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カテゴリ:"ザァカイ"先生の園長通信 投稿日:2020/01/08

「わたしを強めて下さる方のお陰で、わたしにはすべてが可能です」2020年1月保育主題

わたしを強めてくださる方のお陰で、わたしにはすべてが可能です。
              フィリピの信徒への手紙4章13節

 

 
『ラチとらいおん』という絵本があります。作者はマレーク・ベロニカ1961年にハンガリーで出版され今も読み継がれる名作です。今月の保育主題の聖句について考える中でこの絵本を思い出しました。

物語は「この家にラチという男の子が住んでいます。ラチは世界中で一番弱虫でした」という言葉で始まります。宇宙飛行士になりたいラチですが「犬をみると逃げ出し」、「暗い部屋には怖くて入れません。」「おまけに友達さえ怖い。」「みんなはラチをバカにして遊んでくれません」。「ラチは仲間外れにされて、いつも泣いて」「一日中絵本を見てばかりいました。」そんなラチの一番のお気に入りはらいおんの絵。「僕にもこんならいおんがいたら、何にも怖くないんだけどなぁ」と思っています。このページには涙を流してらいおんの絵を見ている男の子が描かれています。「ところがある朝、目を覚まして見ると、ベッドのそばに小さな赤いらいおんがいるではありませんか!」でもそこにいたのは一輪の花を持ちながら黄色い花瓶に寄りかっている「小さな赤いらいおんです」。それを見て「ラチは大笑いしました。」「こんなちっぽけならいおんじゃ、何の役にも立たないじゃないか。」これを聞いて「らいおんは怒りま」す。「『君、よく見ていたまえ!』らいおんはそういうと、片手で椅子を持ち上げて見せ」たり、「ラチに飛びかかると、えい、やっと、床に押し倒し」てしまいます。「どうだ、僕は強いらいおんだろう。君も強くなりたいなら、僕が強くしてやるよ。」らいおんはそういうと「強くなるのには、まず体操をするんだよ。こんなふうにね」と腰をひねったり、両手を広げたり、片足でジャンプしたり、逆立ちしたり、回転したりしてみせます。「それから二人は毎朝一緒に体操をしました。」こんな体操で本当に強くなれるのか。でも継続は力なり?ある日ラチは犬が怖くて泣いている女の子に出会います。犬が怖い「ラチは逃げ出そうとしました。でもその時らいおんが一緒にいることを思い出しました。」そのページにあるラチの絵、ポケットが少し膨らんでいてそこからシッポが垂れています。ラチは思います。「『怖くなんかないぞ。僕にはらいおんがついているんだから。』ラチは女の子の手を引いて犬のそばを通り抜けました。」

ここでラチが自分に言い聞かせてつぶやく「らいおん」という言葉を、神様という言葉に置き換えたら、これは聖書のメッセージでもあります。「恐れるな、神は私達と共におられる」という言葉は聖書を貫く主題だからです。

女の子を助けたラチはその後まっくらな部屋にも入って行けるようになります。いじめっ子にも立ち向かっていきます。「こうしてラチはどんどん強くなって、もう何でもできるようになりました。片手で椅子を持ち上げることも、…逆立ちもできます。そしてある日、らいおんと相撲を取ってとうとう勝ちました!」ついにラチはらいおんを超えた?そんなある日らいおんの姿が急に見えなくなります。悲しむラチに残された1通の置き手紙にはこんな一節。

「ラチ君へ/君は、らいおんと同じくらい強くなったね。もう、僕がいなくても大丈夫だよ。」

このメッセージが「世界で一番弱虫」の少年を支えます。らいおんが自分と同じような世界中の「弱虫の子どもの所に行って、強い子ども」にしてあげていることをラチが信じ、そんならいおんをラチが懐かしく、愛おしく、生き生きと思い起こす、その思いにおいて、ラチとらいおんは共に生きています。ラチはこれを支えに、暗闇を恐れず、泣いている子供たちを助けてあげられる本当の意味で「強い者」、弱さを担う一人の人として歩んで行きます。
このような生き方を聖書は愛と呼び、交わりと呼んでいます。私達が心に留めて大切にしたいのはそのような生き方です。「私を強めてくださる方のお陰で、私には全てが可能です」とはこの意味での励ましの教えです。

大木 正人

 

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