山梨英和大学|榎並和春画集
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 95年に転機が訪れます。機会があってイタリアを中心にヨーロッパを一年かけて旅をしました。けっして絵だけを勉強したわけではありません。たくさんのものを観て、美味しいものをたべて、美しい風景に浸って帰って来ました。一番の収穫は油彩画をやめたことです。自分の中にある東洋的な「水と土と木」に帰ろうと決めたからです。西洋の手法である油彩から東洋の水を媒介した水性画に変えました。水を介在させることで紙も布も土も画材として併用できることを知りました。(混成画) 私の絵に共通するのは人の「いのりのかたち」だと思っています。 聖母像とかイコンのような画像を描くことが多いのでそう聞かれることが多いのですが、私はクリスチャンではありません。聖書の逸話から絵にすることも多いのですが、千手観音のような仏画を描くこともありますし、もっと原始的な洞窟の壁画のようなものも絵にします。今回画集を刊行するにあたって少しそんなことをふりかえってみたいと思います。 実家の応接間にセザンヌの黄ばんだ複製画が飾ってありました。いわゆる西欧のリアルな伝統的な油彩画ではなく、少しゆがんだ歪な壺が 「これでいいのだ」と主張していました。何故かこれが幼心に焼き付いています。 初めて買った画集はセザンヌでした。学生時代は画面を分割して再び組み直すセザンヌ的な構成に夢中になっていました。セザンヌから出発して立体派を経て近代の絵画史をなぞって行く行為が楽しくて仕方ありませんでした。 しかし、絵を描き始めてからずっと疑問に思っていたことは、例えば学校では人物とか風景、静物を描きます。最初はデッサンなど適当ですが、そのうちに段々さまになってきます。学校で教わるといっても基礎的なことは、誰がやっても同じことで、それ以上は自分で勉強するしかありません。私が疑問に思っていることには誰も答えてくれません。 綺麗な山や川もいいけれど、もっと切実な気持ちを表現できないだろうか。今自分が直接悩んでいることや、疑問そのものを絵を描く場に持ち込んで、ダイレクトに観る人に訴えることはできないだろうか。今を生き 「こたえてください」というのはそういった私の根源的な動機を表しています。このタイトルを思いついたときは震えるくらい興奮しました。問題の解決を提示するのではなく、答えを求めるそういう姿そのものをテーマにすること。生き様をそのままテーマにすることで、自分の気持ちを直接、表現できるようになったと思います。 これからどこまで行けるか分かりませんが、出来るだけ正直に素直に自分を晒すことで自分を見つめてみたい。多分それが私にとって絵を描くことであり、多くの人に共感をもって観てもらえる唯一の方法のように思います。 この度は山梨英和大学に15点の作品を寄贈する運びとなり、大変感謝しています。私蔵、散逸するよりも出来るだけ多くの若い人たちに観てもらいたい、そんな気持ちが受け入れられたものとうれしく思います。お骨折りいただいた諸先生がた、関係者の皆様、ありがとうございました。34 / 35榎並和春る私たちのこの気持ちを表現しなければ絵画などやる意味もない、そう思いました。こたえてください

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