教師,礼拝のひとコマ

放送礼拝 加藤先生

聖書イザヤ書40章31節
先週、学園祭が無事に終了しました。今年のテーマ「ひまわり」が太陽を呼んだかのよ
うに、学園祭期間中に梅雨が明けましたね。私は高校2年3組の担任ですが、今朝は合唱
大会で3組が歌った曲についてお話したいと思います。その曲は「明日へ続く道」といい、
作詞は星野富弘さんです。

先生が星野さんを知ったのは、教会の方から素敵なカレンダーを頂いた時でした。その
カレンダーには草花の絵が描かれ、星野さんの詩が添えられていました。素朴ですが力強
いタッチの絵と、自分の素直な心情を飾らずに書いた詩に共感を覚えました。後に、その
絵や詩は星野さんが筆を口に加えて描いたと知り、大変驚きました。

星野富弘さんは群馬県の出身で中学の体育教師でした。1970年、24歳の時、新任
教師として着任した2ヶ月後、体操部の指導中に宙返りの模範演技での失敗により頸随を
損傷し、肩から下が麻痺してしまい、9年間に及ぶ入院生活を余儀なくされました。体育
の先生ですから、身体を動かすことは得意なはずです。そのような方が動けなくなったわ
けですから、どんなに辛かったでしょうか。

入院生活中に、大学時代の先輩がお見舞いにきました。その方は大学卒業後、神学校に
行き牧師になられました。最初は神様のことを受け入れることができなかった星野さんで
すが、先輩が三浦綾子さんの本『塩狩峠』を貸してくれました。その本に感動した星野さ
んは、三浦綾子さんの本を次から次へと借りて読みキリスト教に興味を持ったそうです。
先生も教会に行くきっかけは三浦綾子さんの『塩狩峠』を読んだ影響だったので、感慨深
いです。

星野さんは1974年、病室でキリスト教の洗礼を受けました。1972年から口に筆
を加えて絵や詩を描き始めたそうですが、信仰を持ってからは「すべてのものを神様が作
ってくれた」「色も形も調和を持っている」、そのように絵の描き方が変わったそうです。
79年には入院中に前橋で最初の作品展を開き、その後はニューヨークやハワイ、サンフ
ランシスコ、ロサンゼルスなどでも絵画展が開催され、2005年には富弘美術館が開館
されるという、大活躍をされています。

話は合唱曲に戻りますが、「明日へ続く道」という曲の歌詞を読んだとき、これは星野
さんの人生を歌詞にしたのだと思いました。特に印象深い箇所は「折れた枝に桜が咲いて」
というところです。「折れた枝」は星野さん自身を指しているのではないかと感じました。
なぜなら、こんな詩があるからです。

私の首のように
茎が簡単に折れてしまった
しかし菜の花はそこから
芽を出し花を咲かせた
私もこの花と同じ水を飲んでいる
同じ光を受けている
強い茎になろう

普通、枝や茎が折れると植物は枯れてしまします。星野さんもご自分の首が折れてしま
うという絶望の淵にいて、生きる希望を失う状況だったでしょう。しかし、自由な心と夢
が与えられ星野さんの描く絵や詩、その生き方は日本だけでなく世界の人々に感動を与え
ています。このように活躍されたのは星野さんに強靱な精神力があり、ご家族や周囲の支
えがあったからだと思いますが、それだけではないと思います。神様を信じる信仰心が星
野さんに希望を与え、道を備えて下さったのではないでしょうか。

今朝の聖書の箇所をもう一度見ましょう。29節から読みます。「疲れた者に力を与え、
勢いを失っている者に大きな力を与えられる。若者もうみ、疲れ、勇士もつまずき倒れよ
うが主に望みをおく人は新たな力を得、鷲のように翼を張ってのぼる。走っても弱ること
なく、歩いても疲れない。」

私達は日々の生活の中で、疲れを覚えたり、悩み傷つくことがあります。また、今、大き
な試練の中にいる人もあるでしょう。落ち込み、くじけてしまいそうな時。絶望し先が見
えないと思う時、神様は共にいて下さり、星野さんに夢や希望が与えられたように、私達
にも必ず「明日へ続く道」を備えて歩ませて下さると信じていきましょう。

お祈りします。「主に望みをおく人は新たな力を得、鷲のように翼を張ってのぼる。走っ
ても弱ることなく、歩いても疲れない。」
愛する天の神様。あなたの御名を賛美します。今朝は星野富弘さんの生き方から、神様に
望みをおく人は試練があっても、力強く生きることができることを考えました。神様は悲
しみの涙を希望に変えて下さる方です。今悩み、傷ついている人がいるなら、あなたが慰
め力をお与え下さい。また、暑い日が続いています。健康が守られ来週からの定期試験で
日頃の学習の成果が発揮できるように。このお祈りをイエス様の御名を通してお捧げしま
す。アーメン

放送礼拝 長田先生

詩編37編 23節~24節

 「主は人の一歩一歩を定め みむねにかなう道を備えてくださる。
  人は倒れても、うち捨てられるのではない。
  主がその手をとらえていてくださる。」

 放課後あちらこちらから歌声が聞こえてくるようになりました。校舎に歌声が響くようになると、学園祭の取り組みが本格的になってきたことを感じます。
 クラスや学年の企画・部活動など、さまざまな取り組みを通じてみなさんは成長し、トラブルを乗り越えるたびにクラスや部活のきずなが強くなっていくのでしょう。
 今朝は、みなさんに英和との出会いで自分の進むべき道を探し出した人達の話をしたいと思います。
 そう思ったきっかけは、『礼拝と音楽』という雑誌に、英和の先生だった方の記事が載っていたことです。
 その先生は、国語科の教員として2年間英和で働いていらっしゃいました。現在は、ステンドグラス作家として活躍されています。どうして国語の先生からステンドグラス作家になったかが掲載された文章に書かれていました。
「大学を卒業した私は、念願であったミッションスクールの国語科教員になりました。教員の仕事もたいへんやりがいのあるものでしたが、授業で伝統工芸などに携わる職人さんたちを描いた話を取り上げたとき、『ああ、自分も本当は、こういうことがしたかったんだよなあ』という思いが自分の中に湧いてくるのを感じました。そして、今まで封印していた願いに気づいたとき、人生は一度しかないのだから、本当にやりたいことをやったほうがいいのではないか、と思うようになりました。」

そして、彼女加藤(現鈴木)摩耶子さんは、英和を辞めてステンドグラスの学校に入学したのです。その後フランスにも9ヶ月間留学しさらに学びを深めました。
 この、伝統工芸の職人さんの話しというのは、中学1年生でちょうど今学習している『ものづくりに生きる』というお話です。江戸切り子の職人さんと、金属メーカーで機会を作る方のお二人の例が挙げられています。覚えている人も多いことでしょう。摩耶子さんの場合、生徒としてではなく教師として出会った教科書のお話が、彼女の人生を変えたのです。
 生徒の中にも、英和での出会いによって人生の進路を決めた人は多くいると思います。その中で、私の知っている方に桧垣清水(きよみ)さんがいます。彼女は英和でパイプオルガンに触れ、高校卒業後スイスにオルガンを学ぶため留学しました。そこで、6年間学び、厳しい試験に合格しました。現在スイスで教会のオルガニストとして活躍しています。年に一度帰国した際には、私の通う教会でオルガンを弾いてくれるのですが、同じオルガンとは思えないほど深い音色の奏楽を聞かせてもらえます。
 彼女の働きは、それだけにとどまりません。清水さんが洗礼を受け、スイスに旅立ってから、彼女のお母さんも洗礼を受けたのです。現在、教会でこどもの礼拝のご奉仕を担ってくださっています。清水さんの祈りが、お母さんを神様につなげてくださったのです。英和との出会いが自分の道を決めただけでなく、その姿勢が家族にも神様とつながるという恵みを与えることとなりました。
 さらに、今年4月、桧垣さんと同じ教会に通っていた卒業生が、高校卒業と同時にスイスにオルガンを学びに旅立ちました。
 今お話した人達はみな、英和での出会いによって人生の道筋が与えられたのです。
 何がきっかけで、どのような時期に、どのような形で、その道は一人一人の上に現れるかはわかりません。けれども、神様はその人にあった道を必ず備えていてくださいます。英和での何気ない毎日、行事の一つ一つ、どれもがみなさんの道を決める糧となることでしょう。
 悩み苦しみいつまでも出口が見えないと感じることもあると思いますが、今日の聖句にあるように、神様は「みむねにかなう道を備えてくださ」います。
 そして、あなたがたの手を「とらえていてくださる」のです。みなさんのこれからの生きる道が示され、これから困難なことにあっても、英和での日々が支えとなっていくことを信じて祈っています。

放送礼拝 御園生先生

「愛されることと愛すること」 2018.5.30(水)放送
                  聖書:マタイによる福音書22章39節(p.44)
                  讃美歌:520番

皆さんは「100万回生きた猫」という絵本を知っていますか?
出版されて40年たちますが、今まで、英語、フランス語、ロシア語、中国語などに翻訳され、電子書籍にもなり、またミュージカルで何度も上演されるなど、それこそ様々な形で生き続けている本です。
現在、山梨県立美術館で「愛されて40年『100万回生きた猫』佐野洋子の世界展」という特別展示会が6月17日まで行われています。興味のある人はぜひ行ってみてください。

作者の佐野洋子さんは、7歳の時中国の大連で終戦を迎え、その後山梨の伯父様のところに引き揚げ、一家で身を寄せ、3年ほど山梨で過ごしていたそうです。このまだ幼い時に大きな環境の変化がありしかも9歳から10歳にかけて大好きだったお兄さんと、幼い二人の弟を亡くしています。この時お母様が半狂乱となり、まだ小学生の洋子さんを優しく受け止めてくれるはずのお母様との間に溝が生まれました。洋子さんは、大きな悲しみとショックの中で、「生きること、死ぬこと」について深く考えざるを得なかったのではないでしょうか?

「猫には9つの命がある」と言われますが、聞いたことはありますか? おおもとはエジプトの猫の姿をした神様、そして中世ヨーロッパで猫が魔女の使い魔とされたことでなんとなくちょっと神秘的というか不思議な力を持っていると思われたのでしょうか。そして、1561年のイギリスのウィリアム・ボールドウィンの小説には『魔女はその猫の体を9回使うことを許されるのだ。』という一節から「猫には9つの命がある」と言われるようになったと言います。

さて、この「100万回生きた猫」はこのように始まります。

『100万年も しなない ねこが いました。
  100万回も しんで、100万回も 生きたのです。
  りっぱな トラ猫でした。
  100万人の 人が、そのねこを かわいがり、
100万人の 人が、そのねこが 死んだとき なきました。
  ねこは、1回も なきませんでした。』

この後のお話のあらすじは、このようなものです。
この猫は、ある時は王様の猫だったり、船乗りの猫だったり、サーカスの猫だったりします。それぞれの飼い主は、とてもかわいがり、その猫が死んだときは大泣きをしました。しかし、、どんなに愛されて、どんなにかわいがられてもその飼い主を好きにはなりませんでした。猫は自分以外が嫌いだったのです。その上、猫は 死ぬのなんか平気だったのです。
そのうち、猫は誰の猫でもない『野良猫』になります。立派なとら猫だったので、立派な野良猫になり、たくさんの雌猫がお嫁さんになりたがりました。でも、猫は「おれは、100万回も 死んだんだぜ。 いまさら おっかしくて!」と言いました。猫は自分が大好きだったのです。そんなまわりの猫の中に、1匹だけこのとら猫を見向きもしない白い猫がいました。この白猫に「俺は、100万回も死んだんだぜ!」と自慢しましたが、白猫は「そう。」と言ったきりでした。トラ猫は、少し腹を立て、毎日白猫のところへ行って、「君はまだ1回も生き終わっていないんだろう。」と言います。すると白猫は「そう。」と言ったきりでした。
そのうち、トラ猫が「そばにいてもいいかい。」というと、白猫は「ええ。」と言いました。
トラ猫は、いつまでもそばにいて、白猫は子猫をたくさん産みました。
そして、それまで自分が一番好きだったトラ猫は、白い猫とたくさんの子猫を、自分より好きなくらいになりました。やがて、白い猫がトラ猫の隣で動かなくなっていました。その時このトラ猫は、初めて泣いたのです。夜になって、朝になって、また夜になって、100万回も泣いたのです。そして猫は泣きやみ、白い猫のそばで静かに動かなくなりました。
絵本の最後は、こう結ばれています。
『ねこは もう、けっして 生きかえりませんでした。』

このお話を読み終わると、泣いたことのなかったとら猫は、白猫が死んだことで100万回も泣いて泣いて、泣き止んだときには死んでしまいます。そして、もう生き返らなかったのに、これを読み終わった私達は「あ~良かった。」という気分になります。これは、なぜでしょうか? きっと、とら猫が、「愛することを知った」というのがわかり、安心するからでしょう。
作者の佐野洋子さんは、その晩年「人間は、何のために生きているかって言ったら、やはり他人を愛するために生きているし、多分、この世界を愛するために生きているんだと思うのね。」と語っています。

さて、このとら猫が死んだとき、とら猫をかわいがっていた飼い主は悲しくて泣いたのに、とら猫は 死ぬのなんか平気だったのでしたね。そればかりか、「おれは、100万回も死んだんだぜ。」と得意になっていました。ではなぜ「100万回も生きたんだぜ。」と言わなかったのでしょうか? それは、自分が生きていた世界に、何の未練も無かったからでしょう。なぜ、未練がないかというと、大切に思い、愛するものがなかったからですね。愛したものを残して死ぬのは、どんなに辛いことなのかは、想像がつくと思います。「死んでも死にきれない」とよく言いますが、そんな気持ちだと思います。しかし、「愛するもの」が何もなければ、「死ぬのは平気」だし、今を精一杯「生きている」という実感もないことになります。「生きている」という実感がない、その意義を感じることのできない毎日は、本当に空しいものです。

今日の聖書の『隣人を自分のように愛しなさい。』という聖句は、入学式の日からたびたび耳にしている聖句です。神様から無条件で愛されているのですから、その自分と同じように、周りの人を愛しなさいということですね。けれど、神様の深く広い愛に比べ、私たちにはそれを実行することが簡単ではありません。 どんなに愛されても自分以外は嫌いだったトラ猫のように、周りの人を愛せないことが珍しくありません。あるいは、その自分さえも愛せないことさえあります。そして、そんな時、周りの世界も愛せなくなります。世界には矛盾も多く、またせっかく愛していた対象を奪われることすらあります。そんな時「こんな世界はどうでもいい!」「こんな世界にいたくない!」と思うかもしれません。
このとら猫のように!

でも、自分も愛せないことのあるこの私でさえ、神様は何も聞かずに愛してくださっています。いつも両手を差し伸べていてくださいます。 隣人を愛することが難しいと感じたときは、まず手を伸ばして、神様の愛に包まれてみましょう。そして、素直にその愛に応えるとき、自分の世界が変わり始めます。そして、自分以外のこの世界を愛することができる自分が見えてきます。自分が生かされていることに気づくと、周りの人も同じように神様から生かされていることにも気づきます。自分は、大切にされている存在で、周りの人も同じように大切にされている存在なのだから、周りの人を大切にしようと思うことができます。そうすれば、豊かな毎日を過ごす第一歩を踏み出したことになるでしょう。そして、神様から頂いた命をしっかり生きるー真実に清く生きるーことができるはずです。

お祈りします。
御在天の父なる神様、今日という新しい一日を、礼拝から始められますことに感謝致します。神様が、どんなときも私を愛して下さっていることを感謝致します。それをわかっているはずなのに、同じように神様が愛している周りの人を愛せないことがあります。しかし、それでも神様は私を愛して下さり、このようにしなさいと教えて下さっています。その声に素直になる事ができますようお導き下さい。今日一日、神様の御心にかなう一日を送れますように。 この小さき祈りを、尊き主イエスキリストのお名前を通して御前に御捧げ致します。
                                    アーメン

放送礼拝 久木元先生

聖書の箇所:マタイによる福音書25章34~40節
そこで、王は右側にいる人たちに言う。「さあ、わたしの父に祝福された人たち、天地創造の時からお前たちのために用意されている国を受け継ぎなさい。お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ。」
すると、正しい人たちが王に答える。「主よ、いつわたしたちは、飢えておられるのを見て食べ物を差し上げ、のどが渇いておられるのを見て飲み物を差し上げたでしょうか。いつ、旅をしておられるのを見てお宿を貸し、裸でおられるのを見てお着せしたでしょうか。いつ、病気をなさったり、牢におられたりするのを見て、お訪ねしたでしょうか。」
そこで、王は答える。「はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。」

 一ヶ月ほど前に、テレビで「ペコロスの母に会いに行く」という映画を見ました。この映画は、岡野雄一さんという方の描いたエッセイ漫画を映画化したものです。原作の漫画は、学校の図書館にも入っているので、ひょっとしたら見たことがあるという人もいるかもしれませんね。この作品は、作者である岡野さんと、認知症を患って施設に入っている岡野さんの母親との交流を描いた漫画です。「ペコロス」というのは、岡野さんのペンネームで、「小さな玉ねぎ」という意味です。岡野さんがなぜそのようなペンネームをつけたかというと、岡野さんの体型と、つるつるに禿(は)げた頭が、ペコロスのように見えるからだそうです。
 映画のあらすじは次の通りです。62歳の漫画家ゆういちの母みつえ(89歳)は、父さとるが亡くなった後、振り込め詐欺にひっかかりそうになったり、死んだ夫のために酒を買いに行こうとしたり、汚れた下着を大量に貯めたりなど、認知症の症状を見せはじめます。ケアマネージャーの勧めで、ゆういちはみつえをグループホームに入居させます。それでも、みつえの認知症は進み、面会に来たゆういちが分からず、禿げ髪を見てようやく息子を思い出す始末です。また、夫が亡くなったことを忘れ、見えない夫と話したり、原爆で亡くなった幼い妹の幻を見て、妹をあやしたり、少女に戻って無邪気な様子を見せるようになります。ゆういちは、そんな母を優しく見守りながら、昔のことをいろいろと思い出します。ある日、みつえは、ゆういちに、亡くなった夫さとるや幼なじみのちえこ、妹のたかよが会いに来たと語ります。「死んだ父ちゃんに会えるのなら、ボケるのも悪いことばかりじゃないね」とゆういちは思うようになります。
 私はこの映画を見て、深く感動したと同時に、何か苦いものを噛(か)んでしまったような複雑な思いにとらわれました。というのも、実は、私の実家の父親も、認知症を患っているからなのです。たまに実家に帰って父親に会うと、ペコロスの映画と同じように、父親は私が誰なのか、まったく分かっていません。また、息子に会わせても、父は孫を認識できていないのです。私は実家に帰って父に会うたびに、悲しいような、やりきれないような、もやもやした思いを抱かずにはいられないのです。だから、映画の中で、当初は認知症の母親につらく当たりながらも、だんだん心を許して、最終的には優しい気持ちで母に接する岡野さんの姿が、とても羨(うらや)ましく思えたのです。
 それと同時に、認知症の患者に対して、いや、認知症の患者だけでなく、自分が理解できないものに対して、お前はつらく当たったり、無視したりしていないかという問いを突き付けられたような気がしました。お前は、小さい者や弱くされた者に対して、偏見を持ち、排除しようとしていないだろうかという問いです。私はこのような問いに対して、はっきり「Yes」と答えることができません。そして、そのような問いを私に投げかける存在に対して、私は忸怩(じくじ)たる思いを抱かずにはいられません。
 では、そのような問いを私に投げかける存在は誰かというと、それはイエス・キリストに他なりません。イエスは、常に、小さい者、弱くされた者の立場に立って行動していました。それは、子どもであったり、女性であったり、病人であったり、罪びとであったり、異民族であったりしました。イエスは、同時代の人が偏見を抱き、差別を行い、排除していた人たちを決して見捨てず、常に彼らの側に立っていたのです。それだけではありません。今日の聖書の箇所の40節を見てください。「わたしの兄弟であるこの最も小さい者」とは、実は、イエス・キリストのことなのです。つまり、イエスは、小さい者、弱くされた者の姿で私たちの前に現れるのです。イエスは、弱い者・小さくされた者の姿を取って、私たちに差別や偏見の心がないかどうか、問いを投げかけているのです。
 5月27日は山梨英和の129回目の創立記念日で、28日に私たちは花の日を守ります。私たちは病院や介護施設を訪問させていただきますが、そこには、小さくされ、弱くされた者の姿を取ったイエス・キリストが私たちを待っていてくださるということを心にとめていたいですね。

お祈り
神様、今日も新しい朝を与えられてここに集い、放送を通してですが、愛する姉妹たちと一緒に礼拝を捧げる機会に恵まれたことを感謝いたします。私たちは、小さな者・弱くされた者に対して、差別や偏見の心を持ってしまいがちです。しかし、私たちは、小さな者・弱い者としてこの世に生を受け、そして、恐らくは弱い存在としていずれ天に召されます。私たちが今現在、強い者の立場にいるとしても、それは単なる偶然であって、弱い者・小さな者に寄り添わなければならないと思う気持ちを忘れないようにさせてください。私たちは来週、花の日を迎えますが、どうぞ謙虚な気持ちでこの日の訪問ができますように、私たちをお導きください。また、今週から、前期Ⅰテストが始まります。中1の生徒にとっては、初めての定期試験です。不安や緊張を覚える生徒も多くいると思いますが、あなたが常に彼らの傍にいて、お見守りください。今日の一日の歩みが、あなたの御心に添ったものでありますように。このささやかな祈りを主イエスキリストの御名によって御前におささげいたします。アーメン。

中学・高校合同礼拝 加藤先生

2018年 5月17日、18日 礼拝原稿

聖書 コリント信徒への手紙13章 13節

 NHKで高校野球名場面という番組がありました。特に印象深い試合は、大リーグに行き、今は中日でプレイしている松坂大輔さんが在籍していた横浜高校対PL学園の試合で、延長17回という球史に残る名勝負でした。
当時、試合の行方を固唾をのんで見守っていたことが思い出されました。
横浜高校もPL学園もプロ野球選手を多く輩出した名門高校ですが、驚いたことに現在、PL学園は野球部が休部、事実上は廃部という事態になっているそうです。野球ファンとしては信じられず衝撃が走りました。

 このように一時期の繁栄が終わる例は身近にもありました。山梨でも105年間操業を続けていた老舗のスーパーが倒産した詳細について、15日の山梨日日新聞に掲載されました。また、遠く歴史を振り返ると、「すべての道はローマに通ず」と栄華を誇ったローマ帝国の滅亡や日本でも「平家にあらずんば人にあらず」と豪語した平家一族が、壇ノ浦で滅亡したことは平家物語に記されていて、皆さんも古典で勉強したことと思います。

 国家や企業、私たち人間も今はどんなに繁栄していても、それが続く保証はありません。このようなことを考えると、何のために生きるのかむなしくなりますね。私たちは、いつかはなくなるむなしいのもでなく、いつまでも永遠に残るものと共に生きることはできないのでしょうか。

 今朝読んだ聖書の箇所がその答えです。聖書は力強く語っています。「愛」こそはいつまでも永遠に残ります。それではその「愛」とは具体的に何をすればよいのでしょうか。13章4節~8節に記されています。一緒に読んでみましょう。
  
お金や名誉も大切ですが、まずは第一に愛を追い求め、愛をもって生きなければなりません。ノーベル平和賞を受賞されたマザーテレサは、講演の席で聴衆から、世界平和のために自分が何をしたら良いかと質問された際に「世界平和のためにできることですか?家に帰って家族を愛してあげてあげて下さい。」と答えたそうです。また、次のような言葉も残しています。「私達は大きいことはできません。小さなことを大きな愛をもって行うだけです。」聖書にも「あたなの隣人を愛しなさい」という言葉があります。

 皆さんの周りを見て下さい。困っている友達はいますか?悩んでいる兄弟や姉妹はいますか?私たちはそのような人に手をさしのべているでしょうか。
自分のことだけでなく他者に目をむけて下さい。そして小さな事を大きな愛をもって行うことができる人として、何ができるのか考えましょう。

お祈りします。
 愛する天の神様。あなたの御名を賛美します。今朝も礼拝から一日を始められることに感謝します。パウロはコリントの信徒への手紙で「わたしはあなたがたに最高の道を教えます」と書き、愛の大切さを述べました。 私達も愛をもって人と接し生きることができるよう神様が導いて下さい。また、今週の日曜はペンテコステです。聖霊が下り教会が誕生した日です。多くの人が教会に足を運ぶことができますように。
 5月ですが真夏のような気候が続いています。来週からは定期試験がスタートします。神様が健康を守って下さり、日頃の勉強の成果が発揮できるよう支えて下さい。このお祈りをイエス様の御名を通してお祈りします。アーメン

中高合同礼拝 横手先生

テモテへの手紙二 1章5節
讃美歌543番

テモテへの手紙は使徒パウロから愛する弟子のテモテに宛てて送られました。パウロがテモテに手紙を書いたとき、パウロは「キリスト」を宣伝えたために逮捕されてローマの監獄に入れられていました。この手紙の4章では「遅すぎないうちに」(9節と21節)と書かれていることから、パウロは処刑の日が迫っていることを感じていたと思われます。テモテはパウロがはじめたエペソ教会の牧師だったと言われています。パウロはテモテを「愛する子」と呼んでいます。3節から9節を読みますと心が震えるほどの感動を覚えます。死が明日に迫っていても神に感謝し、テモテをいたわり、神がテモテを守ってくださるようにと執り成して祈るのです。先生と弟子とのこの清らかな関係は私たちの心を揺り動かします。パウロはテモテの信仰のことを「あなたが抱いている純真な信仰」といっています。それは「祖母ロイス」と母エウニケに『宿った』信仰だと書いています。テモテの父は異教徒のローマ人でしたから、テモテの信仰はおばあさんと母親を通して『宿った』のです。パウロは特別な意味を持たせて『宿った』と言っているのです。パウロはテモテの信仰がテモテが自分の力で得たものでなく、神の導きより「与えられたのだ」と書いていることは大切です。   

今、この大切な言葉から思い出されることとして、私は英和の中一の生徒だったときのことをお話します。院長であり校長であられた内藤正隆先生が「無条件の感謝」という説教をなさったクリスマス礼拝を思い出します。そのときの会場はすでに取り壊されて跡形もなくなった「県民会館」でした。その年に山梨英和の今の体育館やその横のプールが完成しました。先生はそのような大事業の中で、とても大きな病気をなさり、おまけに泥棒や火災の被害に遭われ、本当にやせ衰えたお身体でした。その3日後に亡くなられたことは私たち生徒にとっては大きな出来事でした。今も「無条件の感謝」が甦えってきます。私の身体の中にこの説教が『宿った』といっても言い過ぎではありません。なぜならその年の南甲府教会のクリスマス礼拝で私は父から受洗したからです。
『宿る』というもう一つの経験は、それから2年後ネパールで結核撲滅のために医療活動をされた岩村昇医師が山梨英和に来られ、この場所で語られた時のことです。先生はここに立たれ、この場所で左側の愛宕山を指さして「ネパールは本当に甲府に似ています、けれど医師が足りないのです」と言われました。私たち生徒は愛の奉仕に命を捧げてネパールの村々をくまなく訪ね歩いておられる先生の中にイエス・キリストを見たのでした。これを聴いた多くの同級生たちが医師をめざしました。その一人は山梨大学工学部を卒業し、自分が吃音で苦しんでいたのでさらに大阪大学医学部で研究し、言語治療の領域の研究者となり大学の教員になっていました。残念なことに胃がんを患い、道半ばで亡くなりました。しかし、隣人のために生きるということが「神を敬うことの証しだ」と信じて自分を高めて、目標に到達した彼女の姿を私たちは決して忘れることはありません。もう一人の同級生は音大を卒業して、音楽療法の草分け的存在になって、大学の教員となり、東京芸術大学でも今も講義し、知的障害者教育のための教科書をつくり、後に続く学生たちを育てている同級生もいます。このチャペルで本当に「純粋な信仰のめざめ」を経験した皆さんの先輩がおられるのです。
 
 次の日曜日はペンテコステです。(聖霊降臨議日)ペンテコステのオルガン曲には上下の手鍵盤、第一鍵盤と第二鍵盤、足鍵盤とこの三つのパートを使う曲が多いのです。それは、父なる神、子なるキリスト、そして聖霊の関係を表していると言えるでしょう。今日弾きました前奏曲は「来たれ、おお、来たれ、命の聖霊よ」でした。右手は讃美歌のメロディー、それに添えられる左手はアルトパート、そして足鍵盤は低音部の支えの役割をもっています。これはオルガン曲ですがアンサンブルリリエンの皆さんはこの曲をフルート、ヴァイオリン、オルガンの足鍵盤、あるいは、チェロも加わって三パートで弾いていますね。一人で弾くオルガン曲を、合奏することで、この曲がさらに生き生きと感じられます。
新しい年度が始まりました。皆様一人一人を、神様が導かれ、「純粋な信仰の目覚め」をお与えくださいますように、そして、皆さまが測り知れない神様の御計画にあずかることができますようにお祈りいたしましよう。

祈り
私たちを思いがけない時に、信じられない愛の力で、呼び出してくださる神様。
私たちは生徒も教師も神に招かれここにいます。私たちの間に命の言葉が満ちて、「新しい目覚め」を今日も起こしてくださいますように。
 主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

放送礼拝 佐藤先生

ルカによる福音書13章6~9節

聖書のこの箇所を目にするたび、私は子供のころに住んでいた家を思い出します。
家の裏にはいちじくの木が植えられていて、毎年夏休みの終わりごろから秋にかけて実がなるため、それを取って食べていました。
しかし、たまに水やりをしたくらいで、そのいちじくの木の世話をした記憶はありません。肥料を与えなくても放っておけば実がなるものだと思っていました。
気になったので少し調べてみましたが、きちんと育てるには枝の剪定をしたり根を切ったりと手入れが必要で、しかも植えてから2~3年で実をつけると書いてありました。

今日の聖書の箇所を見てください。
ある人がいちじくの木を植えておき、実をつけ始めるころ、おそらく2~3年経ってから探しに来たのでしょう。しかし、実をつけていませんでした。
来年こそは実をつけるだろうと思い、次の年も探しに来ましたがそれでも実をつけていませんでした。それを3年繰り返しましたがそれでも実を見つけることができませんでした。
そこで園丁に「いちじくの木を切り倒せ」と命じられます。
しかし、園丁は「このままにしておいてください」とお願いします。さらには「木の周りを掘って肥やしをやってみる」とまで言っています。「それでもだめなら切り倒してください」と。

ここでのぶどう園の主人は神様のことでしょう。そしていちじくの木は私たち人間を指していると思われます。とすると園丁はイエス様を表しています。
神様は、私たち人間が悔い改めるのを長い間待っておられましたが、一向に悔い改める様子がありません。
そこでイエス様に、「もう待っていても無駄だから、人間を見捨てなさい」と命じられます。
しかしイエス様は「今まで以上に教えを説いていくので、来年まで待っていてください。そうすれば悔い改めるかもしれません」と神様にお願いします。
しかしこうも言っています。「それでもだめなら見捨ててください」と。

 神様は、創世記7章ではノアの方舟以外の地球上のすべての生物を滅ぼされています。
さらに19章ではソドムとゴモラの町も滅ばされています。
旧約聖書の頃には神様と人間の間をとりなすイエス様はいなかったため、滅ばされてしまったのだと思います。

では、今日の聖書の箇所ではどうでしょうか。
いちじくの木が実を結んだのか、結ばなかったのか、私たち人間が悔い改めたのか、悔い改めなかったのか、その結果は聖書には書かれていません。
私たち人間は見捨てられてしまったのでしょうか?
それは皆さんもよく知っている通りで、見捨てられることはありませんでした。
イエス様が十字架に架かることにより神様との間をとりなし、私たち人間を救ってくださったのです。

本来滅ばされるはずだった私たちには、こうしてチャンスが与えられています。
一度やってみてだめでも、二度三度とやってみる。それでもだめなら、あきらめずできるまで何度でもやってみる。こうして少しずつ変わっていくのです。
悔い改めるという大きな変化は難しいかもしれませんが、身近なことからあきらめないでチャレンジしてみましょう。
私たちは、イエス様のおかげで神様から見放されることはないのですから。
最後に私が部活で部員に伝える言葉を紹介します。
「練習でできないことは、本番でもできない。練習でできたからと行って、本番でできるとは限らない。だから練習が必要なのだ。」

放送礼拝 伊藤先生

聖   書:マタイによる福音書5章43~44節(p. 8)          
 
新学期が始まってから10日たちましたが、新しい環境はどうですか?中1、高1の生徒の皆さんは、新しい校舎、新しい先生。新しいクラスメートに出会い、色々なことを試行錯誤しながら落ち着かない生活を送っているのではありませんか?期待や不安でいっぱいのことと思います。私も中学1年生の時、クラスの中で誰も知っている人がいなかったので友達ができるかなとドキドキしたことを覚えています。
さて今日はマーティン=ルーサー=キング牧師のお話をします。1968年4月4日にキング牧師がなくなって50年がたつというニュースを聞いたからです。キング牧師は黒人奴隷制度が廃止されて約70年後に生まれました。アメリカの黒人であるキング牧師は23歳で牧師になり13年間、非暴力で黒人の権利を勝ち取る運動を指導し、ノーベル平和賞を受賞し、39歳で暗殺され亡くなりました。“I HAVE A DREAM”のスピーチは世界中で有名になりました。「私には夢がある。それは、いつの日か、かつての奴隷の息子と、奴隷所有者の息子が、兄弟として同じテーブルにつくことだ。」といった内容です。
そのキング牧師が銃で撃たれて亡くなってから50年たった今、人々はもう一度この運動の意味を問い直そうとしています。キング牧師はこの活動を単なる社会運動ではなくイエス様の言葉に従って運動をしたので、黒人も白人もお互いに人間の尊厳を学ぶものとなりました。
キング牧師はイエス様の言葉を自分の生き方を変える道しるべにしていきました。私たちには悪い癖や欠点があります。自分と異なる考え方、身体の形、皮膚の色,生活習慣で他人と自分を比較し時には差別したりさげすんで優越感を持ったり、また逆に劣等感を持ったりします。
現在アメリカでは、白人至上主義と呼ばれるグループが再び勢力を増してきていて、反対派のグループの人たちとの衝突のなか亡くなった人が出た時に、トランプ大統領が喧嘩両成敗という立場に立ったために人種差別の傾向が強まってしまいました。また、ヒスパニック(ラテンアメリカ)の人たちに対する国外退去を表明していて、少し前のオバマ前大統領の融和的平和的なムードが一変してきています。
こういった人間の持つ考え方は2000年前のイエス様の時代も同じでした。権力を持つ人、奴隷として仕える人、女性・子ども・人種の差別、職業的な差別、病気の人への差別や偏見、神様がご覧になったら、何と思われるでしょうか。なんて人間は悲しい考え方をするのでしょうか。また、個人的な利益からまたは国のレベルでの損得から憎しみや戦争が生まれ、現在でもどこかで戦争の火種がくすぶっています。
さて、黒人達は奴隷制が廃止された後、白人とあらゆる所で隔離されました。具体的に言うとバスや学校や図書館、トイレ、レストラン、住む場所等で白人と区別され忌み嫌われていたのです。そしてキング牧師たちが行った公民権運動は、白人からの激しい抵抗を受けました。逮捕されたり、暴行され殺されたり、指導者たちの家が爆破されたりしました。その中でも、権利を要求してバスのボイコットをしたり、行進したり、座り込み運動をしたりしました。子ども達も小学生から高校生までが行進をしましたが、警察は警察犬と高圧ホースによる放水で攻撃したりしました。テレビで全世界に報道され、私も見た記憶があります。
そのようにして、10数年間も闘って自由で平等な生活や選挙の権利を勝ち取っていくわけです。どれほどの苦しみ、犠牲があり、血が流れたかということを思う時、最近の風潮を無視することはできません。歴史は繰り返されるなどといとも簡単に言うことはできません。
憎悪と敵対心がむき出しになり、暴力的な形で爆発した時代のさなかで、キング牧師はこう言っています。「私は、非暴力がこの国の正義を求める闘いで、もっとも有効な武器であると信じています。」
また、「人間の気高さを信じるならば、私たちは他人を抑圧したり搾取したり殺したりできないのです。」キング牧師にとっては、イエス様が教えられた愛が人間が抱える問題に対する究極の答えだったのです。

イエス様が差別や偏見の問題にどう対処なさったのかは、新約聖書の福音書を読んでいくと良く分かります。いつ読んでも目から鱗のように新しい発見があります。
今日の世界で、黒人や少数民族に対する嫌がらせ犯罪、また、私たちの身近においても、差別やいじめはますます増加する傾向にあります。こんな時、キング牧師が願ったような兄弟愛にあふれた社会を実現することの大切さを思います。私たちは、そのような学校に、また、社会を造っていくために、学んでいきたいと思います。

放送礼拝 菊田先生

2018年4月16日(月) 放送礼拝
聖書:ヨハネによる福音書 17章:1~3節
讃美歌:483番

今年は桜の季節があっという間に過ぎてしまい、5日の入学式をきれいな桜の下で迎えることが出来ないほどでした。お隣の長野県ならもう少し桜の花が楽しめるのではないかと思い、先週末お花見ドライブに出かけ、上田市にある『無言館』という美術館を訪ねました。

この美術館には、有名な画家の作品は一枚もありません。飾られているのは、太平洋戦争で亡くなった画学生、今で言う美術大学=美大で絵を勉強している途中で戦争に駆り出され、そのまま帰って来られなくなった画家の卵達の作品が飾られています。最初のうちは「学徒兵役免除」と言って、学生には動員がかからなかったものの、戦争の状況が悪化するにつれて、学生たちも戦争に行かなければならなくなってしまいました。絵を描くことが大好きで、大学でしっかり学びたいと思っていた学生たち。中には、美術大学の学費を工面するのが大変で、家にあった大きな木を切り倒して送り出してくれた家族もいたようです。無言館には学生たちの描いた絵だけでなく、使っていた絵の道具や、戦地から家族に送った手紙も残されていました。それらの遺品と絵を見比べながら、その絵に込められた思いや、戦争に行くことは、即ち生きて帰っては来られないことだとわかっていながら、どんな思いを持って絵筆を握っていたのだろうか。言葉を発しなくても、様々なことを私たちに語りかけ、考えさせてくれる、「無言館」はそんな美術館です。

ここの館長であり、作家でもある窪島誠一郎さんの『無言館にいらっしゃい』という本の中には、私たちには2種類の「いのち」があると書かれています。一つ目は漢字一文字で書く「命」。つまり私たちがこの世に誕生したときに与えられたいのちです。そして、もう一つは、私たちが生きているうちに自分の「仕事」に込めることのできる命だそうです。ここで言う「仕事」について、窪島さんは次のように書いています。

みなさんは「仕事」と聞くと、会社に勤めてお給料をもらったり、何かを安く仕入れてお客に売ったりする商売を連想するでしょうが、人間の「仕事」はそれだけではないのです。病気になった家族を介護したり、落ち込んでいる友達を励ましたり、庭に咲いている花を大事に育てることだって立派な「仕事」です。あるいは自分の経験を日記に書いて記録したり、健康のために毎日ジョギングしたり、学校に通って勉強したりすることだって「仕事」の一つであるとも言えるのです。人間はそういう数々の「仕事」の中に生きている自分の「命」を込めることができると言いたいのです。戦争で死んだ画学生たちが残した絵は、ある意味で、その一点一点が画学生たちのいのちがのりうつった「仕事」であったといえないでしょうか。

この本を読み終えて、窪島さんご自身が、与えられた「命」に二度と同じ苦しみを味わう人を出してはならないという強い思いを込めて、「無言館」を作ったということが伝わってきました。無言館に飾られていた、戦争の前に「命」を絶たれてしまった画学生たちの「もう一つのいのち」は今もこうして、ここを訪れる人たちに語りかけ、訴えることで生き続けています。与えられた「命」は、その中に思いを込めて生きていくことでこれから先も続いていくものだと思います。

聖書に書かれている永遠の命とは、ここで語られている「もう一つのいのち」のことだと思います。そして私たちは与えられた「命」を生かすために、神様から様々な「仕事」を頂き、そのために「もう一つのいのち」に思いを込めていくのだと思います。

残念なことに、おとといの土曜日にアメリカが英国、フランスと共同で化学兵器使用が疑われるシリアを攻撃したと言う報道がありました。平和の反対語である戦争がまさに起こっている国があることに驚きを感じます。私たちは与えられた「命」をしっかり生かし、正しい知識を身につけ、判断し、自分の意見を持って「もう一つのいのち」を生きていきましょう。

お祈り

天にいらっしゃる私たちのお父様、今朝も新しい朝を有難うございます。あなたの御言葉から一日をはじめられますことを感謝いたします。私たちがあなたによって与えられたものを十分に生かして、一日一日を積み重ねていくことが出来ますように。また私たちの周囲で支えてくださる多くの方々に感謝して一日を終えられますように。様々な不安を抱えている友達がおりましたら、あなたが強め励ましてください。遠くの地では争いの中にある国もあります。より良い解決の道が見つかりますように。

願いばかりの祈りを尊き主イエス・キリストのお名前を通して御前にお捧げします。

放送礼拝 長田先生

ホセア書 6章3節  

 みなさんは、「春愁」という言葉を知っていますか?
春の愁い、と書きます。春、なんとなく気分が落ち込む状態、うつうつとして過ごす状態です。夏の愁いとか、冬の愁いという言葉はありません。「春愁秋思」といって、春に心悩ませ秋に深く考えるという言葉はあります。
春といえば、新しいことが始まる希望にあふれた季節というイメージです。たくさんの人達が4月から新しくスタートを切りました。今年度新しく英和中高に進学した新入生のみなさん、進級した2・3年生のみなさん、誰もが期待と不安を持って4月を迎えたことでしょう。
 けれども、春はものうい季節でもあるのです。他の季節にはない「春愁」という言葉が物語っているように、昔から、暖かい日差しと明るく咲き誇る花々を前にして人はなんだか心がふさがるような思いを持っていました。
 奈良時代、万葉集の中にも春の愁いを詠んだ歌があります。
大伴家持の「うらうらに 照れる春日に 雲雀あがり 心悲しも ひとりし思へば 」 という歌です。「春にうらうらと照る光とヒバリのさえずり、心躍る季節なのに私は一人でもの悲しい思いにひたっている」という意味です。
こんな昔から、万物が目覚める季節に「心悲し」と感じていた人がいたのです。

 春は、変化することを周囲に期待もされるし、自分も新しく変わろうとする時期です。新しい学校、教室、友達。新しい環境の中で、新しい自分になりたいと思い、いつも以上にがんばってしまいます。その重圧に耐えきれない思いが春愁=春のものうい思いなのかもしれません。
新年度が始まり1週間が経とうとしています。みんな心身ともに疲れがたまってきていることでしょう。その疲れが体の不調として現れたり、周囲の人に当たってしまったり、いろいろな形となって出てくる時期です。
休息をじゅうぶんにとって、上手にストレスと付き合いながらこの時期を乗り切ってほしいと思います。
 けれども、「春の愁い」とはいえ、この季節は恵みの季節でもあります。明るい陽射し、生き物の成長を促す雨。この春の光や雨のように、神様の恵みがみなさんに降り注いでいるのです。
今日の聖書の箇所に
「主は曙(あけぼの)の光のように必ず現れ 降り注ぐ雨のように
大地を潤す春雨のように我々を訪れてくださる。」
とあるように、神様はみなさんのそばにいてくださっていろいろな形で励まし見守ってくださっています。
 また、「我々は主を知ろう、主を知ることを追い求めよう」とあります。
  みなさんは、この山梨英和で神様と出会いました。その出会いを大切にして、日々の聖書の言葉に耳を傾け、もっともっと神様のことを知っていってください。