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2020年05月04日

 学生生活 教育・研究  

緊急事態におけるチャペルメッセージ(7)配信

 

「命の息、復活の息」

山梨英和大学 宗教主任 洪伊杓

 

地上にはまだ野の木も、野の草も生えていなかった。主なる神が地上に雨をお送りにならなかったからである。また土を耕す人もいなかった。しかし、水が地下から湧き出て、土の面をすべて潤した。主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった。(創世記2章5節~7節)

 

韓国ソウルの郊外の共同墓地に、ある日本人が葬られています。その人は山梨県北杜市出身の浅川巧です。墓碑には「韓国の山と民芸を愛し、韓国人の心中に生きた日本人、ここに韓国の土になる」と記されています。1910年、日本の植民地支配下に置かれた韓国はひどい収奪を経験しました。1914年に朝鮮総督府山林課林業試験場(現、大韓民国国立山林科学院)の職員として渡韓した浅川は、酷い伐木伐採で荒地と化した韓国の山地を見て誰よりも悲しみました。「朝鮮の現状を思ひ日本の前途を思ふと涙が出る。人類は迷つてゐる。何と云ふ恐ろしい迷の道だらう。」(1922年5月6日、『浅川巧 日記と書簡』68頁)との言葉からその思いがわかります。

 

森が破壊されると続けて川も土も汚染され、韓国の民衆は飢餓と伝染病に苦しみ、貴重な民芸作品もその命の息を失いかけていました。その中で浅川は、朝鮮白磁の保存と民衆の必需品である膳の芸術性を知らせるために努めました。朝鮮総督府が景福宮(朝鮮の王宮)を破壊する時には正門の光化門を守るために先頭に立ちました。何より彼は、故郷である山梨のような緑の山を韓国に残したい気持ちでいっぱいでした。日夜研究した結果、朝鮮の五葉松で露天養苗法を開発した彼は、韓国の山林緑化の基礎を築きました。命を失いかけた韓国の山、そして土から生じた民芸に「復活の息」を吹き入れたのです。そして1931年4月2日、急性肺炎で天に召され「韓国の土」となりました。

 

去る4月30日(木)、国連(UN)のグテーレス(A.Guterres)事務総長は新型コロナ収束後の「経済再生には気候変動対策が不可欠だ」と訴えました。(『日経新聞』2020年5月1日)人間の欲望による過度な生産と消費、競争と移動がもたらした全地球的な温暖化と砂漠化は、新型ウイルスの出現の原因であるという意見もあります。浅川巧は、カナダ人宣教師C.B.イビーが創立した日本メソヂスト甲府教会(現、日本基督教団甲府教会)で洗礼を受けた信仰者でもありました。のちに、この教会が中心となって山梨英和学院は設立されました。神が創造したこの世界と自然に対する敬愛に満ちた人でした。だからこそ、破壊され、受難を受けている朝鮮の山と土にも神がお与えになる命の息を吹き込ませたかったのでしょう。

 

イエス・キリストは復活した後、「息を吹きかけて」弟子たちに、「聖霊を受けなさい」と言われました。(ヨハネ20:22)ここでの「聖霊」はギリシャ語で「息」、「霊」、「風」という意味を持つプネウマ(Pneuma)です。もしかすると今のコロナ事態は、太初の神と復活したイエスが与えられた「命の息」と「聖なる霊」を喪失した状態なのかもしれません。その「息」を回復するために私たちは何をしなければならないのでしょうか。浅川巧が葬られている場の名は「忘憂里国立墓地」です。憂いを忘れる村…「神の息」を回復し、一日も早くこの試練を克服し憂いを忘れられる「復活の日」を迎えたいと祈ります。私たち山梨英和大学の共同体もその業に参加することを心から願います。

 

「命の息」を失った朝鮮の山河と民芸(白磁・膳など)に「復活の息」を吹き入れた浅川巧(1891-1931)

 

 

 

 

 

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