中学合同礼拝 御園生先生

神様から授かった「たまもの」とは?  (2018.3.14中学合同)
讃美歌 470
聖書 ペトロの手紙4:10~11
「№1にならなくても良い もともと特別なOnly one…」
この歌は、皆さんもよく知っている「世界に1つだけの花」(槇原敬之―SMAP:解散してしまいましたけど・・・)ですね。この歌詞の前には、
「この中で誰が一番だなんて 争う事もしないで
バケツの中誇らしげに しゃんと胸を張っている
それなのに僕ら人間は どうしてこうも比べたがる?
一人一人違うのに その中で一番になりたがる?」
とありますが、人は、ともすると他の人と比べ、自分は勉強ができない、運動も苦手、歌も下手だし、人と上手く話せない、二重まぶたじゃないし…などと自分で思いこんだ欠点にこだわり、悩むこともあります。この欠点の中には、見る角度を変えたり、ひっくり返すと長所になることもたくさんあります。「学校の教科は苦手だけど、○○の事なら誰にも負けない」というのはよくありますね。手塚治虫の「オサム」という名前は、大好きだった昆虫のオサムシから取ったという話は有名ですね。走ったり泳いだりは好きじゃないけど、スケートならOKとか、自分では歌わないけどイントロクイズなら任せてとか、あるいは、お掃除の時間に周りの人がさぼっていても丁寧にお掃除をする人、おしゃべりは苦手だけど人の話をよく聞いてくれるから一緒にいると心強い人…例を探すと、周りにたくさん見つけることができます。
何故人は、他人と比較するのでしょうか? きっと、「すごい!」と認められたいからでしょう。では、誰に認められたいのでしょうか? 皆さんは、誰に褒められるのが嬉しいですか? 小さいときは、お父さんお母さんに褒められれば満足していたことでしょう。今は、きっと友達の評価が気になることでしょう。どれだけのことをやったのかは、本当は自分が一番よく分かっているはずですね。でも、それを誰かに認めて欲しいと思ってしまいます。今日の賛美歌では、神様は、優しい目で良いことも悪いことも、「見ていて下さる」そして、辛いときには手を添えて「支え」、間違った時は広い心で「許し」、「安心して歩きなさい」と言われると歌われています。良いときに褒めてもらえるのは、もちろん嬉しいことですが、失敗したときや間違えてしまったときつまり、一番心細いときに励まし、許しそして次に進む道を示して下さる。これは、何よりの評価なのではないでしょうか?
続きの歌詞には
「そう僕らは 世界に1つだけの花 一人一人違う種を持つ 
その花を咲かせることだけに 一生懸命になればいい」
とあります。これは、「君は、そのままで良いんだよ。人と比べず、自分の個性を大切にしよう。」と歌われていると言われています。自分の個性、つまり「自分の花」とはどんな花でしょうか?皆さんは、まだ花を付けているわけではないのでよくわかりません。でも「花を咲かせることに、一生懸命になればいい」とあります。まさに、つぼみを付ける前の、「今」自分の力を尽くして努力をしようと歌われています。花を咲かせるためには、ただぼーっと待っていてはいけないのですね。皆さんは、まだ芽が出て、本葉を付け、枝を伸ばし光の来る方へ伸びている真っ最中です。まだまだ枝をあちらにもこちらにも伸ばし、もっとたくさんの葉を茂らせなければつぼみは付きません。理科で勉強したように、つぼみを付けるためには根から水や栄養分を吸収し、葉で光合成をして有機物をたくさん作り、体をしっかり作ることが大切ですね。その準備ができて初めてつぼみを作ることができるのです。そして、自分でこういう花がいいと思っていても、実際には思い通りになるかどうかは、わかりません。でも、神様はそれぞれにふさわしい花をちゃんと用意して下さっています。
花を付けるために枝を伸ばしても、台風で枝が折れるかもしれません。その時は、別の枝を伸ばせばいいのです。近くの枝に巻き付いて少し楽をして光の当たる上の方に伸びることもできます。それでも自分の力では、どうしようもなくなった時は誰かの助けをもらえばいいのですね。皆さんはそんな時、誰に助けを求めますか?本当に困った時は聖書を読んでお祈りをしましょう。そうすると神様が、ちゃんと「こうしなさい。」と道を示してくださいます。
伸びていくための努力の仕方はいろいろあります。伸びていく方向も一方向とは限りません。植物の中には、ツタのように、自分ではしっかり立ち上がることはできないけれど、少しずつ吸盤で壁にくっついて、大きなお城まで覆ってしまうものもあります。そしてたくさんの葉をつけ、その葉にたくさんの光を浴びたなら、自分にふさわしいつぼみがつくことでしょう。
今日の聖書の個所で、神様から授かっている「たまもの」という言葉が出てきます。皆さんが、神様から授かった「たまもの」は、何でしょうか?この歌の「自分の花」にあたる「たまもの」はまだ何であるかはわからないかもしれません。しかも「たまもの」とは大輪の真っ赤なバラの花つまり、人よりずっと優れた才能のようにわかりやすいものとは限りません。「たまもの」とは、私たちにとっては「思いがけない出来事」であるかもしれませんし、「苦しいことや悲しいこと」かもしれません。私たちは、そういう出来事を経験すると、周りの人の苦しみがわかったり、優しくできる人となるのです。そして、それこそがたまものなのです。聖書には、その「たまもの」を生かす努力をしなさい、そしてそれをお互いのために使いなさいと言われています。「たまもの」を周りの人のために生かす様に毎日を過ごした時、その「たまもの」はさらに大きくなり、きっと素敵な「世界に1つだけの花」となることでしょう。
お祈りをします。
天の父なる神様、今朝は中学生の皆さんと礼拝をもって一日が始められますことを感謝いたします。今年度もわずかとなりましたが、今自分のできることを精一杯やり、自分の花を咲かせる日まで努力を続ける力を与えて下さい。今日一日が、神様に喜ばれる一日となりますように。
この小さき祈りを主イエスキリストの御名を通して御前にお捧げいたします。 アーメン