放送礼拝 糟谷先生

讃美歌21−493
聖書 ローマの信徒への手紙 12章1−2節

 いよいよ新年度の授業が始まります。新たなスタートラインに立って、ドキドキしている方も多いと思います。
 特に、中1のみなさんは、「算数」ではなく「数学」の教科書を手に、中学生になった実感を持ったのではないでしょうか。
 数学に、「直線」という概念があります。頭の中で、自分が直線を引くところをイメージしてください。どうやって引きましたか。私は、ノートに定規を横向きに当ててシャーペンで線を引きました。実は、それは本物の直線ではなく、直線のモデルでしかありません。本物の直線は太さがないので目には見えず、おまけに、ノートには収まりきれず、教室の壁も、国境も、大気圏も突き抜けて、果てしなく伸びているのです。始まりと終わりがある線は、「直線」ではなく「線分」と言います。目に見えず限りのない直線について考える数学は、実はとてもロマンティックな学問です。
 昨日の宍戸先生の礼拝で、この世界のできごとが水平、つまり2次元だとすると、イエスさまの復活のできごとは垂直、つまり3次元だ、というお話を伺いました。今日は、果てしなく伸びる直線と、初めと終わりが限られている線分に例えてお話したいと思います。
 聖書の中で神さまは、「わたしは始まりであり終わりである」と自己紹介をしています。つまり、神さまは直線のように永遠の存在です。一方、私たちは、この世界では、生まれてから天に召されるまで、限られた時間を生きる線分のような存在です。限られた空間の中で、限られた知識を与えられた存在です。時間、空間、知識、のうち、限られた時間について考えてみましょう。
 子どもの頃には時間は有り余るほどあると思っていましたが、大人になって身近な人たちの死や老いや病を経験し、線分の終わりを考えるようになりました。そうなると、時間をつぶさなければならない、という考えがなくなりました。もちろん、体を休めることは大切です。時には、何もしない時間も必要でしょう。でも、何かをするのでもなく、体を休めるのでもなく、ぼーっと考え事をするのでもなく、ぽっかり空いた時間を潰したいと思うことはほとんどなくなりました。
 退屈な時間ができてしまったとき、中高生のみなさんの中には、すぐにスマホやタブレットに手が伸びる人がいるのではないでしょうか。日曜日の朝日新聞で、俳人、俳句を作る人の中内亮玄さんが、みなさんのような少年少女にあてて、スマホを切って俳句を作ってみませんか、と勧める記事を書いていました。時間つぶしをする代わりに俳句を作ることで、限りある人生を大切に生きられる、というのです。少し長くなりますが、引用します。
 「昨日の帰り道は、どんな風が吹いていましたか。電車を待つ間の空はどんな色でしたか。バス停に生えた雑草の健気な様子や、横切った鳥の、その鳴き声は。
 君たちは、この素晴らしい世界を驚くほど何もみていない。『暇だから』と画面ばかり見ていると、青春が終わってしまいます。命が終わってしまいます。
 昨日は桜を見た?嘘だ。写真に撮って保存しただけじゃないのかい?
 そんなのは、やめにしよう。」
 いかがですか。「時間をつぶす」は英語で「kill time」と言ったりします。時間を殺しているうちに、私たちの今日の命が終わってしまう、というのは納得のできる話だと私は思いました。
 今日読んだ聖書の箇所には、「自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして捧げなさい」とあります。今日の私を神さまに捧げるには、今日一日という時間を大切に生きなければなりません。自分には力がないから、弱いから、そんなことはできない、と思うかもしれません。しかし、神さまは私たちの弱さをともにおってくださる存在です。失敗したからといって、見捨てたり笑ったりするお方ではありません。一生懸命挑戦して、それで失敗するなら、私たちのその一日を神さまは受け取ってくださるはずです。
 それに、人はみんな限られた存在で、弱さや欠点を抱えて生きているのです。神さまが私の弱さを受け入れてくださるのだから、私もだれかの弱さを受け入れるべきです。この学校では、安心して失敗して、そこから学んでいってほしいと思います。
 中内さんが俳句を進める理由は、俳句を詠むと世界に敏感になるからです。また少し引用します。
「桜の花びらが何枚なのか、どんなふうに散るのか、幹の色、形、実際に触ってみるのもいい。そのうちに春夏秋冬、花鳥風月、なまの人間に、つまり命にも敏感になることができます。」
 俳句だけでなく、私たちの学習もこうあってほしいと私は思います。私たちが何十年か身を置いているこの世界を、そして私たちの命を、五感を澄まして知るような深い学びができたらいいと思います。
 
お祈りします。

在天の主なる神さま、
今日、私たちを命に目覚めさせ、あなたの前に集めてくださり感謝します。
いよいよ新しい年度の学習が始まります。与えられた時間を精いっぱいに生きて、今日の私たちの一日が、あなたに喜ばれる捧げものとなれますように。世界を知る生きた知識を得られるように支えてください。うまく行かないときにも、失敗してしまったときにも、あなたが私たちを見捨てず、一緒におられ、励ましてくださることを信じます。私たちも互いに受け入れ、支え合えるように成長させてください。
このお祈りを、主イエスキリストのお名前を通して御前にお捧げします。アーメン。