放送礼拝 菊田先生

2018年4月16日(月) 放送礼拝
聖書:ヨハネによる福音書 17章:1~3節
讃美歌:483番

今年は桜の季節があっという間に過ぎてしまい、5日の入学式をきれいな桜の下で迎えることが出来ないほどでした。お隣の長野県ならもう少し桜の花が楽しめるのではないかと思い、先週末お花見ドライブに出かけ、上田市にある『無言館』という美術館を訪ねました。

この美術館には、有名な画家の作品は一枚もありません。飾られているのは、太平洋戦争で亡くなった画学生、今で言う美術大学=美大で絵を勉強している途中で戦争に駆り出され、そのまま帰って来られなくなった画家の卵達の作品が飾られています。最初のうちは「学徒兵役免除」と言って、学生には動員がかからなかったものの、戦争の状況が悪化するにつれて、学生たちも戦争に行かなければならなくなってしまいました。絵を描くことが大好きで、大学でしっかり学びたいと思っていた学生たち。中には、美術大学の学費を工面するのが大変で、家にあった大きな木を切り倒して送り出してくれた家族もいたようです。無言館には学生たちの描いた絵だけでなく、使っていた絵の道具や、戦地から家族に送った手紙も残されていました。それらの遺品と絵を見比べながら、その絵に込められた思いや、戦争に行くことは、即ち生きて帰っては来られないことだとわかっていながら、どんな思いを持って絵筆を握っていたのだろうか。言葉を発しなくても、様々なことを私たちに語りかけ、考えさせてくれる、「無言館」はそんな美術館です。

ここの館長であり、作家でもある窪島誠一郎さんの『無言館にいらっしゃい』という本の中には、私たちには2種類の「いのち」があると書かれています。一つ目は漢字一文字で書く「命」。つまり私たちがこの世に誕生したときに与えられたいのちです。そして、もう一つは、私たちが生きているうちに自分の「仕事」に込めることのできる命だそうです。ここで言う「仕事」について、窪島さんは次のように書いています。

みなさんは「仕事」と聞くと、会社に勤めてお給料をもらったり、何かを安く仕入れてお客に売ったりする商売を連想するでしょうが、人間の「仕事」はそれだけではないのです。病気になった家族を介護したり、落ち込んでいる友達を励ましたり、庭に咲いている花を大事に育てることだって立派な「仕事」です。あるいは自分の経験を日記に書いて記録したり、健康のために毎日ジョギングしたり、学校に通って勉強したりすることだって「仕事」の一つであるとも言えるのです。人間はそういう数々の「仕事」の中に生きている自分の「命」を込めることができると言いたいのです。戦争で死んだ画学生たちが残した絵は、ある意味で、その一点一点が画学生たちのいのちがのりうつった「仕事」であったといえないでしょうか。

この本を読み終えて、窪島さんご自身が、与えられた「命」に二度と同じ苦しみを味わう人を出してはならないという強い思いを込めて、「無言館」を作ったということが伝わってきました。無言館に飾られていた、戦争の前に「命」を絶たれてしまった画学生たちの「もう一つのいのち」は今もこうして、ここを訪れる人たちに語りかけ、訴えることで生き続けています。与えられた「命」は、その中に思いを込めて生きていくことでこれから先も続いていくものだと思います。

聖書に書かれている永遠の命とは、ここで語られている「もう一つのいのち」のことだと思います。そして私たちは与えられた「命」を生かすために、神様から様々な「仕事」を頂き、そのために「もう一つのいのち」に思いを込めていくのだと思います。

残念なことに、おとといの土曜日にアメリカが英国、フランスと共同で化学兵器使用が疑われるシリアを攻撃したと言う報道がありました。平和の反対語である戦争がまさに起こっている国があることに驚きを感じます。私たちは与えられた「命」をしっかり生かし、正しい知識を身につけ、判断し、自分の意見を持って「もう一つのいのち」を生きていきましょう。

お祈り

天にいらっしゃる私たちのお父様、今朝も新しい朝を有難うございます。あなたの御言葉から一日をはじめられますことを感謝いたします。私たちがあなたによって与えられたものを十分に生かして、一日一日を積み重ねていくことが出来ますように。また私たちの周囲で支えてくださる多くの方々に感謝して一日を終えられますように。様々な不安を抱えている友達がおりましたら、あなたが強め励ましてください。遠くの地では争いの中にある国もあります。より良い解決の道が見つかりますように。

願いばかりの祈りを尊き主イエス・キリストのお名前を通して御前にお捧げします。