放送礼拝 山田先生

2018.9.10放送礼拝
マルコによる福音書 2章1~5節
「ためらわず信じなさい」

今年の夏の暑さは本当に記録的な猛暑でしたね。ある病院では、冷房が故障したまま放置されて、お年寄りが何名も亡くなったという痛ましい事件もニュースで耳にしました。
今年の夏のニュースや天気予報では、「ためらわずに冷房を使ってください!」と繰り返し訴える言葉が耳に残りました。「ためらわず」という言葉は、私にとってなぜか印象に残る言葉でした。今年の流行語大賞にノミネートされるかも、などとそんなことまで考えるほどでした。
考えてみると、私たちはエアコンを入れるとき、普段はどこかにためらう思いがあるのかもしれません。地球環境によくないかもしれない?!電気の無駄遣いになるのでは?!何よりも電気代が高くなってしまう!このような心配をしながらエアコンのスイッチを入れているのではないでしょうか。学校生活でも、冷房を使うルールがあり、いつでも「ためらわず」にスイッチを入れることはできません。
ためらうという言葉は、もともとは高ぶった気持ちを元の状態に戻すという意味からできた言葉です。中学生も高校の古典で勉強すると思います。先ほどの冷房の話でいうと、「もうだめだ、暑くてたまらない!冷房を入れたい!」という高ぶった気持ちを、「そうはいってももう少し我慢できるかもしれないぞ、一度よく考えてからスイッチを入れた方がいいかな?」と考え直してみる心の動きが、ためらうということなのです。現代語では、よい状況でも使えるし、よくない意味でも使うことのできる表現となりました。
皆さんの生活の中でも、ためらうことはけっこう多くあるのではないでしょうか?たとえば、お年寄りに席を譲りたいけれど、ことわられたらどうしようとためらう。お菓子は食べたいけれど、ダイエット中だから食べるのをためらう。悩み事を相談したいけれど、相手に迷惑がかかるかなとためらう。風邪っぽくて、お医者さんに看てもらうように言われたが、市販の薬飲めば大丈夫 ?それとも寝てれば治るかな?と病院に行くのをためらう。だれでも 経験が ありますね 。
では、今日の聖書の4人の男たちはどうでしょうか?中風の病人を寝床に乗せて、人の家の屋根に上り、屋根をバリバリはがして穴をあけて、イエス様のところに病人をつり降ろしました。この行動には、まったく「ためらい」は感じられません。ただ病気の人を治してもらいたい、イエス様ならば必ず治してくださる!と信じる気持ちのままに行動しています。高ぶった気もちのままに「ためらわず」に突き進んでいると言えるでしょう!
私たちにこのような感情の高ぶりはあるでしょうか?ためらわずに信じることはできますか?
私たちは毎日、神様のみ言葉に耳を傾けます。イエス様の救いのみ言葉は心を震わせます。その高ぶりをそのまま受け取る時が、礼拝の時間なのだと私は思います。夏休みが明けて、学校にも毎日の礼拝の時間が戻ってきました。今年の夏、私の流行語大賞は「ためらわず」でした。新学期を迎えても、毎日ためらわずに讃美し、ためらわずにみ言葉に聞き、先生や友達の話に耳を傾けて、新学期の礼拝を大切に守っていきましょう!
 
お祈り
 神様、今日も礼拝の時をありがとうございます。私たちは毎日、あなたからの愛のみ言葉をいただいています。どうか毎日の礼拝を大切に守り、後期も、安全に豊かな日々となりますように導いてください。尊き主イエス・キリストのみ名によりお祈りします。
アーメン