おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。 ルカによる福音書 1章28節(2016年12月の保育聖句)
「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」
ルカによる福音書 1章28節
こども達が歌うクリスマスの賛美歌が聞こえる季節となりました。今年は11月27日の日曜日からキリストの誕生を待ち望み、それに備えるアドベント(待降節)が始まりました。アドベントは教会の伝統では11月30日に一番近い日曜日からとされ、教会の暦ではその日からが新年です。アドベントはクリスマスを前にして自らを振り返る「悔い改め」の時として過ごし、紫色がその象徴として用いられます。アドベントの期間に灯される4本のロウソクには、それぞれキリスト誕生にかかわる「預言」「天使」「羊飼い」「ベツレヘム」の意味が託され、また「希望」「平和」「喜び」「愛」の意味も込められています。12月は何かと気忙しい時ではありますが、この時こそ、立ち止まり、静まって自らのありようや世界の現実に思いてをはせて祈る時としたいものです。
さて表題に掲げた今月の保育主題の聖句は、イエス・キリストの母となるマリアに天使が告げた挨拶の言葉です。一見これはとてもうれしいメッセージです。「おめでとう」と告げられ、「恵まれている」と祝福され、「神様が共にいてくださる」と約束されているのですから。しかしこの言葉が告げられる聖書の前後の記事に注目すると、これはとても大変な出来事であったることが分かります。
一つはこの知らせを受けたマリアの年齢です。当時の婚約に関するユダヤの一般的な慣習を踏まえるとマリアは14か5歳の少女かと想像されます。そんな彼女が新しい命を宿すのです。それも「いと高き方」つまり「神様の子」を 聖霊によって! なんと重大な使命を神様は年若い者に託されたことか。余りの重圧にマリアは押しつぶされないかと心配になりますが、それ以上に、周囲の誰が、天使がマリアに告げたことを信じてくれるでしょうか。信じるどころか、「いいなずけ」のヨセフを裏切ってマリアは懐妊したのではという疑いこそ抱かれるに違いありません。もしそうなら石打ちの刑に処せられます。喜びどころか死への恐怖こそ切実です。マリアにとって天使が告げる言葉は少しも嬉しい知らせではありません。彼女を苦しめ、悩ませ、不安にせずにはいない、恐ろしいものです。だから彼女は天使に伝えます。
「どうして、そのようなことがありえましょうか。」
天使は答えます。「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。」
さらに天使はこう付け加えます。
「あなたの親類エリザベトも…身ごもっている。…神にできないことは何一つない。」
信じるということは難しく大変なことです。ましてや相手の言葉をわが身と心に受け入れるというのはとても勇気のいることです。一人ではできません。マリアもそうでした。しかしマリアはこの後それをもう一人の女性、近しい(親戚)、人生の先輩である(高齢)エリサベトと出会いと助けあうことを通して引き受けて行きます。「できないことは何一つない」神様は、私達に互いに助け合う存在をお与え下さることを通して、私達に勇気と力を下さいます。だからこそ、聖書は繰り返し語り伝えてやまないことがあります。だから「恐れるな!」これがクリスマスに私達に与えられる神様の救いの一句です。
園長 大木正人