1月2018

SSH通信Vol.27(2018年1月発行)

SSH通信Vol.27を発行しました。

今回は12月に行われたサイエンス女子カフェ@山梨とサイエンスキャッスル2017関東大会の様子を報告します。どちらも多くの研究チームが参加しその成果を発表しました。様々な研究テーマにふれることで刺激を受け、新たな視点を得ることができました。

画像をクリックするとPDFでご覧いただけます。

放送礼拝 長田先生

2018年1月30日礼拝原稿      
ローマの信徒への手紙7章18~20節  
 
私は宮崎駿の作品が好きです。特に初期のアニメ作品で宮崎駿が関わった『未来少年コナン』『アルプスの少女ハイジ』は心躍らせて見ていました。ジブリ作品の中では『紅の豚』が一番好きな作品です。
『紅の豚』の主人公は、友人を戦争で亡くしていく中、生き残った自分に「豚になる」という魔法をかけたポルコという元イタリア空軍の飛行機乗りです。飛行機が好きで飛行機の操縦の腕はピカイチで、でも決して人は殺さないという主義です。ポルコ役の声優・森山周一郎の声もしぶくてかっこよかったですし、「とべない豚はただの豚だ」といったような台詞回しもしゃれていました。
アドリア海を舞台に、飛行機が空を飛ぶ憧れを乗せるためのものから、戦う手段となっていく第一次世界大戦後の時代を描いています。

このポルコには宮崎駿自身が重ねられているように思います。
宮崎駿は戦闘機の設計をしたりイラストを描くのが大好き、でも戦争は否定するという矛盾をずっと抱えている人です。飛行機への憧れ、というよりも空へのあこがれをずっと持ち続けている人なのです。
これは、『風の谷のナウシカ』『天空の城ラピュタ』や『風立ちぬ』にもあらわれています。特に、『風たちぬ』を自分の最後の作品と位置づけ、ゼロ戦の設計をした堀越二郎を主人公にしたことで自分のそれまでの思いを表現したかったのでしょう。
ただ空を美しく飛ぶ飛行機の姿を思い描き、少しでも速く飛ぶ飛行機を作りたいという思いだけで飛行機の設計をしていたかった堀越は、戦争の道具としてゼロ戦を開発することになっていきます。
それは、操縦士にも、空を飛ぶこと以上のことを要求することになりました。相手を撃墜すること、ミサイルを投下すること、さらに特攻隊としてその機体とともに敵艦に体当たりさせられたこと。
ゼロ戦は設計者の思いとは全く違う用いられ方をしていったのです。
『紅の豚』のポルコも、『風立ちぬ』の堀越二郎も、ともに苦しみを抱えて大好きな飛行機に向き合っている人物なのです。
 宮崎駿はインタビューでこう語っています。
「武器や鎧(よろい)などそういうものに他人の3倍ぐらい興味がある。ただ飛行機マニアも戦車マニアも好きではない。例えば戦車に弾が当たるとどんな音がするのか、戦車に乗っている人と戦車を外から目の当たりにしている人とどちらが恐怖を感じるのか。僕はそういうことばかり気になっていた。確かに僕は矛盾に満ちているかもしれない。」
私が宮崎駿の作品にを惹かれるのは、彼がこういう自己矛盾を持ち続けている人だからなのでしょう。「自分の思い描いていた自分とは違う。」そんな思いをずっと持っているからこそ、宮崎駿はアニメを作り続けているのかもしれません。

今日の聖句は、パウロがローマの教会に宛てて書いた手紙です。パウロ自身の苦悩が感じられます。この箇所は、私が中学生時代に読んでとても救われた思いを持ちました。18節には「善をなそうという意志はありますが、それを実行できない」とあります。さらに19節では「わたしは自分の望む善を行わず、望まない悪を行っている。」とあります。
この後の24節では「わたしはなんと惨めな人間なのでしょう。」とまで言っています。回心してからの後半生、キリストの恵みと復活を伝道して歩いたパウロでさえも、こう言っているのです。パウロはキリストを信じながらもなお、矛盾した思いを抱えていたのです。
私たちも自分がこうありたいと思っていることと違うことをしてしまうことがあります。よくありたいと願っていてもそうできない自分を持っています。
その矛盾は抱えたまま生きて行くしかありません。
むしろ、そうした、矛盾した自分が自分の中にいることに気づいていることが大切なのではないでしょうか?

中高生のみなさんも、誰もがこのような自己矛盾を抱えているはずです。
特に今日卒業試験を迎えている高3のみなさん、もうすぐ英和を巣立っていくわけですが、これから先、「こんなはずじゃなかった」「もっとこうしたかった」「こんな自分は嫌だ」と思う時がくることでしょう。
その時にこそ、英和での礼拝の時間を思い出して下さい。1人1人が神様に愛されていること、いつもイエス様が寄りそってくださっていることを毎日の聖句で語られてきたはずです。
 矛盾多き存在である私たちをそのまま受けとめてくれる存在がいる、苦しい時に立ち返る場所がある、このことを信じて、これからのそれぞれの道を進んでいってほしいと思います。 

放送礼拝 伊藤先生

2018年1月29日(月) 全校放送礼拝
聖 書  : マタイ18章1-5節
讃美歌  : 463番 
 
 2018年1月ももう下旬になりました。高3は今日から卒業試験、いよいよ高校生活最後を迎えますね。また、それぞれの学年で年度末を迎え今までの振り返りをしたり、次の学年に向けての準備をしたりして不安に思ったり期待を抱いたりしている時期かと思います。今年度は振り返るとどんな1年でしたか?
皆さんの中で、今まで、すべてが自分の思い通りになった人はいますか。また、今までに失敗も困難もなかったという人はいますか。たぶん一人もいないと思います。今、深く悩んだり悲しみや挫折感の中にある人もいると思います。
 今日は、次の詩を紹介したいと思います。今から約150年前のアメリカ南北戦争に破れた南軍の兵士の言葉とされている詩で、ニューヨーク大学付属ラスク・リハビリテーション研究所のロビーに英文のプレートで掲げられているものだそうです。それが、15年前に中日新聞のコラムで紹介されてから、日本でも注目されるようになりました。聞いて下さい。

(悩める人々への銘 A CREED FOR THOSE WHO HAVE SUFFERED)

大きなことを成し遂げるために 力を与えてほしいと神に求めたのに
謙遜を学ぶようにと 弱さを授かった

偉大なことができるように 健康を求めたのに
よりよきことをするようにと病気を賜った

幸せになろうとして 富を求めたのに
賢明であるようにと 貧困を授かった

世の人々の称賛を得ようとして 成功を求めたのに
得意にならないようにと 失敗を授かった

人生を楽しむために あらゆるものを求めたのに
あらゆるものを慈しむために 人生を賜った

求めたものは一つとして与えられなかったが
願いはすべて聞き届けられた  私はもっとも豊かに祝福された
(作者不詳)

 この詩は、人間の尊大さや傲慢さをいましめています。そして失敗や敗北の中には人生を深める意味が溢れていることを語りかけてくれているように思います。私たちは、世の中の人が当たり前に望むことを手に入れたいと思いますし、手に入らなければ落胆します。あの人より成績が悪かった、鼻が低い目が小さい、足が遅い、力が弱いなどと人と比較して、劣等感を持つことがあります。その逆に、私は勉強ができる、スポーツができる、みんながほしがっている商品を持っている。それらを持っていないあの人よりまだましだ、自分の方が上なんだという優越感を感じて生きているかもしれません。

 今日の御言葉の中でも、弟子達は誰が偉いかとイエス様に聞いています。弟子達も名誉や人を支配することに憧れがあったのでしょう。ところがイエス様の歩む道は次元が違っていて、十字架への信仰の道ですから、上下関係とか地位とか力、また、大人と子ども、女性と男性の差別はありませんでした。
さて私たちは弟子達のように、人より優れているという優越感を感じて喜んだり、人の上に自分を引き上げたりすることで劣等感を解決しようと意地を張っているということはないでしょうか。そんなことを続けていると自分らしさがなくなり自分らしく生きられなくなります。第一、鼻持ちならなくて、友達が減っていって、人も寄りつかなくなってしまい孤立してしまうかもしれませんね。成功という価値ばかりでなく、様々な価値が人間にはあるということを英和生は理解しています。いつも他人と比較するのではなく、自分らしく明るく謙虚に生きることをキリストは望まれています。
イエス様は、心を入れ替えて子供のようにならなければ天国に入れないとおっしゃいます。
子供は親の保護が必要な弱い存在です。その子供のように神に信頼しへりくだる姿が必要であること、そして、自分を低くして人に仕えることを学ぶことが大事だとおっしゃるのです。人の痛みを知り、人を尊ぶ中にこそ永遠の命に至る確かな道があるということ、そして、人生のあらゆることに神様からのメッセージが隠されているとおっしゃるのです。これは、2000年経ってもなお新しい価値観ですし、発想を変えなければわからないことだろうと思います。
 人の一生を大海に船出することにたとえることがあります。皆さんは何を頼りに航海しますか。自分の知識?力?財産でしょうか?友達や親?先生? いろんな答えがあると思いますし、どれも欠かせませんね。でも人生の良いときも悪いときも、あらゆる時の羅針盤は、聖書の御言葉のみです。どんな時にも一人一人にそれぞれの希望の道を示して下さることを信じ祈り求めていきましょう。

天のお父様
今朝も聖書のみ言葉を下さってありがとうございます。
私たちは病気や貧困、悩み悲しみの中で苦しみますが、そこから学びとることのできる
価値観をお与え下さい。そして人の痛みの分かるものとならせて下さい。
幼子のように神様に依り頼み、人に仕えるものとならせてください。
この貧しき祈り、尊いイエス様のお名前を通してみ前にお捧げ致します。  アーメン

高1親子進路学習会を実施しました

 1月19日(金)に河合塾の辻達也氏を講師にお招きし、「今後、模擬試験を受けるにあたって」というテーマでお話しいただきました。まず、2020年に向けて大学入試は一般入試から確実に推薦・AOへとシフトしている等、入試を取り巻く環境の変化についてのお話がありました。
 次に模試の活用方法と効果的な学習方法についていくつもヒントをいただきました。模試を受けることの意味、結果データにおいて一番気をつけてみるべき部分、結果を受けとめ、いかにそこからの学習に生かしていくか等、辻先生からのアドバイスにはすぐにでもこれからの学習に生かせるものばかりでした。
 最後に、志望校合格への第1歩は早めに目標を定め、それに向かって現実的な学習計画をたてること、それには家族での志望校の共有が大切だが、あくまで主役は子どもであるとのお話しがありました。子どもの規則正しい生活のサポートと、「つかず、はなれず、さりげなく」子どもを見守る姿勢が大切と保護者の方々へのアドバイスもいただきました。
 2年後に控えている受験に向けて、生徒、保護者、学校という三者のコミュニケーションはますます重要になっていきます。まずは今回の学習会内容について、親子で考えを話し合う機会を持っていただけたらと思います。

山梨日日新聞 「10代の意見」に掲載されました (1月15日,23日付)

本校の生徒が山梨日日新聞 「10代の意見」に掲載されました。(1月15日,23日付) 

山梨日日新聞 2018年1月15日付

山梨日日新聞 2018年1月23日付

小学生対象「英語でカレンダー作り」体験講座のお知らせ

わくわく授業 小学生対象英語体験講座
「英語でカレンダー作り」のお知らせ

新年度の4月から利用できる「英語のカレンダー」を作りましょう!

月や曜日の名前も英語をつかって カレンダー作りを楽しみましょう!

そのほかにも、楽しい英語のゲームも用意しています。

みんなで申し込みましょう!


←申込みは左の写真をクリックして必要事項を入力してください

日 時 : 3月10日(土)10:00~(受付9:45~)

場 所 : 山梨英和中学校

(中学ロータリーに駐車してください)

対 象 : 小学3~5年生 女子(定員30名)

*現在の学年でお申し込みください
(定員になり次第締切ります)

持ち物 : 上履き、色鉛筆や色サインペンもあればお持ちください
英和パスポート(お持ちでない方は当日発行します)

英語体験講座PDF

1月23日の登校について

23日は降雪後の交通機関の乱れが予想されるため、1時間遅れの登校とします。
9:40から礼拝、10:00から2時間目の授業となります。
スクールバスも全線1時間遅れで運行します。
安全に気をつけて登校してください。

放送礼拝 自然科学部

創世記1章31節

今日の聖書の箇所である創世記の1章31節には、「神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった。」とあります。神様が、極めて良いという世界はどのような世界なのでしょうか? 私たちが生きている地球を見渡してみると、地球には多種多様な生物が共に同じ時を生きています。しかし、自然界における支配力が強い生物順をピラミッド図で表してみると、三角形の頂点が人間になります。つまり、人間はすべての生き物たちの中で、最も支 配力があり、私たちが生きているこの世界を思うがままに変えることが出来てしまう立場にいる ということです。人間は、すべての生き物が共存し合い、神様が与えてくださった恵みに感謝しながら生きる世界を作ることもでき、人間以外の動物や植物などの生物を都合の良いように支配する世界も作ることができてしまうのです。

私たちが生きている世界は大きく分けると自然環境と生物で構成されていて、自然環境の中に生 物が生きているとも言い換えることができます。このことから、人間が生きている空間である自 然環境は人間と密接的な関係があり、支配力を持つ人間の自然に対する考え方一つでこの世界が どのような状態の空間になるのか決まってしまうということではないかと思います。私たち人間は自然に対する考え方が一人一人違いますが、自然環境倫理に基づいて自然観を分けると、大きく二つの定義に分類することができます。

一つ目の定義は「自然中心主義」といって、人間とその他の自然は自然環境の中で共生しており、 人間は自然を改変する際に節度を持たなければならないという考え方。2つ目の定義は、自然環境は人間によって利用されるために存在するという「人間中心主義」です。私たちが生きている世界は、どちらの状態になっていると思いますか? 私は、二つ目の定義である、「人間中心主義」になっていると思います。しかし、神様は、すべての生き物がお互いに生きる糧を出し合い、共存し合える世界を創造されたのではと思うのです。自然は、私たち人間に美しい景色や心を癒す効果などの多くの恵みを与えてくれます。人間を含む生き物たちもまた、生きるために自然の恵みをもらうことで、自然環境を一定の空間に保ち、生物が共存できる環境を作るのが本来の姿です。

このように、自然と人間が協調し合える世界が理想的ですが、近年、自然開発や科学の進歩によって、人間による自然破壊が大きな問題になっています。人間中心主義に当てはまることを、人間は自らが持つ支配力を使って行っているのです。 例えば、大気汚染や土壌汚染、水質汚染によって、生き物たちが生活していた場所が汚染され、生存できなくなってしまったり、土地開発や資源の確保のために木が伐採されて森林が無くなり、生き物たちの居場所がなくなったりと、世界のあらゆる所で生態系が破壊されています。現在も、様々な開発は続いており、自然破壊や生態系破壊も深刻化しています。 人間が住みやすい環境を追求していった結果、自然を破壊することになってしまったのです。そして、その影響は私たち人間を含めたすべての生物に及んでしまいます。自然から受ける恩恵に反して人間は自然に危害を加え続けているのです。

では、私たちはこの破壊を食い止めるために何が出来るのでしょうか? 創世記2章15節には、「主なる神は人を連れて来て、エデンの園に住まわせ、人がそこを耕し、守るようにされた」とあります。また、創世記6章から9章に描かれている「ノアの箱舟」の物語、6章19節には、「また、すべて命あるもの、すべて肉なるものから、二つずつ箱舟に連れて入り、あなたと共に生き延びるようにしなさい」と書かれています。「生物種を絶滅しないように責任をもって管理し、生物多様性を維持しなさい」と神様が人間に命じているのです。 私たちが神様から命じられたことを果たすためには、自然環境保護活動などを行い自然と向き合うことが必要になってきます。しかし、実際、行動に移すことはとても難しいことです。

そこで、私たちが自然を守るための第一歩として、まずは身近な自然の恩恵を理解することから始めるのはどうでしょうか? 皆さんは自然の景色を眺めることが好きですか? 通学路や窓からの 景色など、不意に外を眺めた時に目に入る景色は自然が作り出したものです。ですので、景色を眺めると言うことは、自然と向き合うことになるのではないかと思うのです。自然が作り出す景色は、時間や季節、場所、心情などによって姿が変わります。景色をじっくり眺めてみると新たな自然の魅力を発見したり、自然の恩恵に気づくことができるのではないでしょうか。自然の偉大さに気づいた時、初めて生物多様性を維持することの大切さに気づくことができるのではないかと思います。神様が私たち人間に与えてくださった自然の恩恵に感謝しながら、日々の生活を送ることができますように。

お祈りをします。
神さま、今日も礼拝から1日を始められますことを感謝いたします。私たちが神さまの創造された世界に感謝をし、向き合うことができますように。この頃、体調を崩している者が多くいます。どうぞ、皆の健康をお見守り下さい。このお祈りを尊き主イエス・キリストのお名前によって、御前にお捧げします。アーメン。

本日の下校について

本日は降雪が予想されるため,7校時と放課後の活動をなしとします。
また,スクールバスは全線16:00学校発のみとなります。

聖書の場面をステンドグラスにしました

中学3年生の美術で、聖書の場面をデザインしたステンドグラスを作成しました。自分で選んだ聖書の箇所を解釈することで、聖書の理解も深まりました。