「わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。」 コリントの信徒への手紙二4章18節(2017年5月保育主題)
「わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。」
コリントの信徒への手紙二4章18節
山梨英和のこども園は、全国でキリスト教保育・教育を実践している園の連合体である「キリスト教保育連盟」の年間保育主題によって年間聖句(聖書の言葉)を月ごとに決めています。進級された園児の保護者の方は気づかれたと思いますが、今月の保育主題聖句は2月と同じです。同じ年に2回もこの言葉が選ばれるということは、今、これが私達にとってどんなに大事かということを現しています。この保育主題の解説文に次の一節があります。
大人は現実の世界で生き、働きます。重い責任を背負います。そのため、見えるものに目が行きがちです。過ぎ行く一時的なものに気を取られます。永遠に存続する見えないものを見落としてしまいます。 (中略) キリスト教保育が目指すのは、うわべの、見える成長ではありません。外なる人とともに、内なる人が育つことです。その成長は目に見えません。ちょうど、土の中で木の根が育つようなものです。外からは分かりません。けれども根が土の中に広く深く、たくましく伸びていきます。すると、やがて幹が育ちます。枝が広がり、葉が茂ります。花が咲いて実をつけます。その全体が、今、幼児期の根っこの成長にかかっています。子どもが土の中に根を伸ばしていくのを、見守ります。
(『キリスト教保育』5月号 北陸学院 楠本史郎)
「心で見なくちゃものごとはよく見えないってことさ。かんじんなことは、目に見えないんだよ」といったのは、『星の王子さま』に出てくるキツネですが、聖書が語る「見えないもの」、『星の王子さま』で言われる「かんじんなこと」は、神様の恵みによってはぐくまれる子どもたちの柔らかな心に育ちます。「自分のことしか考えられなかった子どもが、様々な経験をします。そしてある時、友だちや小さな子を、一生懸命、気遣う姿を見せてくれます。その子の中で主が働かれ」(楠本)、内なる人が成長する。その成長を私達は見守り、認め、喜ぶのです。「その全体が、今、幼児期の根っこの成長にかかっている」からです。
それなのに私達は具体的な数値や成果、目に見える実績にばかり目を向けがちです。洪水のように押し寄せる情報の中で、何が本当に大事なのかを見失ってしまいます。少しずつ形をなしてくるものを信じて待つことができません。「わたしたちはみえないものに目を注ぎます。 見えないものは永遠に存続するからです」という言葉は、そんな私達への大切な神様からのアドバイスです。
先年亡くなった詩人の長田弘さんは「立ちどまる」という詩に、こうつづっています。
立ちどまる。足を止めると、聴こえてくる声がある。空の色のような声がある。
「木のことば、水のことば、雲のことばが聴こえますか?」
「石のことば、雨のことば、草のことばを話せますか?」
立ちどまらなければ ゆけない場所がある。
何もないところにしか見つけられないものがある。
『世界は一冊の本』 (晶文社)より
他者を思い描き、いたわる優しさや想像力。豊かな感性、待つ力、悲しむ力、集中する力、自分を表せる力、忍耐する力。何より自他を大切にできる心。こうした生きる力の源は目には見えませんが、しかし、時には、そのことに心を向けて立ち止まることが私達の生活に深みと豊かさをもたらします。山梨英和のこども園は、立ちどまり、そして、見えないものに目を注ぐ時として、毎日の礼拝を大切にします。
園長 大木正人