生徒,礼拝のひとコマ

2月2018

放送礼拝 ダンス同好会

ペトロの手紙一 4章10~11節

私はダンス同好会に中学1年生の時から所属しています。中学生の頃はダンスを踊る事が楽しく先輩に教えて貰った振りを覚えそれを楽しく笑顔で踊り、お客さんに披露する事が私の同好会活動の全てでした。しかし、会長になった今、踊る事が全てではなく今日の活動ですべき事を考えたり、振りを考えたり発表会の準備などを行うようになりました。中学生までは踊る事が楽しいという理由で続けてきましたが、高校生になり、会長になった事で楽しいという理由だけではなく責任感を強く感じて活動しています。

これまでは先輩達が曲を選び、振りを考え、その振りを私達後輩が踊れるようになるまで教えてくれました。しかし、今はもう振りを考えてくれる先輩はいません。私達高校一年生が考えなければなりません。振りを考えるといってもそう簡単にはいかなく、今までどれだけ先輩に甘えてきたのか痛感させられました。し かし、それでも私には支えてくれる仲間がいます。頼もしい副会長がいて振り付けのアドバイスをしてくれて、落ち込んでいる私を励ましてくれる同好会メンバーが います。振り付けを考える事は難しいけれど私は仲間に恩を返すためにもこれからも努力していかなければならないなと思います。

ダンス同好会は他の部活と大きく違う点がふたつあります。1つ目は来年がないという事です。他の部活とは違い自分達の踊りたいという意志がありその上に部活申請の許可があることによって成り立っています。つまり、私達の踊りたいという意志がなければ同好会として活動する事はできません。他の部活と違いハンデが大きいですが私は、このハンデは神様から与えられたチャンスだと思っています。踊れる事が当たり前ではないからこそ一回一回の活動をより良いものにしようと頑張ることができたり、大会でたくさんのお客さんに笑顔になって貰いたいと感じることができるのだと思います。2つ目はダンス同好会の中にMaples というチアダンスチームがあることです。普段は一緒に活動していますが学園祭前などでは少し違う活動をしています。

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私がチアダンスチームMaplesのリーダーに決まった時、こんな自分に務めるのかとずっと不安な気持ちと葛藤していました。中学の頃から、ダンス同好会の活動ではあまり自分の意見を主張できずに、まわりについていってしまうタイプでした。しかし、そんな自分を変えたいと思っている気持ちもどこかにありました。いつも自分のことだけで精一杯になってしまう私がチームのみんなをまとめてチアが楽しいと思ってもらえるようなチームを作っていくことが出来るのか悩みは数え切れない程ありました。それでも、やってみないことには何も始まらない、そして少しでも自分の殻を破れるような成長をしたいと思いリーダーになることを決めました。これが高校生になった私に神様が与えて下さった最大のチャンスです。

チアダンスは自分が楽しむためのダンスではなく、見て下さる人を少しでも笑顔にしなくてはなりません。見てくれている人を笑顔にする。そのためには踊っている私達が笑顔でいないと何も伝えることが出来ません。技術はもちろんのことですがそれ以上に笑顔で人に伝えるダンスをしなければいけないのがチアダンスの難しいところだと思います。「自分のための笑顔ではない」という難しさに何度も直面し、チアが嫌になってしまったことも何度もありました。人に笑顔になってもらうことはそう簡単なことではありません。しかし、出来ないからもういい。そう投げ出してしまうのは本当に簡単なことで、一瞬で出来てしまうことかもしれません。しかし、苦労しながら続けていった先にはそれ以上の嬉しさや達成感があると私は信じています。私達は今、3期生として活動させてもらっていますが、先輩達が私達に託してくれたものを途切れさせたくはないという思いがあることもチアを続けている理由です。3期は初めて中学生もメンバーになっています。チームワークと演技が完成するまでユニフォームは注文しないという先生の方針で、これまでは先輩のユニフォームをお借りしてきましたが、今、やっとユニフォームを作っていただけることになり、4月のコンテストに向けて練習を始めます。

頼りない私をいつも支えてくれるメンバーを与えて下さった神様の恵みに感謝してこれからも一歩ずつ成長し、多くの人に笑顔と勇気を届けられるように頑張っていきたいです。

お祈りします。 神様新しい朝をありがとうございます。みなと礼拝から1日を始められることに感謝します。私達が神様から与えられたチャンスを大切にし、また活かすことができますように。この祈りを尊き主、イエスキリストの御名によって御前におささげします。アーメン。

放送礼拝 情報委員会

マタイによる福音書24章4~5節

みなさんはノストラダムスを知っていますか。ノストラダムスは1500年代のルネサンス期に活躍 したフランスの医師です。当時、死の病として恐れられていた「ペスト」がネズミを媒介していることを発見した人物としても有名ですが、何よりも彼は「預言者」としても知られてきました。

ノストラダムスが残した数多くの予言書は解読が難しく、様々な解釈をされながらも後の人々に語り継がれることになりました。その中でも世界中、そして日本国内でもインパクトが強かった記述が「1999年に人類が滅亡する」というものでした。当時は日本中で騒がれ、話題になったそうです。このように、昔から人間は、情報やうわさに惑わされながら、時代を過ごしてきました。

それでは私たちが生きている現代はどうでしょうか。現代は、技術が大幅に進展し情報がとても手に入りやすい時代になりました。インターネット上やSNS、アプリを利用して、便利ですばやく情報を受け取ることができるようになった一方で、誤った情報もたくさん潜んでいます。インターネットに慣れている人でも、不確かな情報を信じてしまう人は少なくありません。

今日の聖書をもう一度見てください。5節の「メシア」とはヘブル語で聖油を注がれた者の意味で、旧約聖書ではイスラエルを治める王と言われ、新約聖書ではイエス・キリスト、即ち救い主を指します。イエス様は「私こそ救い主だ」と言って多くの人を惑わす者が現れるので、嘘や根拠のないことに惑わされるなと言っているのではないでしょうか。

人々を惑わすものは多いです。現代を生きる私たちは、インターネット上で流れる情報は全て真実とは限らないということを常に考える必要があります。危険や被害に遭わないためにも、これからは落ち着いて情報の真偽を自ら判断できるようにしましょう。