礼拝のひとコマ,講師

創立124周年記念礼拝 花の日

今年創立124周年を迎えた私達の学校は、5月27日の創立記念日に全校で記念礼拝をお捧げしました。礼拝には長い間宗教主任としてお働きくださった小島章弘先生をお招きして「あなたはどこにいますか」という題で、お話しいただきました。人生のすべてを捧げて日本の伝道を志したカートメル宣教師の歩みを知らされました。マンドリン部、聖歌隊の賛美、宗教委員の発表を受けて、改めて創立を感謝し、世界に出て行って福音を伝える信仰を確認するひとときをもちました。
午後には生徒たちと教員が花と手紙を携えて、県内24カ所の病院・施設(甲府駅を含む)を訪問する「花の日」の行事を行いました。訪問先でもそれぞれ出会いを与えられました。 以下が小島先生のお話です。

創世記3:9 「あなたはどこにいますか」

 今日山梨英和学院中学校・高等学校創立124年記念の日を迎えました。神様に感謝の礼拝を捧げることができ、とてもうれしくおもいます。

今日与えられた聖書は、創世記3章9節だけを読みましたが、少し前後に書かれていることをお話します。

神様が創られた人間アダムとエバは楽園(エデン)で神様と共にいましたので、平和でした。でもたった一つ禁止されていることがありました。それは園の中央にある木の実を食べてはいけない、それをたべると善悪を知ることになり、死ぬということでした。 しかし、二人は蛇の誘惑にあい、実を食べてしまったのです。すると二人は裸であることがわかり、イチジクの葉をつづり合わせて腰に巻いて隠したのです。 そこに神の足音を聞いて、アダムは、木の間に隠れてましたが、神様がアダムに「どこにいますか」と語り掛けました。これはただアダムにだけに問いかけたものではなく、今のわたしたちにもとわれたものであるように思います。皆さんだったらどう答えるかを考えながらしばらく聞いてください。神様から逃げようとすると自分がわからなくなってしまいます。神様から隠れようとすると、自分が見えなくなってしまいます。

さて、今日はカナダから日本に来た最初の婦人宣教師のマーサ・ジュリア・カートメルのことをお話します。 みなさんは、初代校長のウイントミュート先生やグリンバンク先生の名前をよく聞いていますが、おそらくカートメル先生の名前をはじめて聞いた人が多いとおもいます。

カートメルは、東京の東洋英和女学院の初代校長をされました。山梨には、2年ぐらいしかおられませんでしたが、先生の影響力があって、先生の名前を取ったカートメル女塾が立てられました。今の甲府教会の辺りに建てられました。

カートメルは、13歳のときに突然両親を失いました。何かの事故だと思います。そこで、彼女は伯母のミセス・サザラートに引き取られ、暖かい歓迎を受けました。この伯母さんは、自分の家庭を開放し、心から彼女を受け入れ、自分の娘たちと一緒にマーサを受け入れました。ここでマーサは、キリストを中心とした教養と文化にあふれた家庭で幸福に育てられました。 3年たったころマーサは、教師になりたいと希望するようになりました。 高1か2の頃でしょうか。それから、トロントにあるノーマル学院という教師養成学校に入学し、彼女は、その学校の初期の卒業生のひとりとなりました。マーサは、高い理想を持つ非常にまじめな人で、彼女の教育に対する鋭い関心は、ハミルトンの学校で先生になり、長年にわたってすぐれた実績を上げたのです。

その後、カナダメソジスト教会は、1874年に会議を開き、日本にキリスト教伝道を開始することにしました。牧師たちが任命され、彼らは東京に出かけ、そこに伝道活動が始まりました。彼らは日本の男性との接触はできましたが、女性と仕事をすることはなかなか難しかったのです。

 1880年に再び会議が開かれ、報告の中で、彼らは、東京に男子校を設立することになりました。それだけでなく、日本の少女や婦人たちにもキリストのことを伝えたいと婦人宣教師を派遣することも決定しました。そこで、マーサは始めて海外伝道に関心を持つようになり、チャンスをうかがっていました。マーサは、婦人宣教師を日本に派遣する訴えを聞いたとき以来、心の中に日本への思いを深くおもうようになったのです。その頃友人にその思いと衝動があまりに激しく心に起こりましたので、彼女は頭をたれて祈りました。次のような祈りを捧げました。

「主よ、あなたがわたしのすべてをご存知です。あなたはわたしの生涯のはじめから終わりまで、その道筋を見給います。もし、わたしがあなたのみ声を聞きあなたがわたしをお用い下さるのでしたら、わたしはここにおります。わたしをお遣しください。」 「主よ、あなたがわたしを完全にお知りになった上でわたしに語って下さり、私を用いてくださり、またあなたのみ心をわたしに知らしめてくださるのでした、わたしは、あなたにお従いします。」 

それから一年後にマーサ・カートメルは、カナダ婦人を代表する最初の宣教師として、日本へ行くよう要請されました。

 マーサは、18821123日に故郷を出航し、何マイルもの距離を太平洋を横断して、未知の言語を話す、未知の人々のいる、未知の東京にクリスマス前に到着しました。

まず第1に、言葉の勉強を始めました。 新しい友人や隣人たちと直接話ができるようにという差し迫った願いからです。 間もなくマーサは、日本の少女たちには学校教育の特権が与えられていないことを知りました。そこで、マーサは少女たちのためのクリスチャンスクールを設立したいと強い使命感に捕らえられました。彼女は、何ものをも恐れず、開校の許可を得るために文部省に請願を出しました。このようにして、マーサ・カートメルが目的のために献身する姿に刺激を受けて、教会のもっとも敬虔で有能な何人かの婦人たちが、日本に派遣されたのです。

甲府での新しい伝道者の最初の仕事は、カートメル女塾と呼ばれる女子のための職業学校の設立でした。カートメル女塾には、聖書教師たちの宿舎も造られました。Cartmellは、日本人には非常に奇妙な名前ですが、「カートメル」と呼ばれました。このセンターが、建てられたときにはカートメルという名前を学校につけることにより、婦人宣教師会は、彼女の努力を讃えたのです。ここでの活動は、1915年に開設されて以来25年以上にわたって続けられました。

カートメルセンターは、戦時中に爆撃されましたが、その場所は日本基督教団甲府教会として残ったのです。センターの灰の中から付属幼稚園のある新しい教会が生まれたのです。

晩年は、盲目のためまた、次第に耳が遠くなってきたために、世の中からかなり遮断されていましたが、彼女の心はいつも若々しく、はっきりしていました。背が高く、体をまっすぐに伸ばして立ち、清朗なよく響く声で語る彼女は、その長い生涯の間、キリストを証しつづけました。この一人の篤い信仰と教育への情熱が、日本伝道の扉を開いたといっても決して過言ではありません。

彼女は1945年3月20日、100歳で亡くなりました。

日本では、その当時キリスト教は、迫害の対象でした。宮前にある宣教師間には、石を投げられても安全に生活できるように小さな隠れ場所があるのです。

自分の名誉も幸せも捨てて、カナダから日本に来られた婦人たちの信仰と情熱があって、この学校は124年経っています。彼らは、神さまから「どこにいますか」と問われ、「わたしはここにいます」と答えて、使命を持っていきました。

皆さんも、国際的に見て、未開発の国々がまだあります。これからは、そのようなところに皆さんが出て、キリストの愛を伝えていくことを神様は期待しておられます。

 

創立記念日・花の日

 今年創立123周年を迎える私達の学校は、5月27日の創立記念日を前に、25日(金)に全校で記念礼拝をお捧げしました。礼拝には卒業生であり、同窓会前事務局長の田草川すみ江先生をお招きして「あなたの若い日に、あなたの造り主を覚えよ」という題で、お話しいただきました。日々の小さな積み重ねを大切に山梨英和でたくさんの良い思い出を作り、思い通りにならないことを経験しても神様の御心を求めて歩んでいってくださいと温かく語りかけてくださいました。マンドリン部、聖歌隊の賛美、礼拝後の宗教委員学年代表者の発表を受けて、改めて創立を感謝し、隣人と共に生きる信仰を確認するひとときをもちました。
 午後には生徒たちと教員が花と手紙を携えて、県内27カ所の病院・施設(甲府駅を含む)を訪問する「花の日」の行事を行いました。訪問先でもそれぞれ出会いを与えられ、感謝です。