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カテゴリ:園長通信 投稿日:2023/12/01

ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。(イザヤ書9:5)2023年12月保育聖句

『 ひとりの男の子がわたしたちに与えられた 』

ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。権威が彼の肩にある。その名は、「驚くべき指導者、力ある神、永遠の父、平和の君」と唱えられる。  (イザヤ書 9章5節)

 

11月こども園では、「バザー」、「収穫感謝祭」と子供たちが楽しみにしている行事が続き、とても充実した月となりました。特にバザーでは、昨年までコロナの影響で、規模を縮小したり、保護者の参加人数を制限したりしていましたが、今年は大々的に多くの保護者、子供たちが参加し、開催できました。バザー開催にあたっては、各園の保護者の皆様が連日準備をして下さり、素晴らしいバザーになりましたことに改めて感謝いたします。また、「収穫感謝祭」では、各園が近隣の病院、警察署、消防署、JR駅、市役所、英和大学などを訪問し、感謝の言葉と、手作りの感謝状、園で作ったさつまいも・米、家庭から持ち寄った果物を渡すことができました。感謝の気持ちを伝えること、感謝されることは、子供たちの成長にとても大きな意味があります。(人に感謝し、神に感謝することは、キリスト教保育の根本だからです。)

話は全く変わりますが、みなさまのお宅には、マッチはありますか?かなり探したのですが、私の家には結局、マッチはありませんでした。それくらい、生活の中でマッチを使うことはなくなってきたのです。中学校の理科教師は、生徒がマッチを擦れないといっていました。(もしかすると若い理科の先生もマッチをうまく擦れないかもしれません。)昔は各家庭には必ずマッチがあり、蚊取り線香に火をつけたり、誕生日のケーキのろうそくに火をつけたりする時の必需品でした。

私が小さい頃読んだ本の中で忘れられないもののひとつに『マッチ売りの少女』があります。クリスマスが近づくとなぜか必ずこの話しを思い出します。この本の作者はデンマークの童話作家アンデルセンです。大晦日、雪の降りしきる街頭で少女がマッチを売り歩きますが、全く売れず、帰れば父親に叱られるため家にも帰れません。あまりの寒さに少女はマッチを擦ると、おいしそうな御馳走、クリスマスツリーなどが見えてきましたが火が消えるとそれも消えてしまいます。そして、何本かマッチを擦った時、少女を一番かわいがってくれた死んだおばあちゃんが現れました。そして、少女はおばあちゃんが消えてしまわないように持っているマッチに全て火をつけました。すると、少女はおばあちゃんに抱きかかえられて天国に昇っていきました。子供向けの本のほとんどが苦しい時期を乗り越えて最後は幸せになるというストーリーなのに、「なんで?」「どうして?」と子供ながらに何か不条理なものを感じました。いま世界では戦争、紛争、飢餓などで多くの子供たちが命の危険にさらされています。また、日本でも「子供の貧困」が社会問題となっています。私たちが気付かないところで、多くの子供たちが苦しんでいる現実が今もあるのです。

さて、今月の聖句はイエス様の誕生を待ち望むアドベント(待降節)で伝統的に読まれてきた聖句です。イザヤはイエス様が誕生する700年ほど前、エルサレムで活動した預言者です。争いの絶えない時代に預言者イザヤは、平和な世界を求めました。イザヤ書の9章4節では「地を踏み鳴らした兵士の靴 血にまみれた軍服はことごとく 火に投げ込まれ、焼き尽くされた。」と書かれていたのに、5節で突然「ひとりのみどりごが私たちのために生まれた。」と語られています。当時の社会では、子供は非常に雑に扱われ、大切にされていませんでした。『マッチ売りの少女』に出てくる自分の子供に吹雪の中、マッチを売りに行かせる父親も当時としては、決してひどい父親ではなかったのかもしれません。でも、子供が笑顔で幸せに過ごせないような社会は、健全な社会とは言えません。イザヤは「驚くべき指導者、力ある神、永遠の父、平和の君」と子供を未来への可能性、希望の象徴として聖書の中で語っています。

12月は、イエス様の誕生を祝うクリスマスがあります。クリスマスを単なるお祭り騒ぎで終わらせず、ひとりの男の子が私たちに与えられた意味を考える時とできれば、幸いです。

園長 石川 健

 

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