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カテゴリ:園長通信 投稿日:2024/01/01

わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。(ヨハネ15:5)2024年1月保育聖句

『 わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。 』

 わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。     (ヨハネによる福音書15章5節)

 

12月、こども園ではキリスト教最大の行事である「クリスマス」をお祝いしました。子供たちに「クリスマスは何の日?」と聞くと、ほぼ全員の子供たちが「イエス様の誕生日」と答えてくれます。さらに「イエス様はなぜわたしたちのもとへ来て下さったの?」と聞くと「私たちを救うため、助けるため」、「平和のため」、「戦争をなくすため」と答えてくれます。各園ではクリスマスのページェントの中で、子供達がハンドベルを演奏します。その練習風景を見て、すごく驚いたことがあります。それは、先生の指導はあるのですが、子供たち同士が互いに意見を言って演奏をより良くしようと自然に取り組みをしていたことです。学校教育の中では、「学び合い」と言うのが大変重視されています。それを、こども園のハンドベル練習場面で見ることが出来たのは私自身新たな発見でした。子供たちは、すごい力を持っているんだということを改めて学びました。また、こども園では礼拝、ランチの前などにお祈りをします。そのお祈りの中で、必ずと言っていいほど添えられる言葉は、「世界で苦しんでいる人」、「ご飯が食べられない人」、「病気で苦しんでいる人」、「戦争で苦しんでいるお友達」など、他者のことを思いやる言葉が必ず出てきます。私たちが思っている以上に子供たちは多くのことを心で感じ取り、学んでいるのです。

そんな充実した12月を終え正月になると、新たな年を迎えみんなでお祝いします。また、1月は多くの人が目標を掲げ、過去の自分と決別して、心を新たにし頑張ろうとします。私の肥満気味の友人は、毎年のように1月に「今年こそは10㎏痩せる。」と目標をたてますが、何年も達成できていません。そもそも、12月、1月はクリスマス、忘年会、正月、新年会とおいしいものを食べたり、お酒を飲んだりする機会が多い月です。そこでダイエットの目標を掲げるには相当の覚悟があるか、出来ない事を承知で年中行事のように目標を掲げているかのどちらかだと思います。小学校、中学校でも夏休み、冬休みの長期休暇に入る前には、必ずといっていいくらい担任の先生から休み中の目標、学習・生活の計画をたてさせられます。そして、新しい学期の始業式にはそれを提出するよう求められます。でも、なかなかも目標を決められなかったり、計画を立てられない生徒もたくさんいます。私自身も小学生の頃、同じように学習計画表や目標をたてるのがとても苦痛でした。さぼっているわけではないのですが、目標が全く頭に浮かんできません。そして、毎年のように休みが終わってから過去にさかのぼって計画表を1日で一気に作成して提出していました。一番困ったのは、保護者に確認のハンコを押してもらうスペースがあったことですが、親の目を盗んでハンコを押した記憶があります。はじめはとても悪いことをしているという罪悪感があったのですが、友達に話をすると「オレも」「僕も」「私も」など同じようなことをしている友達も結構たくさんいて、少し安心した覚えがあります。

 今月の聖句は、『わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である』です。ここで、イエス様はご自身をぶどうの木にたとえ、私たちを枝にたとえています。また、神さまを農夫にたとえ、「実を結ばない枝は父(神様)が取り除かれる。」と語っています。2000年前のパレスチナ地方のぶどうは、今のぶどうと違い酸っぱくて、とてもまずかったようです。イエス様は、別のところでもご自身を「私は良い羊飼い」と当時最下層に近い羊飼いにご自分をたとえています。それは、イエス様が高いところから私たちを見ているのではなく、私たちの近くにいてくださるということです。羊は羊飼いから離れて生きていくことはできません。同じようにぶどうの枝はぶどうの木を離れては、豊かな実をつけることはありません。難しいことではなく、私たちが羊であり、ぶどうの木の枝であるということをきちんと理解し、そこにしっかりとつながっていることが大切なのです。こども園の子供たちは、私たち大人よりも純粋に物事を見る目を持っています。自分には何が必要で、どこにつながっていなければならないかをしっかりと理解しています。

園長 石川 健

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