生徒,礼拝のひとコマ

12月2013

放送礼拝 環境委員会

マタイによる福音書6章28-30節        環境委員会

 

みなさんは、第1体育館東側の空き地に、ヒメイワダレソウという植物が植えられていることを知っていますか? 和室の窓から見える、松やキンモクセイが植えられている空き地の地面に、50センチ四方くらいの、雑草のような草が生えているのです。これは、ヒメイワダレソウという植物で、今年の4月に、私たち環境委員会で植えたものです。この、ヒメイワダレソウという植物は、南アメリカ原産の植物で、芝生のように地面の表面に広がって繁殖します。この植物は、暑さや寒さ、乾燥に強く、成長も速いため、砂漠を緑化する役割も期待されているそうです。今年は、植えたばかりだったので、花はあまり見られませんでしたが、夏になると、白くて小さな花がたくさん咲くということです。でも、実際に植えられているヒメイワダレソウを見ると、あまりにも地味なために、単なる雑草としか思えません。花が咲いたり、私たちの役に立つという実感を持つことがなかなかできないのです。

また、環境委員会では、5月に乙女花壇の草むしりをしました。これには、雑草を除去するという目的の他に、ネジバナという植物を観察するという目的もありました。ネジバナはラン科の植物ですが、大きい植物ではなく、10センチくらいの高さの茎に、小さな花がらせん状に巻きついて咲きます。御園生先生がお作りになった説明の札が乙女花壇に展示されているのを見た人もいるのではないでしょうか? このネジバナも、うっかりすると雑草と見まちがえてしまうような地味な植物です。それでも、夏になると、小さくて可憐な花を咲かせてくれます。

今日の聖書の箇所の30節には、「今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる。」と書いてあります。雑草のような、地味な植物であっても、神様はそれぞれに役割をお与えになって、綺麗な花を咲かせてくれたり、人間の生活に役立つ働きをさせてくださいます。私たち環境委員は、ヒメイワダレソウを植えたり、草むしりをしたりするという活動を通じて、神様が作ってくださった自然の神秘に、ほんの少しだけ触れるという貴重な体験をすることができました。これからも、環境委員会の活動を通して、いろいろな自然の神秘に触れていきたいと願っています。

そして最後に、来年の夏、第1体育館東の空き地や、乙女花壇をぜひ注意して見てください。きっとそこには、ヒメイワダレソウやネジバナの花が咲いているはずです。

ACEFスタディツアー報告礼拝

創世記2章18節 バングラデシュ・スタディツアー報告

私は今年の夏休みにアジアキリスト教 教育基金ACEF STUDY TOURに参加し、2週間バングラデシュで過ごしました。皆さんはバングラデシュと聞いてどのような印象を持っていますか?最近ではデモが盛んに行われており、ニュースなどでもよく挙げられているため、政治不和や危険など、あまりいいイメージを持たないかもしれません。しかし私が実際に見たバングラデシュは日本で報道されているニュースとは裏腹に、とても自然豊かな場所で、気さくな人が多く、本当に素敵な国でした。

さて私が空港に着いてまず驚いたことは人の多さでした。この写真を見てもわかるように道には人が途切れることなくいて、歩くのがやっと という感じでした。車も常に渋滞していてクラクションが飛び交っている状態でした。

そんな中、私は車とフェリーに乗って、首都のダッカから8時間ほど離れたところにあるカティラという小さな村に行きました。ここは首都とは比べ物にならないほど 人々の生活は貧しく、とても驚きました。発展しているのは首都やその周辺地域だけで、少し離れたところにある村はとても貧しい生活をしていたのが現状でした。

私は2週間のほとんどをこの村で過ごしました。私たちが主にここで行った活動はBDPスクール、職業訓練学校、現地の方のお宅、スラム街の訪問と、教会での礼拝です。BDPスクールとは様々な事情で、学校に行くことのできない子供たちのために開いた 寺子屋学校のことです。私たちは82校あるうちの10校を訪問しました。どの学校の子供たちも本当に活発で、電気がなくても、雨漏りがしていても真剣に授業に取り組んでいる姿にとても心を打たれました。しかし建物の外には羨ましそうに教室を覗いている子供の姿もあり、まだ学校に行けず、教育を受けられない子供たちもいるという現実を実感させられました。

私が訪れた学校の中で特に印象に残ったのはスラム街の学校です。先ほど見た写真の場所から車で5分くらいの、ビルに囲まれた中心にスラム街はありました。スラム街の中にもBDPスクールが有り、その子供たちも村と変わらず、元気な子達ばかりでした。

しかしスラム街では手を切られたり、目を潰されたりしてどこかへ売り飛ばされてしまう誘拐が多いため、授業ではそのようなときの対策について学んでいました。また、あまり質素な服装をしていると誘拐されやすいため、子供たちはみんな 私が思っていた以上に華やかな格好をしていました。

バングラデシュでの食生活は3食ともカレーでした。手ですくって食べるという経験はとても新鮮で、はじめは少し戸惑いましたが、とても美味しく、楽しく食べることができました。

写真は私たちが宿泊していた病院の施設を借りた部屋とカトリック教会です。とても大きく中も広々としていました。お年寄りから小さな子供まで、多くの人が礼拝を守っていました。また、学校帰りの子供たちが毎日私たちの滞在していた建物に遊びに来てくれて、とても楽しい時間を過ごすことができました。

このようなバングラデシュでの生活の中で私は1つのテーマを持って過ごしてきました。「日本はバングラデシュより物質的には50倍豊かだと言われていますが、それではバングラデシュは日本より50倍不幸せということなのでしょうか?」バングラデシュに着いてすぐ現地のスタッフさんにこのような問いかけをされました。日本の方が教育面においても経済的な面においても発展しているし豊かです。しかしそのことが必ずしも幸せにつながるのか、この問いをもとに自分なりに答えを探してみました。

私はある女の人にこのようなことを尋ねてみました。「何をしている時が一番たのしいですか?」その女性は結婚していて子供もいたので「子供を学校に送り迎えしているとき」や「家族のためにおいしいご飯を作っているとき」など様々な答えが帰ってきましたが、どの答えもそこには必ず家族がいました。皆さんはこのような問いかけをされたらどのように答えるでしょうか?私なら「好きな音楽を聞いているとき」や「テレビや映画を見ているとき」と答えるように、日本の場合、そこには必ず「モノ」があります。「モノ」に恵まれて生活をしている私たちは、とても便利で、何不自由のない日々を送っていますが、そのことによって何か失われていることに気づかされました。それは人との関わりです。

バングラデシュでの2週間の生活は、もちろん日本に比べてものがない分、不自由ではありましたが、そのこと以上にとても幸せな、充実した時間を過ごすことができました。学校には「遊ぼう。遊ぼう。」と私の手をつかんで話かけてくれる子供たちがいたり、私たちの滞在していた建物に毎日のように遊びに来てくれる近所の人々もいました。また、車での移動中には窓の外から手を振ってくれる村の人々もいました。

私は二週間という短い滞在の中で本当に多くの人と出会うことができ、関わることができました。その出会いのおかげで、こんなにも豊かな時間を過ごすことができたのだと思います。日本が「モノ」においてバングラデシュよりも50倍豊かであるように、バングラデシュは「人との関わり」において日本よりも何倍も豊かなのではないかとさえ思いました。

神様がアダムとエバの二人の人間を作ったのはお互いが関わりを持ち、協力し、助け合うためだったのだと思います。だからこそ私たちも、「もの」から得る幸せだけでなく、「人との関わり」の中で得る幸せを大切にしていくべきだと思います。

最後にマザーテレサが日本に来日した時に言われた言葉を1つ紹介して私の礼拝を終わりたいと思います。

「日本に来てその繁栄ぶりに驚きました。日本人は物質的に本当に豊かな国です。しかし、町を歩いて気がついたのは、日本の多くの人は弱い人、貧しい人に無関心です。物質的に貧しい人は他の貧しい人を助けます。精神的には大変豊かな人たちです。物質的に豊かな多くの人は他人に無関心です。精神的に貧しい人たちです。愛の反対は憎しみとおもうかもしれませんが、実は無関心なのです。 憎む対象にすらならない無関心なのです。」

第45回寺子屋訪問ACEFスタディーツアーに参加して