羊は一人の羊飼いに導かれ、一つの群れになる。(ヨハネ10:16)2023年10月保育聖句
『 羊は一人の羊飼いに導かれ、一つの群れになる 』
わたしには、この囲いに入っていないほかの羊もいる。その羊をも導かなければならない。その羊もわたしの声を聞き分ける。こうして、羊は一人の羊飼いに導かれ、一つの群れになる。 (ヨハネによる福音書 10章16節) |
くろがねの 秋の風鈴 鳴りにける (飯田蛇笏)
今年は、例年にない猛暑が続き、9月になってもなかなかすずしくなりません。田んぼでは稲刈りが終わり、彼岸が過ぎてもまだまだ暑い日が続いています。秋の風鈴が風で鳴る音を聞き、秋を感じることがなかなかできない日々が続いています。また、今年はこども園では、コロナ、インフルエンザ、RSウイルス、ヘルパンギーナなど多くの感染症が、大流行しました。いろいろな困難を乗り越えながらも、子供たちは毎日元気に生活しています。
先日、甲府駅北口の歩道を歩いていると、後ろから「先生―」と言いながら走って来る女性がいました。Tさんでした。Tさんは8年前、私がある中学校に教頭として勤務していた時に在籍していた2年1組の生徒でした。私は薄暗い中、マスクをして歩いていたのですが、父親の運転する車の助手席から私だとわかり、あわてて追いかけてきてくれました。当時の2年1組には、とても乱暴でちょっとしたことですぐ大きな声を出したり、物を投げたり、暴力をふるったりして、担任のいうことを全然聞かない男子生徒S君がいました。S君はみんなと同じ行動ができず、給食も教室でみんなと一緒には食べられないため、別の教室で私と2人で食べることが多かったです。Tさんをはじめ、数名の女子は、S君が興奮して暴れたり、暴力を振るったりしても、決してひるむことなく、いつも笑顔で接していました。時には、青あざができても「S君に蹴られたあとが青くなっちゃった。」と笑いながら言っていました。担任が指導に困っている生徒を、Tさんたちはいつもお姉さんのように暖かく包み込み、S君もだんだん心を開いてきました。S君の暴力も減り、2年1組はとても暖かく団結力のあるクラスとなりました。その生徒たちは、私が人事異動で学校を去る時、みんなで話をしに来てくれました。その時私は、「みんなはきっと素晴らしい先生になる。将来先生にならない?」と言ったことを今でもはっきりおぼえています。するとなんとTさんは、「今年の教員採用試験に合格して、4月から中学校理科の教員になります。先生にはこのことをずっと伝えたかったんです。」と言ってくれました。なんか、とてもうれしい気持ちになりました。
イエス様が活躍された時代、羊飼いは主人の所有する羊を預かり、草を求めて移動し、夜はオオカミなどに襲われないよう寝ずに見張っていなければなりませんでした。そんな、過酷な羊飼いですが身分はとても低かったようです。イエス様は、自らを低い身分の羊飼いにたとえています。そんなイエス様だからこそ、私たちは身近に感じることができます。聖書の中では、イエス様が羊飼い、私たちが羊です。家では、親御さんが羊飼い、子供が羊、こども園では、先生たちが羊飼い、園児が羊にたとえることが出来ると思います。さらに、イエス様は聖書の中で「わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる。」と言っています。そして、実際にイエス様は私たちの罪の贖(あがな)いとして、十字架にかけられ命を落とされています。私たちは、なかなかいうことを聞かない羊に何とか言うことを聞かせようと毎日四苦八苦しています。「メー」と泣きながら走り回る羊は、たやすく私たちの思い通りにはなりません。しかし、イエス様はいうことをきかない羊を決して叱ったり、乱暴に扱ったりしません。
私たち教育に関わる者は、子育てを行う者は、一人一人の子供を大切な宝物として、常に大きな愛情を持って共に歩んでいきたいですね。大人には子どもの安全を守り、多くのことを伝えていく責任がありますが、同時に子供から多くのものを学び、与えてもらっています。それは、これからもずっと続きます。
人の心を動かすことが出来るのは力ではなく、人の心です。
園長 石川 健