合同礼拝 カナダ研修報告

創世記11章5~7節

私は昨年の夏、カナダ研修に参加し、2週間のホームステイを体験しました。バンクーバーに到着した翌日、まず私たちはグリンバンク先生のお墓を訪問し、記念礼拝の時を持ちました。先生のお墓はバンクーバーの町を一望できる美しい丘の上にありました。35歳で母国カナダを離れ、遠く離れた山梨の地へ来て下さり、どんな困難にも耐え、命をかけて山梨英和を愛し守りぬいてくださった先生の生涯に思いを馳せ、感謝の気持でいっぱいになりました。

その後、フェリーに乗り、私たちのホームステイ先であるバンクーバー島のナナイモに向かいました。そこで午前中は英語の授業を受け、午後は様々な活動を行いしました。近隣の老人ホームを訪問して日本語の歌を歌い、折り紙を一緒にして交流したり、カナダのFirst Nationの伝統文化を学んだりしました。また、ホストファミリーを招待して、日本文化を紹介する時を持ちました。2週間を通して、英語や異文化に触れる貴重な経験がたくさんできましたが、この期間は私にとって神様の存在を身近に感じる時間でもありました。

ホームステイ初日、その日あったばかりのホストマザーとうまくコミュニケーションが取れず、私は不安ともどかしさを感じていました。そしてそんな思いを抱えたまま、私たちは一緒に散歩に出かけました。その時に見た夕日があまりにも綺麗で、私はとても感動しました。隣にいたホストマザーもまた感動していました。言葉で通じ合うことはとても難しかったのに、美しい夕日を通して一瞬で同じ気持ちになれたのだと感じ、嬉しく思いました。たとえ言語や人種、育った環境が違ったとしても分かり合えることは沢山あるのだと強く感じました。

今日の聖書の箇所の中で、「神様は1つだった言葉、民族をバラバラにして人々を混乱させてしまった」とあります。私は、初めてこの聖書の箇所を読んだときに、「神様は、なんてひどいお仕置きをするのだろう?」と思いました。しかし、この研修の中で、神様は、言葉や民族といった表面的な共通点ではなく、心や美しい自然といった私たちを繋げる材料を沢山与えてくださっているのだということに気がつくことができました。

また、それぞれの国が持つそれぞれの文化も、私たちを繋ぐ架け橋になっていると思います。私たちは研修の中で、カナダの生活を体験し、カナダ独自の文化に接しました。反対に、私たちがカナダの人たちに日本のことを教えたり、一緒に日本の遊びを楽しむ機会などもありました。そのような時間の中で、私たちはお互いの国で大切にしているものを共有し、尊重しあえることができました。私は、その国の文化を尊重するということは、その国に住む人々、歩んできた歴史全てを尊重するのと同じことだと思います。なので、お互いの国のものを素敵だと言い合えて嬉しかったです。

2週間のホームステイの間、緊張、不安、寂しさを感じることもありましたが、それ以上に神様の大きな愛を感じました。神様が研修で与えてくださった出会いをこれからも大切にしていこうと思います。

マタイによる福音書22章34~40節

出発前に読んだ、ホームステイの手引き書に「ホストファミリーと、今でも連絡を取っている」 「日本に家族ができたみたいだ」などというコメントが載っているのを見ました。きっとこれは幸運で、とても珍しい例であり、私はたがが二週間ほどで、そんな関係ができるとは思えませんでした。日本人同士でも、うまくコミュニケーションがとれない時があるのに、まして英語という、コミュニケーションの道具が、不完全な私がカナダの人と良い関係が築けると思わなかったからです。しかし私は、日本に帰る日の前の夜に泣いてしまいました。ホストファミリーと別れるのが辛かったからです。

その日の夜、写真が趣味のホストマザーが、私たちのステイ中に、撮り溜めておいてくださっていた写真のアルバムをくださいました。楽しかった思い出、うれしかった出来事が次々に脳裏に蘇ってきました。不安を抱いていた私たちを、優しく迎え入れてくださったこと、一緒にマフィンやクッキーを作ったこと、キャンプファイヤーをしたこと、…。そしてそのどれもが、お客さんとしてではなく、家族として行ってくださったことがすごくうれしかったのです。英語も、少しだけですが、上達できたと思います。しかしそれ以上にホストファミリーが、私の英語を理解しようと、常に努めてくださり、私のレベルに合わせた英語を選んで、話してくださったり、画像を、示してくださったり、翻訳機を利用するなど、何とかして、コミュニケーションを取ろうとしてくださったことが、うれしかったです。また、私も、意味が完全にわからなくても、徐々に話の大まかな内容や、伝えようとしてくださっていることが、わかるようになったのでコミュニケーションにはあまり困ることがありませんでした。しかし、分かった、という、嬉しさと同時に、もっと分かりたい、もっといろいろなことを話したい、とも思いました。これまでになく、英語へのやる気を、目覚めさせる機会になりました。

またそのアルバムの最後のページにメッセージが書かれていて、内容の全てを理解することはできませんでしたが、「あなたがきてくれて本当に楽しかった」、「メールを送り合おう」などと暖かい言葉が書かれていました。また、眠る前にホストファミリーみんなに「メッスユー」 と言われました。その時は、意味は分かりませんでしたが、後で調べて”Miss you”は、「あなたがいなくなると寂しいです」という意味だと知って、またそれでも涙を流してしまいました。まさか、私も、出発前に読んだ、手引き書のコメントを書いた人々のようにホストファミリーを、大切に思えるとは思っていませんでした。ステイ先では、ご飯が食べられて、寝るところがあって、ホストファミリーは、たまにどこかへ連れて行ってくれればいいな、と思っていた出発前の自分に、ちょっと一言言ってやりたい気分です。

私がこの研修でお世話になった方々はホストファミリーだけではありません。この研修を企画し、引率してくださった先生方、一緒に過ごした友人たち、現地でのプログラムを、支えてくださった、カナダの先生方、安全な旅路を、提供してくださったJTBの職員の方々、「たくさん勉強して、たくさん楽しんでおいで」と 送り出してくれた、日本の家族、言い切れないほど、たくさんの方々に支えられ、私は、この実り多い二週間を過ごすことができました。本当に、感謝の気持ちでいっぱいです。

カナダ研修から、5ヶ月たった今でも、一歳年上のホストシスターと、メールを送り合っていています。今日あったことや、週末に楽しみにしていることなどを送ります。日常的なちょっとした会話から、垣間見られる、カナダの生活はとても新鮮で面白いです。また12月の初め頃、母に「クリスマスが近いけど、カナダの家族に何か贈るの」と何気なく言われ、母も、カナダのホストファミリーのことを、本当の家族のように、思っていることが分かって、嬉しかったです。

世界には、私の知らない場所が、たくさんあります。そこで、誰かが暮らしています。 その人にも、大切な人がいて、その人の、人生があります。その人の、幸せがあります。その人と、仲間たちだけの、文化があります。そして、こんなに遠い異国の地に、私を、暖かく迎え入れてくれる人がいます。いつも、頭では分かっているつもりでしたが、慌ただしい毎日を送っていると、つい狭い世界に囚われ広い世界に、目が行かなくなります。狭い世界の中で、人と自分を比べて傷ついたり、自分にないものを、持っている人を妬んだりしてしまいます。そんなことばかり続けていると、狭い世界の中だけで作られた、狭い価値観でしか物事をはかることができなくなります。それが戦争や、人種差別につながってしまうのではないかと思います。今回の研修は、広い世界を実際に感じる、良い機会だったと思いました。

神様の言う、隣人とは誰か。カナダ研修の、手引き書に書いてあった問いに、研修後の私は、「この世界に住むすべての人々」、と答えます。