6月2014

学園祭が始まりました!

626日(木)~28日(土)の3日間は学園祭です。

全校生徒でこの学園祭に向けて準備を進めてきました。

 1日目の26日には開会礼拝からオープニングを経て、合唱大会が行われました。

中学1年生の可憐な合唱から、質の高い高校生の合唱まで全校生徒が練習の成果を発表しました。

 

 

 

2014学園祭 クラブ発表部門

2日目の27日にはクラブ発表が行われました。

トップバッターのマンドリン部の発表では、「風のシンフォニア」で迫力ある演奏に目を見張り、続くダンス同好会の元気なダンスでは会場が大いに盛り上がりました。演劇部のコミカルではあるけれど、ちょっとほろりとさせられるストーリー「ぼくんち」に見入り、語学部の発表では友達のきれいな発音に驚きました。最後は聖歌隊の美しい歌声に癒され、充実した時間を過ごしました。 

午後からは28日の一般公開に向けて準備です。多くの方が来てくださいますように。

 

放送礼拝 剣道部

箴言12章11節  讃美歌  520

皆さんは剣道の団体戦を観戦したことがありますか。剣道の団体戦は1チーム5人で戦いますが、それぞれに役割があり、名前も異なります。トップバッターから先鋒、次鋒、中堅、副将、大将です。まず先鋒ですが、先鋒はそのチームの剣道をあらわし試合の流れを左右します。次に次鋒。次鋒は中堅に勢いを繋げます。そして中堅。中堅は試合によっては自分が勝つか負けるかで勝負が決まることがあるので、悪いときは良い方向へ、良いときはさらに良い方向へ引っ張らないといけません。また副将は大将に良い結果で勢いを繋げます。最後に大将ですが、大将は最後まであきらめないで戦いぬかないといけません。どのポジションでも役割があり、どれも責任は重く欠くことはできません。私は副将や中堅を担うことが多いのですが、私の試合結果で勝負が決まることがよくあります。プレッシャーや緊張から体が動かず、自分の役割から逃げ出したいと思うこともあります。でも逃げ出さないで2年間続けてこられたのは仲間がいてくれたからだと思います。仲間が頑張っている姿を見て私も頑張ろうという気持ちになれます。私たち剣道部の人数は少ないけれど大切で失うことのできない仲間です。

今日の聖書の箇所は「自分の土地を耕す」ことの大切さを教えています。私たちは、よく自分の土地、言いかえれば自分の賜物や与えられた役割よりも、人の土地、言いかえれば人の賜物や役割をうらやんだりしてしまうことがあるのではないでしょうか。でも、それを続けていくと与えられたものまで失ってしまうことになります。私たちは、自分にしかできない役割があることを自覚すべきなのではないでしょうか。土地を耕し続けることは大変なことです。忍耐も努力もないとできません。しかし、耕してこそ、その収穫を味わうことができます。辛い練習をのりこえて体力がつき自信につながったこと、試合に勝てたときに感じた喜び、信頼できる仲間に出会えたこと。私が剣道を2年間続けてきて得たものはたくさんあります。これからもあきらめず逃げないで続けることで得られるものがあると信じています。それを得るため、また、たくさんの人に支えられていることを忘れずにこれからも頑張りたいと思います。

学園祭が近くなってきました。クラスや部活、委員会などでそれぞれ与えられた役割を十分に果たすことができるように助け合いましょう。

神様、今日も新しい朝をありがとうございます。放送を通してですが礼拝から1日を始められることに感謝します。今朝は与えられたものを活かすことの大切さについてお話しました。今、一人一人に示されていることを、忠実に行うことができるよう、力を与えてください。このお祈りをイエス様のお名前を通して御前におささげします。アーメン。

第1回SSH特別講演会を開催しました。

5/26、北里大学栄誉教授であり、女子美術大学の理事長でもある、韮崎市出身の大村智先生をお招きし、2014年度第1回SSH特別講演会を実施しました。

講演のテーマは『私の歩んだ道』でした。
著名な先生の講演ということもあり、中学生も含めた全校生徒を対象とし、保護者のみならず広く一般にも門戸を広げ、多くの方々と共に聴講しました。
いつもは校内で開催している本講演会ですが、今回はコラニ―文化ホールを会場とし、とても良い環境で講演を聞くことができました。

【生徒の感想】
・一番心に残ったのは「自分の特色を生かせば勝てる」という言葉です。成功するためには自分にしかない特色を見つけ、失敗を恐れず努力を惜しまないことが大切だと学びました。
・「子どもの時に辛いことを経験しなさい」という言葉が印象に残っています。楽をせず、辛いことこそこれからの人生のためにも乗り越えていこうと思いました。
・日本はアメリカよりも研究費が少ないと思った時に、アメリカの企業を回り歩いたと聞き、その行動力が素晴らしいと思いました。私も先生を見習って、どんなことをするときも勇気を出して行動を起こそうと思いました。
・薬を完成させるのに10年以上もかかったというお話を聞いて、驚きとともに目標を達成することの大変さも感じました。失敗を恐れずに、やり始めたことは最後までやり通すことが大切だということ改めて知り、自分を信じて行動しようと思いました。
・先生は研究を楽しんでいるということが、話を聞いていて伝わってきました。研究を楽しむことが世界での活躍につながったことが素晴らしいと思いました。

校長挨拶

山梨英和中学校・高等学校 校長 三井貴子

山梨英和中学校・高等学校は、今年で創立125周年を迎えました。キリスト教信仰に基づく豊かな人間教育を揺ぎない教育理念として、創立当初から現在に至るまでグローバルスタンダードな女子教育を実践してまいりました。長い歴史の中で、本校の教育に携わってくださった先生方は数多くいらっしゃいますが、「赤毛のアン」を日本で初めて翻訳した村岡花子先生もそのお一人です。花子先生は、大正3年から5年間、本校の英語教師兼カナダ人の校長の通訳としてお働きくださいました。人間味あふれる暖かい先生で、生徒たちはとても慕っていたようです。また、国内外で活躍する卒業生も多方面に及び、在校生たちは、このような歴史と伝統を誇りとし、10年後20年後の自分自身を想像しながら希望に満ちた学校生活を送っています。

本校の全ての教育は、校訓である「敬神・愛人・自修」の理念が根底にあります。その上に時代に即した先進的なアプローチを取り入れ、ユネスコスクールとしてESD(持続的な発展のための教育)の理念に基づく研究開発を実践し、独自の進化を続けています。

グローバル社会に生きる私たちは、科学的・論理的な視点や思考力を持つことが非常に重要です。そして、それを伝えるコミュニケーション能力が必要となります。本校では、英語教育・国際理解教育・iPadを活用したICT教育・理数教育などの多角的な学びをとおして「考える力・伝える力・つながる力」を育てています。

山梨英和中学校・高等学校は、昨年より文部科学省よりスーパーサイエンスハイスクール(SSH)として5年間の認可を受けています。SSH特設科目として英語のネイティブスピーカーによるScience in English、オープン科目としてドイツ語・フランス語・韓国語などの第2外国語の授業など、独自の講座を開講しています。これまでのカナダ・オーストラリア・ラオス・JICA研修に加え、今年は、SSH事業として環境先進国であるドイツへの研修もスタートします。

これからの社会では、国境を越えて互いに理解しあう“心”を養うことが大切です。山梨英和は、幅広い教養と高い学力を備えることはもちろんですが、その能力を社会に還元し奉仕することのできる女性を育てていきます。国際社会にとっても、山梨英和の教育に期待されるところは大きいと確信しています。

高校2年生 天野日和さん 山梨日日新聞 「10代の意見」 掲載

高校2年生の天野日和さんが山梨日日新聞 「10代の意見(6/16付)」に 掲載されました。


2014年6月16日付 山梨日日新聞

放送礼拝 水泳部

ペトロの手紙一4章10節 水泳部

 

皆さんは、加藤作子さんという方を知っていますか。この方は、2000年のシドニーパラリンピック競泳200メートル自由形リレーで世界新記録を出し、金メダルを獲得した競泳選手です。
彼女は小学校5年生の時、大きな病気を患いました。23歳の時に、病状が悪化し、胸から下の自由を失いました。過酷な闘病生活は何年も続き、退院後は車椅子での生活で、症状が安定したのは発病から23年が経った頃でした。加藤さんが水泳と出会ったのも、ちょうどこの頃でした。当時彼女は33歳で、水泳選手を目指すには遅すぎるくらいのスタートでした。また、彼女は下半身が動かないため、水中でバランスを取ることさえも困難で、お風呂の中でひっくり返るくらいだったそうです。バランスを取ることもままならない状態でしたが、彼女は障害者向けの水泳教室に通い、15メートルプールで練習を続けました。33歳からの水泳人生のスタート、そしてゼロから水泳を始めるということは、体力的にも精神的にも大変だったと思います。しかし、彼女は泳ぐことを諦めませんでした。その理由を、彼女はインタビューで、「障害を言い訳に簡単に諦めたくなかったから。」と話しています。私達は、加藤さんの前向きでパワフルな生き方から学ぶことが多いのではないでしょうか。
 私は高校も、中学と同様英和に入学しました。高校の授業が始まって、私が最初に感じたのは、高校生活は中学生活の延長ではないのだという事でした。高校は義務教育ではないので、基本的に自己責任で行動します。先生から定期テスト前に毎回配られていた計画表やテスト範囲一覧も配られなくなり、「これからは自分で管理していかなければならないのだ」と少しの不安と責任感が湧いたのを覚えています。そんな私は、この高校3年間を充実したものにするために、1つテーマを決めました。それは、「3年間目標を持って、手を抜かずに頑張る」というものでした。高校生活は小テストも多く、定期テスト範囲も広くて、慣れない生活に、最初は毎日口癖のように「大変。疲れた。」などとつぶやいていました。それでも、「みんなに遅れを取りたくない」「3年間無駄にしたくない」という思いで、私は小さい事にも目標を立て、目標達成のために努力しました。最初のうちは頑張っただけの見返りがあり、充実していて、そんな生活に満足していました。しかし、高校生活は日ごとに忙しさを増していき、目標を達成するのが困難になっていきました。これに合わせるように、私が掲げる目標も自然と低くなっていきました。妥協して立てた目標ばかりだったので、以前の様な充実感も達成感もまるでありませんでした。与えられる課題や仕事をこなすことで精一杯で、新たに目標を立てても、「今回も、きっと達成できずに終わるんだろうな。」と心の隅で思っていました。頑張りたいと思っているはずなのに、頑張っていない現実の自分が嫌で、いつも苦しく、やるせない気持ちでした。それは、部活に関しても同じでした。もともと私は、4種目泳げるというだけで、大会に出場して入賞を目指すような選手ではありませんでした。ただ泳ぐことが好きで、水泳部の入部を決意したのも、新入生歓迎会で先輩の「泳げる泳げない関係なく、水泳が好きな人は水泳部にぜひ入部してください!」という言葉があったからです。私は毎日のようにプールに入る事ができるという事に加え、泳げば泳ぐほど自分の泳力が上がっている事がタイムから分かり、泳ぐことが以前より楽しくなっていきました。しかし、いくら練習しても、昔から水泳をしていた人たちには追いつけませんでした。周りを見れば、スイミングスクールに通い、私よりも毎日努力している人がいて、一緒に練習すれば実力の差が目に見えて分かり、タイムにもそれが顕著に表れていました。練習の度に、実力の差を見せつれられる気がして、いつの間にか劣等感を感じるようになっていました。私は、負のループにはまったように、毎回そんなことを考えていました。
 今、冷静に振り返ってみると、自分の限界を決め、自分と向き合えていなかったことが、自分を苦しめる結果を生んでしまったのだと思います。加藤さんの様に、前向きに努力する事が出来ず、否定的で悲観的になってしまった事が悪循環を生んでしまったのです。
 私は今、高校3年生になって、やるべき事も増え、以前より確実に忙しい生活を送っています。毎日の小テストに手が回らなくて、返されたテストを見て心が折れそうになったり、模擬試験の結果が悪くて泣きそうになる事もあります。現実の自分とみると、未だに理想の自分とかけ離れていて、将来が不安になったりすることもあります。しかし、これからは上手くいかない事があっても、以前の様に限界を決めたり、人と比べたりして悲観的になってしまうのではなく、加藤さんの前向きな生き方、そして今日の聖書の「わたしたちはそれぞれ賜物を授かっている」という御言葉を思い出し、自分の力を信じて、目標に向けて諦めず努力したいです。

第18代校長 矢崎園先生が永眠されました。

本校の第18代校長の矢崎園先生が6月11日午後7時55分、103歳をもって永眠されました。謹んで哀悼の意を表します。
本日、全生徒・教職員でお見送りしました。

 

 

高校2年生 石川千尋さん 山梨日日新聞 「10代の意見」 掲載

高校2年生の石川千尋さんが山梨日日新聞 「10代の意見(6/11付)」に 掲載されました。


山梨日日新聞2011年6月11日付

 

中学合同礼拝・高校合同礼拝 高3担当

合同礼拝 エフェソの信徒への手紙2章10節 担当 高校3年

 

修養会を終えて

今日は4月に行われた高3修養会についてお話します。修養会は学年最後の宿泊行事であり、私にとって、とても有意義な時になりました。その中でも今日は講演会でのことについてお話します。

講師の方は、牧師である兼清啓司先生という方でした。兼清先生はとても背が高く、バイク・車の改造・カメラなどが趣味で、親しみやすい感じの方でした。

3回あった講演の中で、マララ・ユサフザイさんの話がありました。皆さんはマララさんのことを知っていますか。今では世界で一番影響力のある17歳と言われ、国連で演説もした、あのマララさんです。彼女の暮らすパキスタンでは、反政府勢力のタリバンによって女子教育を禁じられています。彼女はブログに日常生活を書くことで、女子教育の大切さや平和を訴える活動を行っています。彼女が行ったことは、ただ女子が教育を受けられないのはおかしい、教育を受けたい、という自分の素直な気持ちを言葉にしただけです。自分の気持ちを言葉にして表現することであれば私達にもできることです。私もこの話を聴いて、自分の素直な気持ちを言葉にするという大切なことを行っていこうと思いました。

また、兼清先生のお話の中で特に印象的だったことは、商店街で小さな子を殴るある母親の話でした。その母親はハンドバックを振り回し子供を何度も殴っていたそうです。誰が見ても止めなければならないと思う状況だったでしょう。しかし、その場に居合わせた兼清先生は、止めに入ることができなかったとおっしゃっていました。代わりに止めに入ったのは、外国人風の不法滞在をしているかもしれない露店商のおじさんでした。人目につくような目立つ行動をとると、不法滞在が明らかになり、捕まってしまうかもしれません。しかし、おじさんは自分の危険を顧みずその母親を止めに行ったそうです。この話は、牧師である兼清先生が止めに入れなかったのですから、兼清先生にとっては、できれば隠しておきたいぐらい恥ずかしい話だと思います。しかし、兼清先生は講演で私達に話してくださいました。それは、私達に良い行動をとるのに立場や性格は関係なく、自分の心に素直になることの大切さを伝えたかったからではないかと思います。行動を起こすのは、積極的な性格でも、消極的な性格でも、関係ないのではないのでしょうか。自分の性格では何もできない、と思うのではなく、まず、どんな小さなことでも人のためになると思い行動を起こすことは大切なことだと思いました。

今回、私が今日の礼拝を引き受けたのは、この講演の影響が強かったと思います。私は人見知りであがり症なので、人前で話すことは避けたいことです。今もこの性格は変わりませんが、今日の礼拝を引き受けるという行動を起こすことができました。以前の私なら、断っていたかもしれませんが、いつまでも自分の性格を言い訳に使い、苦手なことから逃げていてはいけないと思いました。だから、修養会で兼清先生の講演を聴くことができたことに感謝しています。

修養会は経験してみなければ分からない発見や感動があります。これからの人生、この経験を活かしていきたいと思いました。そして、今から経験する皆さんも修養会に参加して良かったと、心から思えるようになることを願っています。

  修養会を終えて

修養会の一週間前に今年、中学生になった妹が、メープルスクールから帰ってきました。新しい出会いにわくわくし、初めて触れる聖書の言葉に戸惑い、覚えたての讃美歌を口ずさむ姿は五年前の私と重なりました。あの時の私は与えられたものにただ流されて過ごしていたと思います。
英和生としての日々で私は何を感じ、何をつかんだのだろう。ただ月日が経ち、今になったとしたら私の英和生としての時間は何だったのだろう。自分はどんな人になりたいのだろうか。その答えを知るヒントが修養会にあるかもしれない、そんな想いで修養会に参加しました。
修養会とは英和の伝統行事のひとつであり、恵まれた自然の中で聖書を読み、英和での日々や仲間との出会いを振り返り、これからを考えるという一泊二日の行事です。

 8人くらいのグループでそれぞれのテーマについて話し合う分団という時間を持ちます。クラスが違って普段話したことのない友達と向き合うと、自分らしい言葉が出てきません。前向きな話や未来の話をするのは何か照れくさい気がします。最初、私の心は閉じていました。心の中を見せる、言葉を選ぶというのはこんなに難しいものか、と思いました。順番に一人一人が自分のことを話していきます。普段ほとんど接することのない友達の話に耳を傾けました。声のトーンやあふれてきた言葉がとても新鮮でした。みんなそれぞれ考えがあり、ここで同じ時間を過ごし、話し合っていることの意味が少しずつわかる気がしてきました。時間が経つにつれて、いつの間にかみんなが同じように、言いたいことを伝え合えていました。
これまでの私は友達と関わり、聖書との出会いの中でたくさんの気付きを覚えながらも、それを自らの行動に変えることが出来ないまま過ごしてきました。例えば自分が苦しいとき、私はこのつらさは誰にもわかってもらえないのではないかと、思い込んでいました。ましてや、人の苦しみも同じように理解することは到底出来ないと思っていました。しかし、分団を通して共感することで、優しさと理解が生まれ、分かち合う安心とうれしさが生まれることを知りました。
夜のキャンドルサービスでは4人の友人の証を聞きました。普通に過ごしているようにみえた日常の中に、悲しみや苦しみ、そして葛藤の中でもがいている姿がありました。しかしどの証にも、友人の気付きがあり、愛によって行動に変わっていき、前を向こうとしていました。そこには神様のお導きがありました。どんな状況の中でも、どんな自分の中にも、神様は存在して、私たちに進むべき道をしめしてくださるのです。待っているだけでなく、行動し、気付き、受けいれること。神様は私たちにそのように導いてくださいます。自分を変える勇気に私は共感し、胸に熱いものがこみ上げ、涙があふれてきました。
そのとき、自分の日常をふりかえりました。毎朝、台所の手を休め、玄関に出て、”いってらっしゃい”と温かく見送ってくれる祖父母がいます。私の朝はせわしく、心はいつも、わさわさしています。うつむき加減に、伏し目がちに、”いってきます”と、なんとかつぶやくことで精一杯な自分、そして、祖父母の温かいまなざしに答えることの出来ない自分がいます。目と目を合わせ、挨拶をかわすことの大切さを私は知っているのに、毎日、毎朝、出来ない自分を感じています。しかし私は与えられた自分の性格のせいにして、周りに甘え、行動することをためらってきたと思います。IamI-私が私であることの意味を見つけるには長い時間がかかると思います。しかし、愛を感じ、自分を見つけていった友達を知り、私は今、背中を押されている思いです。自分を律し、勇気を持って行動に移していこうと思います。
私は修養会で新しい自分と出会うことが出来ました。新しい生活をスタートした妹と共に英和生である一年を過ごせる幸せもかみしめています。同じ景色、同じ空気の中、共に過ごした友人、先生との時間がかけがえのないものとして私の中に生き続けることを確信しています。神様のお導きが私に気付きを与えてくださったことに感謝します。私が英和生でいられる時間はあと少しです。胸を張って6年間をふり返れるよう、毎日を大切に過ごしていきたいです。

お祈りします。神様、新しい朝をありがとうございます。今日も、高校生が集い、礼拝で1日を始められたことに感謝します。いま、私たちは学園祭の準備に忙しく過ごしています。それぞれが役割を果たし、力を合わせ、充実した学園祭を迎えられますよう、お導きください。この祈りを尊き主イエスキリストの御名前によって御前にお捧げします。アーメン。