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カテゴリ:全体のお知らせ|園長通信 投稿日:2016/06/03

「見よ、それは極めて良かった。」 創世記1章31節より(2016年6月の聖句)

「見よ、それは極めて良かった。」 創世記1章31節より

 

 聖書の冒頭「創世記」の1章1節に記されているのは「初めに、神は天地を創造された」という有名な言葉です。当然ですがこれは誰かがこの時の様子を観察して書いた科学的な言葉ではありません。その後に続く文章も含めてすべて神様を信じる信仰をもって記された救いと希望を指し示す言葉です。

神様が天地を創られる前、「地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた」(創世記1章2節)。「混沌」とした「地」とそれを覆う「闇」、底なしの「深淵」。そこにあるのはただただ恐ろしいばかりの現実です。しかしそこに神様の言葉が届けられます。

「神は言われた。『光あれ。』こうして、光があった。神は光を見て、良しとされた。」(3~4節)

混沌とした闇、吹きすさぶ暴風、この恐ろしい現実に光が差し込み、神様の言葉によって一つずつしっかりと形と秩序が与えられていきます。光の次に創られたのは命あるものが活動できる場、次に天体です。そして命あるものが創造され、恐ろしい現実を安定させる神様が最後にお創りになったのが人間です。しかも神様ご自身にかたどって創られた男と女です。「神様にかたどって創造された」という言葉が示すのは、人は誰もが尊く、かけがえのない者として生み出され命育まれているということです。人間の尊厳をこの言葉は示しています。 

今月の保育主題の聖句は、一連の創造の業を成し遂げた神様のまとめの言葉として聖書が記す特別な一句、「神はお造りになったすべてのものをご覧になった。見よ、それは極めて良かった」の後半です。「見よ」とは相手の関心を喚起して注目を促す言葉です。「それは極めて良かった」とは神様が自らの創造の業に満足し、それを創られた者達みんなに知ってほしい、心に留めてほしいと願う呼びかけです。世界が今どんなに暗く、現実が混沌としていても、それを突き抜けて到来する光があります。言葉があります。神様のお働きがあります。それを信じるところに私達の平安があります。自由があります。それを「見よ。」それを信じてお互いを大切に歩んで行こう。それが聖書のメッセージです。

科学的には、宇宙は138億年前のビッグバンから始まったとする説が今は有力ですが、この理論を最初に提唱したのはキリスト教の聖職者(カトリック司祭)で物理学者でもあった人でした。「極めて良かった」神の御業の真理に迫るために彼は科学者として精一杯知性と想像力を働かせてその説を立てたに違いありません。「極めて良かった」と神様が太鼓判を押すこの世界を、より良きものとして次の世代に引き渡せるように、私達は神様の祝福と見守りを信じて歩んで行きたいと思います。

園 長 大 木 正 人

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