2020年05月01日
学生生活 教育・研究
山梨英和大学 宗教主任補佐 大久保 絹
ウィリアム・メレル・ヴォーリズは、1905年24歳の時、県立商業高校の英語教師としてアメリカ・カンザス州から、滋賀県・近江八幡に来日しました。日本にキリスト教を伝えたいという強い使命感から、宗教や民族、文化の違いをこえた『近江ミッション』というグループを結成しました。また建築家、実業家としても、幅広い活動に力を注ぎ、隣人愛を実践しました。そうしたすべての活動において、ヴォーリズがもっとも大切にしたのは、いのちへのまなざしでした。それは、イエス・キリストが出会った人々に向けたまなざしと姿勢を模範とし、こどもや高齢者、その他社会的に弱さを感じている人たちへの配慮に溢れるものだったのではないでしょうか。
当時日本では結核が流行り、多くの人たちが苦しみと悲しみの中に置かれていました。命を脅かす病いに恐れを抱き、不安や嘆きに苛まれていたことでしょう。そのような中ヴォーリズは、結核を患っていた人たちが療養する「近江療養院」の開設を決め、治癒力が高められるような病舎の設計を手掛けました。その中に五葉館(希望館)というユニークな建物がありました。山梨英和の校章である楓の葉を思い浮かべてください。5つに分かれている楓の葉を間取りに反映させ、5つの病室が等間隔で扇状に配置され、どの部屋にも等しく新鮮な空気と光が入るように工夫が凝らされていました。心地よい空気の流れと部屋に降り注ぐ太陽の光によって、今日という日を生きる力が養われたのではないかと想像することができます。病いと向き合い、「なぜ私が」と不安に思い、「どうして私が」と嘆く只中、朝ごとに希望の光が注がれるように、そして建物を包み込むような神の愛が表されるように、五葉館の設計に祈りを込めたのかもしれません。
今日の聖書箇所である『哀歌』は、国家の滅亡という破局を経験した都エルサレムの住民が受けた苦しみと痛みをテーマとした詩文学です。苦難や哀しみが綴られていますが、神による救いの希望も祈られています。哀歌の詩人と同様、私たちは新型ウイルスにいいしれぬ恐れを抱き、一日の終わりには疲れを感じ、現状を嘆いています。しかし、朝ごとに、神の慈しみと憐れみが私たちを包み、神の計らいによって苦難が平安へと変えられるように祈りたいと思います。
山梨英和大学のキャンパスは、生きる力と希望が育まれるような建築物を日本各地に多く遺したヴォーリズの使命を受け継ぐ建築会社が設計しました。ここに集う私たちも、いのちを尊重するまなざしをもち、他者を理解し、共に生きる歩みを進めていきましょう。
Googleなどで下記の名称と住所を入力し、地図や航空写真をご覧ください。
■ 五葉館 〒523-0806 滋賀県近江八幡市北之庄町