のうち約半数が1日2ドル未満で暮らしており、1億人以上 が学校に通っていないという状況だそうです。また、一日6,800 人に上るHIV感染者の約40%が若者だというのです。

こうした問題にフタをして無関心ではいられないのではないでしょうか。

日本人も、ジャーナリストとして、医療関係者として、青年海外協力隊の一員として、直接そのような問題に直面する方々もいらっしゃいます。世界YWCAも暴力やHIV感染の根絶に取り組んでいます。

このような山積する問題を解決するには、今お話しした援助の他にはどのようなことが必要でしょうか。皆さんご存知のマララ・ユスフザイさんもノーベル平和賞の受賞スピーチ等で繰り返しているように、まずは教育支援が必要だということです。「少女を教育することは、国を教育することである」という諺がありますが、それは、女性と少女への教育は、国の一番小さい単位の、より良い家族や地域社会を作ることになる、ひいては周りの人々の意識を変えることになるということです。女性と少女がリーダーシップを発揮できるように多くの教育やトレーニングの機会が必要なのです。

直接関与できなくても、私達が心得ておかないといけないのは、先人達がしてきたように、女性や弱い立場の人の生きる権利が守られているかしっかりと見守り、時には監視していくことにあると思います。その確かな目を持つために、できる限り深く広く学ぶことが必要ですね。そして、平和を作り出すためにYWCAのような運動を地道に行っていくことにあると思います。

生徒の皆さんも機会があったら率先してボランティア活動に参加してみることが良いのではないかと思います。ボランティアは戸惑いやためらいもあって、なかなか急にはできないかもしれません。だからこそ、若い内に先輩や周囲の方達から実際の場で教えて頂くことが大事です。その経験を通して、一人一人が神様にとって大切な存在であり、必要な存在であるという基本的な精神や具体的な活動方法を学ぶことができると思います。そうしていけば、平和への意志が固められ、必要な時に自然体でお手伝いができるようになると思います。そのような人が将来世界を担っていくのでしょうし、皆さんにそうなってほしいと願っています。

中学合同礼拝 加藤先生

2016年12月8日 中学礼拝原稿

 聖書 ヨハネによる福音書3章16節~17節 讃美歌267

 皆さん、おはようございます。新しい朝、皆さんと礼拝できることを神様に感謝します。今日を迎えるに当たり、何を話そうか色々と考えました。

12月に入り世の中はキリスト教の信者であるなしに関係なくクリスマス一色です。今朝はイエス様が何のためにこの世に来られたのか一緒に考えたいと思い、ヨハネによる福音書3章16節、17節を選びました。

16節は「聖書の中の聖書」とか「最も多くの人を救いに導いた聖句」と呼ばれ、聖書の中で最も有名な箇所です。皆さんも暗誦するといいですね。ここには、神様が私達のために何をして下さったか書いてあります。

① 神様は私達を愛して下さいました。それは私達が神様のために何かをするということとは関係なく、神様の側から一方的に注がれている無償の愛です。

② 神様はイエス・キリストを下さりました。イエスが独り子であるということは、代わりがない唯一であるということです。神様は一番大切なものを下さりました。これこそ本物の愛ではないでしょうか。

③ 神様は独り子を信じる者を救って下さいました。16節に「世」とありますが、神様が愛した世の中には私達が含まれています。

この聖書の箇所は先生にとっても思い出深いところです。20年以上も前にキリスト教を知りたくて教会に行きました。その時、牧師に「世」のところにあなたの名前を入れて読んでみて下さいと言われました。皆さんも「世」の箇所を自分の名前に置き換えてみて下さい。当時、大変温かい気持ちになったことを今でも覚えています。

そして17節にあるように御子は私達をさばくためでなく、救うために来て下さいました。御子とはイエス様のことです。では一体何から救って下さるのか、それは「罪」からです。罪とはなんでしょうか?

聖書にはこう書いてあります。例えばマルコによる福音書7章20節~23節には「人から出てくるものこそ人を汚す。中から、つまり人間の心から、悪い思いが出てくるからである。みだらな行い、盗み、殺意、姦淫、貪欲、悪意、詐欺、好色、ねたみ、悪口、傲慢、無分別など」

難しい言葉もありますが、人の悪口、ねたみ、傲慢は皆さんも思い当たることがあるのではないでしょうか。これは大人も子供も同じですね。罪は人を傷つけ、自分自身の価値も低めてしまう恐ろしいものです。

イエス様はこの罪から私達を救って下さるためにこの世にこられたことを、今朝は心にとめて下さい。そして、私達はどのように生きるべきでしょうか。それは「神はその一人子をお与えのなったほどに、世を愛された」という事実を信じて受け入れ、神様に感謝しつつ生きることです。

今から約2000年前に、イエス様がナザレの女性マリアから生まれ、歴史の中に現れた意味や神様の本質はこのヨハネによる福音書3章16節、17節だと思います。この聖書の箇所を思いながらクリスマスを迎えて下さい。

お祈りします。

愛する天の神様。あなたの御名を賛美します。今朝はイエス様がこの世に来られた意味を心にとめました。神様は罪からの救い主であり、罪深い私達人間を怒ったり、裁いたりすることなく愛して下さったことに感謝します。私達が罪を隠し自己中心的な生き方をするのでなく、神様が喜ぶきよい生き方できるようにどうか導いて下さい。

このお祈りを尊き主イエスキリストの御名によって御前におささげします。

アーメン。