学長就任メッセージ

学長就任メッセージ

 私は昨年4月より山梨英和学院の院長に就任しましたが、週二回東京から通って、山梨英和大学と同一キャンパスと建物の中にある本部で、各種の会議と書類決裁に追われながら過ごしてまいりました。職員の方々と共に仕事に従事しました。Covid-19の感染拡大の脅威を避けてキャンパスが閉鎖される中、もぬけの殻のように学生も教師も不在の不気味なゴーストキャンパスを初めて経験しました。夏休み過ぎ頃からようやく人の気配を感じ、対面と遠隔の併用による授業も可能になりました。

 その院長職に加えて、この4月より山梨英和大学の一層の発展のために、菊野一雄学長の後任としての務めを負うことになりました。今もなお油断できないコロナ禍の中にあって、教職員だけがこのようにご参集くださる中、縮小した形式のつつましやかな学長就任式に私は臨んでおります。これは不思議にも、私の学長としての今後の振る舞いを特徴づけているようにも思われます。微力な者でありますが、誠心誠意その職務を全うする所存でありますので、是非とも皆様のお支えとご協力をお願い申し上げます。

 就任の辞も縮小したわずかな時間だけ許されていますので、本大学の教育を中心とする基本方針や所信について長々と申し述べるわけにはまいりません。しかし、私の頭に浮かぶ二つの対のキーワードに少し触れたいと思います。一つは、今年度の「キャンパスガイド」ブックの初めの部分に掲げられていますように、ミッションとビジョンというペアーのキーワードであり、もう一つは(信仰の)信と(知識の)知というペアーのキーワードです。前者におきましては、寄付行為に挙げられていますように、キリスト教信仰に基づく人間形成を使命(ミッション)とするゆえに、国籍と民族と言語の相違を超えて、常に国際的な視点でものを考え、自らの立脚点と地域社会を見据えて世界の平和と信頼関係を構築していく青年たちの育成が今日益々求められています。そういう若者を育てることに使命(ミッション)と展望(ビジョン)をいだくのです。言語とルーツということで申しますと、私自身は日本語と韓国語とドイツ語に通じ、またそれらの文化をまたいでいます。

 二つ目の対となるキーワードとして信(仰)と知(識)との関係は、長い歴史の中では、例えば地動説を唱えたガリレオが宗教裁判を受けたように、対立的に捉えられてきましたが、今日は、単純に対立的ではなく、相互補完的な世界観と知恵が求められてきています。地球温暖化をもたらした工業化に対する現代人の深い反省がそれを物語っています。そうでなければ、先ほど申した本学の寄付行為に基づいて、「キリスト教信仰に基づく人間形成」などというのは自己矛盾の表現となってしまいます。そうではなく、キリスト教の信仰や精神による山梨英和大学の教育がどのような特色をもって展開しているのかを、真剣に問い求める必要があります。信仰者にとっては神の言葉、教養人にとっては世界の古典名著である「聖書」には、その両者をつなぐ深みがあり、知恵があります。私自身のことでまた申し訳ありませんが、聖書神学及びキリスト教教育の研究者として、聖書の原典である古代ヘブライ語、古代ギリシャ語、それに加えてラテン語を駆使してきました。現代人に光を当てる聖書の叡智を探り当てるためにです。  いずれにせよ、今申しあげた二のキーワードをご一緒に考え、それを内実あるものにしてまいりたいと願います。

 菊野一雄前学長が構想して実現した、もしくは実現を願っていたバラエティに富む大学改革とプロジェクトは貴重なものでありまして、それを私も吟味しつつ大切に継承し、発展させてまいりたいと思います。例えば、次のようなものですが、項目だけを一挙に申しあげます。

 4 つのキーポイント(少子化、高齢化、 国際化、地域創生化)に合わせて問題点を浮き彫りにし、改革の具体策を実行に移して来たこと。例:入試・広報部や進路部を設置、メイプルカレッジの再構築と活性化、海外の大学の協定校の拡充と交際交流の活性化のために国際交流室を設置、COC+やメイプルカレッジによる地域との連携、奨学金制度の充実、全国日本語学校連盟との提携による外国人留学生受け入れの強化、無線 LAN 設備を更新し、WIFI 環境を整備すること、教員の相互研鑚体制の構築 、職員研修制度の充実・強化、アカデミック・メンタル両面を含めた学生サポート体制のさらなる充実、三英和や他大学と連携の強化の課題、サテライトキャンパス(甲府駅前や八王子駅前など)の新設、創立20周年を前にした事業として学生会館とチャペル(教会)の建設の課題、老朽化した校舎・施設の整備と改修、そのための資金確保等等の課題であります。 そして、教員の方々への基本的なお願いですが、研究・教育・校務の 3 本の柱を、責任を持って遂行していただきたいと思います。これは菊野前学長が言い残された言葉でもあります。 今列挙しましたことは教育事業の展開と申せます。しかし、学生に対する指導と教育は、それらの教育事業の中の一つではなく、やはり中心にあるはすです。これは、教師たちがなすべき地味な、いや、つつましやかな霊的、精神的、知的な務めです。誰が何と言っても、人間形成とはそのような性質のものであるからです。教師も職員もそのことに使命と喜びを共有し、困難な課題をも担い合って一致協力したいのです。教育事業体としての責任と遂行は当然伴いますが、教育事業で手柄を挙げることに先走ってはならないでありましょう。このことは肝に銘じたいと思います。(4月9日 学長就任式 就任の辞より)