生徒,礼拝のひとコマ

9月2016

放送礼拝 テニス部

コヘレトの言葉12:1

皆さんはBUNP OF CHICKENというバンドを知っていますか。

「天体観測」や「車輪の唄」などの曲は有名なので、きっと皆さんもどこかで聞いたことがあると思います。曲に込められたメッセージは、時に私たちを励ましてくれたり心の支えになったりします。私はこのBUNP OF CHICKENの「飴玉の唄」という曲から勇気をもらいました。

私がこの曲と出会ったのは、中学3年生の進学説明会でした。先輩の体験談の中で「自分を支えてくれた曲」として紹介されたのがこの曲でした。初めて聞いたときは、歌詞の意味が理解できず、この曲から勇気をもらったという先輩の気持ちが全然理解ができませんでした。「飴玉の唄」にはこんな歌詞があります。

「僕は君と僕のことをずっと思い出すことはない

だってさよならしないなら 思い出にならないから

さあ、ゆっくり下手な話をしよう  言葉のいらない話をしよう

何億年も遠い昔から お互い知っている人がいるよ

そういう1秒を紡いで 僕と生きている君がいるよ」

説明会後もこの曲のことが気に掛かっていた私は、歌詞の意味を調べてみました。すると、そこにはこんな風にありました。

「忘れなければ 思い出す必要なんてない。

さよならなんてしなければ、それはずっと今なんだ。

だから今を大切にしよう。」

私たち人間は一生のうちにどれだけの人と出会うのでしょうか。こういう説があります。

何らかの接点を持つ人30000人 同じ学校・職場・近所の人3000人、 親しく会話を持つ人300人、 友人30人、 親友3人…。確率でいうと、何らかの接点を持つ人は24万分の一 、同じ学校・職場・近所の人240万分の一、 親しく会話を持つ人2400万分の一、 友人2億4000万分の一、 親友24億分の一…。こう考えると、私たちが今こうしてクラスで席を並べていることも、とても奇跡的なことだと思えてきます。生まれた年、通った学校、入ったクラス、入部したクラブなど、何か一つでも違ったら出会うことがなかった人や経験することができなかったことはたくさんあります。私たちの人生はこういう奇跡的な出会いの積み重ねで作られています。私がこの「飴玉の唄」という曲に出会ったことも、山梨英和に入学し、このクラスの仲間や部活の仲間に出会えたことも、全てがとても奇跡的で、尊いことだと改めて実感しました。

私が高校から山梨英和に入学して、テニス部に入ったのには理由があります。もちろん、中学時代にテニス部に入っていたということもありますが、それだけではありません。中学最後の大会で、私は個人戦も団体戦もどちらも英和中学校と対戦し、負けました。その悔しさは今でもはっきりと覚えています。中学3年間、もっともっとしっかり練習していればよかった。中学最後の大会は大きな後悔が残りました。でもそれと同時に「もうこんな思いはしたくない」、「今日負けた相手にいつか勝ちたい」。そう思いました。そんな風に思っているうちに、いつしか私の山梨英和高校への意識は膨らみ、自分もこの学校に入学したいと思うようになりました。そしてこのとき、既に英和高校のテニス部に入ることを決めていました。それから1年半、今、私は山梨英和高校テニス部の部長をさせてもらっています。私の周りにはいろいろな挑戦の環境ができ、そのことを私は幸せに思っています。

私が英和を意識するきっかけとなった出来事。たまたま英和中学校と対戦した試合やそのときの負けて悔しかった想い、勝ちたいと思った相手との出会い、そういう1つ1つの出会いが今の自分を作っています。そしてこれからも、こういう奇跡的で尊い1つ1つの出会いが自分自身を成長させ、つくり上げていくのだと思います。神様は、私たちにたくさんの出会いの種をまいて下さっています。そして私たちはその奇跡の中で生きているのだと思います。私はこれからも日々の出会いを大切に、そして毎日に感謝しながら過ごしていきたいと思っています。

10月には新人戦があります。大会本番まで練習期間は残り少ないですが、一球一球を精一杯追いかけ、悔いのない試合をしたいと思います。そしてこの経験もまたこれからの私を作ってくれるのだと思います。

お祈りします。

神様、今朝も放送を通して礼拝を守ることができることに感謝します。今日は私の経験をもとにお話させていただきました。私たちは時に困難なことから逃げ道を探したり、諦めてしまったりすることがあります。しかし、これらすべてが神様から与えられた貴重な出会いであることを覚え、日々感謝して何事にも精一杯取り組めますように。10月には新人戦や芸文祭があります。本番まで残り少なくなってきましたが、どうか、今与えられた環境に感謝し、練習に励んでいけますよう、お見守りください。

この願いばかりの祈りを尊き主、イエスキリストのお名前 を通して御前にお捧げします。アーメン

放送礼拝 図書委員会

使徒言行録20章35節

「他者に奉仕する心」

「大切なのは、どれだけ多くをほどこしたかではなく、それをするのにどれだけ多くの愛を込めたかである。大切なのは、どれだけ多くを与えたかではなく、それを与えることに、どれだけ愛を込めたかである」これはマザーテレサの言葉です。

私がこの言葉を実感したのは、夏休みに東北ボランティアに参加したときのことでした。震災から5年がたち、私は初めて東北を訪ねました。実際に津波に遭った建物を、初めて目にしました。小学校を訪れ、壊れたままの校舎の壁や荒れた校庭の跡を目の当たりにしたとき、そこからはかつて教室で学んでいた子どもたちの姿も休み時間や放課後にみんなで遊ぶ子どもたちの様子も想像できませんでした。津波の爪痕をとても恐ろしく感じた瞬間でした。

震災についての報道は、5年前に比べてそれほど多くは取り上げられなくなりました。テレビや新聞などは、次々と新しい情報を追いかけていきます。しかし、私たちは東北の被災地の現状を決して忘れてはならないのです。

私のボランティアの内容は、夏祭りの屋台のお手伝いでした。「自分が楽しむのが目的ではなく、来てくださったお客さんを楽しませるのが仕事」と運営の方はおっしゃいました。日頃私たちは、授業を受けたり、ものを買ったり、何かを人に提供してもらっていることの方が多くあります。ボランティアで、子どもたちに景品を渡しながら、子どもたちが本当にうれしそうに景品を選び、受け取ってくれる様子を見て、自分自身も心からうれしく思えました。

今回のボランティア体験で、日頃とは違う立場にたってみて、マザーテレサの「ほどこし」という言葉の意味がわかった気がします。今回の私の「ほどこし」はほんのわずかなことでしたが、来てくれた子どもたちに「愛を込めてほどこしができた」と思います。

図書委員会の活動でも、学園祭の百人一首大会や図書館だよりの発行や読書週間のイベントなど、愛を込めて奉仕する機会はたくさんあります。私たちの小さな奉仕が、多くの人の笑顔や喜びとなれるように心がけていきたいと願います。

 

お祈り

神様、今日も皆とともに礼拝をおささげできたことに感謝します。私たちの小さなほどこしが多くの人の笑顔になりますようにお守りください。このお祈りを尊き主イエス・キリストの御名によっておささげします。アーメン。