生徒,礼拝のひとコマ

11月2017

中学合同礼拝 中学3年生

聖書:フィリピの信徒への手紙1章9~10節
  「知る力と見抜く力を身につけて、あなたがたの愛がますます豊かになり
      本当に重要なことを見分けられますように」


   私たちは9月15日にリトリートに出かけました。リトリートの目標は「神を信じ、平和をつくり出した人々に学ぶ」で、北杜市の浅川兄弟記念館とポール・ラッシュ記念館・聖アンデレ教会を訪れました。
    この日までに、甲府聖オーガスチン教会の眞野牧師から清里伝道について、山梨英和大学のイ・サンジン先生から浅川兄弟について、ポール・ラッシュ記念館の秦(はた)先生からポール・ラッシュの生涯について学びました。
    これから浅川兄弟のことから学んだことをお話しします。

    浅川伯教(のりたか)と巧の兄弟は、北杜市高根町に生まれ学生時代にキリスト教の洗礼を受け、1910年代に植民地時代の朝鮮に渡りました。兄弟はともに朝鮮の陶磁器の美しさに魅了され、朝鮮の人達への交流を深めました。彼らが生活した当時の朝鮮半島は日本による植民地統治の後、朝鮮の人達を偏見の目で見て差別することが当然のように行われていました。そんな状況を目にした巧は、同じ人間として朝鮮の人達と真の友人として関わりたいと考え、進んで朝鮮の社会に入っていきました。そのため時には同じ日本人から「なんで朝鮮人の味方をするんだ」と軽蔑されることもありました。しかし、巧は抵抗することもせず、この国の人達の苦しみや痛みを知ろうとしました。この姿は、聖書の中で弱い人のそばに寄りそうイエス様の姿と重なるように思いました。
    戦争の近づく社会情勢の中でも、巧は自らの意志で朝鮮の国と文化と人とを心から愛しました。
    巧は荒れ果てた朝鮮の山を緑に変えることを夢み、林業技手として朝鮮の山々を歩き回り、朝鮮の人々と作業を進めました。また、陶磁器や民具を研究し朝鮮民族美術館を設立したりもしました。
    巧が40歳という若さで亡くなった時、多くの朝鮮の人達が悲しみ、「棺をかつがせてほしい」と申し出たそうです。それだけ、巧は朝鮮の人から愛されていたのです。ソウル郊外のマンウリにある巧の墓にはこのように刻まれています。「韓国の山と民芸を愛し、韓国人の心の中に生きた日本人ここ韓国の土になる。」

    今日読んだ聖書の箇所の「知る力と見抜く力を身につけて、あなたがたの愛がますます豊かになり、本当に重要なことを見分けられますように」とは、巧の生き方そのものだと思います。巧は本当に重要なことを見分けました。それは国同士の関係が悪かったとしても人と人との心の交流を大切にすることです。
    誰よりも朝鮮の人を愛し愛された巧の生き方は、日本と朝鮮の未来を築く精神が暗示されているようです。
    私たちも普段の生活の中で迷うことがあると思います。けれども、本当に重要なことをしっかりと見抜いて、人に接することができるようになりたいと思いました。

 2 浅川兄弟記念館の次に、清里清泉寮にあるポール・ラッシュ記念館を訪れ、その後聖アンデレ教会で礼拝をささげました。その時のことをお話しします。
 
  ポール・ラッシュは1925年に東京と横浜のYMCA会館再建のために初来日しました。
 1926年には立教大学教授になり、ポールは日本聖徒アンデレ同胞会を設立し、一時帰国して
からは日本聖路加国際病院建設のために募金活動を行いました。
 戦後の1945年に、連合国軍総司令部の一員として再来日したポールは、1946年「清里教
育実験計画」を開始しました。以後、ポールはキリスト教の隣人愛の精神を類い希な熱意を抱
いて、清里の清泉寮を拠点に高冷地実験農場の設立をはじめ、戦後の農村復興に励み、多くの
人に勇気や感動を与えました。清里の今の発展を築いてくれた人がポール・ラッシュなのです。
 私はポール・ラッシュの生涯の話しを聞いて、日本の人達のことをずっと思い続けていてく
れたことをとてもうれしく思いました。また、一つのことに対して努力していた姿が、すばら
しいと思いました。
 ポール・ラッシュは、縁もゆかりもなかった日本に来て、日本のために生涯をささげました。
戦争に負けた日本のために病院を作り、清里を開拓してくれました。そこにはキリスト教の愛
の精神があふれていると思います。
 私もポール・ラッシュのように何か一つのことに対して努力をし、色々な人の役に立てるよ
うになりたいと思った一日でした。

 お祈りします。
 神様、今日も朝から皆と礼拝できることに感謝します。今日は中3がリトリートで学んだことの一部をお話ししました。私たちも浅川兄弟やポール・ラッシュのように隣人を思いやる気持ちをもつことができますように。
クリスマスまでの日々をイエス様の生涯を思いながら過ごすことができますように。
朝・夕と冷え込んできています。皆の体調が崩れぬようにお見守りください。
このお祈りを尊き主イエス・キリストの御名によって御前におささげいたします。アーメン。

放送礼拝 聖歌隊

箴言17章17節

私達聖歌隊は、9月に盲学校の寄宿舎に入居されている生徒さん達と交流する機会を与えられました。事前に盲学校の校長先生から生徒さん達のお話は聞いていたのですが、交流会が近づいてくるにつれ、「目が見えないってどんな感覚なんだろう」「どんな風に話しかけたり、接したりしたらいいんだろう」と、目が見える私の不安な気持ちがどんどん大きくなっていきました。

また、交流会の練習をしている時、うまくいかないと「なんでこんなことが出来るようにならないんだろう」とネガティブになっていく自分がいました。そんな不安な気持ちで迎えた交流会当日。「気持ちを切り替えなきゃ」と思っていても、やっぱり少し不安な気持ちを引きずる自分がいました。しかし、交流が始まり、どうやったら楽器の音がなるのか、振った り触ったりしながら色々試している生徒さんのチャイムを一緒に持って「こう鳴らすんだよ」とゆっくりチャイムを振ると、柔らかくて明るい音が響き、その生徒さんはとても嬉しそうな表情で何度も何度も鳴らしていました。その様子を見ているうちに、次第に私の心も明るくなっていくことが感じられました。

近所の老人クラブから交流会に参加して下さったお年寄りの方々は、「あっちの音もならしたい」と言って、音の高さが違うチャイムの音を聞き比べて楽しんでくれていました。少し時間が経って全員でドレミの歌を演奏している時、ある生徒さんが突然前に出て、笑顔で指揮を振り出しました。その生徒さんの様子は、周りの人たちをみんな笑顔にしました。

それまでの私は不安やプレッシャーで頭がいっぱいになってしまい、生徒さんやお年寄りの方々のように、音楽をする事によって生まれてくる、純粋な楽しいという気持ちを忘れてしまっていました。気持ちは、自分が出す音や声、表情に大きく影響します。そのことをわかっていたはずなのに、私はずっと「うまくやらなきゃいけない」「できるだろうか」という気持ちを引きずったまま生徒さん達と接していました。そのことに気づくことができた後の合唱は、不安な気持ちを捨てて、「私は歌が好き、楽しい、伝えたい」という気持ちで歌うことができました。

歌っている時に生徒さんが体でリズムを取りながら聞いてくれたり、終わった後にお年寄りの方々が「とても感動したよ、またあなた達の声が聞きたい」と言ってくださったりして、 本当に嬉しかったです。

先日行われた芸術文化祭ではこの交流会での経験を生かし、器楽管弦楽部門、合唱部門、ともに仲間達と楽しみながら精一杯演奏することができました。この芸文祭期間に、私達高校二年生は、「もっとできる」「もっとよい演奏を」と、後輩達に対してつい厳しい言葉を投げかけてしまうこともありました。それでも、たった6人しかいない私達と一緒に、朝、昼、放課後と毎日練習を積み重ね、共に頑張ってきた12人の高校一年生には、感謝の気持ちでいっぱいです。

音楽は一人で完成することはできません。作詞や作曲をする方がいて、私達のように演奏する人がいて、そして聞いてくださる方々がいて成り立つものです。パズルは、ピース1つ1つが1つもかけることなく組み合わされ、初めてパズルが完成します。それと同様に私達も聖歌隊の仲間、指導してくださる先生、一人も欠けることなく演奏することで私達の音楽が生まれます。大切なこの出会いに感謝して、「私たちは音楽が好き、音楽を通してこの時を一緒に楽しみたい」という気持ちを込めて、よりよい演奏を目指していきたいです。

放送礼拝 高校宗教委員会

ヨハネによる福音書 4章23節        宗教委員会

皆さんは、『星の王子様』という本を知っていますか? ”大切なものは目に見えない”という言葉を始め、生命や愛など人生の大きな問いに答えた作品として、人々に広く知られています。 では、この本の作者であるサン=テグジュペリという人は知っているでしょうか?

サン=テグジュペリは本だけでなく数々の名言を残した人としても有名です。彼は、第一次世界大戦、第二次世界大戦を経験しています。そして苦難や悲しみ、人々の無意味な争いを知り、感じたこと、考えたことを言葉にして私達に残してくれました。今日はその中でも特に印象に残った言葉を紹介します。

【大人は誰でも、はじめは子供だった。しかし、そのことを忘れずにいる大人はいくらもいない】
当たり前のことを言っているように聞こえるかもしれません。たしかに、月日が経つにつれて昔のことを忘れてしまうのはしかたのない事です。では、サン=テグジュペリはこの言葉を通して何を伝えたかったのでしょうか。私は、たとえ時間が経っても忘れてはいけない事があると解釈しました。忘れてはいけない事、それは気持ちだと思います。日本にも”初心忘れるべからず”という言葉がありますが、私達も、初めは確かに持っていた気持ちを忘れていってしまうことがあります。

身近なことで言えば、家族や友人に対する感謝の気持ちです。私達はいつだって誰かに支えられて生きていますが、その環境に慣れ、いつしかそれが当たり前だと感じてしまいます。サン=テグジュペリの経験したことで言えば、戦争も同じです。初めは一人の生命を奪うことにも抵抗のあった人々が、戦争中には平気で何十人、何百人の命を奪っていきます。その光景が何年も続き、世界中が戦争を正当化するようになるのです。戦争はサン=テグジュペリの言葉通り、時間と共に命に対する気持ちが失われていった出来事です。

また、私達英和生は毎日必ず礼拝を捧げます。皆さんは初めて聖書を手にしたときのことを覚えていますか。私は聖書と共に過ごす英和での生活を想像してとてもワクワクしていました。ですが、最近は、毎日の礼拝に慣れてしまい、正しい姿勢で礼拝を捧げる事が出来ていませんでした。

このように、私達は常に心に留めておかなければいけない大切な事が沢山あります。そして、私がそうだったように多くの人はそれらを見失ってしまうものです。そんな時はぜひ、聖書を開いてみてください。感謝については、テサロニケの信徒への手紙一5章18節に「どんな事にも感謝しなさい」と書いてあります。また、平和についてはマタイによる福音書5章9節に「平和を実現する人々は 幸いである」とあります。礼拝に対する姿勢は今日の聖書の箇所に書かれています。ぜひ、繰り返される日常に時々足を止め、今の自分を振り返って見てください。きっと気づけることがあると思います。

お祈りします。 神様、今日も放送を通してですが礼拝から1日を始められたことに感謝します。今月はキリスト教強調月間です。一人一人が聖書を通して今の自分を見つめ直す時間が持てますように。そして、神様のみことばから多くを学ぶ機会となりますように。また、今日1日の皆の安全をお守りください。このお祈りを尊き主イエスキリストのみ名によって、み前にお捧げいたします。アーメン。

放送礼拝 中学生徒会

マタイによる福音書5章9節

広島から未来のために学ぶ

毎年、夏になると、必ずニュース番組で「広島平和記念式典」についてとりあげられているのを見ます。この2日間、私は毎年テレビの画面でしか見たことのない式典に参加することができました。

式典の前日に「広島平和記念資料館」を見学しました。そこにはこれまでの広島の歴史や原爆の仕組み、その威力や被爆後の状況など様々なことが事細かく説明、展示されていました。私が特に印象に残ったのは、被爆者の負ったケガの画像です。被爆者の悲しく、苦しそうな顔や、見るに耐えないほど痛々しいケガ、人が焦げた様子を見て、あまりの残酷さに私は言葉を失いました。以前から被爆者のケガはひどいものだということは知っていましたが、私の予想を遥かに上回った事実でした。

また、はじめて目の前にした「原爆ドーム」はテレビで見たときの何倍もインパクトがあり、原爆の恐ろしさを今に生きる私たちへ物語っていました。実物を見ることで「これは未来に残さなければならない」という気持ちがよりいっそう強くなりました。

式典当日は宿泊施設から出たとたん、朝なのに気温が高いことに驚きました。式典の会場につくと、この暑さは増していき、日陰に入っていても汗だくで、私のペットボトルの水はどんどん減っていきました。この暑さの中、原爆が空から降ってきたら、まさに「生き地獄」という言葉がぴったりだと感じました。

子供代表による「平和への誓い」の、その堂々とした姿勢やハキハキと自信を持って話している姿に感動しました。また、「未来の人に、戦争の体験は不要です。しかし、戦争の事実を正しく学ぶことは必要です」という言葉は本当にその通りだと深く感じました。

広島は焼け野原だったところから、現在たくさんの人が集まり、笑顔あふれる場所になりました。このような復興を遂げることができたのは、被爆後の人々の団結力や復興にかけるそれぞれの思いの強さがあったからだと思います。

唯一の被爆国である日本が主体となり、1人ではなく、たくさん人が集まって平和について考え、過去の悲劇を確実に未来へ伝え、一歩一歩着実に世界の平和に向かって歩んでいくことが大切だと感じました。

今年8月6日、 緑に囲まれた平和祈念公園は、せみの鳴き声に包まれ、青く澄み渡った空が広がっていました。七十二年前のあの日もこんな朝だったのでしょうか。広島平和祈念式典は原爆死没者名簿奉納から始まりました。この一年間で死亡が確認された被爆者の数は合わせて五五三〇人。その方たちの名簿が慰霊碑に納められました。七十二年もの間、原爆によって苦しめられ、家族の元へ帰ることができなかった方々のことを思うと、悲しくてやるせなくなりました。

平和宣言と共に大空へ放たれた鳩の光景が私は今でも忘れられません。あの鳩のように被爆者の魂が、心置き無く翼を広げ、飛ぶことのできる日はいつ訪れるのでしょうか。平和への願いを背負い、飛び立って行く鳩の姿には、とても感慨深いものがありました。それと同時に、私たちが鳩のように、被爆者の思いを受け継ぎ、伝えていかなければならないと思う瞬間でもありました。

平和記念式典の前日、全校生徒で折った折り鶴を、平和への願いを込め、奉納しました。そこには掛けきれないほど沢山の折り鶴が掛けられており、皆の平和への願いがここに集まっていると感じました。これからも折り鶴を折り続け、平和を祈り続けていきたいです。

平和な時代に生まれた私たちは、原爆の恐ろしさを知ってはいますが、心のどこかでもう戦争は起こらないと思っていないでしょうか。私は初めて原爆ドームを訪れ、原爆にあった人々の生々しい姿が映されている写真を見ました。そこには人間が人間でなくなってしまう恐ろしい姿や、思わず顔を背けたくなるような写真もありました。原爆が人をこんなにも酷い姿にしてしまうのを目の当たりにし、原爆を心から憎いと思いました。

今年、核兵器禁止条約が国連で採択され、核をめぐる動きが大きな転機を迎えました。被爆者の貴重な証言が、世界の人々の心を動かしたのです。世界は平和に向けて動き出しています。

今回の式典参加で、平和であり続ける為には、私たちに何ができるのかを真剣に考える機会を持つことができました。原爆死没者慰霊碑に刻まれている言葉、「過ちは繰り返しませぬから。」被爆者とのこの約束を、私たちは決して忘れてはなりません。私たちには、平和を守り続けていく使命があるからです。

お祈りします。
神さま、今日も皆(みな)が学校に集(つど)えたことに感謝いたします。
今日の私たちのお話が皆の心に留まりますように。
私たち1人1人が、過去を学び、平和について考え「平和を実現する人」となれますようにお導き下さい。
この祈りを尊き主、イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン。