生徒,礼拝のひとコマ

12月2012

中学・高校合同礼拝 ラオス研修報告

ラオス研修報告 ルカによる福音書10章30~37節  高校2年 金子 杏 権守志帆子

小学校について

私たちはナヤワイ村にある、ナヤワイ小学校という小学校に行きました。

ナヤワイ小学校には一年生から五年生、合わせて97人の生徒がいます。どの生徒も明るく活発で、学ぶことが楽しいという思いがこちらにも伝わってきました。しかし、様々な問題があります。まずは、先生の数が足りないこと。生徒97人に対して、先生は7人しかいません。これでは一学年に一人の先生がつくというのが限界で、全ての教科を一人の先生が教えなければいけません。一年生はまだまだ遊びたいという気持ちが強く、静かにさせるのも一苦労だと思います。また、設備の問題もあります。この学校には、私たちの学校にあるようなひとり一つずつの机やいすはありません。長椅子や長机に2~3人ずつが座って授業を受けます。また、その椅子も釘が抜けていたり、緩んでいたりしてぐらぐらしたり、大きい凹みやかけている部分があったりします。そのため、私たちが修繕する場面もありました。また、いくら机やいすをまっすぐにしても、床がでこぼこしていたので安定しませんでした。教室の中には電気が無く、窓からの明かりだけで勉強しなければいけません。しかし、そんな環境の中でも多くの子供たちが元気に学校に来て、友達と会って遊んだり、勉強するのを楽しみにしているようです。みんなとても純粋で、私たちが考えさせられました。

ここからは、私たちが学校に行った時、子供たちがどんな様子だったかを紹介します。まず、私たちが最初に着いた時、全校生徒が列になって、「サバイディー」(こんにちは)という挨拶とともに、お花を渡してくれました。日本の国旗を持っていてくれたのにも感動しました。最初の授業見学や折り紙体験は少し緊張していたようですが、お昼休みに日本から持っていった風船やシャボン玉、縄跳びなどを渡すと本当に喜んでくれ、楽しそうに遊んでいました。日本から持って行ったものすべてに興味を示し、みんなは特にカメラがお気に入りの様でした。私たちが写真を撮っていると、貸してと必ず言ってきます。操作もすぐ覚え、楽しそうに写真を撮っていました。カメラを返すときに「ありがとう」と深くお礼をするのもラオスの子供たちのいいところです。また、飴などを配ると本当に喜んでくれ、これが日本の小学生だったらこんなに喜んでくれるのかな、と考えてしまいました。ラオスの子供たちは、一度打ち解けると言葉が通じなくてもとても仲良くしてくれます。外国の人たちが珍しかったのか、私たちにちょっかいをかけて追いかけさせたり、逆に私たちを追いかけたりと、授業以外はずっと追いかけっこをしている感じでした。普段そんなに走らないため、全身筋肉痛になってつらかったです。子供たちとは本当に仲良くなれたので、たった三日間でしたが、別れるときは悲しかったです。私たちも子供たちも号泣してしまいました。とても素直でいい子たちだったし、中学・高校、ましてや大学に進めるかわからない状況の中で、真剣に、また、楽しそうに勉強する子供たちの目が、忘れられません。本当にたくさんのことを教えてくれ、考えさせてくれた三日間でした。

 

奨学生について 

今回2人の奨学生のお宅を訪問させていただきました。ベン・ワンナロンちゃんとチャン・ブアワンちゃんという、どちらも小学4年生の女の子の家です。
ベン・ワンナロンちゃんは4人兄弟で、両親ともに農業をやっていますが、農地を所有していないため、土地を持っている人の農業を手伝っているそうです。ベン・ワンナロンちゃんの家は最近リフォームしたため、比較的広くきれいで風通しがよい家でした。また小型扇風機があり、涼しかったです。
もう一人のチャン・ブアワンちゃんは6人兄弟です。お父さんは出稼ぎに行っているので、お母さんも農業をして生計を立てているそうです。チャン・ブアワンちゃんの家は7人が暮らすには少し狭い家でしたまた、家具も質素なものでした。経済的に大変厳しい生活をしているのです。また、チャン・ブアワンちゃんは非常に成績が優秀ですが、長女なので家事の手伝いなどお母さんを助けなければいけません。そのため、小学校を卒業しても中学には進学しない予定だそうです。環境さえ整っていれば、持っている力を十分に発揮できる子がいるのです。しかし、家庭の事情で発揮できなくなってしまうことを目の当たりにした私はとても衝撃を受けました。
二人とも「ダルニー募金」のお蔭で、学校に行くことができ大好きな勉強ができることにとても感謝していました。二人の話を聞いて改めて、私たちが毎日学校に行って勉強ができることはとても幸せで感謝すべきことなのだと強く感じました。私たちがウオーカソンを通して捧げた募金が、このように生かされていることをこの目で見て、この耳で聞いて、逆に学ぶことの意味や当たり前に過ぎていく日常生活への感謝を実感することができました。このようなチャンスを与えていただいたことに感謝します。ありがとうございました。

村について

9月2日から8日までラオス研修に参加してきました。今回、訪れたのはラオスの中部に位置するカムムアン県のナヤワイ村という村でした。ナヤワイ村は人口650人の村で、80~90%の人が農家をしています。村人の平均年収は日本円でおよそ54,000円ほどです。収入の大半は手工業や家畜の販売から得ているそうです。そのため、村では女性たちが集まって、伝統工芸品の籠を竹や木のつるで手作りしている様子を見ることができました。また、家の庭などあちらこちらに家畜がいました。ほかに印象に残ったことは、仏教が国教として尊敬を集めているということでした。そのために、ラオスでは1つの村に必ず一つ寺があり、寺の建物や様子を見れば村の豊かさがわかる、と言われています。それほど、寺と人々の生活は経済的にも精神的にも密着しているということです。写真にある私たちが訪れたナヤワイ村のお寺は、立派なほうだそうです。

まとめ

私は、このラオス研修に「ラオスの子供たちを救ってあげたい」という思いで申し込みました。「ラオスの子供たちにあれをしてあげたい、これもしてあげたい、私たちが救ってあげなきゃ」と思っていたのです。実際、ラオスに行って色々な支援をしたり、日本からのプレゼントを持っていったりと「何かをしてあげる」ことはしました。しかし、ラオスでいろいろな経験、子供と関わったり奨学生の家を訪問したりして、私の考えは間違っていたことに気づかされました。「私たちが何かをしてあげる」という考えでは、本当の国際協力、国際貢献にはなりません。いくら支援をしたところで、ラオスの子供たちの為にも、私たちの為にもならないと思います。「ラオスの子供たちと一緒に私たちも成長し、少しでもラオスの学校がよくなるように私たちが協力する」これは、私がラオスに人たちから学んだ考え方です。この考え方によって支援をする人が増えれば、もっともっとラオスは良くなっていくはずです。また、私は「ラオスの子供たちを支援したい」という考えで申し込みましたが、今回私がラオスに行ったことによって、ラオスの子供たちの現状が何か変わったわけではありません。ナヤワイ小学校、ナヤワイ村、カムアン県の他にも、たくさんの地域で、たくさんの人たちが貧困に苦しんでいます。ですが、私はその人たちを支援するどころか、会えてもいません。しかし、今回私たちが訪問して、学校に校長先生や、教育委員会の方と意見交換をしたことにより、少しでもラオスの教育が良いものになったり、こうして皆さんに発表することによって、この中の誰か一人でもラオスに興味を持ってくれたり、その延長で少しでもラオスへの支援の輪が広がっていけば、今回私がラオスに行ったことが意味あることになるのです。そして、それがラオスの子供たちを本当の意味で支援することになるのです。

私は、中学に行けるかわからないという状況でも明るく、希望に満ち溢れた子供たちの目が、輝いていた笑顔が忘れられません。その笑顔をなくさないために、これからもラオスへの支援を続けていき、また、ほかの国にも目を向けていきたいです。皆さんにも、是非ラオスへ実際に行ってもらい、ラオスへの支援について考えてもらえたら幸いです。

私は、今回他ラオスへ行ったことにより、日本で国際貢献について勉強するだけではわからない、本当にたくさんの事が学べました。このような機会を与えて下さった先生方、家族、応援してくれた友達、一緒に行ってくださった久木元先生やツアーの方々、そして権守さん、本当にありがとうございました。また、つたない話でしたが、このような発表の場を設けて頂き、ありがとうございました。以上で発表を終わります。

放送礼拝 華道同好会

放送礼拝 華道同好会 ヨハネによる福音書 13章 14~15節

 

華道はただ花を適当に切って挿すのではなく、その流派の形式に沿って花をより美しく見せることです。私は華道を始めて5年目になりますが、よく続けてこられたなと思っています。入部して数年は自分の好きなように花を生けさせてもらえず、私の作品というより先生の作品でした。私が手をつけたところはほとんど直されてしまうため、物を作り出す楽しい気持ちも感じられませんでした。

高校生になってしばらくすると、自分で生けてみなさいと言われました。その時、先生の姿を見ることしかできなかった数年のありがたみが分かりました。何もない器を前に作品を作るには基本がなっていないと工夫もできません。花の道を学ぶためには流派ごとに確立された基本の形式を身に着けなければなりません。基本があるからこそ、今年60周年を迎えた遠州古流の伝統を継ぎ、工夫した作品を作り上げることができます。

学ぶという言葉は人の動作をまねることに由来しています。技術を習得したり、好きなようにアレンジしたいのならまずは人の良い所を手本にして始めましょう。基本を大切にするから基準が身につき、オリジナルの美しい作品が出来上がります。

今日の箇所でイエス様は自ら弟子の足を洗い、その姿を互いに仕えあう模範として示されました。互いに仕えあいなさいというメッセージは互いに愛し合いなさいにも置き換えられます。華道同好会の愛は毎週きれいなお花を生け、学校を華やかに飾り、癒しを与えることだと思っています。イエス様の姿をまねて、自分には何ができるかを考え、あなたの愛を示してみてください。きっとそれが新しい道を開く鍵となるでしょう。

 

神様 今日も礼拝から一日を始められたことに感謝します。今日はイエス様から互いに仕え合うひたむきな姿とそこから学べることについてお話ししました。私たちが日々の生活の中でイエス様の行いを自分の行いに取り入れることができるように導いてください。この祈りを尊き主イエス・キリストの御名によって御前にお捧げいたします。アーメン。

放送礼拝 環境委員会

放送礼拝  ローマの信徒への手紙8章19~25節 環境委員会

 

希望・待ち望むと聞いて皆さんはどのようなイメージをもちますか?おそらく、多くの人が明るい印象を受けたのではないでしょうか。人間は悲しい事よりも楽しい事を好み、誰でも幸福でいることを願っています。先日、「47都道府県の幸福度に関する調査」が大学院の研究で行われ、福井県が一位に輝きました。犯罪や事故が少なく安心して暮らすことのできる県と評価されていると同時に人口の少ないことから幸福は必ずしもお金や住む場所とは関係せず「考え方・行動」で幸せと感じることができるとまとめられていました。幸福度といえば、昨年ブータンの国王が来日して話題になりました。ブータン王国の国民は95%が「自分が幸せ」と感じていて、身近な人との関係を大切にする文化からお金ではなく人間関係や家族との調和が何よりも大事であると考えています。この考え方は国の政策の基となっているので誰かが教えたものでもありません。国家の式典で用意された正座に着かず、国民主に子どもと一緒に座り触れ合っている若い国王の姿が報道されているのを見て私は感動しました。それでは、皆が幸福と感じられるための条件とは何なのでしょうか。そのブータンと福井県にはさまざまな共通点があります。伝統文化を再びよみがえらせようと努力していること、自然環境保全に努めていることが挙げられます。日本の幸福度順位の2位以降は富山・石川とあまり都会ではない県が続いています。その結果から分かることは自然は人を幸せにする力があるということです。なので、聖書にあるように私達は希望を忍耐して待ち望んでいるのです。環境問題とキリスト教は直接的ではないですが結びついているわけです。例えばアメリカではGreen Bible直訳すると緑の聖書というものが発行されています。英語の聖書はイエス様が語られている箇所は赤字で書かれていますが、その緑の聖書は再生紙で作られていて内装も自然について書かれた箇所は全て緑色で印刷されています。創世記の1章で「神は被造物に対して我々がしたいことをする権利を与えてくださった」と解釈できる箇所がありますが、神は決して支配権を私たちに与えたのではなく、管理する権利を神様の似姿に形造られた人間に任せたのです。神様は、人間は神の被造物である自然界を大切にする責任があると聖書を通してメッセージを伝えてくださっています。自然は我々の専有物だ、などとは思い上がってはいけません。神の被造物である自然と共存できる世界を造っていきましょう。