放送礼拝 高校生徒会

詩編133編1~3節

みなさんは千々石ミゲルという方の名前を聞いたことがあるでしょうか。キリスト教について学んだり、日本への宣教を依頼するためにローマに派遣された天正遣欧少年使節の4人の少年のうちの1人です。ミゲルは熱心なカトリックのキリスト教信者でした。長年信仰し、日本に帰国後は布教活動を行なっていました。

しかし後にイエズス会を脱退し、キリスト教の信仰も捨ててしまいます。それには諸説ありますが、一つの説はキリスト教徒による仏教徒への迫害が理由だったのではないかというものです。私はミゲルが信じていたものを投げ出すほど衝撃的な出来事があったのではないかと想像しました。そして信仰を持つ人たちが、他宗教の人たちを迫害したことに少なからずショックを受けました。彼らは信仰を疎かにしていたわけではありません。聖書の教えに基づいて生活し、自ら人を傷つけることなどしない生き方を心がけていたと思います。おそらくこの人たちは、自分と考え方が異なる人たちへの寛容さが欠けていたのだと思います。

創世記に記されているように、神様は「良い」存在としてわたしたち人間をおつくりになりました。けれども人間は罪のために他者を傷つけてしまい、他者を認めることができなくなってしまっています。そういう罪から救い出されて、もともとの神様に造られた良い者として、互いに尊敬を持って接することが本来の人間のあり方なのだと思います。けれどもミゲルはその罪につまずいてしまいました。本来なら罪に気づき、それを指摘し、和解の道を伝えることができたのではないかと思います。

私は生徒会役員として活動する中で、1人で抱え込み、悩んでしまうことがよくあります。仲間に頼りたくはない、一人で全部行わなければという思いが無意識のうちにありました。ミゲルがつまずいてしまった人たちの姿と同じように、寛容な思いを忘れそうになることもありました。しかし、振り返ってみるとたくさんの方に支えられていることを実感する出来事が多くあることに気づきました。先日の学園祭に向けての会議の際に、クラスメイトがもっと私に協力したいという理由で係りのリーダーを快く受け入れてくれました。また、放課後には生徒会室で私たちと一緒に仕事を手伝ってくれたりする仲間もいます。忙しい中、的確なアドバイスをしてくださったり、毎日のように頑張れと声をかけてくださる先生方もいます。私は知らぬ間にたくさんの良い仲間や先生方に支えられていました。仲間の「もっと頼ってよ」という言葉を聞くたびに自分がどれほど恵まれているのかを実感する毎日です。一人では成し得ないことがたくさんあるのだと気づくことができました。

中学1年生の頃から生徒会に携わってきましたが、この経験の中で得た一番大きなものは仲間だと思います。多くの方と関わっていく中で培われたお互いの友情や信頼は他の何かに代えることはできません。私たちは神様のような完璧な存在にはなれないので、嫌なことがあった時、やけくそになりそうな時がありますが、それでもそばに仲間がいてくれるだけで誰かを傷つけてしまうことがなくなるかもしれません。気持ちを共有するだけですっきりしてまた励むことができるかもしれません。

英和で生活していく中でみなさんは必ず「出会えてよかった」と心から思える仲間にたくさん出会うと思います。そんな仲間たちと過ごす時間を大切にしてください。仲間と過ごす何気ない時間が一生の宝物になっていくと思います。年間行事の中でも一大イベントである学園祭が近づいています。学園祭に向けて全校で協力しなければならない場面がこれからどんどんでてきます。仲間を思い、辛い時には助け合って最高の学園祭を作り上げていきましょう。