平均律 F130 1990油彩 榎並さんのブログの文章「真摯に生きる」を読みました。 <人が絵に求めているものは何かということなんだけれど、逆説的なんだけれど「何かを求めて絵を描いてる」その姿、生き方に共感するのではないかな。描かれた絵はどうでもいいというわけではないけれどね。結局絵を通して作家の生き様を見ているわけで、そこのところをいつも問われている気がする。真摯に生きるそのことを求められている気がするな。どうだろう。> この言葉を読みながら、榎並さんの作品「平均律」(1990年制作、山梨県立美術館蔵)のことを思いました。この絵が描かれたころ、僕は山梨県立美術館学芸課に職を得て、帰郷しました。そしてなりたての学芸員として、僕はこの絵に出会ったのです。(美術史研究家・元山梨県立美術館学芸員)魂の糧を求めて さらに深い佳い旅を飯野正仁 まっすぐ前を見つめる女性のまなざしに、励まされる思いがしました。ありがたかった。絵っていいもんだなあ、と実感しました。 これ以降、絵に向い合う時には、この時の初発の思いをむねに抱えて、絵の前に立ちます。今もそれは変わりありません。 この「平均律」の地点から、榎並さんは人の心を求めて、ヨーロッパの歴史と文化を探求し、今はさらにアジアの精神の古層に到ろうとしておられる。 そのような榎並さんの「画業」はよくある画家の「画業」とは異なる姿を持っています。いかにもリアルなものを描写するのではなく、実は眼に見えない何か、「心」「意味」「真なるもの」を画面に現出させること、それが榎並さんの絵なのではないか。僕はこう思います。 「真なるもの」を現出させようとするとき、描写の巧拙はまったく問題となりません。さらにモノとしての作品なんか実はなにものでもない。表現者がその表現をいかに切実に求めているか、その切実さだけがその表現を表現とする。素人の絵がつまらないのは、その描き手自身がその絵を切実に求めていないからです。 僕らは、「何かを求めて絵を描いている」一人の人間の姿をその絵に観たいのです。その「後ろ姿」を、自分の魂の糧としたいのです。魂を求めてのなお一層の深い佳い旅を祈ります。
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