放送礼拝 伊藤先生

2018年1月29日(月) 全校放送礼拝
聖 書  : マタイ18章1-5節
讃美歌  : 463番 
 
 2018年1月ももう下旬になりました。高3は今日から卒業試験、いよいよ高校生活最後を迎えますね。また、それぞれの学年で年度末を迎え今までの振り返りをしたり、次の学年に向けての準備をしたりして不安に思ったり期待を抱いたりしている時期かと思います。今年度は振り返るとどんな1年でしたか?
皆さんの中で、今まで、すべてが自分の思い通りになった人はいますか。また、今までに失敗も困難もなかったという人はいますか。たぶん一人もいないと思います。今、深く悩んだり悲しみや挫折感の中にある人もいると思います。
 今日は、次の詩を紹介したいと思います。今から約150年前のアメリカ南北戦争に破れた南軍の兵士の言葉とされている詩で、ニューヨーク大学付属ラスク・リハビリテーション研究所のロビーに英文のプレートで掲げられているものだそうです。それが、15年前に中日新聞のコラムで紹介されてから、日本でも注目されるようになりました。聞いて下さい。

(悩める人々への銘 A CREED FOR THOSE WHO HAVE SUFFERED)

大きなことを成し遂げるために 力を与えてほしいと神に求めたのに
謙遜を学ぶようにと 弱さを授かった

偉大なことができるように 健康を求めたのに
よりよきことをするようにと病気を賜った

幸せになろうとして 富を求めたのに
賢明であるようにと 貧困を授かった

世の人々の称賛を得ようとして 成功を求めたのに
得意にならないようにと 失敗を授かった

人生を楽しむために あらゆるものを求めたのに
あらゆるものを慈しむために 人生を賜った

求めたものは一つとして与えられなかったが
願いはすべて聞き届けられた  私はもっとも豊かに祝福された
(作者不詳)

 この詩は、人間の尊大さや傲慢さをいましめています。そして失敗や敗北の中には人生を深める意味が溢れていることを語りかけてくれているように思います。私たちは、世の中の人が当たり前に望むことを手に入れたいと思いますし、手に入らなければ落胆します。あの人より成績が悪かった、鼻が低い目が小さい、足が遅い、力が弱いなどと人と比較して、劣等感を持つことがあります。その逆に、私は勉強ができる、スポーツができる、みんながほしがっている商品を持っている。それらを持っていないあの人よりまだましだ、自分の方が上なんだという優越感を感じて生きているかもしれません。

 今日の御言葉の中でも、弟子達は誰が偉いかとイエス様に聞いています。弟子達も名誉や人を支配することに憧れがあったのでしょう。ところがイエス様の歩む道は次元が違っていて、十字架への信仰の道ですから、上下関係とか地位とか力、また、大人と子ども、女性と男性の差別はありませんでした。
さて私たちは弟子達のように、人より優れているという優越感を感じて喜んだり、人の上に自分を引き上げたりすることで劣等感を解決しようと意地を張っているということはないでしょうか。そんなことを続けていると自分らしさがなくなり自分らしく生きられなくなります。第一、鼻持ちならなくて、友達が減っていって、人も寄りつかなくなってしまい孤立してしまうかもしれませんね。成功という価値ばかりでなく、様々な価値が人間にはあるということを英和生は理解しています。いつも他人と比較するのではなく、自分らしく明るく謙虚に生きることをキリストは望まれています。
イエス様は、心を入れ替えて子供のようにならなければ天国に入れないとおっしゃいます。
子供は親の保護が必要な弱い存在です。その子供のように神に信頼しへりくだる姿が必要であること、そして、自分を低くして人に仕えることを学ぶことが大事だとおっしゃるのです。人の痛みを知り、人を尊ぶ中にこそ永遠の命に至る確かな道があるということ、そして、人生のあらゆることに神様からのメッセージが隠されているとおっしゃるのです。これは、2000年経ってもなお新しい価値観ですし、発想を変えなければわからないことだろうと思います。
 人の一生を大海に船出することにたとえることがあります。皆さんは何を頼りに航海しますか。自分の知識?力?財産でしょうか?友達や親?先生? いろんな答えがあると思いますし、どれも欠かせませんね。でも人生の良いときも悪いときも、あらゆる時の羅針盤は、聖書の御言葉のみです。どんな時にも一人一人にそれぞれの希望の道を示して下さることを信じ祈り求めていきましょう。

天のお父様
今朝も聖書のみ言葉を下さってありがとうございます。
私たちは病気や貧困、悩み悲しみの中で苦しみますが、そこから学びとることのできる
価値観をお与え下さい。そして人の痛みの分かるものとならせて下さい。
幼子のように神様に依り頼み、人に仕えるものとならせてください。
この貧しき祈り、尊いイエス様のお名前を通してみ前にお捧げ致します。  アーメン