幼保育連携型認定こども園山梨英和こども園

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「あなたがたは、神に愛されている子どもです」2020年度年間保育聖句

あなたがたは神に愛されている子供です。
               エフェソの信徒への手紙5章1節

 

2020年度の保育主題は「喜びと平和があなたがたを満たす」です。不安が募る年度始めとなっていますが、「希望の源である神様」が私達を「喜びと平和」で満たして下さることを信じて歩みたいと思います。その最初の月の保育主題の聖句は「あなたがたは神に愛されている子供です」。この言葉に触れて思い出した文章があります。ずいぶん前に読んだ次のような文章です。

ほぼ7万人収容のカオイダンのキャンプ第一セクション内の病者テント内に、一人の子がいた。ひとりぽっち。親は死んだか殺されたか、はぐれたか、兄弟姉妹はいたのか死んだのか。一語をも口にせず空を見つめたままの子。衰弱し切ったからだは熱帯性の悪病の菌にとって絶好の獲物であったから、その子は病気をいくつも持っていた。国際赤十字の医師団は打てるだけの手を打った後、匙を投げた。「衰弱して死んで行くだけしか残っていない。可哀想に…。」子は薬も流動食も、てんで受け付けなかったのである。幼心に「これ以上生きて何になる」という絶望を感じていたのだろう。ピーターと呼ばれるアメリカ人ボランティアの青年がその子のテントで働いていた。医者が匙を投げたその時から、このピーターが子を抱いて座った。特別の許可を得て夜も抱き続けた。子の頬を撫で、接吻し、耳元で子守歌を歌い、二日二晩、ピーターは用に立つ間も惜しみ、全身を蚊に刺されても動かず、子を抱き続けた。三日目に反応が出た。ピーターの目をじっと見てその子が笑った!「自分を愛してくれる人がいた。自分を大事にしてくれる人がいた。自分は誰にとってもどうでも良い存在ではなかった…。」この意識と認識が無表情の石のごとく閉ざされていたこの顔と心を開かせた。ピーターは泣いた。喜びと感謝の余りに。泣きつつ勇気づけられて、食と薬を子の口に運んでいった。子は食べた。絶望が希望に取って代わられた時、子は食べた。薬も飲んだ。そして子は生きたのである。回復が確実なものとなったある朝、わたしはセクション主任と一緒にその子を見に行った。「愛は食に優る。愛は薬に優る」主任は子を撫でつつ深い声で言った。「愛こそは最上の薬なのだ、食なのだ…この人々の求めるものはそれなのだ…。」朝まだき、とうに40度に暑気が達し、山の彼方からは銃声が聞こえ、土埃のもうもうと吹きまくっていたカオイダンのあの時を、私は生涯忘れることはないであろう。 (犬養道子『人間の大地』より)

                   
                  
この心揺さぶられる印象的な出来事を読むにつけ思うのは、青年ピーターのこの振る舞いは何に依るのか、どこから来ているのかということです。理屈抜きの本性的な情動なのか。それともそれはかつて彼自身がこのように優しく受け止められた幸いな経験による促しなのか。あるいはその逆、彼が経験した辛い過去をその子は彼に思い起こさせたのか。その理由は分からない。しかし彼がその子を放っておけなかったことだけは確かです。

ここから私は一気に飛躍して、こう思います。青年とその子は神様と私達の関係を語っているのではないか。周りが匙を投げたその子を見捨てず、頬を撫で、接吻し、子守唄を歌い続ける彼のように、神様は私達を受け止めていて下さる。聖書の言葉で、あるいは友人、知人、家族や先生といった人達を通して、希望の源である神様はその力を示しておられる。その事実を謙虚に受けとめる時、絶望が希望に、不安が喜びに取って代わる道が開かれる。「日常生活を丁寧に注意深く生きるだけでも共に生きる事の喜びを味わう事ができる」とキリスト者でもあった詩人石原吉郎は言っています。「あなたがたは神に愛されている子供」なのですという恵みを信じ、今年度、「喜びと平和」を祈りつつ、この園で皆さんと歩んでいきたいと願います。

大木 正人

 

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