5月2017

放送礼拝 バスケットボール部

ローマの信徒への手紙8章18節

私たちは日々の生活の中で、様々な悩みや壁にぶつかることが多くあります。私は、幼い頃から自分にとっての困難や苦労に立ち向かおうとせず、いつも逃げてばかりいました。中学生の時、私は小学校の時のミニバスの仲間と一緒にバスケ部に入部しましたが、先輩とのいざこざや自分の練習に対する意識の低さからすぐにバスケ部を退部しました。そんな自分と決別するきっかけがほしいと考えた私は、英和高校に入学すると同時に、もう一度バスケ部に入りたいと思うようになりました。しかし、遠方から通っていることや入学前に両親と決めた、勉強のために高校に通うから部活には入らないという約束、何より中学生の時の自分の経験があって、なかなか決断することはできませんでした。中学生の時の自分と同じことを繰り返してしまうかもしれないという弱気な思いと、自分を変えたいという思いの中で葛藤し、顧問の先生や両親と何度も話し合いを重ねた結果、同じことは繰り返さないと自分に誓って、バスケ部への入部を決断しました。

入部してからは、様々な悩みにぶつかりました。私は遠方から通っていたため最後まで練習に参加できないことや、自分が思ったようにプレー出来ず悩んだことはもちろんですが、何より悩んだのが、部員との関わり方です。バスケ部では、中高一貫で練習しているため、入部当時から先輩も後輩もいるという環境に戸惑い、なかなか馴染めずにいたのを今でも覚えています。さらに、そんな私を不安にさせたのは、高3の先輩の引退でした。それまで集団をまとめた経験がなく、いつも誰かに付いて行っていた私が、気づいたら中高全体の最上級生、しかも必然的に副部長という立場になり、チームをまとめなければならなくなったことに焦りと不安しか感じることができませんでした。

その環境に馴染めないまま、私は部活で何をしていてもどこか孤独に感じていました。自分の不安を周りの環境のせいにばかりしていましたが、今思うと孤独の原因は周りだけではなかったと思います。バスケはチームスポーツです。全員の気持ちが一つになり、同じ方向を向いていなければ、誰かを感動させられるようなプレーは生まれません。仲間から見ればチームが一つになれない原因の一つに私の存在があったと思います。一緒に練習していてもどこか孤独で、いつしか練習に対する不満ばかりを募らせるようになりました。どうして私だけなのだろう、いつもそう考えていて、練習に楽しさを見出せず、何度も辞めようかと考えました。当時の私は常にネガティブ思考で、何をしても物事を良い方向に考えることができず、過去の自分がそうであったように、楽な道へと少しずつ向かっていたように思えます。そんな私を救ってくれたのは、顧問の先生方、共に闘う同級生、情けない先輩を頼りにしてくれた後輩たち、引退した先輩、私の話を聞いてくれる友人、家族、私の周りにいるたくさんの人の言葉でした。多くの人に教えてもらったのは、前向きに物事を捉え、勇気を出して伝えることの大切さと、人に頼ること、頼られることの大切さでした。誰かに頼れば、必ず自分にとってよい助言が与えられ、その一つ一つが新しい自分に生まれ変わらせてくれました。

自分に精神的余裕が生まれてくると、先輩や顧問の先生にコミュニケーションを取らずにいる後輩のことが心配になり、後輩たちが最上級生になったときに私と同じ思いをして欲しくないという思いが芽生え、新入部員を中心に、自分の方から少しずつ後輩たちともコミュニケーションを取るようになりました。後輩たちを支えているつもりが、そのことで自分を成長させてくれていたことにも気付きました。私を支えてくれた全ての人が、私にとっての恩人です。バスケ部での時間を振り返ると、この時の悩みがあったからこそ、今の自分があるのだと思います。

先日の高校総体では、県内随一の強豪校と対戦する、とても貴重なチャンスを与えられました。試合を通して、チームとしては強豪校相手に自分たちのプレーが少しでも通用するという自信につながる大きな成果を得られた一方で、自分自身はなかなか思うようなブレーができず、試合のほとんどをベンチから、満身創痍で戦う仲間の姿をただ見守ることしかできなかった自分をとても情けなく感じていました。応援に足を運んでくれた高校一年生と落合先生、校長先生、家族の声援が飛び交う中で、私はただ自分の自覚のなさを再確認し、見守るだけの辛い時間が流れました。試合中の怪我によりコートに立ちたくても立てない仲間がいて、相手チームにはベンチに入ることさえ許されない人がいて、自分が何をするべきだったのか、改めて考え直すきっかけになったと思います。

私たちに残されたのは、インターハイまでの残り僅かな練習時間のみとなりました。大きな山を何度も乗り越えた今、部員の気持ちが一つにまとまってきているのを日々の練習で強く感じることが出来ています。チームとして技術的にも精神的にも今がとてもよい状態であり、自分自身とても前向きな気持ちで日々を過ごしています。チーム一丸となって挑む目標は「勝利」です。引退を迎える私たちだけでなく、部員全員にとって、このメンバーでコートに立てるのは、インターハイが最後となります。これまでの積み重ねを信じ、共に闘った仲間を信じ、自分を信じて、これまで支えてくれた全ての人への感謝を忘れず、最後のブザーが鳴るその瞬間まで、1つのボールに必死に喰らいつきたいと思います。今の私があるのは、ここまで何度も迷惑をかけ、ぶつかり合い、一緒に戦ってくれた部員みんなのおかげです。見ている人に感動を与えられるような、英和らしいバスケを最後まで追い求めたいと思います。

私は、バスケ部に入ったことで変わることが出来ました。そのことを次のインターハイではプレーで表現し、ここまで私を支えてくれた全ての人に恩返しをするつもりで挑みます。これまで数え切れないほど悩み、そのたびに涙を流してきましたが、流した涙の分だけ成長した自分を証明し、試合に対するプレッシャーを跳ね飛ばし、これまで自分が積み重ねたもの全てをぶつけて、最後まで仲間と走り抜けたいです。そして、残された僅かな時間の中で、私にしか感じることのできない思いを、少しでも多くの人に伝えていきたいです。

お祈り

神様、今日も新しい朝をありがとうございます。礼拝を捧げる機会を与えられたことに感謝します。私たちが乗り越えた困難の分まで成長していくことができますように。今日一日、皆が安全に過ごせるようお見守りください。
 この祈り尊き主、イエスキリストのお名前を通して、御前にお捧げいたします。
アーメン。

高1進路学習会を実施しました

5月12日(金)に(株)ベネッセコーポレーションより山田浩揮氏をお招きし、スタディサポート分析会を行いました。スタディサポート結果が示す学習到達ゾーンごとの特徴、また生徒それぞれが自分はどのゾーンに属しているのかを認識しました。そこからレベルアップしていくにために高1の今からできることとは何か?毎日の授業を大切にする、小テストにも真剣に取り組むなど当たり前ですが、時間の経過とともに疎かになりがちな点を山田先生にポイントアウトしていただきました。山田先生が最初にされた「小さな水槽で育った魚は大きな水槽に移しても小さな水槽の枠から出ることはできない」というたとえ話は、高校生活をスタートしたばかりの1年生に、人生において大切な時期に英和という器の中で視野を広げ、人間力を培って欲しいという先生からのエールだったように感じられました。

「山梨英和主催進学相談会(高校生及び保護者対象)」を実施しました

去る5/12(金)夕方から、本校主催の進学相談会をベルクラシック甲府にて行いました。恒例となった校外での相談会ですが、今年も56校もの大学、短期大学にご参加いただくことができました。英和生に人気のある大学、短期大学の先生方や入試担当者の方々とじっくり相談できるということもあり、積極的に各大学のブースを回り、熱心に相談する親子の姿が見受けられました。特に高3生は、受験に向けてより具体的な相談ができ、目標を明確にすることができたようです。多くの入試担当者の方々から、「英和生の意識の高さが感じられた」、「親子で相談にきて貰えたので、大学について認識を深めてもらえた」等の感想をいただきました。今年も熱気の内に大幅に予定時間を超えての終了となりました。ご参加いただきました大学、短期大学の皆様に感謝申し上げます。

高3親子進路学習会を実施しました

 新年度最初の親子参加の進路行事として「対象 推薦・AO入試説明会」を実施いたしました。いよいよ受験が本格的にスタートする前に、推薦入試制度に関する本校での取り扱い、手続き方法などを高3生と保護者の両者に理解していただくためのものです。大学入試は保護者世代とは大きく異なっていますし、年ごとに変わっています。AO入試か、推薦入試か、または一般受験か、とその選択も頭を悩ませるものとなっています。複雑な制度を理解することは難しいとは思いますが、この1年は今まで以上にご家庭での親子のコミュニケーションを進路という視点で深めていっていただきたいと思います。高校3年生の希望進路実現に向けて、学校も引く続き多方面でのサポートを続けていきます。

Library News(2017年5月19日号)

Library News(2017年5月19日号)を発行しました。

画像をクリックするとPDFでご覧いただけます。

 

小学生対象 理科実験講座を開催しました

 5月13日、小学5・6年生を対象にした理科実験講座を開催しました。本校自然科学部の生徒が講師になり、年に2回さまざまな理科実験講座を行っています。こちらは山梨県生涯学習センター U-21チャレンジ講座とのコラボ企画にもなっています。
 今回は『強度の実験』~「強い橋」ってどんな橋?~と少し難しそう…な『強度』の学習です。

 みなさんは乾物のパスタを使って橋の模型を作るコンテスト(世界大会まで)があるのをご存じですか?1983年にカナダで始まったそうです。乾物のパスタを使って橋を作り、より大きな重量に耐えたものが勝ち、が基本ルールです。このコンテストは、日本では東京大学、立命館大学、新潟大学など多くの大学の特に建築を学ぶ学生の授業などでも行われているようです。
 当日は、自然科学部の高校2・1年の生徒14名が講師となり、まず構造物の強度に関係のある構造(ラーメン構造・トラス構造など)を学び、その後実際にグルーガンを使ってパスタをくっつける練習をしました。それぞれ設計をして作り始める生徒もいてみんな夢中になっていました。
 最後に、自然科学部の高校2年のお姉さんが作った橋におもりを付けてどのぐらいの重さに耐えられるかを見ました。25gのおもりは何個ぶら下げることができたでしょうか?みんなで重さをカウントし大興奮!!なんと50個1250gまでぶら下げ時間切れで終了、その後ちょっと引っ張って見ると…さすがに壊れてしまいました。それでもパスタがばらばらにならずに、思ったより強いことがわかりました。講座の終わりには「夏休みの自由研究には立派なパスタブリッジを作る!!」と意気込んで話してくれる小学生もいらっしゃいました。

次回の理科実験講座はどんな実験をするのか開催が楽しみです。またたくさんのみなさんのご参加お待ちしています。

春のEIWA DAY 6月開催です!

春のEIWA DAY 6月開催です!

春のEIWA DAYでは、小学生の皆さんに山梨英和中学校の
礼拝や授業などを体験していただけます。
小学3年生から参加できます。ぜひご参加ください。

春のEIWA DAY – 山梨英和の授業を体験しよう!-
日時:6月 3日(土) AM 9:30~
場所:山梨英和中学校
受付:AM9:00 ~ 9:30
対象:小学 3・4・5・6年生 女子

お申込みは
←左の画像をクリックして必要事項を入力してください。
※5月31日(水) 締切です

*秋のEIWA DAY(公開授業)は、9月開催となります。ご確認ください。
春のEIWA DAYチラシPDF

放送礼拝 久木元先生

聖書:マタイによる福音書26節69~75節

ペトロは外にいて中庭に座っていた。そこへ一人の女中が近寄って来て、「あなたもガリラヤのイエスと一緒にいた」と言った。ペトロは皆の前でそれを打ち消して、「何のことを言っているのか、わたしには分からない」と言った。ペトロが門の方に行くと、ほかの女中が彼に目を留め、居合わせた人々に、「この人はナザレのイエスと一緒にいました」と言った。そこで、ペトロは再び、「そんな人は知らない」と誓って打ち消した。しばらくして、そこにいた人々が近寄って来てペトロに言った。「確かに、お前もあの連中の仲間だ。言葉遣いでそれが分かる。」そのとき、ペトロは呪いの言葉さえ口にしながら、「そんな人は知らない」と誓い始めた。するとすぐ、鶏が鳴いた。ペトロは、「鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう」と言われたイエスの言葉を思い出した。そして外に出て、激しく泣いた。

先日、ゴールデンウィークの休みを利用して、久しぶりに映画を鑑賞してきました。前回、映画館で映画を見たのは、2014年のことですから、実に3年ぶりになります。そのときに見た映画は、フランスにあるグラン・シャルトルージュ修道院の日常生活を取材したドキュメンタリー『大いなる沈黙へ』という映画でした。そして、今回は何を見てきたのかと言うと、『沈黙』という映画です。「沈黙」つながりですね。自分でも今になって気づいて、びっくりしています。何か自分の中に、「沈黙」を好む志向でもあるのでしょうか。今回見た『沈黙』という映画は、遠藤周作の小説を、マーティン・スコセッシというアメリカの監督が映画化したものです。日本では、今年の1月に公開されました。今日は、この『沈黙』という作品を通じて、イエス・キリストは私たちの弱さに寄り添っていてくださるというお話をしようと思います。
遠藤周作の『沈黙』については、今年3月の終業礼拝で、校長先生がお話ししてくださったので、覚えている人も多いでしょうが、4月から英和に入学した人は知らない人もいるでしょうから、簡単にあらすじを紹介しておきます。時は江戸時代、島原の乱が終わって間もないころ、イエズス会のフェレイラ神父が、布教に赴いた日本での苛酷な弾圧に屈して、キリスト教の信仰を捨てたという報せがローマにもたらされました。フェレイラの弟子ロドリゴと神父とガルペ神父は、その真相を確かめるために長崎に潜入し、隠れキリシタンたちに歓迎されるが、やがて長崎奉行所に追われる身となります。逃亡するロドリゴはやがて、キチジローという、彼らの密入国を手助けした人物の裏切りで密告され、捕らえられます。殉教(信仰を守るために死ぬこと)する覚悟で牢につながれたロドリゴのもとに、夜中、フェレイラ神父が訪れ、踏絵を踏むようにロドリゴを説得します。その説得を拒絶するロドリゴに、フェレイラ神父は、ロドリゴが踏絵を踏まない限り、拷問を受けている信者たちは許されないことを告げます。自分の信仰を守るのか、それとも、自分が踏絵を踏むことによって、拷問されている人々を救うべきなのか、究極の選択を突きつけられたロドリゴは、フェレイラから、「もしキリストがここにいられたら、たしかにキリストは、彼等のために転んだ(信仰を捨てる)だろう」と言われて、ついに踏絵を踏むことを受け入れます。夜明けに、ロドリゴは奉行所の中庭で踏絵を踏むことになりますが、そのとき、彼の足に激しい痛みが襲います。そして、踏絵のなかのイエスが「踏むがいい。お前の足の痛さをこの私が一番よく知っている。踏むがいい。私はお前たちに踏まれるため、この世に生れ、お前たちの痛さを分つため十字架を背負ったのだ」と語る声を聞きます。踏絵を踏むことによって信仰を捨てたロドリゴはその後、奉行所の監視下で、キリスト教を取り締まる側に回り、岡田三右衛門という日本人の名前を名乗り、日本人の女性と結婚して、その生涯を終えます。
ここで一つ、大きな疑問が生じるのですが、果たしてロドリゴは本当に信仰を捨てたと言えるのでしょうか。そのことを考えるために、ロドリゴが踏絵を踏む場面を検証してみたいと思います。ロドリゴが踏絵を踏む場面で、鶏が鳴く描写があります。ちょっと小説から引用してみましょう。「こうして司祭(ロドリゴのことです)が踏絵に脚をかけた時、朝が来た。鶏が遠くで鳴いた。」この場面は、今日読んだ聖書の箇所を踏まえて書かれたことは明らかです。この聖書の箇所は、「ペトロの否認」と呼ばれ、古来、絵画をはじめとするさまざまな芸術作品に描かれてきた有名なエピソードですが、聖書に親しんだ人であれば、この、ロドリゴが踏絵を踏む場面から、ペトロの否認を連想することでしょう。つまり、『沈黙』におけるロドリゴは福音書におけるペトロの役割を担わされているのです。ペトロはこの出来事の後、自分の行いを激しく後悔して改心し、復活したイエス・キリストに出会い、初期キリスト教の中心的な指導者として活躍することになります。ロドリゴ神父という人物を造形するに当たり、遠藤周作が福音書のペトロを念頭に置いていたとすれば、ロドリゴが踏絵を踏んだ後も信仰を守り続けていたと考えることができるでしょう。実は、映画の『沈黙』では、原作の小説にないラストシーンが用意されていて、ロドリゴが信仰を捨てていたのではないことが明らかにされるのですが、それを今ここで話してしまうとネタばれになってしまいますので、そのラストシーンについては、これ以上は話しません。気になる人は、ぜひ映画館で映画を見て確認してください。
ペトロにとってイエス・キリストを否認すること、そして、ロドリゴ神父にとって踏絵を踏むことは、彼らが人間的な成長を遂げるために必要なことでした。ペトロはイエスから「あなたは今夜、鶏が鳴く前に、三度わたしのことを知らないと言うだろう」と言われて、「あなたのことを知らないなどとは決して申しません」と誓いました。このときのペトロは、自分を強い人間だと思い込んでいたのでしょう。自分はどんな困難に遭っても、決して信仰を捨てることのない強い人間だと自覚して、自分の中にある弱さに気づいていなかったのだと思われます。イエス・キリストが逮捕された時、他の弟子たちはみなイエスを見捨てて逃げてしまったのですが、ペトロだけはイエスの後についていきました。そして、イエスの裁判が行われる大祭司の屋敷の中庭まで入っていったのです。そこで、ペトロは、イエスの弟子であることを見破られてしまいました。「あなたもガリラヤのイエスと一緒にいた」と屋敷の女中から指摘されると、「そんな人は知らない」と否認してしまいます。イエスに対して「あなたのことを知らないなどとは決して申しません」と誓ったにもかかわらず。ペトロは自分の身を守るために、一番大切な人を裏切ってしまったのです。でも、人間って、そういうものですよね。自分の身に危険が及ぶと、嘘をついて自分を守ろうとしたり、誰かを裏切ってしまったりするものです。人間はそういう弱さを抱えた存在なのです。ペトロはイエスを否認したときに、初めてその人間の弱さに気づいた。自分も弱い人間であり、自分を守るためには嘘をついたり誰かを裏切ったりする卑怯な存在であるということを、嫌というほど自覚させられた。でも、この出来事を通じて、ペトロは人間的に成長することができたのです。人間は誰でも、その内に弱さを抱えた存在であるが故に、ある行いについて良いとか悪いとか、人間が裁くことはできないのだということ。そして、そのような人間の弱さをイエス・キリストは全部分かっていて、それでもなお私たちの側に寄り添っていてくださったこと。こういったことを理解することによって、ペトロはキリストの教えを伝道できるようになったのです。
ロドリゴ神父も同様です。彼も踏絵を踏むことによって、人間の弱さを理解した。『沈黙』では、キチジローという、人間の本質的な弱さを体現した人物が重要な役割を果たしていますが、彼は前にも述べた通り、ロドリゴを奉行所に密告して褒美のお金をもらってしまうのです。そういう点で、キチジローは、福音書におけるユダの役割を担っているといえるでしょう。ロドリゴもこのキチジローに、ユダと同じような雰囲気を感じ、嫌悪感を抱いていました。しかし、踏絵を踏んだ後のロドリゴは、キチジローの弱さが理解できるようになります。ロドリゴはそれまではキチジローの弱さを裁いていたのですが、彼は自分にキチジローの弱さを裁く資格がないことを思い知り、彼の弱さに寄り添おうとするのです。イエス・キリストがペトロの弱さに寄り添ってくれていたように。
キチジローの弱さについてもぜひ話しておきたいのですが、そこまで話すと時間がオーバーしてしまうでしょうから、また次の機会に譲るとします。最後に、ロドリゴがキチジローの罪の許しを行った後、イエス・キリストに呼びかけた言葉、そしてイエスの返事を引用して閉じたいと思います。
「主よ。あなたがいつも沈黙していられるのを恨んでいました」
「私は沈黙していたのではない。一緒に苦しんでいたのに」

お祈りします。ご在天の父なる神様、新しい朝を与えられてこの学び舎に集い、愛する姉妹たちとともに礼拝を守れることに感謝いたします。私たちは本当に弱く、そして小さな存在です。時には嘘をついてしまったり、誰かを裏切ってしまうような、卑怯なこともしてしまう人間です。それでもあなたは私たち一人ひとりを愛してくださり、最愛の一人子、イエス・キリストを私たちのもとに遣わしてくださいました。なんという幸いでしょうか。そして、主イエス・キリストは私たちの弱さを分かってくださり、私たちが苦しむとき、悲しむときには一緒に苦しみ、悲しんでくださいます。苦しいとき、悲しいときにも、常に主イエス・キリストが側にいてくださることを信じて、前を向いて生きていけますように、私たち一人ひとりをお支えください。来週には前期Ⅰ試験が始まります。一人ひとりが充分に力を発揮できますよう、お導きください。困難の中にあって、なかなか学校に足が向かない姉妹のことも覚えます。どうかあなたが側にいて、慰めをお与えください。この小さな祈りを、主イエス・キリストのお名前を通してみ前におささげいたします。アーメン。

Kids’ISO14000 For Schoolの国際認定を受けました

2016年度に2つのチームがKids’ISO14000 For Schoolに挑戦し、国際認定を受けました。環境委員会チーム「エレクトリックチャレンジ」は校内の節電に取り組み、高校1年生13名からなるチーム「AQUA13」は節水に取り組みました。どちらも使用量の削減だけでなく、意識改革の大切さに気づくことができました。

 

放送礼拝 美術部

コヘレトの言葉12章1節

 私が美術部に入部してから5年が経ちました。小さい頃から絵画教室に通っていて絵を描くことが大好きだった私は、中学生になったら美術部に入るという強い思いで英和に入学したのを今でも覚えています。

美術部に入って最初に取り組んだのがUTY教育美術展でした。最初の作品は楽しく制作でき納得のいく作品ができ、また嬉しいことに良い評価も頂くことができました。後に祖母がその絵を刺繍で作ってくれて思い出深い作品でもあります。美術部として良いスタートができたと感じていました。

しかし、2年目に私の考えが大きく変えられることがありました。前年同様、UTYの作品を仕上げ提出し結果を待っていました。結果は、作品を提出した友達はみんな良い評価をもらったのに私だけ何にも引っかかりませんでした。「なんで私だけ? 何が駄目だったの?」と本当に悔しくて原因を考えました。みんなの作品と自分のを見比べて考えたら、私の中で一つの考えにたどり着きました。私に足りなかったのは、その作品を通して何を伝えたかったということです。コンセプトがなかったわけではありませんが、私の作品には伝えたい思いが込められていませんでした。その時に、「ただ楽しく作り自己満足で終わっては駄目なんだ。見てもらう人に伝わるようにしなければいけないんだ」と学びました。それからは、見てくれる人に作品に込めた思いが伝わるような、楽しんでもらえるような作品を目標に制作しています。

 ところが、今度は考えすぎて自分でどうしたいのか分からなくなってきてしまいました。「何を伝えたいの? そもそも何を描きたいの?」と。仲間が持っているそれぞれの世界観や得意分野があることが羨ましくて「どうして私には何もないんだろう」と悩みました。また、私は高校2年生の始めまで掛け持ちでダンス同好会に入っていました。姉の影響で入部しましたが、ステージで踊っていくうちに踊りで表現する楽しさを知りどんどんダンスが好きになっていき、絵を描いている時より踊っている時の方が楽しく感じました。これらのことから大好きだった美術が苦痛になりました。「さんざんやってきたんだしもうそろそろやめてもいいんじゃないかな」と辞めたいと思う時もありました。しかし、辛いのはアイデアを出す段階だけであって、大きなキャンパスに色を付けられなくなってしまうと考えると寂しくなり、またずっとやってきた美術からきっぱりと離れることもできず、もう少し頑張ってみようと思えました。

 今までを通して見つめ直すと美術部を辞めなくて良かったなと思います。悩みは今でも無くならないし技術面が一段と向上したかときかれると「はい」とは言い難いですが、多くのことを学ぶことができました。思い通りに作品ができなかったり、良い評価がもらえなかったり2つの部活の掛け持ちが大変だったりと辛いこともたくさんありましたが、これがあったからこそ私は成長することができ、良いことも悪いことも全部含めて私の青春の思い出だから、逃げずに頑張ってこれて良かったです。

 6年目を迎え、現在美術部ではUTY教育美術展の作品に取り組んでいます。この作品が高校3年生にとっては最後の作品となります。楽しく制作することはもちろん作品に込めた思いが見る人に伝わるように楽しんでもらえるように最後まで諦めずに精一杯制作していきたいです。