主よ、朝ごとに、わたしの声を聞いて下さい。(詩編5:2-4)2023年7月保育聖句
『 主よ、朝ごとに、わたしの声を聞いてください。』
主よ、わたしの言葉に耳を傾け つぶやきを聞き分けてください。わたしの王、わたしの神よ 助けを求めて叫ぶ声を聞いてください。あなたに向かって祈ります。主よ、朝ごとにわたしの声を聞いてください。朝ごとに、わたしは御前に訴え出てあなたを仰ぎ望みます。(詩篇 5編2~4節) |
まだまだ、天候不順な日が続いています。全国的には、大雨による被害も各所で起こり、真夏並みの高温の日が続き、身体にとても負担を感じる日々です。各こども園では子ども達が楽しみにしていたプールも始まり、子どもの元気な歓声、笑い声が心地よく聞こえてきます。また、6月は年に一度、子ども達が家から花を持ち寄り、日頃お世話になっている人々に感謝の気持ちを伝える「花の日」が行われました。(その際は、ご家庭の協力ありがとうございました。)
「花の日」は、日本ではあまりなじみのない行事ですが、明治のころ、カナダから派遣された婦人宣教師プレストン女史(山梨英和女学校第3代・5代校長)によって始められました。当時の婦人宣教師の教育方針は、「教育はただ自己の出世や成功のためにするのではなく、隣人のため、社会のため、弱者のために行われるべきものである。」という強い思いがありました。そこで、プレストン校長は生徒と話をし、病気で苦しんでいる人、高齢の方々のもとへ花を持って訪問したのが始まりとされています。この「花の日」は、現在も山梨英和中学・高等学校で行われており、山梨英和の3つのこども園でも行なっています。3園で訪問先はさまざまですが、近所の家々、教会、病院、警察署、消防署、市役所などを訪問します。ちなみに私も子ども達と一緒に、いろいろなところを訪問しました。
私は、英和のこども園に来る前の1年間、公民館で成人家庭教育を担当していました。仕事内容は、小学校1年生から高校3年生までの子供を持つ母親が集い、ヨガ教室、フラワーアレンジメント教室など講師を招いて交流のひと時を持つ学級のお手伝いです。勤務は、毎週火曜日から金曜日の4日間で、勤務時間は午前10時から午後4時でした。土曜日、日曜日、月曜日は休みで、毎週3連休があり、今までに比べると、かなり時間的な余裕ができ、自分のやりたいことができると期待していました。毎日片道6㎞の距離を徒歩で通勤し、体調もすごく良く、充実した日々を送ることができていました。しかし、肝心の仕事はコロナ禍で、世の中全体に自粛ムードの中、公民館も一時部屋を貸すのを自粛し、活動も中止となり、住民票や印鑑証明の発行などに限られるようになってきました。そうなると、私の日常は毎日朝の10時から夕方4時までただじっと座っているだけの日々でした。公民館の職員の皆さんは、私を仲間に入れて下さり親しく話をし楽しい日々でした。しかし、何もせずただ座っているだけというのは非常に苦痛で、限界でした。そして9月頃、来年度も継続して公民館の仕事を続けるかどうか聞かれましたが、3月で退職することを伝えました。公民館で学んだことは、たとえどんなに忙しくても自分に与えられた役割があることがいかにありがたいかということでした。
今月の聖句は、窮地に陥ったダビデが、絶望感を持ちながらもひたすら神様に呼び掛けている様子を表しています。祈ってもなかなか答えて下さらない神様、もしかしたら自分は神様に見捨てられたのではないのかという苦悩が見られます。イエス・キリストも十字架に付けられ、息を引き取る直前、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」(わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか。)と唱えています。しかし、死の絶望はやがて復活という希望に繋がっていきます。
同じように私たちも、頑張っているのになかなか思い通りにならず絶望を感じることはあります。しかし、キリスト教における祈りは、「高校や大学に合格させてください。」「お金持ちになれますように。」などのような神様に自分の願いや希望を伝えてそれをかなえてもらうことではありません。祈りとは、私たちがひたすら神様を信じ、感謝をし、全てを委ねることです。絶望はやがて希望に変わるはずです。
園長 石川 健