生徒,礼拝のひとコマ

12月2016

放送礼拝 保健委員会

詩編127編 2節
朝早く起き、夜おそく休み、
焦慮してパンを食べる人よ
それは、むなしいことではないか
主は愛する者に眠りをお与えになるのだから。

 私たち保健委員会は先日、山梨県高等学校保健研究大会に参加してきました。
山梨県高等学校保健研究大会とは、山梨県の高校の保健委員会の代表者が集まり当番である高校のプレゼンを聴くものです。

今回は甲陵高校、増穂商業高校、甲府商業高校、都留興譲館高校の4つの高校がそれぞれのテーマで研究し、その実践報告を聴きました。

その中で私が一番興味を持った甲陵高校の発表を少しお伝えしようと思います。

甲陵高校は今回「睡眠」をテーマに研究していました。その中の校内アンケートでは約56%の人が睡眠不足と感じ、約80%の人がすっきり目覚められないと答えたそうです。

睡眠不足は、日中の強い眠気や居眠りを誘発し、学習機能や記憶に影響をきたすことがわかっています。4~6時間睡眠を2週間繰り返すと脳は、丸2日間の徹夜と同じになるそうです。また、17時間起き続けている脳は酔っ払っている人と変わらないのです。

睡眠不足の理由として挙げられたものの中には「スマホ」がありました。寝る1時間前からしていることとして約50%の人が「スマホ」をいじっていると答えたそうです。スマホをいじることにより液晶の光で脳が昼間だと錯覚を起こし体内時計を狂わすそうです。

そして、なかなか眠くならず夜更かしをし朝スッキリ目覚められないという悪循環が生まれるのです。

私も寝る前は毎日携帯を使ってしまいます。そのため気づけば1時間は軽く過ぎてしまい寝る時間が減り寝不足で頭痛になった経験も何回かあります。

実際に試験期間に徹夜する人や課題のために夜遅くまでおきている人がいると思います。

時間の使い方をもう一度見直し、有効に時間を使えるように計画し直しましょう。

自分に合った睡眠時間を見つけ健康な身体で学校生活を楽しみましょう。

私はこの研修会に参加して改めて睡眠の大切さを実感しました。考えてみると睡眠は私たちにとって当たり前のことに思えますし、日頃特に意識することなく過ごしていますが、睡眠にも目を向け意識することが必要だと感じました。

今日の聖書の箇所には、神様が愛する者、私たち人間に「眠りをお与えになる」と書かれています。これは眠りということにとどまらず、神様が私たちの生活すべてをまもって、支えてくださっているということだと思います。私たちも自分自身の生活を振り返り、大切に生きていきたいと思います。

 

お祈り

今日も1日を与えてくださりありがとうございます。
全校のみんなと礼拝を捧げられることに感謝します。今、風邪など流行っていますが皆の健康をお守りください。
この祈りを主イエス・キリストの御名によって御前にお捧げいたします。アーメン。

合同礼拝 高校1年生

合同礼拝

ヨハネの手紙Ⅰ 3章16~18節

 先日の修養会で、私達高校1年生は高齢者体験と車椅子体験を行いました。日本は超高齢社会を迎え、およそ4人に1人が高齢者となっています。このような状況の中、私たち若者がそうした現状と向き合い、これからの高齢社会を支えていかなければなりません。しかし、核家族化が進み、介護などをあまり身近に感じない若者にとって、高齢者にはどのような不自由さがあり、どんな危険にさらされているかなど考える機会も少ないと思います。

 先日の体験では、そうした高齢者の心身の状態を学び、理解を深め、また車椅子の方の大変さや負担なども学ぶことができ、実際に体験してみないと気がつかないことが多くありました。高齢者体験では、肘や膝を固定し、重りをつけて、曇った眼鏡や耳栓、手袋を装着して歩いてみるというものでしたが、重りが身体中の負担となり、自然と腰が曲がった状態での歩行になってしまいました。また、手袋を装着すると新聞をめ くることも上手にできませんでした。

 時々街中でも横断歩道を渡る事に時間がかかる高齢者や、買い物の際に小銭の出し入れが遅い高齢者を見かけます。今まで私は急いでいる時など高齢者の方がこのような苦労をしていたとは知らずに、イライラしてしまうことがありました。体験をしてみた今だから言えることですが、高齢者の方にもっと配慮できたらよかったなと思います。

 車椅子体験においても、自分が乗ってみた時に気づいた事がたくさんあります。乗る前には車いすのタイヤを回すことは、車いす利用者の方が苦労しているようには見えなかったので、簡単なことだと思っていました。しかし長時間タイヤを回すと腕が痛くなり、想像していた以上に大変でした。そして、狭いところは車椅子では通れない事、広い場所がないと方向転換ができないこと、段差を乗り越えるには相当慣れる必要があり、小さな段差でも振動がかなり伝わってきました。車椅子利用者の方の1人の力では、とても難しいことがわかりました。一方で普段気づかないことでしたが、公衆電話の位置を確認するとしっかり車椅子利用者も使用できる高さにあわせられていて、小さなバリアフリーにもきづくことができました。

 また、車いすを押す側になって感じたことは、乗っている人とのコミュニケーションが大切だということです。階段を登る際にもいきなり車いすを傾けるのではなく、一言声をかけてから登るようにしたり、話しかける時は、車椅子に乗っている方の目線まで合わして話すようにしたり、自分のことだけを考えて行動するのではなく、車いすに乗っている相手のことを考えて行動することが必要なのです。そして、全てを介助するのではなく、本当に手助けが必要なポイントに自然に介助するのが理想だと感じました。

 私は中学3年の職業体験で、知人の紹介で介護施設で仕事をさせていただく機会がありました。2日間、施設で高齢者の方々に接し、お風呂の介助や食事の介助などを体験させていただきました。高齢者の中には、1人で歩行困難な方、入浴や食事の介助が必要な方、何度も同じ話をされる方、人と接するのを嫌がり、心を閉ざす方など様々な方がいらっしゃいました。介護の現場は本当に大変で、子供のお世話とは違って体重があるので重労働です。何より高齢者ご本人の方が体の自由を奪われ、いろいろな思いや悩みを抱えています。高齢者の方には体の介護だけではなく、心のケアもとても大切であることを学んだ2日間でした。 今年の修養会の体験を通して感じたことは、私たち体験者は体験が終われば日常にかえることができるということです。高齢者には体の自由を奪われ生活していく日常、車椅子利用者には一つ一つの行動が負担になる日常がずっと続くということです。そこで私たちにできる唯一のことは、理解と協力だと思うのです。実際 手を差し伸べることは、勇気がいることかもしれませんが、他人事ではなく、自分自身に関わることとして受け止めたいと思いました。日常生活で私達が気にも留めていないことが不自由だったり、不便を感じている人たちが、私たちの身のまわりにもたくさんいることを意識し、どんな不便があるのかを想像できることが大切だと思います。それができればその場で自分が何ができるかがわかってくるのではないでしょうか? 今年も修養会を通していろいろ考えられたり、学ぶことができた事に感謝したいと思います。

 お祈りします。 神様今日は、私たちが相手の立場になって考え、どのように相手を思って最善を尽くすことができるかをお話ししました。思いやりの気持ちを持って日々 を過ごすができますように、お導き下さい。このお祈りを尊き主イエス・キリストのみ名によってみ前におささげいたします。 アーメン

放送礼拝 華道同好会

12/6 華道同好会 礼拝原稿

コリントの信徒への手紙1  12章4節から11節

 私が華道同好会に入ったのは、祖母の影響です。

 私の祖母は、昔から華道をやっていて、家にはいつも綺麗な花が活けてあります。祖母の活ける花は、色鮮やかで、使われている花それぞれの個性がよく生かされています。それは私たち家族の日常に溶け込んでいて、あらたまって鑑賞するわけではありませんが、毎日家の中に飾られているだけで私たち一人一人の心を癒してくれます。

 そのような祖母のいけばなと、花と向き合う祖母の姿を見て、私も幼い頃から花に興味を持っていました。家では、小学生のころから祖母に教えてもらいながらときどき活けるくらいでしたが、中学生の時に友達の勧めもあり華道部に入部しました。学校で毎週のお稽古を始めてから、華道は私にとって一つの楽しみになりました。普段は、ひとりひとりが先生の指導を受けて花を活けますが、学園祭では高校生が同じ学年の人と一緒に大きな作品に挑戦します。普段は使えない大きな花を扱えて面白いです。

 花には数え切れないほど多くの種類があります。その土地の気温によって、咲く花の色には傾向があるそうです。例えば暖かい地方には赤い色や紫色がかったコスモスなどの花が多く、寒い土地に行くと白や黄色のパンジーなどの花が咲きます。同じ種(しゅ)でも、スミレなどは平地では紫色が多く、高い山では黄色が多いそうです。

 このように、花は土地や気候に合わせて少しずつ姿を変えながら全世界に存在します。また、同じ種類の花でも、まったく同じ色、形のものを見たことはありません。花は一輪一輪すべて違うのです。私が花を活けていく中で、様々な色、形のものに出会いました。華道では一回のお稽古ごとに、先生が花を用意してくださいます。先生が活け方を図で示してくださるので、それに習って花を花器に活けていきます。しかし、花は一輪一輪違っているので、生け花の作品も一つ一つ違うものに仕上がります。同じ種類の花でも、花が大きくて鮮やかな色なら使いやすいですが、小さい花や色が暗い花は、目立ちにくいし、バランスを考えるのは難しいです。しかし、完璧でない一本一本を一つの花器に活けることで、それぞれが補いあい、一つの作品となります。それがいけばなの面白さでもあります。

 これは、花だけに限られたことではありません。みなさんは、「わたしと小鳥と鈴と」という詩を知っていますか。

  わたしが両手をひろげても、お空はちっとも飛べないが、

 飛べる小鳥は私のように、地面を速く走れない。

  私が体をゆすっても、きれいな音は出ないけど、

 あの鳴る鈴は私のように、たくさんな唄は知らないよ。

  鈴と、小鳥と、それから私、

 みんな違ってみんないい。

 この詩の一人の人間と小鳥と鈴は全く違う存在ですが、それぞれが長所を持っています。一人一人が光り輝く大切な存在です。今日の聖書の箇所の11節を見てください。これら全てのことは同じ唯一の霊の働きであって霊は望むままにそれを一人一人に分け与えて下さるのです。と書かれています。このように神様は私達一人一人にあった賜物を与えて下さり、それを活かす力も与えて下さいます。私たちは完璧ではありません。しかし、完璧でない花を組み合わせて一つの美しい作品をつくるように私達も神様から与えられた賜物を活かし、支えあっていきましょう。

お祈りします。

神様、今日も新しい朝を下さり、放送を通して皆で礼拝を守れたことに感謝いたします。今日は、神様が与えてくださった賜物とそれぞれの個性の素晴らしさについてお話ししました。今日のお話が皆の心に留まりますように。また、最近は冷え込んできて体調を崩してしまっているものもいると思います。皆の体調をあなたがお見守りください。この祈りをイエス様によってみまえにおささげいたします。アーメン