生徒,礼拝のひとコマ

4月2014

放送礼拝 語学部 

コリントの信徒への手紙一12章12~22節 語学部

 

先日、ある雑誌を読んでいたところ、とてもめずらしいと感じる意見に出会い、興味を持ちました。それは、家族の存在意義についての文章でした。筆者は家族の定義について、次のように書いています。

「血がつながっているということが一般的な定義かもしれないが、より大きく明確な、メインの目的がある。家族とは、社会での人との付き合い方を学ぶ場であり、血のつながりは、家族のメンバーにとっていつでも帰れる『家』という場所をつくるための、メンバー集めの基準でしかないのである。」

私は、家族といえば、血の繋がった人たちの集まりだと思っていたので、家族に目的があるという主張にまず驚きました。筆者は、「社会での人との付き合い方を学ぶ」ことが家族の目的だと書いています。さらに、家族であれ、他の集団であれ、ひとつのグループとして活動するときには、そのグループの目的を考えるべきだとも書かれていると、私は解釈しました。

しかし、ニュースなどを見ていると、家族の中で「社会での人との付き合い方を学ぶ」という目的が、必ずしも達成されていないように思われます。親が自分の子どもを甘やかしすぎたり、逆に充分な世話をしなかったり、あるいは、子どもが親に感謝の気持ちを持つことを忘れて暴力をふるってしまったり、最終的にどちらかがどちらかを殺してしまうという事件も起こっています。このような状況は、本来の目的を忘れて活動している家族の姿であると言えます。

このことを部活動に置き換えて考えてみます。クラブという集団の持つ目的とは、何でしょうか。またその目的は、部活動の中で達成されているでしょうか。私の所属している語学部の最大の目的は、「劇を通して、人に何かを伝えること」だと私は思います。しかし、この大切な目的を、時々忘れてしまうことがあります。私たちは、少しでも良い劇を創り上げるために日々活動していますが、練習よりも、演出会議という名のおしゃべりタイムが始まってしまうことが、たびたびあります。また、自分のセリフで精一杯だったり、自分が目立つことしか考えていないことで、人に何かを伝えるという目的を果たせないこともあります。

このように1人1人が役割を忘れ、果たせないことで、結果的にそのグループ全体としても役割を果たせていないことになります。この状況を改善するためには、それぞれグループに属するメンバー全員が、役割を心がけて活動することが必要です。私たち一人ひとりは、集団の中にあって、その集団がどんなに大きなものでも、それぞれが役割を持った大切な存在です。その一人ひとりの働きが、全体の働きを決定します。私たちの部にあっても、一人ひとりがしっかりと役割を果たし、全体として良い作品を創り上げ、上演していきたいと思います。また、私自身も英和を巣立ち、さらにいろいろなグループに属したときにも、本来の目的を忘れず、自分の役割を果たしていきたいです。

 

お祈り

神様、今朝も、放送を通してですが、皆と共に礼拝をまもれたことに感謝いたします。今日は、集団のなかの一人ひとりの働きが、全体の働きを決定すること、それ故に、私たちそれぞれが皆大切な存在で、不必要な者など1人もいないということをお話しました。私の話が、少しでも長く、皆の心にとどまりますように。最近は、日によって寒暖の差が激しく、体調を崩している者もいるかもしれませんが、皆をお守りください。今日1日、皆が無事に過ごせますように。願いばかりの祈りですが、尊き主、イエス・キリストの御名によって、御前にお捧げいたします。アーメン。