生徒,礼拝のひとコマ

6月2012

放送礼拝 剣道部

放送礼拝 剣道部 コリントの信徒への手紙 一 13章1-7節

先週23日の大会を最後に私たち高校3年の剣道部員は引退をしました。私が剣道部に入部したのは、中学1年の時のこと。彼此あってあっという間に5年という月日が流れ、遂に引退に至りました。未だ、引退したと言う確かな実感は湧かないのですが、引退というある種の節目を通して、現役の剣道部員であった時には感じあることが出来なかった事を見出せる事が出来ました。

中学入学と同時にこの部に入部。剣道経験は全く皆無の未経験者でした。それでも、優しくて教え方も丁寧な先輩の方々に支えられ、胴着、防具なども付けて剣道が出来るまでになりました。ただ純粋に剣道が楽しくて、部活が大好きでした。

それが年を追う毎に楽しいだけではないということを実感していきました。試合では思うような試合展開が出来ないこともあるし、練習もきつくなって何度も練習を投げ出したくなりました。さらに、部長という肩書きが付いてからは自分のこと以外にも考えなくてはならないことが増え、様々な重圧が圧し掛かりました。部員を指導し、時には注意をすること。先生が居ないときは、練習内容を自分で考え、それを元に活動していくことなど、部長になってからやるべきことがとても増えていきました。また、部長である故に叱られることも多々ありました。部長なってから自分の不甲斐なさに何度も落ち込んだり、辞めたいなどの感情の羅列に潰されたりしたことは数多くあります。そんな私をいつでも支えてくれたのが、友達、後輩の存在でした。

同級生として、また同じ剣道部員として、楽しい時も辛い時もいつも一緒に居てくれた友達は、多くを語らずとも私の気持ちを理解してくれ、常に励まし、心の負担を軽減してくれました。また、後輩は、真面目に稽古に参加してくれ、日に日に上達していく姿は私に部長としてのやり甲斐を感じさせてくれました。意図して私を元気付けようとしてなくても、私はこの数年何度も皆にサポートされ、部長としての役目をまっとう出来たと思います。

そして、引退して一番実感したことが顧問の先生の存在でした。この部に入ってから、更に部長になってから何度も叱られ、私にとって少し怖い存在でありました。技術面だったり、礼儀作法だったり、指導力のなさだったり、その時々で叱られる内容は様々でしたが、今となってはその全てが私を肉体的にも精神的にも強くさせてくれたのだと思います。

今日の聖書の箇所にある“愛”に、皆さんは何を思い浮かべますか?私は、友達が私を支えてくれたことも、後輩が不満も言わず私の下に従ってくれたのも勿論、愛と思いますが、先生が今まで私を叱ってくださったことも愛の内だと思うようになりました。

まだ引退する前は自分の事で精一杯で、そんな風に思うことは出来なかったと思いますが、いざ引退して部活のことを考える時、先生に叱られた事全てが無駄ではないと実感するのです。もし、私の不躾を注意してくださらなかったら私は社会に出て多くの恥をかいたと思います。指導力のなさを指摘してくださらなかったら、上に立つものは何たるか学ぶことがなかったと思います。一見、厳しく見えてもそれらは確実に私を大きく成長させてくれたものだと思います。

剣道の理念は、剣の理法の修錬による人間形成の道である、とあります。もし、私がこの部活を早々に辞めていたら、はたまた、もともと入部すらしていなかったら、体力的にも精神的にも弱くかったでしょう。剣道を習い、肉体、精神ともに強く、またその他の事も多く学べる事が出来たと思うと、改めて、私にとって如何にこの部活に意義があったか知ることが出来ました。

剣道はいい思い出も辛かった思い出も含め、私の青春です。これから、大人になっていくにつれて私達には様々な社会的責任などを負うことになると思いますし、今まで以上に叱れられる回数も増えるかも知れません。でも、どんなに辛い時でも背筋をぴんと伸ばし、礼を失することが無い大人になっていきたいと思います。

合同礼拝 高校1年 花の日報告

高校1年 花の日報告 ローマの信徒への手紙12章9~15節

先日の花の日に私たち高校1年生は主に老人施設を訪問させていただきました。その中で、訪問を通して感じたこと、また、午前中の田草川先生のお話から学んだことを発表いたします。始めに上原さんに施設の訪問を通して感じたことを、次に今年初めて花の日を体験した福田さんに、最後に記念礼拝での田草川先生のお話から学んだことを橘田さんから話してもらいます。(八木富美恵)

私は花の日にかわせみ苑という老人施設へ行きました。とても設備の整ったきれいな施設でした。私は一人のおばあさんとお話をしました。まだ60歳代で物静かで優しい雰囲気の人でしたが、どこか寂しそうな印象を受けました。長い間ベッドの上で不自由な毎日を送っている様子でした。私とおばあさんは年齢も生きてきた環境も、今頑張っていることも違います。でも花の日にわずかな時間でしたが会話を交わしたことによって心を通わせることができたと思います。
老いていくことや病と闘うことは、きっとできることが一つずつ減っていくことで、それを一人ぼっちで耐えて、苦しみ、痛みを感じているのかもしれません。それらを私は自分のことのように、体と心で感じることはできません。でも心を傾けておばあさんと共感しようとした気持ち、おばあさんの今は想像する気持ちが私の心の中に生まれたことは確かです。人の気持ちを理解するのに、同じ経験がすべてではなく、心に寄り添い、想像して思いやることが大切だと思いました。
おばあさんは帰り際私に「大好きなサッカー頑張って」と言ってくれました。私の存在を感じて応援してくれたその言葉がとても胸にしみました。帰り道、私はおばあさんとの今日の出会いが私の心を優しく温かくしてくれたことに気づきました。相手の大事にしていることや乗り越えようとしていることをわかろうとする気持ちをいつも持っていたいと思いました。 (上原真菜)

私は高校から山梨英和高校に入学したので、今年初めて「花の日」という行事に参加しました。卒業生である母や祖母から、昔から英和の創立記念日は花の日として、病院や老人ホームを訪問して、讃美歌を歌ったり手紙を渡したりすると必ず涙を流してくれる人がいると聞いていました。私が初めてその話を聞いたときは正直言って信じられませんでした。どんなことをすれば初対面の人をそんなに感動させることができるのだろうか? 私には何も思いつきませんでした。
少し不安な気持ちのまま花の日当日を迎え、実際に施設に行ってみて、その答えがわかりました。それは共に楽しく過ごすということです。入所されている方の手を握り、目を見て、ごく普通のことを話したり、一緒に歌を歌うだけで目に涙を浮かべてくださる方もいました。私が話しかけているときにずっとにこにこしながらその話を聞いてくれたり、最後の最後まで手を握ってくれるおばあさんや、人生の大先輩として高校生活についてアドバイスをしてくださる方もいました。この出会いを通して私はたくさんの元気をもらうことができました。そして英和に入学して間もない私でも、おばあさんたちに少しでも元気を分けてあげることができたような気がしました。
初めての花の日で、たくさんのことを学び感じることができました。今年123周年を迎えた山梨英和が大切にしてきた花の日という行事をこれからも大切にしていきたいと思いました。あの日ずっと手を握ってくれたおばあさんの手のぬくもりと「来てくれてありがとう」と言ってくれた言葉を思い出すと、今でも心が熱くなります。今年の花の日は忘れられない大切な日となりました。(福田 都)

 

「いつもよろこんでいなさい。たえずいのりなさい。どんなことにもかんしゃしなさい。」
この言葉は先日花の日にお話ししてくださった田草川すみ江先生が卒園アルバムに書いてくださった聖句です。私は三年間山梨英和幼稚園に通いました。最初は泣きながらの登園でしたが、園長先生だった田草川先生や年少と年長の二年間お世話になった横川浩子先生の支えがあって、あの頃のことは今ではよい思い出となっています。
英和中三年の時の職場体験で、私は迷わず山梨英和幼稚園を希望しました。しかしその時は幼稚園教諭を目指していたわけではなく、自由保育を実践している英和幼稚園の先生方がどのようなことを心がけていたのかを知るためでした。あっという間の二日間の体験が終わる頃に、私は子どもたちと触れ合う仕事へのやりがいを感じるようになっていました。
そして、私自身の幼稚園時代を改めて振り返り、いつも笑顔で一人ひとりに声をかけ、心を配ってくださっていた田草川先生の存在が大きかったことに気がつきました。しかしそんな田草川先生が、見えない所でとても苦しい思いをされていたことを先日の記念礼拝で初めて知りました。そのたびに聖書を開き、教会でお祈りをされたのだと思います。大きな苦難を乗り越えられてきた田草川先生はまさに聖書の教えに沿って生きていらっしゃる方だと思います。
冒頭でお話しした聖句は私が英和中学に入学して再び聖書に出会ってから、事あるごとに私を励まし、支えてくれた御言葉です。そして、田草川先生その人を表している言葉であると思いました。今回、久しぶりに先生にお会いし、神様を通してこの聖句に、また幼い頃に出会った田草川先生に守られながら生きてきたことを実感しました。これからもこの聖句を心に留め、日々を歩んでいきたいと思います。(橘田 彩)

(お祈り)
ご在天の父なる神様、今朝は合同礼拝を皆と共に守れたことを感謝いたします。今日の礼拝で高校1年生が、「花の日」を通して感じたことをお話しさせていただきました。今年もたくさんの方々との新しい出会いを与えていただき、心から感謝いたします。来年の花の日も一人一人によき出会いがあり、大切に過ごすことができますようにお導きください。そして、これからも私たちが日常生活の中で隣人のことを考えて行くことができますようにお支えください。この祈りを尊き主イエス・キリストのお名前を通して御前におささげいたします。アーメン。

放送礼拝 バレーボール部

バレーボール部 ローマの信徒への手紙12章15節

 

私たち中学3年生は英和に入学して、初めて公式バレーボールを手に取った初心者4人と、スポーツ少年団に所属していた1人の計5人で、バレーボール部の活動が始まりました。

しかし2年生の終わり、ずっと頼りにしてきた経験者であり、キャプテンとしてチームを率いてきた仲間が転校することになりました。今まで一緒に笑ったり泣いたりしてきた仲間がいなくなる悲しみは簡単に立ち直れるようなものではありませんでした。

4人になった私達が3年生になると、中学最高学年として4人の後輩を支え、部をまとめる立場となりました。

そして先週末の6月15日には初心者の1年生も加えて、中学最後の総合体育大会を迎えました。それまでには、いままでに経験したことがないくらいの努力と苦しみがあり、朝早くの朝練から、夕方遅くまでの練習をしてきました。しかし本番では練習してきた事がなかなか発揮できず、ここ数年勝ったり負けたりを繰り返してきた学校に一歩およばず勝つことができませんでした。

しかし今までの練習や今回の試合で学んだことはたくさんあります。部活動を通し、多くのことを学んだ中でも、仲間は大切だということがあります。最初にも言った通り、わたしたちはキャプテンという大きな存在をなくしてしまいました。しかし、一学年下のたった一人の後輩が私達を支えていてくれ、頼りない私達を慕ってくれました。

試合では私達の何倍もの大きな声を出し、先輩のわたしたちにも気になったことは指摘してくれました。コートに入れば先輩も後輩も関係ありません。

また、五月に入部したばかりとは思えないほど元気な一年生。この4月に初めてボールをさわり、慣れないことばかりなのにコートにたつのは、とても大変だったと思います。それでも総体のためにきつい練習についてきて、当日はメンバーの一人という自覚を持ってプレーをしてくれました。このバレー部に入部してくれたこと、コートにたってくれたことを含め、4人の後輩には、感謝の気持ちでいっぱいです。共に頑張ってくれた後輩たちを二日目の決勝リーグに連れて行ってあげることが出来なくて、本当に悔しいです。

そして、三年間ともに汗を流した同級生。一緒に苦しんで、泣いて、ときにはケンカして、でも勝ったときには一緒に喜んで…。そんな仲間を持てて、わたしは幸せです。楽しい時間を共有する友達は毎日の生活の中でたくさん出来るけど、苦しいことを共に耐え乗り越えてゆく仲間はそんなに多くは出来ないと、顧問の先生に言われたことがあります。

今日読んだ箇所をもう一度読みます。

「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。」

バレー部の仲間は、わたしにとって誇りです。今まで喜びや悲しみを共有してきた仲間を大切にしたいと思います。

中学合同礼拝 中1メイプルスクール

中学合同礼拝 マルコによる福音書12章28~31節        2012.6.1

中学1年のメイプルスクールでは、山梨英和の歴史や、代々の先生方がどのような思いで学校を担ってきたかを知りました。またオーストラリアにある姉妹校、メントン・ガールズ・グラマースクールに通う中学1年生にあててイースターカードを作りました。夜にはろうそくの明かりを分かち合ってキャンドルサービスを捧げました。パン作り、カッテージチーズ作りも楽しい経験でした。以下は3人の感想です。

私たちは、イースターカードをメントンの人たちに書きました。そのカードを受け取った人が自分のパートナーとなるということなので、どんな人なのか、とても楽しみです。心のこもったイースターカードを作ることができました。また、イースターカードのデザインも一生けん命考えたので、メントンでカードを受け取った相手が喜んでくれたらいいなと思います。日本だけでなく、オーストラリアにも友だちができたので、うれしいです。(荻野李咲)

キャンドルサービスでは部屋に入って、ろうそくの光を先生から分けてもらい、全員のろうそくに光が灯ったとき、心が一つになりました。讃美歌もしっかり歌えて最後まで心をこめて歌えました。

聖アンデレ教会にも行きました。朝から雨でしたが、歩いていきました。教会を外から見て、正直教会らしくないと思いました。中に入ってみるとたくさんの十字架に石の壁がありました。すばらしい教会でしっかり祈ることができてよかったです。(石川 和)

スーパーなどでよく売っているチーズとバターを作るのは難しいというのが分かりました。特にバターはあんなにたくさんの牛乳から少ししかとれないことに驚きました。でもたくさんのものから少ししかとれない分だけ貴重だということも分かりました。一方チーズでは、たくさん塩をふってしまって少ししょっぱくなってしまったけれど、それなりにおいしかったです。一つ一つの食べ物が神様が与えてくれた物だと思って、大切に食べたいです。(小沢真未)

放送礼拝 バスケットボール部

放送礼拝   イザヤ書30章18~21節

バスケットボール部

 「人は出会いで変われる」。この言葉は高3修養会で講師にお招きした塩谷先生がおっしゃった言葉です。皆さんは出会い一つで何かが大きく変わったことはありますか。高1の6月、放課後のバスケ部の体育館を初めて訪れた日が私の学校生活を大きく変えてくれました。当時までの私は勉強もせず、部活に打ち込むこともせず、ただ流されるがままの学校生活を送ってきました。そんな私がなぜバスケ部に入ったのか、特に大きな理由があったわけではありませんでした。何に対しても無関心だった私に神様が道を与えて下さったのでしょうか。

しかし、高1の途中から入部した私にはとてつもなく大きな試練が待っていました。元々これといった運動をしたことがなかった私にとって毎日の練習は辛く苦しいものでした。足の痛みや突き指、かすり傷は日常茶飯事で、骨折をして手術をしたこともありました。さらに私以外の皆はどんどん体力をつけて技術も上達しているのに、素人の私はなかなか体力も技術も向上せず、一人足止めをされているような状態でした。私のせいで何度も練習が止まり、そのたびに先生や先輩に注意され、部員の皆にかけた迷惑は数え切れないほどありました。特に入部して二ヶ月ほど経って参加した河口湖での夏合宿は想像を絶するほど苦しいものでした。また、入部してまだ日の浅かったこともあり、皆は私を部の一員として認めていないのではないか、という不安もあり、あの三日間は本当に地獄のような三日間でした。何でこんなことをしているのだろう。やめてしまえば楽になるのに、と思ったことも何度もありました。それでもやめずにここまで来られたのは、何のとりえもない私を変えたいという思いと、神様が「これがあなたの行く道だ。右に行け。左に行け。」というお導きがあったからかもしれません。そして何より、苦しいことも嬉しいこともともに分かち合った部員の仲間がいたからこそだと思っています。

5月の高校総体ではスタメンではありませんでしたが、私もコートに出る機会が与えられました。皆に比べて体力も技術もまだまだな私はなかなかボールに絡めず、相手の動きに合わせるのに必死でした。しかし、チャンスは突然巡ってきました。ゴール下でボールを受けた私は無我夢中でシュートを打ちました。少し間があいてボールがリングをくぐり抜け、点が入ったと確信しました。それはバスケを始めてから初めての公式戦でのゴールでした。たった1本のゴールでしたが、今までの練習の辛さが報われたような気がしました。

先週の土曜日に行われたインターハイ予選で、私たち高3は引退となりました。他の部員がこれまでに決めてきたゴールは数え切れないほどです。私の決めたゴールは総体とインターハイ予選の一本ずつ。計2ゴールでした。インターハイ予選で決めたシュートはゴールに入るまでの0.何秒の間がとても長く感じました。ボールがアーチを描いてゴールに入った瞬間は今でもはっきり覚えています。とても自慢できるものではありませんが、このたった2回のゴールは私にとって英和のバスケ部員であるという何よりの証しになり、大きな財産になりました。

バスケ部での二年間は苦しいことの方が多かったかもしれませんが、私の英和での学校生活を大きく変えてくれました。ほんのちょっとした出会いでも、それは大きな試練への入り口かもしれません。しかし、それを乗り越えることができれば神様は必ず恵みを与えて下さいます。そして、自分をよい方向に変えて下さいます。これから生きていく中で新たな出会いや試練が待ち受けていることと思います。この二年間のことを励みにして歩んでいこうと思います。そして今まで以上に出会いと試練を大切にしていこうと考えています。