放送礼拝 YWCAひまわり部

ローマの信徒への手紙12章15節

私は夏休みに群馬県草津で行われたYWCAカンファレンスに参加し、ハンセン病について学びを深めてきました。

ハンセン病は手足などの末梢神経が侵される感染病で、知覚麻痺により熱や痛みといった感覚がなくなったり、汗が出なくなったりします。また、体の一部が変形する後遺症が残ることもあります。感染力が弱く非常にうつりにくい病気でもあり、特効薬が開発されてからは薬で完治する病気となりました。現在日本でハンセン病にかかる人は0名に近く、たとえ感染したとしても、ほとんどの人に免疫が備わっているため発病は稀です。しかし19世紀後半、ハンセン病は恐ろしい伝染病であると考えられていました。初め患者たちは治療を受けるために自主的に療養所に入所していましたが、諸外国から「文明国なのに患者を放置している」と非難され、患者の隔離政策が制定されました。この時は病気に対する差別や偏見から住み慣れた故郷を離れて放浪していた患者のみが収容されました。ハンセン病と診断されると、市町村の職員や医師が警察官を伴って度々自宅を訪れるようになったので、そのうち近所に知られることとなり、家族も差別や偏見の対象とされることがあったため、患者は故郷を離れることを余儀なくされていました。このような状況のもとで、全ての患者の隔離を目指した法令が成立し、各県で競い合うようにして患者を入所させようとする運動が起こりました。患者の自宅は真っ白になるまで消毒され、人里離れた場所に作られた療養所に送られていくという光景が、人々の心にハンセン病は恐ろしいというイメージを植え付け、それが差別や偏見を助長させることとなりました。

私は実際に国立ハンセン病療養所栗生楽泉園を訪れ、当時の様子を聞きました。入所者は、重傷者の看護や目や手足の不自由な患者の介護、食事運搬、土木工事、さらには亡くなった患者の火葬までさせられたそうです。また、十分な教育は受けられず、療養所内での結婚の条件は優生手術を受けることでした。こうした措置に不満を漏らせば、次々に特別病室という名の重監房に入れられました。病室とは名ばかりで、ここでは一切治療は受けられず、ろくな食事も与えられませんでした。冬にはマイナス20度に至ることもあり、ここで沢山の人が亡くなりました。

私は重監房資料館で実寸大の展示に入り、隣の人の顔も見えないほどの暗闇とコンクリートの壁や床から発せられる底冷えしそうな寒さを体感し、愕然としました。人が人として扱われなかった歴史を肌で感じ、人の命の尊さと人権の意味を知りました。

人権が侵されてよい理由なんて一つもないのだと思います。なぜなら神様がすべての人に命を与えてくださり、一人一人の人権は誰からも侵されないものだと憲法でも保障されているからで
す。神様や他者と共に生きるためです。私たちは誰からも人権を制限されることがない代わりに、誰の人権を制限することも許されていません。それはつまり私たちは誰もが何だってできるし、何にだってなれる可能性を持っていて、誰もがそれについて人の邪魔をする権利を持っていないということだと思います。私たちは神様から命をいただき、憲法によっても権利を保障されているから安心して何にでも挑戦できるし、そうやって私たちが歩んでいくことを神様は許してくださっているのだと思います。けれどもかつての日本においては、ハンセン病患者の人権は無視されました。

さて、このハンセン病問題が起こった原因の一つに、人々の無知・誤解・無関心がありました。私はハンセン病問題に触れて、正しく知ることで解決に向かう問題もあることを知りました。社会問題に対してただただ無力感を抱くのではなく、目の前の問題から目を背けず向き合うこと、そして心を開いて理解しようと努めることをこのカンファレンスで学びました。

ハンセン病患者を強制隔離するという法令は、最近やっと撤廃されました。しかし入所時に家族に迷惑がかかることを心配して、本名や戸籍を捨てた人が故郷に帰れずにいたり、根強く残る差別や偏見により社会復帰が果たせない人もまだいます。その方々一人一人を覚えてお祈りを捧げたいと思います。そして今も人権を守られずに過ごす人のことを理解し、学ぶ姿勢を持ち続け、今日の聖句にあるように「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣く」あり方をしたいと思います。