生徒,礼拝のひとコマ

6月2013

放送礼拝 バレーボール部

放送礼拝 コリントの信徒への手紙一 1章4節

6月14日、金曜日に甲府市の中学校総合体育大会がありました。中学校生活最後の試合だったので、私には特別な思いがありました。それは、今までお世話になってきた先生や先輩に、この試合を通して感謝の気持ちを伝えたかったからです。

総体までの練習は、サーブやサーブカットを中心にやりました。皆がどんどん上達していく中で、私はサーブがうまくできず苦しみました。キャプテンでありながら手本になれない自分から何度も逃げ出したくなりました。

ある日の練習試合で、私はやっと自分の駄目なところを見つめ直すことができました。試合中、私は自分がミスをすると、自分を悪い方へ追い込み、周りが見えなくなってしまいます。コートの中心にいる私は、本来ならすばやく気持ちを切り替えて声を出さなければならないのに、それが全くできませんでした。それで、チームの雰囲気もどんどん悪くなってしまいました。

それに気づいたとき、私はバレーの選手として、またチームのメンバーとしてとても悔しかったです。私次第でチームがどんどん良くなって行けたかもしれないのに、悪い空気を出していた自分がとても情けなく、皆に申し訳なく感じました。その試合の経験を生かし、本番の総体では良い成績をおさめたいと強く思いました。

その思いで、総体までの練習をがんばりました。なかなかできないサーブも丁寧に教わりました。そしてとうとう、14日の総体を迎えました。練習が無駄にならないように、一つ一つ丁寧にプレーをしようと心がけました。ですが最初の2試合は調子が上がりませんでした。でも、今の2年生が私に、「一勝でもプレゼントしたい」と聞いたとき、私があきらめたら駄目だと分かりました。最後の試合を迎えた時、6人皆の気持ちは「勝ちたい」の一つになっていたと思います。結果は、負けてしまいましたが、ボールを皆でひろい、得点につなげられました。

私が一人でバレー部に入ったときから、先輩は今までずっと、そばで支えてきてくれました。自分たちの試合でないにも関わらず、私たちのために練習に付き合ってくれました。また、先生方も私たちのためにたくさんの練習メニューを考えてくれました。そんな先生、先輩方にいい結果を伝えたかったです。でも、最後までめげずに戦ったことは、胸を張って報告できます。

今まで一緒にコートに立って戦ってきた仲間には本当に感謝しています。もう、私はこのメンバーで試合をすることはできないけど、1、2年生には、この悔しさを次の試合でぶつけてほしいです。

私自身は、中学での部活動を終えました。2年半、バレーボールを続けてきて、始めは一人だったので、やめたくなるときもありました。しかし、続けてきたから、技術も仲間の大切さも知ることができました。このバレー部に出会えたこと、このバレー部の仲間に出会えたことに感謝します。

 

中学・高校合同礼拝 高3修養会報告

箴言2章1~5節  高3修養会の報告

私たち高校3年生は4月19・20日に高3修養会を行いました。富士河口湖の自然に囲まれた環境で、自分たちで決めたテーマ『いつ進むのか?今でしょ!』の下、過去、現在、未来の世界や自分自身を見つめ直すことができました。

2日間の主なプログラムとしては、講師の先生を招いた講演、キャンドルサービス、友人との話し合いを行う分団の3つでしたが、個人的に一番印象に残っているのは講演でのお話でした。講師は写真家、ノンフィクション作家の桃井先生という方で、戦争や人間の過去の過ちから私たち一人ひとりのあり方についてお話を聞くことができました。

「誰かが豊かになるために誰かが犠牲となった。」先生のこの言葉を聞いたとき、私は人間の罪深さを感じました。人間は長い年月を経て、言葉や文明、高度な社会を作り上げました。しかしその陰では元々あった自然や平和な世界を失っていました。1つのものを手に入れると次の物が欲しくなり、気付かないうちに大切なものを見失う。これが人間の弱さなのだと思いました。高い頭脳を手にした人間が果たすべき使命は、世界を支配することではなく、生きて命のあるもの全てとの「助け、助けられる関係」を構築し、世界を循環させることです。神様が人類に与えられた知識という賜物を、欲を満たすために使うのではなく、自分以外の命のために利用することが大切なのだと思います。

1日目の夜に行われたキャンドルサービスでは4人の人の証を聞きました。それぞれに辛い過去がありそれを乗り越えてきた、そんな話を聞いていると自分がとてもちっぽけなものに思え、自然と涙が溢れてきました。今苦しみの中にある人や、これから先困難に立ち向かうこととなる人もいると思います。しかし、神様は乗り越えられない壁は与えません。そして、その壁を乗り越えたときに、きっと人は以前の何倍も成長し、強くなっているはずです。どんなに辛いことや苦しいことがあっても神様を信じ、その先にある希望をあきらめてはいけないということを改めて感じました。

2日目の分団ではグループごと自由に話し合いをし、普段言葉を交わすことのない人とも意見交換をすることができました。また、グループごとにまとめの発表をしたことで同じテーマでも違った意見や考え方を聞くことができ、とても新鮮だったと思います。

世界には私たちのように安全に過ごし、学校にも通える子供もいる一方、戦争や飢餓によって明日の命さえ保障されない子供もいます。神様から恵まれた環境を与えられた私たちには、これからの時代をどのような世界にしてゆくかを考える義務があります。戦争や自然破壊で大切なものを失うのか、神様から与えられた自然を守るために知恵を使うのか。誰かがやってくれる、いつか良くなるだろう、ではなく、今、私たち自身が世界の問題に向き合わなくてはいけないと思います。無意味に思える事でも学ぶ機会を与えられたことに感謝し、いつか何かの役に立つと信じて、これからの生活を送りたいと思いました。

放送礼拝 バスケットボール部

マタイによる福音書7章13~14節

つい先日、私はインターハイ予選という試合に出場しました。その試合は私たち高校三年生の引退試合でもありました。私はその試合を通してバスケットボールの楽しさを改めて感じ、また部長としての大きな役目を果たした達成感でいっぱいになりました。 そんな私がバスケットボール部に入ったのは五年前、中学二年生のときでした。何も夢中になることが無く、ただ時が流れているだけのような毎日を送っていた私は些細なきっかけで初めて体育局の見学に行きました。幼い頃から体が弱く持病があったので、その時はまだはっきりと入部するというつもりは無かったのですが同級生、家族からのすすめもあり、少し不安を残したまま入部しました。

バスケ部に入ったばかりの頃はフットワークや筋トレなどやったことが無い練習メニューに戸惑い、体力面、精神面共にとても辛かったです。しかし、試合で勝てたことはもちろん、シュートがはじめて入った時や先輩方から上手になったと褒められた時など日々の練習のつらさを忘れてしまうほどうれしい瞬間もたくさんありました。私は辛い練習だからこそ得られるものが大きいと考えるようになり、どんなに大変なメニューでも楽しくプレーすることが出来るようになりました。神様から与えられた試練や苦しみには必ず意味がある。そう信じるからこそどんなに辛いことでもやり遂げてこられたのだと思います。

また、この前の高校総体では高校一年生の方々が応援に来てくださり、部員一同、本当に励まされました。たとえどんなに小さな応援であっても、支えてくれる人がいると知るだけで強くなれる。その試合を通し、応援の大切さを改めて感じました。

私は去年、先生から部長に選ばれ、責任ある役を引き継ぎました。その時は純粋に信頼されていることがうれしく、選ばれたからには必死にやり遂げたいと思っていました。しかし、部長になり、私は多くの壁にぶつかりました。様々な個性のある部員をひとつにまとめ、やる気、技術が身につくような練習メニューを考えることがどれほど難しく大変なことであるかを知りました。

そのような日々が続いていくうちにいつしか過去の部長や先輩方と今の自分を比べるようになり自分の心の弱さ、技術の低さ、練習メニューの構成力のなさなど自分の無力さを痛いほど感じるようになりました。しかし、試合や練習を通して自分を信頼しついてきてくれる部員の存在に気づきました。

そして、引退した今途中から入りあまり上手ではない自分が部長に選ばれたのは神様が与えてくれた自分の肉体、精神が大きく成長するための試練だったのではないかと思います。確かに辛いことはたくさんありましたが、最後まで部長という役目をやり遂げたことでかけがえのないものを手に入れました。そんな二度と経験できないような貴重なチャンスを与えてくださったこと、また、自分について来てくれた仲間たち、先生方や支えてくれた多くの方々に本当に感謝しています。

皆さんの中には新しいことを始めようとしている人や今続けていることがつらく、投げ出してしまいたいと思っている人もいると思います。しかし、今回の聖書の箇所にあるように正しい道へと導かれる門は狭くなっているのです。つまり、一歩踏み出し始める勇気とどんなに苦しくても歯を食いしばり、続けることこそが大切であると教えてくれているのだと思います何かを最後までやり遂げることで得るものは必ずあるはずです。皆さんも勇気を持って一歩踏み出してみてください。