放送礼拝 土屋先生

ルカによる福音書 12.22~29

今日はみなさんに1冊の絵本を紹介したいと思います。Shel Silverstein/シェル・シルヴァスタインという人の書いた“The Missing Piece”という本です。直訳すると「足りないかけら」とでも訳せるでしょうか。私が持っているのは洋書ですが、「ぼくを探しに」という題名で日本語に訳されたものも出ています。絵本は黒いサインペン1本で描かれたような単純な線と短いセンテンスの英語で綴られたとてもシンプルなもので、主人公は一部分がかけた円(まる)です。

「何かが足りない

それでぼくは楽しくない

足りないかけらを探しに行く

ころがりながらぼくは歌う

『ぼくはかけらを探してる 足りないかけらを探してる

ラッタッタ さあ行くぞ 足りないかけらを探しにね…♪』

主人公の『ぼく』が、自分の欠けている部分“The Missing Piece”を探す旅にでるお話しです。『ぼく』は一部分が欠けているせいで、上手に転がることができません。転がるたびに、いびつな部分がカクンカクンとつかえてしまいます。旅の中には、かんかん照りの日もあれば、冷たい雨が降る日もあります。雪で凍えたかと思えば、またぽかぽかのお日様がでたりします。そんな中を『ぼく』はゆっくりゆっくり不器用に転がりながら、時にみみずと話したり、花のにおいをかいだり、カブトムシを追い越したり追い越されたり…。野を越え、海を越えて進んでいきます。旅の途中、何度かかけらを見つけます。でも自分には小さすぎたり、大きすぎたり…。ぴったりだと思っても、しっかりつかんでいなかったせいで途中で落としてしまったり、ギュッときつくくわえすぎて壊れてしまったり…。そしてとうとう、ぴったりのかけらに出会います。

「はまったぞ ぴったりだ やった! ばんざい!」

のぞみどおりまんまるになった欠けのない『ぼく』は、とたんに勢いよく回り始めます。初めは嬉しくて嬉しくて仕方がありませんでしたが、余りに勢いよく転がるのでまわりの景色も楽しめないし、大好きな歌も歌えません。すると「何かが足りないせいでつまらない」と思っていたこれまでが、途端に恋しくなってきました。そして『ぼく』はせっかく見つけたかけらを再び手放すことにします。絵本の最後、立ち止まった『ぼく』の上に蝶々がそっと止まります。「何かが足りないぐらいがちょうどいいんだよ」そう『ぼく』を励ましてくれているように。

みなさんはこのお話をどんなふうに受け取りましたか?イラストも文章もシンプルな絵本だけに、内容は人によって、また同じ人でも読んだときの状況によっていろいろな解釈ができるでしょう。「自分探しの旅こそが人生そのものだ」といっているようにも読めますし、「人との出会い」について語りかけているようにも読めます。いずれにしても、『ぼく』は欠けているときは速く転がることができなかった分、いろいろな天候を感じ、いろいろな場所をじっくりと味わうことができました。でも、いざまんまるになったとき、ゆっくり語り合うことも歌うこともできなくなってしまいます。「本当の幸せとは何なのか」私たちに問いかけているようです。

みなさんの中にも、不十分で不完全な自分の姿にいらだちを覚えたり、不安を抱えたりしている人は少なくないと思います。私自身も今でも不完全で欠けの多い自分の姿に心とらわれ、不安になることがしばしばあります。そのせいで人は誰しも悩んだり傷ついたりしますが、絵本の中の『ぼく』が100%まんまるくなることに憧れ、ころころと速く遠くへ転がることを夢見たように、私たちも欠けているからこそ、何かを望み、夢をみて、目標に向かって頑張ることができるのかもしれません。そしてその中でいろんなものに出会い、いろんなものを愛するのだと思います。悩みの中にあるときにはなかなか気づきませんし、実際にはそんなに単純ではないかもしれませんが、私たちの人生、本当は欠けているからこそ味わい深くて楽しいのかもしれませんね。転がることを止めなければ、きっとそこにはたくさんの出会いがあり、美しい景色が見えるのかもしれません。

今日も神様が私たちを生かし、必要なものは備えて下さっていることに感謝し、堂々と前を向いて歩んでいきたいですね。