中高合同礼拝 横手先生

テモテへの手紙二 1章5節
讃美歌543番

テモテへの手紙は使徒パウロから愛する弟子のテモテに宛てて送られました。パウロがテモテに手紙を書いたとき、パウロは「キリスト」を宣伝えたために逮捕されてローマの監獄に入れられていました。この手紙の4章では「遅すぎないうちに」(9節と21節)と書かれていることから、パウロは処刑の日が迫っていることを感じていたと思われます。テモテはパウロがはじめたエペソ教会の牧師だったと言われています。パウロはテモテを「愛する子」と呼んでいます。3節から9節を読みますと心が震えるほどの感動を覚えます。死が明日に迫っていても神に感謝し、テモテをいたわり、神がテモテを守ってくださるようにと執り成して祈るのです。先生と弟子とのこの清らかな関係は私たちの心を揺り動かします。パウロはテモテの信仰のことを「あなたが抱いている純真な信仰」といっています。それは「祖母ロイス」と母エウニケに『宿った』信仰だと書いています。テモテの父は異教徒のローマ人でしたから、テモテの信仰はおばあさんと母親を通して『宿った』のです。パウロは特別な意味を持たせて『宿った』と言っているのです。パウロはテモテの信仰がテモテが自分の力で得たものでなく、神の導きより「与えられたのだ」と書いていることは大切です。   

今、この大切な言葉から思い出されることとして、私は英和の中一の生徒だったときのことをお話します。院長であり校長であられた内藤正隆先生が「無条件の感謝」という説教をなさったクリスマス礼拝を思い出します。そのときの会場はすでに取り壊されて跡形もなくなった「県民会館」でした。その年に山梨英和の今の体育館やその横のプールが完成しました。先生はそのような大事業の中で、とても大きな病気をなさり、おまけに泥棒や火災の被害に遭われ、本当にやせ衰えたお身体でした。その3日後に亡くなられたことは私たち生徒にとっては大きな出来事でした。今も「無条件の感謝」が甦えってきます。私の身体の中にこの説教が『宿った』といっても言い過ぎではありません。なぜならその年の南甲府教会のクリスマス礼拝で私は父から受洗したからです。
『宿る』というもう一つの経験は、それから2年後ネパールで結核撲滅のために医療活動をされた岩村昇医師が山梨英和に来られ、この場所で語られた時のことです。先生はここに立たれ、この場所で左側の愛宕山を指さして「ネパールは本当に甲府に似ています、けれど医師が足りないのです」と言われました。私たち生徒は愛の奉仕に命を捧げてネパールの村々をくまなく訪ね歩いておられる先生の中にイエス・キリストを見たのでした。これを聴いた多くの同級生たちが医師をめざしました。その一人は山梨大学工学部を卒業し、自分が吃音で苦しんでいたのでさらに大阪大学医学部で研究し、言語治療の領域の研究者となり大学の教員になっていました。残念なことに胃がんを患い、道半ばで亡くなりました。しかし、隣人のために生きるということが「神を敬うことの証しだ」と信じて自分を高めて、目標に到達した彼女の姿を私たちは決して忘れることはありません。もう一人の同級生は音大を卒業して、音楽療法の草分け的存在になって、大学の教員となり、東京芸術大学でも今も講義し、知的障害者教育のための教科書をつくり、後に続く学生たちを育てている同級生もいます。このチャペルで本当に「純粋な信仰のめざめ」を経験した皆さんの先輩がおられるのです。
 
 次の日曜日はペンテコステです。(聖霊降臨議日)ペンテコステのオルガン曲には上下の手鍵盤、第一鍵盤と第二鍵盤、足鍵盤とこの三つのパートを使う曲が多いのです。それは、父なる神、子なるキリスト、そして聖霊の関係を表していると言えるでしょう。今日弾きました前奏曲は「来たれ、おお、来たれ、命の聖霊よ」でした。右手は讃美歌のメロディー、それに添えられる左手はアルトパート、そして足鍵盤は低音部の支えの役割をもっています。これはオルガン曲ですがアンサンブルリリエンの皆さんはこの曲をフルート、ヴァイオリン、オルガンの足鍵盤、あるいは、チェロも加わって三パートで弾いていますね。一人で弾くオルガン曲を、合奏することで、この曲がさらに生き生きと感じられます。
新しい年度が始まりました。皆様一人一人を、神様が導かれ、「純粋な信仰の目覚め」をお与えくださいますように、そして、皆さまが測り知れない神様の御計画にあずかることができますようにお祈りいたしましよう。

祈り
私たちを思いがけない時に、信じられない愛の力で、呼び出してくださる神様。
私たちは生徒も教師も神に招かれここにいます。私たちの間に命の言葉が満ちて、「新しい目覚め」を今日も起こしてくださいますように。
 主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。