1月2014

高1親子進路学習会を実施しました

1/17(金)に河合塾の江端泰司氏を講師にお招きし、高1親子進路学習会を実施しました。平日にも拘わらず多くの保護者も参加し、熱心に耳を傾けていました。

講演は、1.大学入試(国公立・私立)の選抜方法と入試のしくみ、2. 最新入試動向と新課程について、3.学部学科の選択について、4.保護者としての受験に対する関わり方など、進路を考えるうえでたいへん参考になる内容でした。高1・高2の学習が現役合格のカギをにぎる、つまり高1の段階で本格的受験勉強を始める土台をしっかり築くことが、夢へのステップです。江端氏が話された基礎力をつけるための学習方法、模擬試験の活用など、遠回りのように思えますが、こつこつ続けることで、力は必ずついていきます。1日1日を大切にがんばって欲しいと思います。

   

 

高校1年生 栗原香子さん 山梨日日新聞 「顔」 掲載

高校1年生の栗原香子さんが山梨日日新聞 「顔)」に掲載されました。


山梨日日新聞 2014年 1月29日付

高校3年生 土橋有希子さん 山梨日日新聞 「10代の意見」 掲載

高校3年生の土橋有希子さんが山梨日日新聞「10代の意見(1/29付)」に掲載されました。

 
山梨日日新聞 2014年 1月29日付

自然科学同好会 放送礼拝

フィリピの信徒への手紙2章14~16節

皆さんは、「有名な科学者」と言われれば、誰を思い浮かべるでしょうか。
アインシュタイン、ニュートン、ガリレオなど挙げればキリがありません。
公式の名前になっていたり、教科書で見掛けるような有名な科学者は一見、人生で成功したかのように思われますが、彼らの中には革命などの際、裁判に掛けられ死刑にされている科学者もいます。
今日は、ラボアジェというフランスの科学者についてお話ししたいと思います。

ラボアジェは「化学反応の反応前後で物質の質量は変わらない」、という質量保存の法則を発見した人です。
皆さんの中にも、理科の授業の中で聞いた事がある、という人がいるかもしれません。

彼は裕福な家庭に生まれましたが、実験に多くの費用がかかることから、政府の代わりに税金を取り立てる徴税請負人の仕事をしていました。

彼は、質量保存の法則など現代の化学に大きく貢献し、「近代化学の父」とも言われています。
当時の化学は錬金術のように「無から物質が生じたり、物質がいきなり消滅する」、と考えられていたため、化学者は反応後に「何ができたか」にしか注目していませんでした。
しかし、彼は「そんなことは無い」という信念のみで研究を続けました。

研究とは当人の信念によって行われているもので、何度も実験を繰り返し、失敗を重ねながら新たな法則、概念が導かれています。

それは今でも変わりません。
生涯をたった一つの研究に費やしていながらも成功出来ずに亡くなった科学者も多くいます。

私たち自然科学同好会の研究も、失敗の連続です。
実験の方向性があっているのか、できた物質が何なのか分からないことも多いです。
しかし私たちは、今は失敗の連続で、道に迷ったり悩んだり行き詰ったりすることが多くても、自分たちのしている研究が、「環境」を考える上での何かの布石になるという信念に向かって研究を進めています。

ラボアジェなどの偉大な科学者が発見したことは、当時の人にとってはなかなか理解されませんでしたが、今ではなくてはならない科学の基本法則となっています。

イエス様が人々にしてきたことも同じように、律法学者達から批判され十字架につけられて亡くなりましたが、今では聖書は全世界に広がり、私たちも礼拝の恵みにあずかることができています。

今日の聖書の箇所にあるように、自分の信念の為に何事も不平や理屈を言わずに行えば、自分が走ったことが無駄でなく、労苦したことも無駄ではなかったと、いつか必ずわかる時がくるのだと思います。

お祈りします

天の父なる神様、今朝も放送を通してですが礼拝から始められることを感謝致します。
私達は自分のやりたい事や信念に向かって進んでいますが、時には躓いてしまうこともあります。
そんな時でも、私達が最後まで自分を信じることができるようお守りください。
今日学校に来られない人に、私達以上のお恵みがありますように。
主イエス・キリストの御名によって、御前にお捧げ致します。アーメン。

中学宗教委員会 放送礼拝

ローマの信徒への手紙12章15~17節

みなさんは、どんなときに喜び、どんなときに泣きますか?私は、自分の夢がかなったときやテストで良い点数が取れたときに喜び、悲しいときや、感動する本やテレビを見て泣いてしまいます。

今日読んだ箇所の「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい」は、実際に実行しようとすると、とても難しいことです。私たちは、悲しんでいる人に対しては、同情する気持ちがあります。だから、悲しんでいる人に対しては非常にやさしい気持ちになってなぐさめの言葉をかけてあげる場合が多いです。しかし、喜んでいる人に対してはどうでしょうか?本当に心から喜ぶことができるのでしょうか?ときには、心のどこかで、うらやましいと思うことがあるのではないでしょうか。

私も実際に、このようなことを経験したことがあります。友達はテストで良い点数を取れて喜んでいるのに、私は全く良い点数が取れないので、友達のことを心から喜ぶことができないということがありました。

「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい」という教えは、実行に移すことは、なかなか困難なことだと実感させられます。

聖書には「全てのことを神様に任せなさい」と語られています。だから喜ぶ人と共に喜ぶことができない私自身の心を、神様に任せることが大切なのかもしれません。

また、英和の聖句にもあるように「隣人を自分のように愛しなさい」と教えられています。神様は私たちが隣人を愛することを望んでおられます。

日々の生活の中でこれらのことを心に刻み生活していければ、いつかきっと心から、泣く人と共に泣き、喜ぶ人と共に喜ぶことができると思います。

お祈りします。

神様、今日も新しい朝をありがとうございます。今日は、喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣くことについて学びました。私たちがこの言葉の通りに生きることができますように。このお祈りを尊き主、イエス・キリストのみなによって御前におささげします。アーメン。

中学合同礼拝 加藤先生

コヘレトの言葉12章1節

私は今から約20年前に洗礼を受けました。今日はなぜ、クリスチャンになったのか、その話をしたいと思います。そこには、一冊の本との出会いが関わっていました。    皆さんは三浦綾子という作家を知っていますか? 北海道旭川出身のクリスチャンで、小説家です。先生が三浦綾子の名を知ったのは、大学時代です。 札幌に藤女子高校というカトリックのミッションスクールがありますが、友人がその学校の卒業生で、「藤女子では入学すると三浦綾子の『塩狩峠』という本を、必ず読む。とても感動するよ」と教えてくれました。

しかし、大学時代の私はキリスト教とは無縁の生活。仏教文学が大好きで、平家物語の仏教的無常観や西行、鴨長明らの思想に共感していたので、『塩狩峠』を読むことはなかったのです。

大学卒業後、ある学校の国語教師をし、生徒に薦める本を考えていた時、三浦綾子の『塩狩峠』を思い出しました。生徒に紹介する前にまず、自分が読んでみました。 読書後の感想は月並みですが、感動のひと言でした。今まで経験した事ことのない世界観が広がっていました。

塩狩峠を少し説明します。 主人公は永野信夫。キリスト教信者です。塩狩峠は険しく大きな峠で交通の難所です。峠の頂上にさしかかった時に最後尾の列車の連結部が外れてしまいます。 主人公は乗客を守るためにレールへ飛び降り、列車の下敷きとなり命を落とします。 あとは、皆さんが是非、読んで下さい。 これは、実際に塩狩峠であった鉄道事故をもとに書かれ、長野政雄さんという実在のクリスチャン男性が自分の命にかえて、暴走する列車を止めたそうです。

その後、キリスト教や神様に関心を持ち、三浦綾子さんの本を読みました。 かといって、教会に行くことはなく読書は続けていましたが、三浦さんの本を読むうちに「人間は罪人です」という言葉に複雑な思いを抱きました。 「罪」ってなんだろう。「罪」とは犯罪です。私は犯罪を犯したことないのに。 また、「神は本当に復活したの?」という疑問がわき、三浦さんに質問の手紙を書きました。

すると、「私は一小説家であり、神学校を出た牧師ではありません。あなたがキリスト教の教理を知りたいなら、教会に行き牧師に聞いて下さい」という返事が来ました。 そこで、素直な私は教会に通いだし、礼拝に出たり、牧師先生と聖書や神様の事を学びました。  疑問に思っていた「罪」とは法律的、道徳的なことだけでなく神様に喜ばれないこと。 例えば、人を妬んだり、批判したり、自己中心的な事が罪である。その私たちの罪の身代わりになってイエス様が十字架にかかり、その死により償いを成し遂げて下さったということを知りました。そして、イエス様を救い主と受け入れ、1993年イースターに洗礼を受けたのです。

後に、私は三浦綾子さんにまた、手紙を書きました。あなたの本がきっかけで信仰をもちましたと。すると、一冊の本が届きました。受洗を祝う言葉と三浦夫妻のサイン入りの本だったのです。三浦綾子さんは、1999年77歳で亡くなりました。その作品は、混沌とした21世紀を生きる私たちに力と勇気を与えてくれます。

さて、皆さん、今日の聖書のみことばを見て下さい。「青春の日々にこそ、お前の創造主に心をとめよ。苦しみの日々が来ないうちに。「年を重ねるごとに喜びはない」という年齢にならいうちに」   創造主とは神様の事です。

私は30歳で信仰をもちました。この二十年間神様の大きな恵みを体験しました。 大切な信仰の友も与えられました。しかし、少し後悔があります。それは皆さんのような若い青春の時に、信仰を持ちたかったということです。青春の時から、神様に導かれ、神様とともに歩む人生を送りたかったのです。それは、どんなに素晴らしいことでしょう。

どうか、皆さんが若い時に神様を信じ、神様とともに豊かな人生を歩むことができるよう心からお祈りしています。山梨英和での6年間の学校生活を大切にして、勉強や部活、神様の事など、多くのことを学んで下さい。そして、是非この機会に三浦綾子さんの本を手にとって読んで下さいね。それでは、ひと言お祈りします。

愛する天の神様。御名を賛美します。今朝はこうして、神様のお話をする機会が与えられたことを感謝します。「青春の日々にこそ、お前の創造主に心をとめよ。苦しみの日々が来ないうちに。」 神様を信じ、神様とともに生きる人生を、一人でも多くの生徒がその恵みを受けることができますようにお祈りします。また、毎日寒い日が続いています。 神様が私たちの健康を守って下さいますように。このお祈りを愛するイエス様の御名を通してお祈りします。アーメン。

英和生、上野学園ーゴードンストン英語コンテスト全国大会で優勝!

1月19日(日)に開催された「上野学園ゴードンストン英語コンテスト・ファイナル」(主催:上野学園/ゴードンストン・インターナショナル・サマースクール)に、本校から中学3年の網野理彩さんと高校1年のセイントジャスト万梨衣さんが出場しました。

全国から作文の一次審査を通過し選ばれた10名のファイナリストの中で、網野さんは“An Unforgettable Experience (忘れ得ぬ思い出)”、セイントジャストさんは“My School(私の学校)”について英語で発表しました。このコンテストは、スピーチ発表後に、コミュニケーション能力を審査するため、審査員との簡単な質疑応答があります。どんな質問をされるのかわからない中、ふたりとも表現を工夫しながら答えることができました。

セイントジャストさんは、山梨英和の歴史を振り返りながら、カナダ人宣教師の先生方と、この山梨英和で今までの辛い経験をプラスに変えることができた自分を重ね合わせて見事なスピーチを披露し、見事、優勝の栄誉を手にすることができました。副賞として、今年の7月にスコットランドにあるゴードンストン・インターナショナル・サマースクールで3週間の語学研修を受けることができます。二人には今後も英語学習を一層充実させていくことを願っています。

~セイントジャスト万梨衣さんスピーチ要旨~

「私は、山梨英和のこれまでの歩みや私自身の経験から、『試練は人を強くする』という事を学びました。山梨英和は124年前にカナダ人宣教師によって建てられた女子校です。その当時、女性教育に対して社会からの批判がありましたし、第二次世界大戦中は日本政府によって宗教教育を禁じられました。また、宣教師の先生方はスパイとみなされ、強制送還されるという辛い経験もされました。しかし、第10代12代の校長であられるグリンバンク先生は、本国に帰ることなく、横浜で1年間の抑留生活を送られました。このような宣教師の先生方の多くの労苦のおかげで、山梨英和は数々の試練を乗り越え今に至っているのです。

宣教師の先生方が命をかけて守ってきたものは私にも受け継がれ、私自身の試練を乗り越える助けとなっています。私の試練の一つは、私の外見です。私の母は日本人ですが、父はアメリカ人です。どこに行くにも、私は外見で判断されることがよくありました。周りの友達に溶け込むために様々な努力をしました。また、周囲の人に英語を流暢に話せて当然だと決めつけられることも、私にとっては苦痛でした。私は父とは離れて暮らしているため、決して英語の環境で育ったわけではないのです。英語を学習するために、私がどれだけの時間を費やしてきているのかということを誰も理解してはくれませんでした。

しかし、山梨英和に入学して、人と違っていることは良いことであり、誰かのためになるのだという事を学びました。聖書に「あなたがたはそれぞれ、賜物を授かっているのですから、神のさまざまな恵みの善い管理者として、その賜物を生かして互いに仕えなさい。」という言葉があります。この言葉に出会い、私は自分のありのままを受け入れることができました。後からわかったことですが、この言葉はかつてグリンバンク先生が生徒達を励ますためによく使われていた言葉であることを知りました。

私は将来、日本と英語を母語とする国々を結ぶ架け橋になりたいと強く思っています。山梨英和で培われた精神を生かし、今後私の人生で起こるであろう様々な試練に対して、熱意と希望をもって立ち向かっていきたいと思います。」

Marie Saint-Just

My School

 

Challenges make one better

 

 

Challenging situations make a person stronger and better.  I have learned this from my school.  The history of my school and my own experiences there have taught me that difficult situations can make a person more successful in life.

 

Yamanashi Eiwa is an all girls school built by Canadian missionaries 124 years ago.  The school faced many challenges, but my school was able to overcome the hardships and become an important educational institution.  It was very unusual for girls to get an opportunity to learn English back then.  There were cultural obstacles.  My school decided to face these challenges.

 

Another challenge occurred during World War . The Japanese government told the school to stop teaching English and religious traditions such as singing hymns and reading the Bible.  In addition, the missionaries were regarded as spies and they were forced to return to their country. However Ms. Greenbank, who was the 10th and 12th headmistress , decided to lead her life as an internee in Yokohama for a year instead of going back to her own country. She devoted herself to our school because she lived in her mission.  Encouraged by her courageous sacrifice, my school continued to teach English and practice its beliefs and kept the school going. 

 

What the missionaries treasured at the risk of their lives has been passed down and helps me overcome my challenges.  One of my challenges is about how I look.  I had been struggling with some prejudice against me.  Wherever I go, I am always judged by my appearance because my mother is Japanese but my father is Caucasian.  I tried hard to blend in with other children.  There were even times when I purposely spoke English poorly or pretended that I did not understand English in my elementary school English classes.  The other thing I was suffering from is that people expect me to speak English fluently because of how I look.  I live in Japan but my father does not.  I did not grow up in an English environment.  To learn English, I have worked very hard and spent countless hours.  Regardless of this, people tend to think my English ability came naturally with no effort.

 

When I entered Yamanashi Eiwa, I realized that I was wrong.  My school taught me that being different is a good thing and does something good for others.  I learned that the Bible says, ”As each received a gift, use it to serve one another, as good stewards of God’s varied grace”  Encountering this quote has changed my thinking and made me more positive about myself.  Later I realized that the passage was Ms. Greenbank’s educational motto which she used to encourage her students.  Now I can be proud of myself and accept who I am.  Now I am looking forward to becoming a bridge between Japan and English speaking countries. 

 

I have learned that challenges do make a person better and grow stronger.  Challenges have also helped me grow in knowledge and spirit.  It has given me a chance to accept who I am.  With the knowledge and strength I have gained at my school, I now look forward to the challenges of life with eagerness and hope.

中学1年生担当礼拝

ヨハネによる福音書15章16~17節

私がこの学校に入学をしてから1年が経とうとしています。小学校の時とは違う経験をたくさんさせていただきました。小学校では特に努力するということもなく、今ひとつ得意なものも見つからないという有様でした。そんな私だったから、入学当初はたくさんのことにとまどい、何もかもに必死で、毎日がとても短く感じました。入学してから今までを振り返っても、やはりとても短かったように思えます。

中学生になっての毎日の礼拝は、私にとってとても刺激的でした。毎日の礼拝の讃美歌や聖書の箇所にとても深い思いが込められており、礼拝がとても大切なものに思われました。また、毎日の生活も小学校のように言われてから動くのではなく、言われなくても自分で考えて動くというスタイルになりとても新鮮さを感じ、改めて中学生なんだと自覚することもありました。

先日クリスマス礼拝を終え、さらにその前には全校での修養会も終え、改めて思うことは「人の協力なしでは笑顔を作れない」ということです。私は今生徒会では副会長という責任ある立場を任されていますが、この役職に立候補した理由の一つに「みんなの笑顔は作りたい」という願いがありました。そのためには仲間の協力が必要でした。

先日の修養会で高浪先生が楽しく講演をしてくださいましたが、讃美歌の練習をしていたときに、「一人で歌うよりみんなで一緒に歌えばさらに楽しくなる」ということを教えていただいきした。そして、私自身もたくさんの仲間や先生方に支えられながらここまで来ることができたし、そのたびに私も自然と笑顔になりました。

まだ英和に入って1年も経っていないですが学んだことは数え切れないほどです。今日の聖書の箇所のように、神様から選ばれてこの英和で学んでいるのだと強く感じています。私を支えてくれた神様、周りの方々に感謝しつつ、今度は自分の手で人の笑顔を作りたいと思いました。

 

 

私は昨年のクリスマス礼拝に弦楽奉仕者として参加させていただきました。弦楽奉仕者は、全校合唱曲の「ハレルヤコーラス」と「聖らに星すむ今宵」をバイオリンやチェロで演奏しました。

私は少学6年生のとき英和のクリスマス礼拝を見に行きました。そのとき、バイオリンを弾いている先輩方にあこがれ「来年は絶対私もここでバイオリンを弾きたい」と思いました。

そして中一になり、クリスマス礼拝の弦楽奉仕者としてバイオリンを弾けることになりました。あこがれの舞台でしっかり弾けるように練習し、学校では全員で合わせたりリハーサルをしたりして本番に臨みました。少し緊張もしましたが、とても楽しみでした。大きなホールなのでがんばって弾いても後ろの方まできこえないくらいでした。私たちの演奏と全校生徒の声が一つになり、その迫力にとても感動しました。

弦楽奉仕者は、みんなの歌の伴奏をするだけで決して目立つわけではなく拍手ももらえませんが、裏方に徹して自分にできる最高の演奏をできたことを誇りに思います。

そして、クリスマス礼拝で感動を得た経験は私の宝物です。神様に導かれてこの英和に入り奉仕することができました。これからも弦楽奉仕者として、普段の礼拝やコンサートなどさまざまなところで誰かの役に立てるようにがんばって行こうと思います。

 

放送礼拝 土屋先生

ルカによる福音書 12.22~29

今日はみなさんに1冊の絵本を紹介したいと思います。Shel Silverstein/シェル・シルヴァスタインという人の書いた“The Missing Piece”という本です。直訳すると「足りないかけら」とでも訳せるでしょうか。私が持っているのは洋書ですが、「ぼくを探しに」という題名で日本語に訳されたものも出ています。絵本は黒いサインペン1本で描かれたような単純な線と短いセンテンスの英語で綴られたとてもシンプルなもので、主人公は一部分がかけた円(まる)です。

「何かが足りない

それでぼくは楽しくない

足りないかけらを探しに行く

ころがりながらぼくは歌う

『ぼくはかけらを探してる 足りないかけらを探してる

ラッタッタ さあ行くぞ 足りないかけらを探しにね…♪』

主人公の『ぼく』が、自分の欠けている部分“The Missing Piece”を探す旅にでるお話しです。『ぼく』は一部分が欠けているせいで、上手に転がることができません。転がるたびに、いびつな部分がカクンカクンとつかえてしまいます。旅の中には、かんかん照りの日もあれば、冷たい雨が降る日もあります。雪で凍えたかと思えば、またぽかぽかのお日様がでたりします。そんな中を『ぼく』はゆっくりゆっくり不器用に転がりながら、時にみみずと話したり、花のにおいをかいだり、カブトムシを追い越したり追い越されたり…。野を越え、海を越えて進んでいきます。旅の途中、何度かかけらを見つけます。でも自分には小さすぎたり、大きすぎたり…。ぴったりだと思っても、しっかりつかんでいなかったせいで途中で落としてしまったり、ギュッときつくくわえすぎて壊れてしまったり…。そしてとうとう、ぴったりのかけらに出会います。

「はまったぞ ぴったりだ やった! ばんざい!」

のぞみどおりまんまるになった欠けのない『ぼく』は、とたんに勢いよく回り始めます。初めは嬉しくて嬉しくて仕方がありませんでしたが、余りに勢いよく転がるのでまわりの景色も楽しめないし、大好きな歌も歌えません。すると「何かが足りないせいでつまらない」と思っていたこれまでが、途端に恋しくなってきました。そして『ぼく』はせっかく見つけたかけらを再び手放すことにします。絵本の最後、立ち止まった『ぼく』の上に蝶々がそっと止まります。「何かが足りないぐらいがちょうどいいんだよ」そう『ぼく』を励ましてくれているように。

みなさんはこのお話をどんなふうに受け取りましたか?イラストも文章もシンプルな絵本だけに、内容は人によって、また同じ人でも読んだときの状況によっていろいろな解釈ができるでしょう。「自分探しの旅こそが人生そのものだ」といっているようにも読めますし、「人との出会い」について語りかけているようにも読めます。いずれにしても、『ぼく』は欠けているときは速く転がることができなかった分、いろいろな天候を感じ、いろいろな場所をじっくりと味わうことができました。でも、いざまんまるになったとき、ゆっくり語り合うことも歌うこともできなくなってしまいます。「本当の幸せとは何なのか」私たちに問いかけているようです。

みなさんの中にも、不十分で不完全な自分の姿にいらだちを覚えたり、不安を抱えたりしている人は少なくないと思います。私自身も今でも不完全で欠けの多い自分の姿に心とらわれ、不安になることがしばしばあります。そのせいで人は誰しも悩んだり傷ついたりしますが、絵本の中の『ぼく』が100%まんまるくなることに憧れ、ころころと速く遠くへ転がることを夢見たように、私たちも欠けているからこそ、何かを望み、夢をみて、目標に向かって頑張ることができるのかもしれません。そしてその中でいろんなものに出会い、いろんなものを愛するのだと思います。悩みの中にあるときにはなかなか気づきませんし、実際にはそんなに単純ではないかもしれませんが、私たちの人生、本当は欠けているからこそ味わい深くて楽しいのかもしれませんね。転がることを止めなければ、きっとそこにはたくさんの出会いがあり、美しい景色が見えるのかもしれません。

今日も神様が私たちを生かし、必要なものは備えて下さっていることに感謝し、堂々と前を向いて歩んでいきたいですね。

 

放送礼拝 水泳部

マタイによる福音書7章7~8節

「求めなさい、そうすれば与えられる。」

この箇所は私が部長になって最初の頃に放送礼拝で読まれました。その時は部長になりたてで部員をまとめる難しさに直面し、自分のタイムも思うように伸びずそのことをなかなか素直に受け入れることができませんでした。

この箇所は「求め続ける思いが成功に導いてくださる」と解釈されます。しかし求めていても与えられない時もあります。でも、それは神様が与えてくださる試練だと思います。その時は苦痛でも、後からその時を振り返ってみるとその時があったから成長できたんだと気づく時がきます。

みなさんは小さい時に親と買い物に行ったときに、なにかを買って欲しくて駄々をこねたことはありませんか? その時、買ってもらえたり買ってもらえなかったりした経験があると思います。買ってもらえなかった時は辛い気持ちになっていたと思います。しかし今、考えるとそのような我慢の積み重ねが今の自分に繋がっていると思います。

振り返ってみるとその経験があったからこそ私は今、その時の自分になにが足りなかったかを考え、行動することが出来るようになった気がします。私はただ求めるだけで自分のなりたい姿を思い描くだけではなく、自ら行動を起こすことも大事なんだと思いました。

そして、水泳部部長となって自分のタイムはもちろん、部員みんなが良い記録をだせるような活発な部活にしたいと思いがんばろうと思いました。そして思う だけでなく行動にうつしていこうと思います。