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2018.12.10 / その他 /

放送礼拝 市村先生

新約聖書  ヨハネによる福音書3章16~21節
賛美歌21 235番「久しく待ちにし」
 神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。 御子を信じる者は裁かれない。信じない者は既に裁かれている。神の独り子の名を信じていないからである。光が世に来たのに、人々はその行いが悪いので、光よりも闇の方を好んだ。それが、もう裁きになっている。悪を行う者は皆、光を憎み、その行いが明るみに出されるのを恐れて、光の方に来ないからである。しかし、真理を行う者は光の方に来る。その行いが神に導かれてなされたということが、明らかになるために。

おはようございます。寒い朝を迎えましたね。昨日の日曜日は、アドベント2週目を迎え、2本目のロウソクが灯りました。
昨日、家族で教会に向かう車の中で、こんな話をしました。世界一受けたい授業の番組で、ネアンデルタール人が絶滅したのは、なぜか?あるものが無かったからだ。わたしが答えに迷っていると、小学三年生の甥っ子が「ネアンデルタール人は、誰かと何かをすることができなかった。絆とかつながり、がなかったからだよ」と見事に答えました。『わけあって絶滅しました』の本では、想像力が足りなかった、協力して生活できなかった、なども理由として挙げられていました。

へぇ~と驚きながらそんな話をしていた時に、なぜか、私はふとドラえもんのアニメを思い出しました。タイトルは『のび太は独裁者』というお話です。のび太が野球でチームの足を引っ張って惨敗し、ジャイアンに「のび太のせいで負けた」と非難され、暴力を振るわれます。家に帰ったのび太は、それをドラえもんに話します。ドラえもんは「のび太が下手なのが悪い」と言い、練習を勧めますが、のび太は「ジャイアンが悪い、あいつさえいなくなれば・・・」と聞く耳を持ちません。すると、ドラえもんは「ふうん、そんな風に考えるんだ。じゃ、やってみる?」と“どくさいスイッチ”をのび太に渡しました。そのスイッチとは、自分の邪魔になる者を消し去るひみつ道具でした。物語の中でジャイアンを消してしまったのび太は、そのことに恐怖しつつも、今度はジャイアンに代わってスネ夫から意地悪をされそうになり、結局スネ夫も消してしまいます。

やがて夢の中で色々な人から馬鹿にされたのび太は「だれもかれも消えてしまえ!」と誤ってスイッチを押してしまいます。夢から覚めたのび太は、自分の手がスイッチを押してしまっているのに気付きました。自分一人を残して世界中の人間を消してしまいました。最初は「世界が自分だけのものだ!」と楽しんでいましたが、やがて夜になり、電気のつかない部屋に一人、何の音もありません。本当の孤独に、のび太は耐えられなくなり「ひとりでなんて…、生きていけないよ…」と泣き出します。そこにドラえもんが登場し、のび太に伝えます。「気に入らないからって次々に消していけば、きりのないことになるんだよ。わかった?」と。 最後には、もとの世界に戻してくれたドラえもんと野球の練習をするのび太君が描かれています。ジャイアンやスネ夫に「や~い、下手くそ。下手くそが練習してらぁ~。」と野次を飛ばされながらも、のび太はこう言います。「まわりがうるさいってことは楽しいね」と。

気に入らないからって誰かの存在を消していっても、本当の平安になりません。あの人がいない方が自分に好都合だ。あの人がいなければ、自分が傷つかない。自分が嫌な思いをしないで済む。心穏やかに過ごせるはずだ、と思ってしまいがちです。色々な人がいる現実世界に私たちは生きています。人と関わらずに生きていくことはできません。その中で傷つき、悲しみ、怒りを感じることもあります。また逆に自分が相手にそういう思いをさせてしまうこともあります。しかし、自分に関わる「相手」がこの世に生まれて存在しているということは、とても大きくてすごいことです。ここに「あなた」が生まれて存在していることも、とても大きくてすごいことなんです。この自分もその相手も、イエス様の十字架の犠牲の上に、存在しています。十字架で流されたイエス様の血の上に、その痛ましい傷の上に、私たちはいのちを受けています。イエス様を傷つけ、罵倒を浴びせ、死なせたのは私たち一人一人です。その傷をつけた私たちを、気に入らないから消す、と滅ぼすのではなく、むしろ私たちを救うため、神さまはご自分のひとり子を与えてくださり、イエス様がご自分のいのちを私たちのために捧げられました。

私は正直、気の合わない人なんていない、と答えられる自信はありません。みなさんにも受け入れがたい人、距離を置きたい、なるべく関わりたくない人がいると思います。しかし、その人のために自分のいのちを捧げてくださった方がいます。自分自身もそうですが、誰かに対して居なくなってくれれば良いのにと思ってしまう自分、心が整理できずに誰かを無視してしまったり、非難したり、一方的に相手を裁いてしまう自分がいます。思うように上手くできないと心がグチャグチャになる自分がいます。でも、そんな自分を丸ごと愛して、いのちを捧げてくださったイエスさまがいます。

協力することができなかったことから滅びたものたち、本当の孤独を知って心から「一人じゃ生きられない」と後悔したのび太。私達が共に生きるために必要なものは何でしょうか。イエス様の十字架が何のためであるかを信じて生きることです。誰かがいなくなれば良い、自分さえ良ければ、という滅びへと向かうのではなく、自分も相手も愛されている存在であると認め合い、神さまの愛に満たされる生き方へと歩んでいきたいです。

これからクリスマスを迎えます。イエス様が何のために生まれてくださったのか、自分と今生きている仲間と共に味わいながら、イエス様を、クリスマスを待ち望みたいです。

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