放送礼拝 伊藤先生

10月17日 放送礼拝                     
聖書    マルコによる福音書7章31~37節(p.75)
 

スポーツの秋、もうすぐスポーツデーですね。
先日までアジアオリンピック、その後パラリンピックがありました。毎日のように選手達の活躍がニュースで伝わってきました。
2020年には東京オリンピックが開催されることになっています。そしてその後にパラリンピックが行われます。パラリンピックは1960年に第1回ローマ夏季大会から始まり、身体・知的等にしょうがいを持つ人たちが競技します。
「しょうがい」はその人の個性であるという人々がいます。全くその通りだと思います。しかし、現実には「しょうがいのある人」は「しょうがいのない人々」優先の社会の中で周辺に追いやられることが多いとも言えます。この課題は思いがけず深く困難な面を持っていることも事実です。その意味でも、パラリンピックというプロジェクトは大きな意味を持っているのではないでしょうか。パラリンピックは周辺に忘れられがちの人々を社会の中心に連れ出すという方向が感じられます。
「パラ」はギリシャ語で「並べる」「共に」というような意味があるそうです。先にお読みした聖書の箇所マルコによる福音書7章33節には、『イエスはこの人だけを群衆の中から連れ出し…』と書かれています。「連れ出し」て、人々の真ん中に招かれました。彼は周辺ではなく真ん中にいます。
イエスさまは、子ども、老人、女性、異邦人(ユダヤ人達からみた外国人)というような弱い立場の人々を、大人、若者、男性、神の民(ユダヤ人)というような強い立場の人々と「並ぶ存在」へと「連れ出し」てくださいます。すべての人間は父なる神さまの前では等しく愛されている尊い存在であることがわかるようにして下さいます。

今日は、一人の貧しいおばあさんの詩を紹介させて頂きたいと思います。
題は「マローンおばさん」作者はエリナー・ファージョンという英国女性です。

森のそばで一人貧しく暮らしていたマローンおばさん。誰一人おばさんを訪ねる人はなく、心にかけるひともいない。
ある冬の月曜日、みすぼらしくて弱りはてたスズメが一羽、窓辺にやってきた。おばさんは「あんたの居場所くらいここにはあるよ」とスズメを抱いてつぶやいた。火曜日の朝、おなかをすかせ、棒切れのようにやせこけたネコが一匹やってきた。おばさんは「あんたの居場所くらい、ここにはあるよ」とネコをひざの上でさすってあげた。水曜日、6匹の子ギツネを連れた母さんギツネが座ってた。おばさんは「あんたがたの居場所くらいここにはあるよ」とキツネの親子を招き入れた。
「こんなによごれてつかれきって」 「あんたの居場所くらいここにはあるよ」
と言って、自分のわずかな食料をわけあたえるマローンおばさん。
マローンおばさんのもとには、スズメだけでなく様々な動物がやってくるのですが、
どの動物も弱っていたり、けがをしていたり、お腹をすかせていたり。
でも、どんな動物に対しても、居場所はここにあるよ。といって家の中に入れて
自分の食料をわけあたえました。
「次から次へと家族がふえた。
でも もう1ぴきぐらい居場所はあるよ」

そんな風になにもかも分け与えていたら、土曜日の夜ご飯の時間になってもマローンおばさんは起きてこなかった。
動物たちはマローンおばさんを天国の門へ連れて行きます。
そして、動物たちは門番の聖ペテロさまに、貧しくてなにも持っていなかったけれど、お母さんのように広く大きな心で動物たちに居場所を与えた人であることを伝えました。
それを知った聖ペテロ様
「母よ、入って王座におつきなさい。
あなたの居場所がここにはありますよ。マローンおばさん。」
と、中に迎え入れる・・・
“There’s room for another one, Mrs. Malone.”
ペテロの最後のセリフは、マローンおばさんが月曜日から金曜日まで新しい仲間を迎える度にいつも口にしたことばでした。「もう1ぴきぐらい居場所はあるよ。」
マローンおばさんは、その同じ言葉を今度は自分のために聞いたのです。

貧しい生活のマローンおばさんですが、来る動物を断ることなく「居場所」をつくり、わずかな食事をあたえました。
「居場所がない」ということがどれだけつらいことかを、マローンおばさんが知っているからかもしれません。ひとりぼっちでさびしい暮らしをしていたマローンおばさん。
そのことを誰かに嘆くこともなく、居場所がない!と訴えることもしなかった。
そのかわりにしたこと・・・それは多くの弱った動物の「居場所」をつくることでした。
そのことで、たくさんの動物たちに愛され、その空間がマローンおばさんの「居場所」になりました。
貧しい生活のマローンおばさんでしたが、最後はたくさんの動物に愛されて幸せだったのではないでしょうか。
自分のことでいっぱいいっぱいになった時、孤独を感じるとき、多くの人は、自分中心に考えてしまうような気がします。
まずは、自分から誰かの居場所をつくることが、自分の居場所になっていくのかもしれません。
イエスさまは、『心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。
わたしの父の家には住む所がたくさんある。』とおっしゃいました。
「耳が聞こえず、舌が回らない」あの人もイエスさまのおられるところでは周辺ではなく、中心部にその居場所があったのです。

お祈りします。
恵み深い父なる神さま。
私たちの生きている社会には、しょうがいを持つ人、弱い人、疲れている人
悩んでいる人、苦しんでいる人がたくさんいます。わたしたちもその一人です。
どうか、マローンおばさんのように居場所はあるよ、と受け入れる心の温かい人
心の広い人になれますように。そして、他の人のことを思いやる心を持って、行動できる人になれますように。
私たちが疲れてぼろぼろになっても、神さまの家にはいつも私たちを迎えてくれる場所が用意されていることを思い、その豊かな恵みに感謝致します。
一人一人の祈りに合わせて、イエス様のお名前を通して御前にお捧げ致します。 アーメン