1889(明治22)年5月、初代校長ミス・ウイントミュートは甲府の地に立ちました。2年余り勤めた東洋英和女学校をあとに、はるばる笹子峠を歩いて越えての旅路でした。渡辺澤次郎と宮腰信次郎の出迎えに嬉し涙を流したほど、25歳の女性にとっての甲府行きはとても心細いものだったと思われます。
同年6月1日甲府市太田町佐渡屋を校舎として、生徒数6名で山梨英和は創立を迎えました。創立後の困難は、予想にも増して大きなものだったといわれます。生徒数はなかなか増えることがなく、経営面でも思うに任せなかったようでした。それにもまして、キリスト教への無知と西洋人への偏見・差別という大きな困難も学校運営を苦しめていました。
そのような状況でもなお、「生徒たちをキリストの下に導き、キリストの精神を以て、生徒たちがそれぞれの家庭を清く、美しく、幸福につくり変えるとともに、社会に対しては、奉仕することの尊さと、そのための能力を身につけさせること」を教育目標に掲げ、ミス・ウイントミュートは1891(明治24)年に百石町校舎を新築し、翌年初めての卒業生を送り出していきました。私たちは、この功績を覚え、130 周年記念事業の一つとして「笹子峠を歩いて越える会」を実施します。
開校に先立つこと2年、1887(明治20)年に宮腰信次郎、新海栄太郎たちは、甲府に中等女子教育機関の設立を計画していました。翌年には、山梨英和女学校設立発起人会を組織し、1889(明治22)年、新海栄太郎は初代校主となりました。
くしくも初代校長ミス・ウイントミュートと同い年の25歳、年若い校主と校長とを導いたものはキリスト教信仰であったことは紛れもありません。さらに、キリスト教信仰を土台の石として、女子には教育はいらないといわれた時代に、山梨の女子に近代的な教育を受けるための女学校を設立するという強い意志が彼らを支えていたのです。
1906(明治39)年愛宕町新校舎に移転、翌年には開校式が行われました。創立から数えて17年目、校長は第6代(再任)ミス・ロバートソンとなっていました。
カナダ婦人伝道会社からは、新校舎建築に当たっての資金援助があり、創立からの宣教師の派遣は14 名を数えました。15年間を山梨英和の教育に捧げた第3・5代校長ミス・プレストン、1914(大正3)年に開校したカートメル女塾の名の由来となったミス・カートメルもこの時期に在職していました。
愛宕町に移転して5年後の1911(明治44)年に創立された山梨英和女学校付属幼稚園もカートメル幼稚園と呼ばれて多くの人びとに親しまれました。この二人の宣教師を思い、合わせて、戦前、戦後と期間を分けながらも16年間山梨英和に奉職したミス・ダグラスのことを覚えて、2015(平成27)年に三つの英和幼稚園が認定こども園として誕生するにあたり、その名を冠してそれぞれの園名としたのです。
創立当初のキリスト教に対する偏見と差別については先に記しましたが、1899(明治32)年「文部省訓令12号」と1940(昭和15)年「山梨栄和」への校名変更は山梨英和のキリスト教教育と存続にかかわる大きな危機でありました。その危機に対し、先人たちは強い信仰と柔軟な知恵とにより、受難を乗り越えていったのです。
現在の人口減、少子化も学校存続を脅かす危機として迫っています。創立者たち、また中興の先人たちの知恵と信仰を受け継いで、山梨英和は未来に向けてイエス・キリストにある希望を胸に、今年創立130周年を迎えたのです。
学校聖句マルコによる福音書12 章29-31節で、「最も重要な掟」とイエス・キリストが定めた「敬神・愛人」は、山梨英和の教育を支える言葉として創立当時から示されていたものと思われます。
東洋英和女学校において、標語「敬神・奉仕」が1928(昭和3)年に制定されたということからも、この頃には「敬神・愛人」が、山梨英和の教育目標の実践的な精神として受け継がれていたものと考えられます。この二語に「自修」が加えられ、現在の「校訓」として定められたのは、第13代校長雨宮敬作の時でした。
日本人最初の校長として第10・12代校長ミス・グリンバンクからその職を受け継ぎ、初代校長ミス・ウイントミュートからミス・グリンバンクに至る宣教師たちの生涯を思い、功績と困難を見つめたとき、真に神を愛し、隣人を愛するならば、心に決して高ぶることなく、謙虚に敵をも愛する思いをもって「敬神・愛人」の道を進むことが不可欠だと考え、自らを修めて生きる「自修」が必要だと思い至ったのでした。
「敬神」と「愛人」と「自修」とは、それぞれ独立した言葉ではなく、神様から与えられた恵みに感謝し、イエス・キリストの生涯と十字架の死で示された隣人愛に倣い、謙虚に祈りながら自らの賜物を他者のためと神様のために活かす思いによって、相互に高まり合う働きを持つのです。この校訓は「キリスト教信仰に基づく人間形成の教育」という山梨英和の教育の目的の具現なのです。
山梨英和学院は、2019年に創立130周年を迎えます。
山梨英和大学の2009年からの10年間の歩みは、少子化による学生募集の困難さが浮き彫りとなり、それを乗り越えるために、大学がたゆまぬ変革を行なった期間でした。
2002年に山梨英和大学は、「キリスト教の信仰に基づく人間形成の教育」を理念として、心理カウンセリング、情報メディア、表現文化の3つの専門分野をもつ1学部1学科制の大学として開学し、附属施設である心理臨床センターおよびメイプルカレッジも、地域に開かれた活動の場として高い評価を得ている大学です。
また、2009年に始まった7コース制(「総合人間文化」、「心理臨床」、「心理社会」、「情報システム」、「ビジネス・コミュニケーション」、「英語・英語圏文化」、「日本語・日本文化」)は、自由な学びとキャリア形成の2つを主軸とした新しいスタイルの教育と評価され、2009 年、2010年度の文部科学省の就職支援推進プログラムに採択されています。
2010年4月、木田献一学長の任期満了に伴い、風間重雄氏が山梨英和大学第8 代学長に就任しました。2013 年に文部科学省は、少子高齢化や地域コミュニティの衰退などの対策として、地域との連携強化と地域振興をバックアップする施策である「地(知)の拠点整備事業(COC)」を提唱しました。この施策に呼応して山梨英和大学は、2015年に甲州市、山梨県との包括的連携協定を締結し、同年10月には、これらの事業の集大成ともいえる平成27年度文部科学省「地(知)の拠点大学による地方創生推進事業(COC +)」「オールやまなし11+1大学と地域の協働による未来創生の推進」事業に採択され、CCRCコースの幹事校及び子育て支援コースの協力校となりました。しかし、志願者向の低下傾向に明るさは見えず、入学者の確保のために、心理の専門家を育てる「サイコロジカル・サービス」、国人を育てる「グローバル・スタディース」、ICTを駆使できる人材を育てる「メディア・サイエンス」の3領域に再編すると同時に、山梨県で初の4学期制の導入を行いました。
2016年6月風間学長の退任後、ギッシュ・ジョージ氏(現山梨英和学院理事長・院長)が学長となり、喫緊の課題である18歳人口減少等の社会情勢を踏まえ、2018年度からの収容定員変更を決定しました。また、2017年4月に第10代学長に菊野一雄氏が就任しました。菊野学長は、立教大学などの私立大学の行政の中枢に加わった経験を持ち、会および学術団体の役員経験に富み、内外の経済界に広いネットワークを持つ方です。就任後、菊野学長は「選択と集中」を旗印に大学改革に着手し、まずは緊急対策のひとつとして、入学者獲得に向けた入試広報戦略に注力、さらに東洋英和、静岡英和、山梨英和の3つの大学と三英和大学包括連携に関する協定を締結し、協力体制のさらなる基盤固めを行いました。次にかねてから懸案であった教職課程の廃止を決断し、新たな大学の魅力のひとつとして、2018年度から公認心理師課程設置の決定を行いました。
山梨英和大学大学院は、山梨県唯一の臨床心理士養成第1種指定大学院として多数の臨床心理士を輩出し、地元の病院や教育現場に就職し地域に貢献しています。公認心理師は心理職に無かった初めての国家資格で、山梨英和大学大学院では、臨床心理士と公認心理師の両方が取得できるように整備しました。このような様々な努力の結果、2018年度には前年に比べて大幅な入学生の増加を遂げました。さらに2018年に山梨県立甲府城西高等学校と連携事業に関する協定を締結、山梨県中小企業団体中央会と包括的連携協定を締結し、就職先の充実にも力を注いでいます。また、現在、大学の魅力を心理に加えて「英語の英和」を打ち出し語学教育に力を入れた新カリキュラムの構築、メイプルカレッジをベースに地域住民と学生が連携して、より刺激的な学習を行っていくという独自の新しい試みにも挑戦を始めています。このようなたゆまない努力の結果、2019年度の入学者数は定員を大幅に上回る177名となりました。今後とも山梨英和大学に、今以上の期待を寄せて、次の山梨英和大学の10年間に注視して頂ければと思います。
創立120周年を迎えた2009年は、中学入学者数が初めて100名を割った年でもありました。小6女児人口が今後も減少傾向にある現実を前に生徒確保は喫緊の課題となり、時代の趨勢を見極めつつ未来を見据え、より魅力的な教育の場を提供する必要がありました。今まで築き上げてきた「山梨英和の教育」をさらに強化するための教育改革、教育革新の10年間であったと言えます。
2012年「山梨英和中学校は進化します」を宣言し、8年間で培った英語強化クラス(IEC)の教育をすべての生徒に展開することを決断しました。外国人教師による「英会話」の授業を「Presentation」と改め、英語で表現する、伝える力を育てる内容を盛り込みました。生徒による英語の終礼や教室内の掲示物など、英語が日々の生活の中で気負うことなく自然に浸透する環境作りに努めました。国際理解教育のさらなる充実を目指し、オーストラリアのMentone Girls’ Grammar School、ドイツのAnna Barbara von Stettensches Institutとの姉妹校提携を果たし、アジア・ヨーロッパ・オセアニアと交流が広まりました。伝統の「英語の英和」をより実践的に活かせる場が整えられました。
時差の少ないオーストラリアの姉妹校メントンの生徒とFaceTimeを用いれば英語で合同授業をすることができます。グローバル社会においては、世界とつながる、世界に発信できるコミュニケーション能力は欠かせません。生徒の「考える力・伝える力・つながる力」を育てるためにiPadは有効であると確信し、iPadを全学年に導入、積極的にICT教育を進めました。中2で取り組む自由研究は総合学習として大きな成果を上げてきましたが、iPad導入によって、自分の考えをまとめ、伝えるプレゼンテーション能力がつきました。活用方法には試行錯誤がありましたが、現在ではチャペルや体育館を含む全学内でのWi-Fi環境も整い、あらゆる教科、あらゆる学校生活の場面で生徒・教師とも自在に活用しています。ICT教育の先進校として各方面から高い評価を得るようになりました。
2013年、文部科学省よりスーパーサイエンスハイスクール(SSH)の指定を受けたことは、この10年間で最も特筆すべきことです。山梨県内の私学で初めて、しかも「英語の英和」が指定校になったことは対外的にも大きなインパクトがありました。中高6年一貫校として歩んできましたが、意欲ある生徒が高校から多数入学するようになり、英和中からの進学者にとっても大きな刺激となりました。生徒たちはコツコツと地道に課題研究に取り組み、着実に力をつけて全国レベルの学会等で入賞するまでになりました。本来の英語力に加え、環境先進国ドイツの姉妹校とつながっていること、ICTを活用したプレゼンテーション能力の向上、本校が今まで力を入れて整えてきた教育環境が生徒たちの潜在能力を引き出したとも言えます。中学生にも探究学習をSpecial Saturday(土曜特別授業)に取り入れました。このように科学的思考を育てる土壌ができあがり、理数系分野に進学する生徒も増えました。進むべき進路がどのような方向であれ、SSH指定校としての取り組みによって得られた科学的・論理的な視点や思考力により、生徒たちが秘めている未来力はより骨太なものになっていると確信しています。
2014年、NHK連続テレビ小説『花子とアン』が放映されると、村岡花子が生まれた甲府、東洋英和女学校卒業後5年間奉職した本校に注目が集まり、観光散策ルートに含まれたこともあって全国から多くの方が来校されました。思いがけない反響に驚くとともに、花子の生きた時代の山梨英和を振り返るきっかけとなりました。カナダ・メソジスト教会宣教師たちが蒔いた「英和の精神」が花子の生き方の中にも根づいていたことを確認することができ、歴史と伝統ある学校だからこそ誇れるトピックとなりました。
山梨英和の幼稚園はこの10年の間に学校教育法による幼稚園から教育基本法による認定こども園に変わりました。
少子化と保育ニーズの多様化が進む中、幼稚園は園児確保に難しさを覚えるようになりました。その対策としてより積極的な募集活動を行うとともに、保育内容の検討や研修による質の向上をはかりつつ、地域の子育てニーズに応えるために未就園の親子が気軽に立ち寄り、楽しく過ごせる場を提供するドロップインというプログラムを始めました。
そうした中、山梨英和幼稚園は2011年に創立100周年を迎え、記念の礼拝をお捧げし、祝会を通して喜びのうちにキリスト教保育に携わる使命の尊さと多くの方々のお支えに感謝する時が与えられました。
幼児教育の分野では、子育て支援の多様化や国の少子化対策などを受けて、教育と保育を一体的に行う「認定こども園」が積極的に位置付けられるようになりました。こうした動きに山梨英和の幼稚園はどう向き合うのか。先駆的な教育活動を絶えず行ってきた山梨英和学院に連なる幼稚園は認定こども園への移行を視野に入れて、2012年に石和英和幼稚園に保育部施設を建設しました。また3園の将来構想ワーキンググループは慎重な検討の末に認定こども園への移行を基本路線とし、そのための具体的な準備を進めることとなりました。あわせて3園のバスに中高のスクールバスと同じデザインを施すことで山梨英和学院としての一体感を示し、卒園式で園児がアカデミックガウンを着用するなど山梨英和の学校らしさを打ち出す工夫もされました。
2015年4月から施行された子ども・子育て支援新制度を受けて、3つの幼稚園は「すべての子どもたちの最善の利益」をはかるために、山梨英和幼稚園と韮崎英和幼稚園は幼稚園型認定こども園に、2年早く幼稚園型に移行していた石和英和幼稚園は幼保連携型認定こども園になりました。またこの機会に園名の変更がなされました。新しい園名には山梨英和学院の設立にかかわったカナダメソジスト教会婦人伝道会が大切にした、「教育をただ自己の出世や栄達のためにするのではなく、隣人のため、社会のため、弱者のために役立つものにしたい」とする思いを継承する祈りを込めて「山梨英和」の名を共通に冠し、各園に縁のある女性宣教師のお名前を加え、保育・教育を一体的に行う施設であることを示すために「こども園」との名称がつけられました。
甲府の園にいただいたミス・カートメルは山梨英和内外の人達に敬愛され、甲府にあったカートメル会館内の山梨英和女学校附属英和幼稚園はカートメル幼稚園と呼ばれて長く親しまれました。ミス・ダグラスは英和での学校教育と韮崎教会を中心とした農村伝道に励まれ、多くの人達を物心両面で支えられました。山梨県教育功労者として顕彰されてもいます。ミス・プレストンは山梨英和女学校第3代第5代校長を務めつつ、甲府、韮崎、市川、勝沼、加納岩での伝道活動に励まれました。文学や音楽など芸術面で地域や学校に貢献されたプレストン先生は同窓会の設立や、今も大切に受け継がれている花の日の行事を山梨英和で始められました。
2017年には甲府の「カートメル」、韮崎の「ダグラス」の両こども園も幼保連携型認定こども園となり、プレストンこども園は2018年に創立50周年を迎えました。ダグラスこども園は2020年に創立70周年を迎えます。3つの認定こども園はこれからも建学の精神を要に据えて、一人一人を大切に、遊びを中心とする保育による縦割り保育や園外活動、自然体験などを通して、社会や世界に心を寄せることのできる、神を敬い、人を愛せる子ども達を育む保育・教育にあたります。