子よ、元気を出しなさい。(あなたの罪は許される)(マタイによる福音書9章2節)2022年1月保育聖句
『罪と赦し』
4月、コロナ禍の中始まった2021年度も残すところあと3か月となりました。子どもたちは、4月のころに比べると心も体も大きく成長しています。1月は行く、2月は逃げる、3月は去るといわれ、3学期はあっという間に過ぎてしまいます。3学期は、1年間の締めくくりの時としてとらえ、今まで学んできたことのまとめをしっかりとする期間としたいです。
日本をはじめ、多くのキリスト暦を採用している国では、1月1日から新年が始まり、12月31日に1年が終了します。中国では、旧暦の新年である春節がいまも大切にされています。今年の春節は、2月1日だそうです。また、イスラム暦ではそもそも今年は、2022年ではなく1444年で、新年も7月30日だそうです。それぞれ、国や地域、宗教によって新しい年のとらえ方は違います。
さて、日本での新年は、年が明けると「明けましておめでとうございます。」「今年もよろしく。」などと改まったあいさつをかわします。また、正月にはおせち料理という普段食べない料理を食べ、お雑煮を食べます。また、子どもたちは、大人からもらえるお年玉を楽しみにしています。私が子どものころは、お年玉と言っても合計で千円行くか行かないかでした。私は、子どものころ小遣いをほとんどもらっていなかったため、友だちがみんな駄菓子屋へ行って、色とりどりのお菓子(今考えると体に悪そうな、不衛生なお菓子が多かったような気がします。)を買って食べる姿をいつも遠くから指をくわえて眺めていました。そして、いつかお金を貯めて、駄菓子屋で思い切り好きなお菓子を買って食べてみたいという夢を抱くようになりました。そして、小学校2年生の正月、親戚のおじさんがうちに遊びに来ました。そのおじさんは、とても気前が良かったので、お年玉を当時破格の1,000円くれました。そして、その他のお年玉を合わせると1,800円くらいの大金を手にしました。ついに決行の時が来ました。夢の実現のため私は、はやる気持ちを抑えながら、全財産を握りしめて、駄菓子屋に向かいました。ところが、あまり駄菓子屋に行ったことがないので、何を買ってよいかとても迷い、長い時間をかけて吟味し、ほとんど全財産をつぎ込んで、いろいろなものを買い込んでワクワクしながら帰宅しました。ところが帰宅した私を待ち受けていたのは、家族全員からのものすごい非難の嵐でした。特に両親からはものすごく怒られて、しばらく家に入れてもらえませんでした。楽しいはずの、正月が一転暗く、悲しい正月になってしまいました。みんなから怒られましたが、悲しさよりも夢を達成した満足感の方が、私の心には強く残りました。またこの時、家族の中で自分だけが価値観が違うということを寒い戸外で思い知らされました。
イエスのところに、人々が中風(体にマヒがあり、寝たきりで歩けない病人)の人を床に寝かせたまま連れてきました。すると、イエスは「子よ、元気を出しなさい。」と寝たきりの人に言葉をかけました。「子よ」とは、子どもという意味ではなく、神様を信じる者を神の子という意味で、イエスは「子よ」と呼びました。そして、「元気を出しなさい。」とは、「だいじょうぶ。心配ない。安心しなさい。」という意味です。そして、今月の聖句「子よ、元気を出しなさい。」の後に続く、「あなたの罪は赦される。」という言葉には、とても大きな意味があります。当時の教えでは、人の罪を許すことができるのは、神のみと考えられていました。つまり、神の子であるイエス・キリストが神から与えられた人を赦すという神と同等の権威を持っているということを人々に示したのです。マタイによる福音書9章8節には、「群衆はこれを見て恐ろしくなり、人間にこれほどの権威をゆだねられた神を賛美した。」と書かれています。
主の祈りの中に「我らに罪を犯すものを我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ。」とあります。私たちは毎日多くの罪を犯しながら生きています。人をねたんだり、人に悪意を抱いたり。でも、そんな私たちの罪も赦されるのだと、考えると少し気持ちが楽になります。子どもたちにも、「罪」と「赦し」ということを、キリスト教保育を通して、これからも伝えていきたいと考えています。
園長 石川 健