「求めなさい。そうすれば、与えられる。」 マタイによる福音書7章7節より(2017年9月保育聖句)
「求めなさい。そうすれば、与えられる。」マタイによる福音書7章7節より
表題の言葉はこのあと、「探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる」と続きます。そして「あなたがたの天の父(注:神様のこと)は、求める者に良い物をくださるにちがいない。だから、人にしてもらいたいと思うことは何でも人にしなさい」という有名な言葉で結ばれます。これらの言葉はイエス・キリストが小高い山の上で弟子達や群衆に語られた「山上の説教」の一節です。
イエス様は、飢え、渇き、悩み、病に苦しみ、様々な障害、問題にあえぐ多くの貧しい人々を前にして、これらの言葉を告げられました。「山上の説教」の背後にあるのは、弱く小さな人達への並々ならない熱い思いです。厳しい現実に打ちのめされて、もはや生きる喜びを求めることもできず、明日への希望を探すことにも倦み疲れ、閉ざされた門をたたいて開けさせようという気力さえ失うほどに弱り果てていた群衆を前に、イエス様は深い共感を抱くと同時に、そこまで人々を追い込んでいる冷たい現実への強い憤りをもって、これらの言葉を語られます。「天の父は、求める者に良い物をくださるにちがいない」、だから失敗を恐れず、勇気をもって、前に進もう。私達には、神様という確かな後ろ盾がある、支えがある。だからたとえ失敗しても大丈夫。安心していい。恐れることはない。臆することなく進んでいこう。これがイエス様の呼びかけです。
この箇所を読んでふと思い出したことがあります。それは、以 前、私が山梨英和中学高校にいたときに、ある生徒から聞いた、「英和のいいところは、真面目に、一所懸命やっていてもみんなから笑われたり、変な目で見られないところだ」という言葉です。自分なりの頑張りを笑われない。失敗しても馬鹿にされない。それがとても嬉しいとその生徒はいうのでした。ちょうどそのころだったと思います。ある本のなかに、「学校は安心して失敗できる場でなければならない」という一句を読みました。成功体験よりもむしろ失敗体験を通して大切なことを学ぶことが多い私達にとって、これはとても重要な指摘に思われました。そしてそれは中高やこども園という「学校」だけではなく、家庭についてもいえることではないでしょうか。先の生徒のみならず、子どもたちは皆、いや大人の私達自身もまた、「安心して失敗できる場」においてこそ、伸び伸びと、自分らしく、集中して、一所懸命に振る舞うことができるからです。
しかしそれができるには、私達の背後に、あるいは足元に、「求めるものに、良い物を下さる」お方が確かにおられるという事実、大いなる拠り所、支えがなければなりません。そしてそれを信じる勇気とそれが生み出す信頼がなければなりません。そのことを心に確かに記せる人は、きっとどんな時にも前向きで、「人にしてもらいたいと思うことは何でも人に」できる積極的な歩みを進めて行ける。そして、実は、それこそが、この2000年来、いや、数知れない未知の問題に関わって、多くの人と共にそれを解決することがより一層切実な課題となっている、この21世紀に生きる者達に求められるスキルや他者とのコミュニケーション能力といった人間力を育てることにつながってきている。昔、イエス様が告げられた言葉は今日いよいよますますその力を発揮する、私達を励ます真理の言葉です。
園長 大木正人