生徒,礼拝のひとコマ

10月2012

放送礼拝 中学宗教委員会

ローマの信徒への手紙6章4節~11節  中学宗教委員会

 

命の大切さを考えたことはありますか?

私はさだまさしさんの書いた「アントキノイノチ」という本を読んで、改めて命について、また命の大切さについて考えさせられました。主人公の杏平は友だちとのトラブルをきっかけに心の病気になり、高校を中退することになります。その友だちは松井と言って、弱いと見下した相手には高慢で冷たく、強いと思った相手には下手(したて)に出て、でも実は腹の中で相手の弱みをじっとうかがっているようなところがある人間でした。

杏平はその松井の黒い部分がとても嫌いでしたが、気が弱くて本人に注意することができませんでした。ところがある事件をきっかけに杏平の松井に対する思いが爆発してしまいます。二人は登山部に入っていて、ある時、山で二人きりになります。杏平は松井を山から滑落させてしまいたいと思います。けれども結局は手を差し出して松井を助けます。このことがきっかけで杏平の心は不安定になり、心の病気になってしまったのです。

その後、杏平は遺品整理会社に勤め、亡くなった方の命と関わっていく仕事をするようになります。その中で高校時代の同級生雪ちゃんと再会し、雪ちゃんの過去を知ることになります。雪ちゃんは高校時代、杏平のことが好きだったのですが、そのために心も体も傷つくつらい経験をしてしまいます。でもそのことを杏平に明るく話してくれたのでした。

自分よりもつらい経験をした雪ちゃんの話を聞いていて、杏平は自分のせいで雪ちゃんを傷つけてしまったことに気づきます。杏平は、自分の環境や感情にいらだつばかりで、ある意味何もかも松井のせいにして自分の壊れた心の中に逃げ込んでいただけなのかもしれないと、思い始めます。そして雪ちゃんの受けた深く重い傷に比べたら、自分の傷なんて恥ずかしいほど小さな小さな傷ではないかと考えます。

私はこれを読んで、杏平の傷も、本人にとっては本当に大きなものだったと思うので、傷の大きさは比べられないものではないかと思いました。けれども雪ちゃんの話を聞いて杏平の心がほぐれていったことが心に残りました。

また雪ちゃんが「いのちって凄い、生きてるだけで凄い」と言うところがあります。「ずっと生きてないと老人になれないから、老人って本当に凄いと思う。たくさんの苦労をして生きてきたってだけで老人は尊い。」

私も生きてきた中で苦しいことがたくさんありました。今もあります。多分誰でもあると思います。けれども「生きている、生きていく。ずっと苦しくても、生きていくことだけで凄い」という雪ちゃんの言葉を本当にそうだと思いました。

ここで、今日の聖書の箇所を振り返りたいと思います。4節に「わたしたちは洗礼によってキリストと共に葬られ、その死にあずかるものとなりました。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中から復活させられたように、わたしたちも新しい命に生きるためなのです」とあります。私は「キリストと共に死に、復活の新しい命に生きる」というところが印象に残りました。イエス様は私たちの苦しみや悲しみを背負ってくださいます。私たちも苦しい中で傷を背負いながら、他の人と支え合って生きていきたいと思いました。

お祈り

神様、今日も新しい一日を与えてくださってありがとうございます。
こうして礼拝ができたことに感謝します。
今日は命の大切さについてお話ししました。
苦しみの中でもみんなで支え合いながら、生きていけますように。
この祈りをとうとき主イエス・キリストの御名によって御前におささげいたします。アーメン。

放送礼拝 中学生徒会

放送礼拝 中学校生徒会  詩編 133編 1節

 

みなんさんは、「結婚」と言う言葉を聞いてどんな気持ちになりますか?私は、幸せなイメージをします。しかし、発展途上国の少女たちにとって「結婚」というのは決して幸せに結びつくことではないと先日知りました。

貧しい国では、男の子ではなく女の子が生まれるとあまり喜ばれることはありません。なぜなら、女の子は大きくなっても労働力があまりないからです。そのため、学校へ通わせてもらえず学力が低いです。だから、生きていくためには結婚して養ってもらうしかないのです。しかし、結婚が決まっても少女たちは「結婚したくない。結婚が決まってからは、家も出たくない。」と言います。それは、早すぎる結婚が原因です。発展途上国の少女たちは私たちと同じような13歳や15歳で結婚させられ、子供を産まなければなりません。しかし、まだ成長途中の女の子だと出産するときに身体に、ものすごく負担がかかります。また、お医者さんや役備が不十分なため母親もせっかく生まれてきた子供も亡くなってしまう可能性が高いそうです。そして、知識がないためエイズという重い病気になる可能性もとても高いそうです。そのため、彼女たち女性は結婚を幸せと感じるのではなく恐怖だと感じてしまうのです。

世の中には、学校へ行って勉強したくてもできない女の子が沢山います。しかし、私たちはこうして学校へ来て勉強することが出来ています。時には、日頃の感謝の気持ちを忘れて「学校へ行きたくない。勉強したくない。」と思ってしまうこともありますが、私たちは日頃の感謝を本当は決して忘れてはいけません。だから、毎日の礼拝を通して感謝の気持ちを忘れないでほしいです。

放送礼拝 選挙管理委員会

放送礼拝 選挙管理委員会 フィリピの信徒への手紙 2章1節~5節

人は互いに支えあって生きていくものです。誰でも一人の力だけでは生きていくことはできません。そのためには相手の気持ちをよく考え、その人の身になって行動する「思いやり」の心が大切だと思います。

先日、私が電車に乗った時、3才くらいの小さな男の子と両手いっぱいに荷物を持った母親が乗車してきました。その母親は、一人分だけ空いていた席に、疲れた顔をした男の子を座らせましたが、しばらくすると男の子は泣き始めてしまいました。静かな車内で泣く子に対し、母親は周囲の目を気にしながらあやしていましたが、立っていたために子供をあやすのが大変そうでした。その時、隣の席に座っていた大学生くらいの男性が、それを見てその母親に席を譲り、他の車両に移動しました。その男性は、その母親に気を使わせないために移動したのだと思います。私はその男性の行為を見て、とても勇気のある行為だと思いましたし、また、温かい気持ちになりました。人は時として自分の利益ばかり考えがちですが、思いやりのある行動はその人だけではなく、周りの人にも温かい気持ちを与えてくれると思います。もし、私がその立場になったら、知らない人と話すことの恥ずかしさや迷いもでて、この男性と同じような行動が自然ととれるか、少し不安があります。

今日の聖書の言葉は、思いやりの気持ちを持って、人との交わりを作ることの大切さを言っています。自分の利益を求め、自分勝手に行動しては、交わりは作れません。また、自分の考えを押し付けたり、他人に無関心であってもいけないと思います。自らが謙虚になって、相手の姿を認めていくことが必要ではないでしょうか。そうすることによって、自然と人との交わりが増え、互いに思いやれる関係を作ることをイエス様は望んでいるのだと私は思います。

私達は、毎日学校生活や日常生活を送る上で多くの人たちと関わりながら生活をしています。先日行われた生徒会役員選挙で私たちは、新しい生徒会役員を選びました。しかし、役員を選んだだけで私達が「思いやり」の心を忘れてしまえば学校生活はぎすぎすしたものになってしまうでしょう。私は常に「思いやり」の気持ちを忘れずに、相手の立場になって行動していきたいです。

 

お祈り

神様、今日も皆と共に礼拝をもって、一日を始められたことに感謝します。今日は「思いやり」について考えてみました。一人ひとりが思いやりの気持ちを持って互いに接することができるようにお導き下さい。この祈り尊き主イエス・キリストの御名前によって御前に御捧げします。 アーメン

放送礼拝 保健委員会

コロサイの信徒への手紙 3章 12節~13節 保健委員会

今年の夏休み、ちょうどオリンピックが開催されていた時、広島と長崎の平和祈念式典に、いつもと違う歴史的な一歩があったことをみなさんは知っていますか。1945年、今から67年前に広島と長崎に原爆の投下を命じた当時のアメリカ大統領トルーマン大統領の孫である、ダニエルさんがこの記念式典に始めて参列しました。ダニエルさんは式典の数日前から広島や長崎を訪れ、平和宣言や被爆者の訴えに耳を傾けました。

私自身、高校1年生の修学旅行で長崎に訪れた時、被爆した人と平和公園の周りを歩き、その公園の近くにある小学校のたくさんの桜を見ました。この桜を見ながら、ただきれいだと思っていた私ですが被爆された方がこの桜は被爆して亡くなった小学生の娘が桜が好きで、子供の事またこの悲惨さを忘れないためにたくさんの桜を植えたというお話を思い出しました。

後に、ダニエルさんはインタビューの中で、心が破れるような思いをしたが、罵りを受けるどころか、会って話を聞いた方々が、アメリカに持ち帰って語り継ぐこと許してくれたことに感銘したと語っています。

さて、このダニエルさんが日本に訪れることになったきっかけはなんだったのでしょうか。それは、原爆の子の像のモデルとなった少女「佐々木サダコさん」の兄、佐々木雅弘さんとの出会いが大きかったと言えます。佐々木雅弘さんは2010年5月、ニューヨークでダニエルさんとお会いし、お話をする機会がありました。佐々木さんはこの出会いを意義深いものだったと表現しています。このときダニエルさんが、「祖父が起こした事実に触れた時、その罪に苛立ち、すごく荒れた日々を過ごしていた。広島や長崎に行きたいけれども、きっとすごい仕打ちを受けるだろうと思っていた。」と佐々木に話したそうです。佐々木さんはその言葉を受け、「次代を担う子供たちに、私たちが過去の恨みを捨ててするべきことは、争いのない美しい地球を残すために何ができるかをしっかりと話し合うことです。思いやりの心を持って、その心をできるだけ多くの方に伝え、つなげることだけです。」と言い、ダニエルさんもこの言葉に同意し、共通の認識を持ち、平和祈念式典への参列を実現させたのです。また、次代を担う若者に佐々木さんは「平和をつくる場合において、今、社会問題であるいじめを1つ取っても身近な平和なくして大きな平和につながらないのである。大切なことは、まず自分の周りの小さな平和からだ」と伝えてくれています。

英和に入学後、私自身も平和について考える時が多くあります。佐々木さんのメッセージは、身近な平和の大切さを感じることができました。

今日の聖書の箇所は、私たちは神に選ばれているのだから、責めたくなってしまい、赦せないことがあっても、お互いも認め合い赦し合うことについて学びました。神様が私たちを赦して下さったように私たちもお互いを赦し合える心も持っているように生活しましょう。

 

お祈りします。神様、今日も新しい朝をありがとうございます。最近は寒くなり体調を崩す人も増えてきました。みなの体をお守りください。この祈り、尊き主イエスキリストの名によって御前にお捧げします。アーメン

放送礼拝 新体操部

詩編126編5~6節  新体操部

 

みなさんは今年のオリンピックで新体操を見ましたか? 日本代表のフェアリージャパンは、団体で8位入賞を果たし、注目を集めました。しかし、この結果に至るまでには多くの隠された苦悩や努力があったのです。

今年のオリンピックでは、前回の北京大会と同じく団体だけが出場しました。北京では予選で敗退、悔し涙を流したフェアリージャパンは、その後強化合宿の本拠地をロシアに移して、着実に進化してきました。そしてとうとう2011年の世界選手権大会で5位入賞、五輪出場枠を獲得しました。

団体に特化した合宿が実を結んだのか、と思われた矢先の出来事でした。5月のワールドカップ、ブルガリア大会では、主力の遠藤由華選手が演技中に大腿部骨折するアクシデントが起きました。新体操はケガや危険と隣り合わせのスポーツです。遠藤選手は後方ブリッジの転回直後に立ち上がることができず演技を中断、病院に搬送されたのでした。

急なメンバーチェンジは団体戦にとって大きな負担となります。しかし、フェアリージャパンは決してあきらめませんでした。補欠のメンバーを加え、新たにチームを組んで本番にのぞみました。その日は夏休みで私は祖父母の家でいとこみんなと観戦しました。前半にある難しい連携もクリアし、手具の交換もほぼパーフェクトに決めた日本は見事8位入賞を果たしたのでした。その時私は喜びと安堵で満たされ、私も頑張ろうと勇気をもらいました。

また、私たち新体操部も今年の6月30日に県選手権大会に出場しました。高校3年生の先輩達にとっては最後の団体での出場となり、この日のために毎朝、朝練をし、放課後も練習を重ねてきました。練習はつらいし、苦しいし、心が折れそうになることも何度もありましたが、本番では今までの試合の中で一番いい一本ができました。

今日の聖書の箇所は、「涙と共に種を蒔く人は 喜びの歌と共に刈り入れる。種の袋を背負い、泣きながら出て行った人は 束ねた穂を背負い 喜びの歌をうたいながら帰ってくる」です。どんなに苦しくても、どんな障害があっても努力と忍耐を重ねていけば絶対に実を結びます。このことは新体操だけに限らず、他のすべてのことにも言えます。

私たちが新体操を通して学んだこのことは、かけがえのない宝物です。もし、今何かを達成しようと頑張っている人がいたら、喜びの歌と共にその目標が達成できるように祈っています。