放送礼拝 久木元先生

聖書の箇所:マタイによる福音書25章34~40節
そこで、王は右側にいる人たちに言う。「さあ、わたしの父に祝福された人たち、天地創造の時からお前たちのために用意されている国を受け継ぎなさい。お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ。」
すると、正しい人たちが王に答える。「主よ、いつわたしたちは、飢えておられるのを見て食べ物を差し上げ、のどが渇いておられるのを見て飲み物を差し上げたでしょうか。いつ、旅をしておられるのを見てお宿を貸し、裸でおられるのを見てお着せしたでしょうか。いつ、病気をなさったり、牢におられたりするのを見て、お訪ねしたでしょうか。」
そこで、王は答える。「はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。」

 一ヶ月ほど前に、テレビで「ペコロスの母に会いに行く」という映画を見ました。この映画は、岡野雄一さんという方の描いたエッセイ漫画を映画化したものです。原作の漫画は、学校の図書館にも入っているので、ひょっとしたら見たことがあるという人もいるかもしれませんね。この作品は、作者である岡野さんと、認知症を患って施設に入っている岡野さんの母親との交流を描いた漫画です。「ペコロス」というのは、岡野さんのペンネームで、「小さな玉ねぎ」という意味です。岡野さんがなぜそのようなペンネームをつけたかというと、岡野さんの体型と、つるつるに禿(は)げた頭が、ペコロスのように見えるからだそうです。
 映画のあらすじは次の通りです。62歳の漫画家ゆういちの母みつえ(89歳)は、父さとるが亡くなった後、振り込め詐欺にひっかかりそうになったり、死んだ夫のために酒を買いに行こうとしたり、汚れた下着を大量に貯めたりなど、認知症の症状を見せはじめます。ケアマネージャーの勧めで、ゆういちはみつえをグループホームに入居させます。それでも、みつえの認知症は進み、面会に来たゆういちが分からず、禿げ髪を見てようやく息子を思い出す始末です。また、夫が亡くなったことを忘れ、見えない夫と話したり、原爆で亡くなった幼い妹の幻を見て、妹をあやしたり、少女に戻って無邪気な様子を見せるようになります。ゆういちは、そんな母を優しく見守りながら、昔のことをいろいろと思い出します。ある日、みつえは、ゆういちに、亡くなった夫さとるや幼なじみのちえこ、妹のたかよが会いに来たと語ります。「死んだ父ちゃんに会えるのなら、ボケるのも悪いことばかりじゃないね」とゆういちは思うようになります。
 私はこの映画を見て、深く感動したと同時に、何か苦いものを噛(か)んでしまったような複雑な思いにとらわれました。というのも、実は、私の実家の父親も、認知症を患っているからなのです。たまに実家に帰って父親に会うと、ペコロスの映画と同じように、父親は私が誰なのか、まったく分かっていません。また、息子に会わせても、父は孫を認識できていないのです。私は実家に帰って父に会うたびに、悲しいような、やりきれないような、もやもやした思いを抱かずにはいられないのです。だから、映画の中で、当初は認知症の母親につらく当たりながらも、だんだん心を許して、最終的には優しい気持ちで母に接する岡野さんの姿が、とても羨(うらや)ましく思えたのです。
 それと同時に、認知症の患者に対して、いや、認知症の患者だけでなく、自分が理解できないものに対して、お前はつらく当たったり、無視したりしていないかという問いを突き付けられたような気がしました。お前は、小さい者や弱くされた者に対して、偏見を持ち、排除しようとしていないだろうかという問いです。私はこのような問いに対して、はっきり「Yes」と答えることができません。そして、そのような問いを私に投げかける存在に対して、私は忸怩(じくじ)たる思いを抱かずにはいられません。
 では、そのような問いを私に投げかける存在は誰かというと、それはイエス・キリストに他なりません。イエスは、常に、小さい者、弱くされた者の立場に立って行動していました。それは、子どもであったり、女性であったり、病人であったり、罪びとであったり、異民族であったりしました。イエスは、同時代の人が偏見を抱き、差別を行い、排除していた人たちを決して見捨てず、常に彼らの側に立っていたのです。それだけではありません。今日の聖書の箇所の40節を見てください。「わたしの兄弟であるこの最も小さい者」とは、実は、イエス・キリストのことなのです。つまり、イエスは、小さい者、弱くされた者の姿で私たちの前に現れるのです。イエスは、弱い者・小さくされた者の姿を取って、私たちに差別や偏見の心がないかどうか、問いを投げかけているのです。
 5月27日は山梨英和の129回目の創立記念日で、28日に私たちは花の日を守ります。私たちは病院や介護施設を訪問させていただきますが、そこには、小さくされ、弱くされた者の姿を取ったイエス・キリストが私たちを待っていてくださるということを心にとめていたいですね。

お祈り
神様、今日も新しい朝を与えられてここに集い、放送を通してですが、愛する姉妹たちと一緒に礼拝を捧げる機会に恵まれたことを感謝いたします。私たちは、小さな者・弱くされた者に対して、差別や偏見の心を持ってしまいがちです。しかし、私たちは、小さな者・弱い者としてこの世に生を受け、そして、恐らくは弱い存在としていずれ天に召されます。私たちが今現在、強い者の立場にいるとしても、それは単なる偶然であって、弱い者・小さな者に寄り添わなければならないと思う気持ちを忘れないようにさせてください。私たちは来週、花の日を迎えますが、どうぞ謙虚な気持ちでこの日の訪問ができますように、私たちをお導きください。また、今週から、前期Ⅰテストが始まります。中1の生徒にとっては、初めての定期試験です。不安や緊張を覚える生徒も多くいると思いますが、あなたが常に彼らの傍にいて、お見守りください。今日の一日の歩みが、あなたの御心に添ったものでありますように。このささやかな祈りを主イエスキリストの御名によって御前におささげいたします。アーメン。