生徒,礼拝のひとコマ

10月2018

放送礼拝 スポーツデー実行委員会

イザヤ書43章18節19節
「初めからのことを思い出すな。昔のことを思いめぐらすな。見よ、新しいことをわたしは行う。今や、それは芽生えている。あなたたちはそれを悟らないのか。わたしは荒れ野に道を敷き砂漠に大河を流れさせる。」

私は、中学1年生から毎年スポーツデー実行委員を務めています。小さい頃から水泳をやっていたこともあり、運動するのが好きでスポーツデー実行委員に立候補しました。中学1年生の時のスポーツデーがとても印象に残っていて、6年間スポーツデー実行委員をやりたいという気持ちが強くなり、また毎年前に立って活躍している先輩の姿を見て高校2年生になったら私も委員長をやってみたいと思っていました。
そして、高校2年生になり、委員長をやりたいと高2の委員会のメンバーに言ったところ皆が私を推薦してくれて中1の頃からの目標だった委員長をやる事ができました。その時はとても嬉しかったですし、全校生徒が楽しめるスポーツデーにしたいと強く思ったことを今でも覚えています。
今年のスポーツデーのための会議は4月から始まりました。中高一貫行事と言うこともあり、交流を深めながらクラスを越えて協力し、みんなが楽しめるような種目、ルール、運営にできるよう何度も何度も会議を重ねて決めていきました。意見がまとまらず何度も話し合ったり、雰囲気が悪かったりすることもありました。しかしそんな中でもお互いの力を合わせることの大切さを実感しながら準備をしていきました。そこから生まれたのが今回のスローガンでもある「全力合強(ぜんりょくごうごう)~輝け6色の絆~」でした。
スポーツデーを通して学年を越えて力を合わせて強くなれるようにと考えました。強くなるというのはただ単に勝負に勝つ事だけではなく、精神的にもどんな時でも全力で物事に取り組もうという想いも込められています。また、6色というのはチームカラーだけではなくて中学・高校合わせて6学年ある英和全体がスポーツデーを通して絆を深めていきたいという思いが込められていました。今振り返ると、このスローガン通りのスポーツデーにすることができたのではないでしょうか。
1週間という短い期間での練習でしたが上級生が中心となって練習している皆さんの姿に一体感を感じましたし、当日は各クラスの実行委員を中心にそれぞれのチームが力を合わせて協力している姿を色々なところで見ることができました。
各チームが優勝を狙ってこれまで頑張ってきたので結果を見て喜んでいる人や悔しい人がいると思います。でも結果だけに囚われるのでなくこの短い期間の中で頑張って練習してきた事や3学年で協力した事、先輩や後輩と仲良くなれた事。この今までの過程が1番大切だと思います。本番を全力で戦っていた皆さんは本当に輝いていました。
そしてこんなにも今年のスポーツデーが楽しく、大成功に終わったのは私だけの力ではなく周りの人の支えや協力があったからです。私が前に立ってまとめなければいけないのに自分のせいで沢山迷惑をかけみんなを不安にさせてしまいました。委員長をやめようかと思った事もあり、悩んでた時にある友人が、「あなただからみんなついていくんだよ。裏切らないんだよ。」と背中を押してくれて、自分が委員長としてやらなければいけないことを再確認しました。全体会議や本番で沢山意見やアドバイスをくれたり無理なお願いも沢山聞いてくれた実行委員の先輩と後輩、ルールに従って素早く動いてくれた全校の皆さん、いつもより朝が早いのに私より早く起きてお弁当をかかさず作ってくれて放課後も遅く帰ってきたら夕飯を作って待ってくれていた母、そしてなによりこんな頼りない私を1番近くで支えてくれて信じてついてきてくれた高2の実行委員メンバー。本当に感謝しています。1人ではなにも出来ませんでした。でもこの素敵な”仲間”がいたから辛い時も支え合うことができました。最後のスポーツデーを委員長として全力を尽くせたことが自分にとって変わる大きなきっかけでした。
ここで今日の聖書の箇所をもう一度読みます。「初めからのことを思い出すな。昔のことを思いめぐらすな。見よ、新しいことをわたしは行う。今や、それは芽生えている。あなたたちはそれを悟らないのか。わたしは荒れ野に道を敷き砂漠に大河を流れさせる。」 
「新しいこと」は人それぞれ違うけど、スポーツデー実行委員長をしたことが私にとって新しいことをする第一歩になりました。神様はいつも私たちの近くにいて支えてくださります。神様が荒れ野に道を敷き砂漠に大河を流れさせてくださったように、スポーツデーを通して私たちに綺麗な六色の絆をも輝かせてくださったと思います。
苦しいこともたくさんありました。けれども、その度に仲間の大切さと神様がいつも近くにいてくださることを心から感じました。失敗することがあってもそれを恐れず神様が共におられることを忘れず、1日1日を大切に過ごしていきたいと思います。
お祈りします。神様、今日も新しい朝を迎えられたことに感謝します。今日は私が悩み、その度に仲間のおかげで成長できたこと、神様の支えがあったこと、そして新しいことに挑戦することについてお話ししました。沢山の人の支えで今年のスポーツデーが成功したこと、心から感謝いたします。私たちは一人一人ではとても弱い存在です。だからこそ隣人を愛し、神様を信じ、共に歩んでいくことの大切さをこれからも胸に刻みたいと思います。今日一日も皆が健康に過ごすことができますように。また私の話で至らない点があったらあなたが補ってください。願いばかりの祈りですがこの祈りを尊き主イエスキリストの御名によって御前にお捧げ致します。アーメン。

放送礼拝 YWCAひまわり部

ローマの信徒への手紙12章15節

私は夏休みに群馬県草津で行われたYWCAカンファレンスに参加し、ハンセン病について学びを深めてきました。

ハンセン病は手足などの末梢神経が侵される感染病で、知覚麻痺により熱や痛みといった感覚がなくなったり、汗が出なくなったりします。また、体の一部が変形する後遺症が残ることもあります。感染力が弱く非常にうつりにくい病気でもあり、特効薬が開発されてからは薬で完治する病気となりました。現在日本でハンセン病にかかる人は0名に近く、たとえ感染したとしても、ほとんどの人に免疫が備わっているため発病は稀です。しかし19世紀後半、ハンセン病は恐ろしい伝染病であると考えられていました。初め患者たちは治療を受けるために自主的に療養所に入所していましたが、諸外国から「文明国なのに患者を放置している」と非難され、患者の隔離政策が制定されました。この時は病気に対する差別や偏見から住み慣れた故郷を離れて放浪していた患者のみが収容されました。ハンセン病と診断されると、市町村の職員や医師が警察官を伴って度々自宅を訪れるようになったので、そのうち近所に知られることとなり、家族も差別や偏見の対象とされることがあったため、患者は故郷を離れることを余儀なくされていました。このような状況のもとで、全ての患者の隔離を目指した法令が成立し、各県で競い合うようにして患者を入所させようとする運動が起こりました。患者の自宅は真っ白になるまで消毒され、人里離れた場所に作られた療養所に送られていくという光景が、人々の心にハンセン病は恐ろしいというイメージを植え付け、それが差別や偏見を助長させることとなりました。

私は実際に国立ハンセン病療養所栗生楽泉園を訪れ、当時の様子を聞きました。入所者は、重傷者の看護や目や手足の不自由な患者の介護、食事運搬、土木工事、さらには亡くなった患者の火葬までさせられたそうです。また、十分な教育は受けられず、療養所内での結婚の条件は優生手術を受けることでした。こうした措置に不満を漏らせば、次々に特別病室という名の重監房に入れられました。病室とは名ばかりで、ここでは一切治療は受けられず、ろくな食事も与えられませんでした。冬にはマイナス20度に至ることもあり、ここで沢山の人が亡くなりました。

私は重監房資料館で実寸大の展示に入り、隣の人の顔も見えないほどの暗闇とコンクリートの壁や床から発せられる底冷えしそうな寒さを体感し、愕然としました。人が人として扱われなかった歴史を肌で感じ、人の命の尊さと人権の意味を知りました。

人権が侵されてよい理由なんて一つもないのだと思います。なぜなら神様がすべての人に命を与えてくださり、一人一人の人権は誰からも侵されないものだと憲法でも保障されているからで
す。神様や他者と共に生きるためです。私たちは誰からも人権を制限されることがない代わりに、誰の人権を制限することも許されていません。それはつまり私たちは誰もが何だってできるし、何にだってなれる可能性を持っていて、誰もがそれについて人の邪魔をする権利を持っていないということだと思います。私たちは神様から命をいただき、憲法によっても権利を保障されているから安心して何にでも挑戦できるし、そうやって私たちが歩んでいくことを神様は許してくださっているのだと思います。けれどもかつての日本においては、ハンセン病患者の人権は無視されました。

さて、このハンセン病問題が起こった原因の一つに、人々の無知・誤解・無関心がありました。私はハンセン病問題に触れて、正しく知ることで解決に向かう問題もあることを知りました。社会問題に対してただただ無力感を抱くのではなく、目の前の問題から目を背けず向き合うこと、そして心を開いて理解しようと努めることをこのカンファレンスで学びました。

ハンセン病患者を強制隔離するという法令は、最近やっと撤廃されました。しかし入所時に家族に迷惑がかかることを心配して、本名や戸籍を捨てた人が故郷に帰れずにいたり、根強く残る差別や偏見により社会復帰が果たせない人もまだいます。その方々一人一人を覚えてお祈りを捧げたいと思います。そして今も人権を守られずに過ごす人のことを理解し、学ぶ姿勢を持ち続け、今日の聖句にあるように「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣く」あり方をしたいと思います。

放送礼拝 新体操部

聖書 : 旧約聖書 詩編46編2節

今年9月16日に閉幕した新体操世界選手権で日本代表フェアリーズのフープ団体が見事銀メダルを獲得しました。世界には何組もの強豪団体がいる中で、日本選手団が最高得点に近い数字を出せたのは日々力を入れて努力している証だなと思い、尊敬しています。

新体操には個人競技と団体競技があります。英和ではありがたいことに団体を組むのに必要な人数の5人以上の仲間がいるため、中学生はクラブ、高校生はフープとクラブ両方を使用する団体演技に日々挑戦し続けています。

音楽に合わせたリズミカルな動き、力強さ、スピード、柔軟性や手具の操作など、日々自分が磨き上げてきた努力が結果に現れるスポーツです。大会で上手くいき成功した技の瞬間は全員で喜び合い、技をもっと高め合おうとする自信がわいてきますが、成功するまでの裏には仲間同士でも競い合うためチームでの意見の食い違いなどが多々あります。学年が上がるごとに個人の忙しさが変わり、なかなか思うように活動することができない日々が多くあり、誰か1人抜ける事でできる穴はとても大きく、自分と相手の出来の違いに悩んだり、なぜ大会に選ばれなかったのかと自分や仲間を責め、思い通りに行かなくて悔しい部分など様々な感情が個々にあります。

個人演技の場合は自分ひとりの責任で自分を追い込めば成長することができる一方、団体を組むという事はチーム全員の個性や表現を見抜き、ひとりで頑張ればいいのではなく全員が本気で挑み、全体で一つになろうとしなければなりません。不安などの感情の解決には仲間という存在があるから対処でき、頼ることもでき、声をかけてもらうことで自分自身を成長、変化させてくれます。

一つの短い時間の中で行われる演技ですが、団体という大きな課題に一人一人が時間をかけて大会で悔いのないように必死に取り組み、例え上手くいかず失敗しても、その過去を糧にしてこの瞬間へと導いてくれた神様に感謝して、これからも様々なことを乗り越え挑戦して行きたいと思います。