生徒,礼拝のひとコマ

1月2018

放送礼拝 自然科学部

創世記1章31節

今日の聖書の箇所である創世記の1章31節には、「神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった。」とあります。神様が、極めて良いという世界はどのような世界なのでしょうか? 私たちが生きている地球を見渡してみると、地球には多種多様な生物が共に同じ時を生きています。しかし、自然界における支配力が強い生物順をピラミッド図で表してみると、三角形の頂点が人間になります。つまり、人間はすべての生き物たちの中で、最も支 配力があり、私たちが生きているこの世界を思うがままに変えることが出来てしまう立場にいる ということです。人間は、すべての生き物が共存し合い、神様が与えてくださった恵みに感謝しながら生きる世界を作ることもでき、人間以外の動物や植物などの生物を都合の良いように支配する世界も作ることができてしまうのです。

私たちが生きている世界は大きく分けると自然環境と生物で構成されていて、自然環境の中に生 物が生きているとも言い換えることができます。このことから、人間が生きている空間である自 然環境は人間と密接的な関係があり、支配力を持つ人間の自然に対する考え方一つでこの世界が どのような状態の空間になるのか決まってしまうということではないかと思います。私たち人間は自然に対する考え方が一人一人違いますが、自然環境倫理に基づいて自然観を分けると、大きく二つの定義に分類することができます。

一つ目の定義は「自然中心主義」といって、人間とその他の自然は自然環境の中で共生しており、 人間は自然を改変する際に節度を持たなければならないという考え方。2つ目の定義は、自然環境は人間によって利用されるために存在するという「人間中心主義」です。私たちが生きている世界は、どちらの状態になっていると思いますか? 私は、二つ目の定義である、「人間中心主義」になっていると思います。しかし、神様は、すべての生き物がお互いに生きる糧を出し合い、共存し合える世界を創造されたのではと思うのです。自然は、私たち人間に美しい景色や心を癒す効果などの多くの恵みを与えてくれます。人間を含む生き物たちもまた、生きるために自然の恵みをもらうことで、自然環境を一定の空間に保ち、生物が共存できる環境を作るのが本来の姿です。

このように、自然と人間が協調し合える世界が理想的ですが、近年、自然開発や科学の進歩によって、人間による自然破壊が大きな問題になっています。人間中心主義に当てはまることを、人間は自らが持つ支配力を使って行っているのです。 例えば、大気汚染や土壌汚染、水質汚染によって、生き物たちが生活していた場所が汚染され、生存できなくなってしまったり、土地開発や資源の確保のために木が伐採されて森林が無くなり、生き物たちの居場所がなくなったりと、世界のあらゆる所で生態系が破壊されています。現在も、様々な開発は続いており、自然破壊や生態系破壊も深刻化しています。 人間が住みやすい環境を追求していった結果、自然を破壊することになってしまったのです。そして、その影響は私たち人間を含めたすべての生物に及んでしまいます。自然から受ける恩恵に反して人間は自然に危害を加え続けているのです。

では、私たちはこの破壊を食い止めるために何が出来るのでしょうか? 創世記2章15節には、「主なる神は人を連れて来て、エデンの園に住まわせ、人がそこを耕し、守るようにされた」とあります。また、創世記6章から9章に描かれている「ノアの箱舟」の物語、6章19節には、「また、すべて命あるもの、すべて肉なるものから、二つずつ箱舟に連れて入り、あなたと共に生き延びるようにしなさい」と書かれています。「生物種を絶滅しないように責任をもって管理し、生物多様性を維持しなさい」と神様が人間に命じているのです。 私たちが神様から命じられたことを果たすためには、自然環境保護活動などを行い自然と向き合うことが必要になってきます。しかし、実際、行動に移すことはとても難しいことです。

そこで、私たちが自然を守るための第一歩として、まずは身近な自然の恩恵を理解することから始めるのはどうでしょうか? 皆さんは自然の景色を眺めることが好きですか? 通学路や窓からの 景色など、不意に外を眺めた時に目に入る景色は自然が作り出したものです。ですので、景色を眺めると言うことは、自然と向き合うことになるのではないかと思うのです。自然が作り出す景色は、時間や季節、場所、心情などによって姿が変わります。景色をじっくり眺めてみると新たな自然の魅力を発見したり、自然の恩恵に気づくことができるのではないでしょうか。自然の偉大さに気づいた時、初めて生物多様性を維持することの大切さに気づくことができるのではないかと思います。神様が私たち人間に与えてくださった自然の恩恵に感謝しながら、日々の生活を送ることができますように。

お祈りをします。
神さま、今日も礼拝から1日を始められますことを感謝いたします。私たちが神さまの創造された世界に感謝をし、向き合うことができますように。この頃、体調を崩している者が多くいます。どうぞ、皆の健康をお見守り下さい。このお祈りを尊き主イエス・キリストのお名前によって、御前にお捧げします。アーメン。

合同礼拝 カナダ研修報告

創世記11章5~7節

私は昨年の夏、カナダ研修に参加し、2週間のホームステイを体験しました。バンクーバーに到着した翌日、まず私たちはグリンバンク先生のお墓を訪問し、記念礼拝の時を持ちました。先生のお墓はバンクーバーの町を一望できる美しい丘の上にありました。35歳で母国カナダを離れ、遠く離れた山梨の地へ来て下さり、どんな困難にも耐え、命をかけて山梨英和を愛し守りぬいてくださった先生の生涯に思いを馳せ、感謝の気持でいっぱいになりました。

その後、フェリーに乗り、私たちのホームステイ先であるバンクーバー島のナナイモに向かいました。そこで午前中は英語の授業を受け、午後は様々な活動を行いしました。近隣の老人ホームを訪問して日本語の歌を歌い、折り紙を一緒にして交流したり、カナダのFirst Nationの伝統文化を学んだりしました。また、ホストファミリーを招待して、日本文化を紹介する時を持ちました。2週間を通して、英語や異文化に触れる貴重な経験がたくさんできましたが、この期間は私にとって神様の存在を身近に感じる時間でもありました。

ホームステイ初日、その日あったばかりのホストマザーとうまくコミュニケーションが取れず、私は不安ともどかしさを感じていました。そしてそんな思いを抱えたまま、私たちは一緒に散歩に出かけました。その時に見た夕日があまりにも綺麗で、私はとても感動しました。隣にいたホストマザーもまた感動していました。言葉で通じ合うことはとても難しかったのに、美しい夕日を通して一瞬で同じ気持ちになれたのだと感じ、嬉しく思いました。たとえ言語や人種、育った環境が違ったとしても分かり合えることは沢山あるのだと強く感じました。

今日の聖書の箇所の中で、「神様は1つだった言葉、民族をバラバラにして人々を混乱させてしまった」とあります。私は、初めてこの聖書の箇所を読んだときに、「神様は、なんてひどいお仕置きをするのだろう?」と思いました。しかし、この研修の中で、神様は、言葉や民族といった表面的な共通点ではなく、心や美しい自然といった私たちを繋げる材料を沢山与えてくださっているのだということに気がつくことができました。

また、それぞれの国が持つそれぞれの文化も、私たちを繋ぐ架け橋になっていると思います。私たちは研修の中で、カナダの生活を体験し、カナダ独自の文化に接しました。反対に、私たちがカナダの人たちに日本のことを教えたり、一緒に日本の遊びを楽しむ機会などもありました。そのような時間の中で、私たちはお互いの国で大切にしているものを共有し、尊重しあえることができました。私は、その国の文化を尊重するということは、その国に住む人々、歩んできた歴史全てを尊重するのと同じことだと思います。なので、お互いの国のものを素敵だと言い合えて嬉しかったです。

2週間のホームステイの間、緊張、不安、寂しさを感じることもありましたが、それ以上に神様の大きな愛を感じました。神様が研修で与えてくださった出会いをこれからも大切にしていこうと思います。

マタイによる福音書22章34~40節

出発前に読んだ、ホームステイの手引き書に「ホストファミリーと、今でも連絡を取っている」 「日本に家族ができたみたいだ」などというコメントが載っているのを見ました。きっとこれは幸運で、とても珍しい例であり、私はたがが二週間ほどで、そんな関係ができるとは思えませんでした。日本人同士でも、うまくコミュニケーションがとれない時があるのに、まして英語という、コミュニケーションの道具が、不完全な私がカナダの人と良い関係が築けると思わなかったからです。しかし私は、日本に帰る日の前の夜に泣いてしまいました。ホストファミリーと別れるのが辛かったからです。

その日の夜、写真が趣味のホストマザーが、私たちのステイ中に、撮り溜めておいてくださっていた写真のアルバムをくださいました。楽しかった思い出、うれしかった出来事が次々に脳裏に蘇ってきました。不安を抱いていた私たちを、優しく迎え入れてくださったこと、一緒にマフィンやクッキーを作ったこと、キャンプファイヤーをしたこと、…。そしてそのどれもが、お客さんとしてではなく、家族として行ってくださったことがすごくうれしかったのです。英語も、少しだけですが、上達できたと思います。しかしそれ以上にホストファミリーが、私の英語を理解しようと、常に努めてくださり、私のレベルに合わせた英語を選んで、話してくださったり、画像を、示してくださったり、翻訳機を利用するなど、何とかして、コミュニケーションを取ろうとしてくださったことが、うれしかったです。また、私も、意味が完全にわからなくても、徐々に話の大まかな内容や、伝えようとしてくださっていることが、わかるようになったのでコミュニケーションにはあまり困ることがありませんでした。しかし、分かった、という、嬉しさと同時に、もっと分かりたい、もっといろいろなことを話したい、とも思いました。これまでになく、英語へのやる気を、目覚めさせる機会になりました。

またそのアルバムの最後のページにメッセージが書かれていて、内容の全てを理解することはできませんでしたが、「あなたがきてくれて本当に楽しかった」、「メールを送り合おう」などと暖かい言葉が書かれていました。また、眠る前にホストファミリーみんなに「メッスユー」 と言われました。その時は、意味は分かりませんでしたが、後で調べて”Miss you”は、「あなたがいなくなると寂しいです」という意味だと知って、またそれでも涙を流してしまいました。まさか、私も、出発前に読んだ、手引き書のコメントを書いた人々のようにホストファミリーを、大切に思えるとは思っていませんでした。ステイ先では、ご飯が食べられて、寝るところがあって、ホストファミリーは、たまにどこかへ連れて行ってくれればいいな、と思っていた出発前の自分に、ちょっと一言言ってやりたい気分です。

私がこの研修でお世話になった方々はホストファミリーだけではありません。この研修を企画し、引率してくださった先生方、一緒に過ごした友人たち、現地でのプログラムを、支えてくださった、カナダの先生方、安全な旅路を、提供してくださったJTBの職員の方々、「たくさん勉強して、たくさん楽しんでおいで」と 送り出してくれた、日本の家族、言い切れないほど、たくさんの方々に支えられ、私は、この実り多い二週間を過ごすことができました。本当に、感謝の気持ちでいっぱいです。

カナダ研修から、5ヶ月たった今でも、一歳年上のホストシスターと、メールを送り合っていています。今日あったことや、週末に楽しみにしていることなどを送ります。日常的なちょっとした会話から、垣間見られる、カナダの生活はとても新鮮で面白いです。また12月の初め頃、母に「クリスマスが近いけど、カナダの家族に何か贈るの」と何気なく言われ、母も、カナダのホストファミリーのことを、本当の家族のように、思っていることが分かって、嬉しかったです。

世界には、私の知らない場所が、たくさんあります。そこで、誰かが暮らしています。 その人にも、大切な人がいて、その人の、人生があります。その人の、幸せがあります。その人と、仲間たちだけの、文化があります。そして、こんなに遠い異国の地に、私を、暖かく迎え入れてくれる人がいます。いつも、頭では分かっているつもりでしたが、慌ただしい毎日を送っていると、つい狭い世界に囚われ広い世界に、目が行かなくなります。狭い世界の中で、人と自分を比べて傷ついたり、自分にないものを、持っている人を妬んだりしてしまいます。そんなことばかり続けていると、狭い世界の中だけで作られた、狭い価値観でしか物事をはかることができなくなります。それが戦争や、人種差別につながってしまうのではないかと思います。今回の研修は、広い世界を実際に感じる、良い機会だったと思いました。

神様の言う、隣人とは誰か。カナダ研修の、手引き書に書いてあった問いに、研修後の私は、「この世界に住むすべての人々」、と答えます。

放送礼拝 バレーボール部

イザヤ書41章10節
「恐れることはない、わたしはあなたと共にいる神。たじろぐな、わたしはあなたの神。勢いを与えてあなたを助けわたしの救いの右の手であなたを支える。」

皆さんは何かに挑戦したことがありますか?
私は小学校から高校までそれぞれ違うスポーツに挑戦してきました。小学校時代はドッジボール、中学時代はソフトテニス、そして現在はバレーボールをしています。

私がバレーボールに挑戦したきっかけは、中学2年生の体育でやったバレーボールが楽しかったからです。その時、偶然テレビでバレーボールをやっていました。あまりの面白さに私は釘付けになり、最後までその試合を見て私もやりたいと強く思いました。今まで運動をすることが好きでさまざまなスポーツに挑戦してきましたが、初めて観たプロスポーツの試合に私は驚き、そして魅了されました。確かに小学校・中学校と行ってきたドッジボールやソフトテニスはとても楽しかったですが、プロの選手はバレーボールほどいません。

チームが一丸となって1つのボールに手を伸ばしボールが床につくまで諦めず追いかけたり、点を決めようと必死に力強いスパイクを打ち、それを止めようとブロックを飛んでいた場面を観て私も挑戦したいと強く思いました。

英和高校に入学して、偶然にもバレーボール部があり私はほとんど未経験者の状態でしたが、中学の時のあの気持ちを忘れられず、入部をすぐに決めました。今その時を振り返ってみても、あの時のドキドキした気持ちは言葉ではうまく表現できません。

その時には分かりませんでしたが、今考えるともしかしたら今日の聖書の箇所の通り
神様が私に勢いを与えてくださったのかもしれません。挑戦することはとても勇気がいります。恐れることもあるし、周りのことを考えすぎて行動に移せないこともあります。しかし、先輩方や唯一の同級生の仲間が支えてくれました。時には、部員数が少なく他の人たちから手を貸してもらい試合に出た時もありました。力を貸してもらえた時うれしかったです。沢山の人たちに支えられてバレー部があるんだと、人数が少ないからこそわかることも多くありました。当たり前ではないんだと改めて感じることができました。そして、神様も私たちを支え導いて下さっていることが分かりました。周りの支えてくださる人達や神様に感謝しつつ、これからも神様がそばで支えてくださることを忘れずに挑戦し続けたいです。

神様、今日も朝から皆とともに礼拝を捧げられたことに感謝いたします。きょうは、神様は私たちとともに私たちを救い支えてくださるというお話をしました。神様に感謝することを忘れず、私たちが挑戦することに一歩を踏み出すことができますよう。お見守りください。この祈りを主イエス・キリストの御名によってお捧げします。
アーメン。