放送礼拝 長田先生

2018年1月30日礼拝原稿      
ローマの信徒への手紙7章18~20節  
 
私は宮崎駿の作品が好きです。特に初期のアニメ作品で宮崎駿が関わった『未来少年コナン』『アルプスの少女ハイジ』は心躍らせて見ていました。ジブリ作品の中では『紅の豚』が一番好きな作品です。
『紅の豚』の主人公は、友人を戦争で亡くしていく中、生き残った自分に「豚になる」という魔法をかけたポルコという元イタリア空軍の飛行機乗りです。飛行機が好きで飛行機の操縦の腕はピカイチで、でも決して人は殺さないという主義です。ポルコ役の声優・森山周一郎の声もしぶくてかっこよかったですし、「とべない豚はただの豚だ」といったような台詞回しもしゃれていました。
アドリア海を舞台に、飛行機が空を飛ぶ憧れを乗せるためのものから、戦う手段となっていく第一次世界大戦後の時代を描いています。

このポルコには宮崎駿自身が重ねられているように思います。
宮崎駿は戦闘機の設計をしたりイラストを描くのが大好き、でも戦争は否定するという矛盾をずっと抱えている人です。飛行機への憧れ、というよりも空へのあこがれをずっと持ち続けている人なのです。
これは、『風の谷のナウシカ』『天空の城ラピュタ』や『風立ちぬ』にもあらわれています。特に、『風たちぬ』を自分の最後の作品と位置づけ、ゼロ戦の設計をした堀越二郎を主人公にしたことで自分のそれまでの思いを表現したかったのでしょう。
ただ空を美しく飛ぶ飛行機の姿を思い描き、少しでも速く飛ぶ飛行機を作りたいという思いだけで飛行機の設計をしていたかった堀越は、戦争の道具としてゼロ戦を開発することになっていきます。
それは、操縦士にも、空を飛ぶこと以上のことを要求することになりました。相手を撃墜すること、ミサイルを投下すること、さらに特攻隊としてその機体とともに敵艦に体当たりさせられたこと。
ゼロ戦は設計者の思いとは全く違う用いられ方をしていったのです。
『紅の豚』のポルコも、『風立ちぬ』の堀越二郎も、ともに苦しみを抱えて大好きな飛行機に向き合っている人物なのです。
 宮崎駿はインタビューでこう語っています。
「武器や鎧(よろい)などそういうものに他人の3倍ぐらい興味がある。ただ飛行機マニアも戦車マニアも好きではない。例えば戦車に弾が当たるとどんな音がするのか、戦車に乗っている人と戦車を外から目の当たりにしている人とどちらが恐怖を感じるのか。僕はそういうことばかり気になっていた。確かに僕は矛盾に満ちているかもしれない。」
私が宮崎駿の作品にを惹かれるのは、彼がこういう自己矛盾を持ち続けている人だからなのでしょう。「自分の思い描いていた自分とは違う。」そんな思いをずっと持っているからこそ、宮崎駿はアニメを作り続けているのかもしれません。

今日の聖句は、パウロがローマの教会に宛てて書いた手紙です。パウロ自身の苦悩が感じられます。この箇所は、私が中学生時代に読んでとても救われた思いを持ちました。18節には「善をなそうという意志はありますが、それを実行できない」とあります。さらに19節では「わたしは自分の望む善を行わず、望まない悪を行っている。」とあります。
この後の24節では「わたしはなんと惨めな人間なのでしょう。」とまで言っています。回心してからの後半生、キリストの恵みと復活を伝道して歩いたパウロでさえも、こう言っているのです。パウロはキリストを信じながらもなお、矛盾した思いを抱えていたのです。
私たちも自分がこうありたいと思っていることと違うことをしてしまうことがあります。よくありたいと願っていてもそうできない自分を持っています。
その矛盾は抱えたまま生きて行くしかありません。
むしろ、そうした、矛盾した自分が自分の中にいることに気づいていることが大切なのではないでしょうか?

中高生のみなさんも、誰もがこのような自己矛盾を抱えているはずです。
特に今日卒業試験を迎えている高3のみなさん、もうすぐ英和を巣立っていくわけですが、これから先、「こんなはずじゃなかった」「もっとこうしたかった」「こんな自分は嫌だ」と思う時がくることでしょう。
その時にこそ、英和での礼拝の時間を思い出して下さい。1人1人が神様に愛されていること、いつもイエス様が寄りそってくださっていることを毎日の聖句で語られてきたはずです。
 矛盾多き存在である私たちをそのまま受けとめてくれる存在がいる、苦しい時に立ち返る場所がある、このことを信じて、これからのそれぞれの道を進んでいってほしいと思います。